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第12話 「何してると、聞いている」

「アリシア。……何してる」


 そう言うオスカーの瞳は婚約した後のように冷たい光を放っていて。

 怒らせた。アリシアは確信する。説明しようと口を開き、言葉を探していると、さらにオスカーが口を開いた。


「何してると、聞いている」


 そう言うオスカーの視線はエリックに握られたままのアリシアの手に向いている。だがここで振り払うのも間違いなく失礼になる。

 どうするべきか考えているところで、オスカーが苛立ったように言葉を続けた。


「答えられないなら質問を変える。……何しに来た。何の用だ」


 差し入れをしに来た、なんて。

 この状況で言うなど恥ずかしすぎる。何十人もの騎士が沈黙し、じっと2人の会話に耳を傾けているこの状況では。

 オスカーは何か重大な用があってアリシアがやってきたと思っているようで、じっと真剣な顔でアリシアを見つめていた。


「何か用か? 早くしてほしいんだが」


 びくりと、アリシアの身体が震えた。急かされても、用など元々ないのだから。答えられずに黙っていると、オスカーの視線がさらに鋭くなる。


「……用がなければ、来てはいけませんか?」


 必死で絞り出した言葉はあまりにも素直でなかった。これでは喧嘩を売っているようなものだ。

 自分で言ってしまった言葉を誤魔化すように、アリシアは俯く。小さく肩が震えた。


「ああ」


 短い肯定に、アリシアは息を飲んだ。ひゅっと小さな音が喉から零れる。


「用もないのに、来るな」


 決定的な一言を告げて、オスカーはアリシアの脇を通り抜けて歩いていく。

 目の前が滲みかけて、アリシアは慌てた。

 すぐにエリックたちの方を振り返り、頭を下げる。


「すみません。お邪魔しました。……失礼いたします」


 そこまで言って泣き出しそうになって、アリシアは半ば走るようにしてその場を離れた。


 腕にかけられた差し入れのバスケットが一気に重く感じられた。人気のないところまで来て立ち止まった時、堪えきれずに涙が零れた。

 美しく剪定された木々が揺れる。


「……お嬢さん?」


 声をかけられて、アリシアは弾かれたように顔を上げた。涙に濡れた顔を晒してしまった事に今更気がつくが、もう遅い。

 そこに立っていたのは、1人の初老の男性だった。70代といったところだろうか。老紳士というのが相応しい彼に泣き顔を見せてしまったことが、急に恥ずかしく思えた。


「……申し訳ありません、お見苦しいところを。わたくし、アリシア・アディンセルと申します」

「アディンセル?」


 そう呟いて何かを思い出すように額に手を当てた彼だが、すぐに納得したように頷く。


「オスカーの婚約者、か」

「ど……うしてそれを」


 あっさりと言い当てられた事に驚き、アリシアは目を見開く。ぎゅっと手を握りしめた。


「ああ、すまない。私はアーロン・セルデンという。オスカーの祖父の友人だ。いや、メレディス……オスカーの祖父がオスカーの結婚を死ぬまでには絶対に見たいと楽しみにしていてね、何度も話を聞かされているんだ」


 時が、止まった。


「オスカーもとてもメレディスに懐いているからね。婚約者を見せる約束もしていたらしい」


 私は早く君に会えて運が良かった、と続けるが、アリシアの耳にはほとんど入っていなかった。


 何を、思い上がっていたのだ。


 オスカーには、どうしても結婚したい事情があった。

 だから、アリシアに婚約破棄されるわけにはいかなかった。あの場でオスカーが婚約破棄を拒否すれば、穏便には済まなかっただろう。だから1回は受け入れて、そしてアリシアの心を繋ぎ止めるためにあんなことをしたのだとしたら。

 全部、演技だったのだ。アリシアを繋ぎ止めるための。アリシアと結婚して、大好きな祖父を安心させるための。


 心が冷えた。


「そうだったのですね。セルデン様。申し訳ありません、急ぎの用事が入っておりまして」


 あまりにも唐突で下手くそなアリシアの演技にきっとセルデンは気づいているけれど、何も言わずに頷いてくれた。


「ああ、引き止めてしまい申し訳なかった。どうぞ、行ってくれ」

「ありがとうございました。失礼いたします」


 そう言って腰を折り、背を向けて歩き出す。初めはゆっくりだった足は、どんどん早足になった。

 また涙が零れ、頬を濡らす。


 勘違い、だった。全部。


 ――用もないのに、来るな。


 きっとそれが、彼の本音なのだろう。


 馬車に乗り込み、揺れに身を任す。調子に乗って、着飾って、お化粧までして、馬鹿みたいだ。

 行きは長く感じられた道のりも、今はさほど長いとは思えなかった。



 ◇



「アリシア?!」


 屋敷につき、静かに廊下を歩いていたアリシアは、慌てたように声をかけられてゆっくりと顔を上げる。心配そうに駆け寄ってくるマリーの姿を見て、不覚にも泣きそうになった。


「マリー。廊下は走らない。はしたないわよ」

「それどころじゃないでしょ!」


 マリーはアリシアの腕を掴み、ぐいぐいと引っ張る。マリーの部屋に半分引きずり込まれるようにして入った瞬間、堪えきれずにまた涙が零れた。


 ああ、私、泣いてばかりだ。


 情けなかった。勘違いして舞い上がっていた自分が恥ずかしかった。アリシアは静かに、涙を拭う。


「……アリシア。何があった?」


 静かに聞かれ、アリシアは一つひとつ話し始める。ところどころ途切れ、要領を得ないアリシアの話を、マリーは辛抱強く聞いてくれた。


「あーもう! あんのバカ騎士!」


 聞き終えた瞬間大声で叫ぶマリー。そのこめかみはぴくぴくと痙攣していて、マリーが最大級に怒っていることが分かる。


「マリー。声を落として」


 そうアリシアが注意すると、マリーは頬を膨らませる。勢いよく座ったせいで、近くに散らばっていた魔道具が振動でがちゃりと耳障りな音を立てた。


「ほんっとあのバカ騎士は……。いちいち言うこととやることのタイミングが最悪だっつーの。アリシア、気にしちゃだめよ」

「だって……」

「じゃあ聞くけど、アリシア、バカ騎士の態度、全部演技だと思った?」


 痛いところをつかれ、アリシアは口ごもる。アリシアの名前を呼んだ声も、力強く抱きしめられた腕も、全部嘘だとは思えなかった。思えなかったから、期待してしまったのだ。

 沈黙を否定と取ったのか、マリーが続ける。


「でしょ? だったら、アリシアは人から聞いたことじゃなくて自分の感覚を信じたら?」

「でも、用がないのに来るなって言っていたのも、多分本音だと思うの」


 嘘をついているようには見えなかった。

 マリーがはぁと深いため息をつく。


「そこんところがバカ騎士なのよ。正直にお前は可愛いんだから女に飢えた騎士たちになんて晒したくないって言えばいいのに」

「……え?」

「あ、言っちゃった」


 マリーは苦笑して、唇に指を当てる。


「今の内緒で」

「え、どういうこと?」

「んー、部外者からはあんま言いたくないんだよな……。言っちゃったけど。まあきっとそういうことだから、大丈夫。アリシアはアリシアが見たオスカー様を信じてあげて」


 そう屈託なく笑うマリー。


「ありがとう……。本当にマリーには迷惑かけてばっかりで」

「迷惑なんてかけてないって! いつでも来なさい!」


 そう言って胸を張るマリーの優しさに、心が温かくなる。


 アリシアの見たオスカー。


 不器用で、誰よりも、優しい人。


 信じてみたい。でも、演技だとしても筋が通ってしまうから。

 分からない、とアリシアは呟く。


 分からない。オスカーが考えていることが。ここで結論を出すなんて、できる気がしない。

 アリシアは、ぎゅっと強く目を閉じた。

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