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第14話 嫉妬した、なんて。

「……アリシア。話がある」


 ドア越しにそう声をかけられて、アリシアは読んでいた本から視線をはね上げた。

 オスカーが帰ってきたことに、全く気がついていなかった。もう夜遅くなり、今日は帰ってこないものと思い込んでいたのだが。

 そう思いながらも、寝ないで本を読んでいたのだから、どうしようもない。アリシアの部屋から漏れ出る蝋燭の光に、オスカーは驚いただろうか。


「遅くにすまない。入ってもいいか?」


 アリシアは、自分の格好を見下ろした。もう夜着に着替えてしまっていたが、今から待たせるのも申し訳ない。

 夜着の上に軽くガウンを羽織って、アリシアはドアを開けた。


「どうぞ、大丈夫です」


 アリシアの姿を見た瞬間にほっとしたように肩を落としたオスカーだが、すぐにぴたりと固まった。

 さすがにこの格好はまずかっただろうか。視線を逸らすオスカーを見ていると、アリシアまで恥ずかしくなってきて、慌てて部屋の中に彼を誘う。


 腰掛けるように促したけれど、オスカーは首を降って断る。そして、そのまま、


「アリシア。本当に、すまなかった」


 頭を下げた。


「な……にを、頭を上げてください!」

「いや。今日の言い方はなかった。俺が悪い。……その、嫉妬した」


 頭を下げ続けるオスカーの耳が、赤い。


「他の男どもに見られているアリシアを見て、エリックの野郎に手を握られているアリシアを見て、嫉妬して、頭が真っ白になって……あんなことを言った」


 アリシアの頭も真っ白になっていた。これほど長くオスカーが話したのはいつぶりだろうか。

 それに、嫉妬した、なんて。


「用もないのに来てほしくないのは本当だ。他の男どもにお前を見せたくない。あいつらが下心だらけの視線でお前を見るのが許せない。少しでも早く、遠ざけたかった」


 紡がれるのは、明らかな独占欲。


「だが、あの言い方は酷かった。すまない」

「顔を、上げてください」


 期待しても、良いだろう。

 告げたい。あなたが好きだって。


「いや……」

「違います。私が、オスカー様の顔が見たいだけです」


 躊躇いがちに、オスカーが顔を上げた。その頬は微かに赤く染まっていて、アリシアは小さく微笑む。だが、アリシアも似たような表情をしているのだろう。


「オスカー様。期待しても、良いですか?」


 オスカーの瞳が、大きく見開かれた。

 かつてないほどに表情の見えるオスカーの顔に、アリシアは精一杯綺麗に微笑んでみせる。


「私、ずっと……」

「いや」


 突然言葉を遮られ、アリシアはぴたりと動きを止めた。蘇るのは、婚約した晩の記憶。

 無言で立ち去っていったオスカーの後ろ姿。


「それは、俺から言わせてほしい」


 だが。その震えも、すぐに花が綻ぶような笑顔に変わる。


「アリシア。……ずっと、お前のことを、愛している」


 視界が揺れた。堪えようもなく、涙が溢れた。

 演技なんかではない。それが、彼の真剣な瞳から痛いほどに伝わってきて。


「アリシア?!」


 焦って手を意味もなくさ迷わせ、アリシアの方に近づいてくるオスカーが、どうしようもなく愛おしくて。


「ごめん、なさい、違くて……。私も、ずっと、オスカー様が、好きです」


 初めての告白は途切れ途切れで涙声で、おとぎ話のようなロマンチックさはどこにもなかったけれど。

 強くオスカーに引き寄せられ、抱きしめられて、アリシアは震えた。彼の胸に頬を擦り寄せ、手を伸ばして精一杯抱きしめる。どくどくと激しい心臓の音が伝わってきて、彼も緊張しているのだ、とアリシアは思った。


「オスカー様。聞いても、良いですか?」

「ああ」

「その、婚約の日……どうして、その……」

「ああ」


 その声に滲む深い後悔に、アリシアは驚いた。


「本当に、すまない。アリシアがあの後に、だからあなたとは結婚したくなかった、と続けるのだと思って……その、逃げたんだ」

「え……」

「あの時から、ずっとアリシアが好きだった。俺のせいで、ずっとすれ違ったまま過ごしてしまった」


 そう紡ぐオスカーの拳が強く握りしめられているのに気づいて、アリシアはそっとその手を撫でた。


「……私が、分かりにくい言い方をしてしまったから、ですね。本当にすみません。それに、その後に歩み寄ろうとしなかったのはお互い様です。オスカー様のせいではありません」

「……」


 無言でアリシアを強く抱きしめるオスカーの腕は、少しだけ震えていた。彼だって、不安だったのだ。アリシアと同じように。


「それなら、オスカー様が私に冷たく接したのは、私が婚約破棄を言い出せるように、ですね」

「ど……うして分かる」

「オスカー様は、誰よりも優しい方ですから」


 ふっと笑って、アリシアはオスカーに抱きつく腕に力を込める。精一杯首を伸ばしてオスカーの肩に顔を乗せ、耳元でそっと呟いた。


「愛してます」


 オスカーの身体に力が入り、痛いくらいの力で抱きしめられる。彼の力は入れ替わっていた時に知ったから、これは相当頑張って優しくしてくれているのだということは分かった。

 好きだな、と思う。知らず知らずのうちに、ふっと笑みが零れた。


「……婚約破棄を言い出したのは」


 オスカーの身体にぐっと力が入った。まるで、離さない、と言うように。


「私が、オスカー様に嫌われていると思い込んでいたからです。私なんかより、もっとオスカー様に相応しい方がいるのではないかと思って」

「ありえない」


 強い口調で言い切ったオスカーが、続ける。


「アリシアは、俺にはもったいないくらいの女だ」


 その純粋な褒め言葉が嬉しくて堪らなくて、身体がくすぐったいような気がした。


「だから、もう婚約破棄なんて考えたくもありません」

「……俺もだ」


 そのまま、お互いの体温だけを感じていた。

 しばらくして、オスカーが口を開く。


「俺に嫌われていると思っていた、と言ったな」

「はい」

「俺が口下手なせいで。悪かった。だから、これからはきちんと言葉にしようと思う」


 そう言った瞬間、オスカーの黒曜石の瞳が甘い色を宿した。


「愛している。その美しい銀色の髪も。ずっと触れたくて堪らなかった。その目も、夜空のように綺麗で煌めいていて、見つめられるだけで心が震えた」

「オ、オスカー様」


 かぁ、と頬に熱が集まっていくのが分かる。今までのように考えながらではなく、流水のようにさらさらと流れ出てくる彼の言葉に、人が変わったようだと思う。


 ――お前が天使だ女神だと騒ぐアディンセル嬢だぞ。


 実はあれも、エリックの誇張ではなく真実なのかもしれない。


「動きもいつだって優雅で淑やかで、見惚れずにはいられなかった。それに、」

「オスカー様! ……恥ずかしいので、許してください」


 オスカーに聞こえたかどうかも微妙な音量で呟いたアリシア。だがオスカーはぴたりと口を噤んだ。

 その目に宿るのは、甘く熱い色。


「アリシア。……口付けて、いいか?」


 どうして、どうしてこの人はこんなにも恥ずかしいことを聞くのだ。

 いいか、なんて、いいに決まっている。むしろアリシアの方からお願いしたい。

 だが、口付けてください、なんて言えるわけがない。

 アリシアはぎゅっと目をつぶった。してほしい。でも恥ずかしい。どうして、そんなことを聞くのだ。そんな思いが戦い、黙ってしまったアリシアを見たオスカーは、顔を隠すようにして立ち上がる。


「すまない。……がっつきすぎた。少し頭を冷やしてくる」


 そう早口で呟いて、アリシアが止める間もなく部屋を出ていってしまった。

 後には、余韻と衝撃で呆然とするアリシアだけが残された。

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