職権濫用
校舎の屋上には一人の女子生徒が立っていた。
「川端、落ち着いてくれ。」
小貫の心臓は高鳴って、止まらない。
悟られないように冷静を装うが、冷や汗が止まらず。明らかに焦っている風貌であった。
川端はゆっくりと丁寧に語り出した。
「先生、ごめんね」
「謝る事なんかないだろ!!」
川端は屋上の塀に軽々と登った。
その瞬間、小貫は川端の元へ走った。
手を伸ばせば、まだ。
屋上から飛び出した川端は小貫をじっと見つめていた。
グラウンドから悲鳴が聞こえてきた。
「かわばたーー!!!!」
小貫は屋上からめいいっぱい手を伸ばした。
川端は最後に一言、小貫に語りかけた。
ドサッと大きな音と悲鳴がグラウンドから響いた。
小貫は何もできなかった自分に腹を立て、塀に頭を打ちつけ額から血を流していた。
「うわあああああああぁぁぁ!!」
都新聞記事抜粋
いじめによる自殺
私立一字高等学校の女子生徒である川端 道枝(16)(かわばた みちえ)さんが校舎屋上から飛び降り、自ら命を絶った。一字高等学校は緊急記者会見を開き、いじめがあった事実を認めた。
当時、川端さんの担任を務めていた小貫 章(30)(おぬき あきら)氏は責任を取り、職を辞することとなった。
自殺の事件から一年が経ち、記事の切り抜きを大切に保管していた川端の同級生がいた。
斉藤 里香は、川端の同級生だが、別の高校に通っていた。川端は県内でもトップクラスの一字高等学校に通っていたので、高校からは川端とはたまに会って話するような関係性であった。
斉藤は大学進学を見据えて、進学塾を探していた。塾のチラシをあさってあたところに「小貫 章」の名前を見つけて、驚愕する。
「この人って、みっちゃんの…」
教師を辞めても、まだ先生の立場でいる小貫に腹が立った。
「何で!まだ教える立場にいるのよ!?みっちゃんの事を隠して職についてるのね」
そして、斉藤は小貫への復讐のために塾に行く事を決めた。
進学塾「ソイビーン」は中高生向けの学習塾であり、今よりワンランク上の高校や大学に進学できるというコンセプトを持って、生徒達と向き合っている。
斉藤は塾に入学する前に小貫の講義を体験受講する事にした。小貫の担当は「物理I」、斉藤にとって苦手意識のある教科である。
生徒達にテキストが配られて、授業が始まる。
テンポ良く響く声は、とても聞きやすい。
声の抑揚と板書により重要なポイントをさりげなくアピールをして、脳内にて情報が自然と整理されていくような感覚を斉藤は体験した。
講義としては、センター試験によく出るジャンルの問題の公式説明と要点の解説。練習問題を解いた後に実際のセンター試験の過去問題を解いて理解を深めていった。
学校の授業で聞いていたはずなのに、初めてその分野を深く知ったような気がして、物理の理解度が上がったような実感があった。
小貫には一字高等学校でのキャリアがあったので他の講師に比べて、分かりやすくて実力もつくと、評判がとても良かった。
授業が終わった後も他の生徒の質問に答えたり、講師業務を終えた後の記録を付けたりと忙しそうにしていた。
斉藤は入塾の手続きを両親と共に進めていたが、小貫の事件の新聞記事の切り抜きはいつもリュックに忍ばせていつでも出せる状態にしていた。
夏休みの時期に一度この塾では、全生徒を集めて夏期講習説明会が開かれる。
斉藤は緊張の面持ちでこの会に臨んだ。今日この日に小貫の記事を皆に見せて、川端の無念を晴らす時だと意気込んでいた。
塾長が夏期講習の重要性や夏期講習プランの話をして、それぞれの教科を担当していく先生に話を振っていく。
順番に先生の話が振られていき、斉藤はリュックに忍ばせた新聞記事を握りしめてた。
次第に胸の鼓動は高鳴り、呼吸は乱れる。
斉藤は川端との会話や事件が起きた時の悲しみを思い出していた。
川端がこれから過ごすであろう日常が消えて、やり場のない怒りと悲しみに斉藤は苦しんでいた。
小貫には川端の死を背負う責任があることをここで宣言する事は、川端への供養になるはずだと信じて、斉藤は立ち上がった。
「小貫、章!」
喋り出した小貫の声をかき消すように斉藤は声をあげた。
小貫は驚き、斉藤に語りかけた。
「どうしましたか?」
斉藤は涙を流し、右手の震えを出来るだけ抑え込みクシャクシャの新聞記事を掲げた。
「私は、川端道枝の…」
涙で声が詰まるのを出来るだけ堪えて、続ける。
「友人なの、貴方がかつて担当していたクラスで…」
斉藤は振り絞りながら声を荒げていった。
「自殺した川端道枝の…」
それ以降の言葉が詰まって、喉から声が出なくなり、代わりに涙が溢れ出してきた。
小貫は驚いた表情を見せた。
「斉藤さん、君は川端さんの友人だったのか…」
小貫は深く頭を下げて、涙を流しながら言葉を放った。
「申し訳ない。」
教室はザワめき、とても夏期講習の説明会ができる状況ではなかった。
塾長が斉藤と小貫に声をかけて、別室へと誘導した。
テーブル席に三人座って、塾長は難しい顔を浮かべていた。
涙を流す二人の背中をさすり、言葉をかける。
「二人ともとりあえず、落ち着いて」
塾長は斉藤に声をかけた。
「里香ちゃん、辛かったのは分かるけど、あの場所で言ったら駄目だよね。」
斉藤は頷いた。
「小貫先生がここで働いているのは、私がこの塾で雇っているから私の責任なんだよ。」
「…はい。」
「私は小貫先生のかつて担当しているクラスで自殺があったことも知ってるし、事件が起きた後で、私から誘ったんだよ。」
「…そうなんですか?」
「小貫先生は、この塾の生徒だったからどういう人間かも知っているし、この事件が小貫先生だけの責任ではない事を薄々感じていたんだよ。」
「…そうは言っても」
「まあ、聞いてくれ。事件後すぐに会って、聞き出したんだ。」
小貫は大学の教育学部を卒業し、一字高等学校の教職に内定していた。
担当科目の物理を教えつつ、数年経った後に担任を任される程に成長した。
二年E組は一字高等学校の二年生の中でも優秀な生徒が集まり、受験を控える二年生を教える立場として緊張感を感じていた。
初めて生徒と顔を合わせる担任としてどんな顔をすればいいか分からない、小貫の顔は真顔だった。
出席簿を握りしめて、ドアを開けてなんとなく辺りを見廻して教壇に立った。
「進学おめでとうございます。これからこのクラスの担任をする。小貫章です。よろしくお願いします。」
黒板に漢字を書いて自分の名前を見せつけた。
「担任を任される事も初めての経験だからみんな、色々と君たちの事も頼りにしてるよ。何か質問がある人はいますか?」
生徒達がザワザワと話し出す。
年齢や恋人がいるか等の割と想定内の質問が来て淡々と小貫は答えていった。
質問が出なくなったところで、小貫が続ける。
「このクラスを任された以上、このクラスでいじめを起こしたくはない。私は恐らく他の教師よりもいじめの事について知っているんだ。
俺はかつていじめられていた事がある。恥ずかしい事ではあるが自分のダメだった過去も曝け出していかなきゃ、説得力が出ないと思う。」
生徒達が静まり返った。
「いじめと言うものは無くならない。このクラスも例外ではないだろうな。この学校なら校内で学力で差がついて、いじめ問題が起こりやすいとも考えている。みんな勉強ができるから、少しの能力の差が目立つんだよ。」
小貫のいじめ演説は続いた。
「いじめは無くす事を考えるんじゃなくて、いじめが出にくい環境にする事が大事だと思う。
自分より出来ない人間を否定する事なんて、簡単だよ。出来るところを褒めれると気遣いが身につく。何かが出来ない事を否定しない、人を尊重して敬う事をこのクラスのモットーにしていきたいと思います。」
小貫の演説は多くの生徒を共感させる話になった。
小貫は人を観察するのが得意であったため、授業を受けもつそれぞれのクラスのあるあるを言えたり、クラスの全体で流行っていそうな出来事を知っていた。
E組を観察するのは仕事でもあるため、より詳しく観察をして、提出義務のある日誌の他にも自分で記録を取ってまとめていた。
そんな中、E組の中でいじめが勃発する。
キッカケは些細な事だった、ある女子生徒が落とした消しゴムを男子生徒が蹴飛ばした。それを女子生徒が落とした消しゴムまで走って拾い上げたのだった。
「田中山、来なさい。」
小貫は、男子生徒を呼んで教室の外に出た。
「何をしたか話せ。」
田中山は疑問に満ちた表情を浮かべた。
「はい?」
「何もしない生徒を呼ぶ訳ないだろ。とりあえず何をしたか話せよ。」
「俺はトイレに行こうと思って歩いてたんだけど。」
「頭良いんだから分かるだろ、トイレに行こうと思って歩いてるだけのやつを止める訳ない事ぐらい。」
「なんだよ。」
「消しゴムを蹴り飛ばしていた事だよ。」
「え、そうだっけ。」
「お前は意図的に蹴っていた。蹴り飛ばした後、消しゴムを拾いにいく川端の顔を見ていたからな。」
「見てたかな。覚えてねぇよ。」
「いじめをしているお前は無意識だろうな。今日の放課後に消しゴムを蹴り飛ばした理由を聞く。考える時間はあるだろ。理由次第では俺のクラスでいじめが起きた事を職員会議の議題にあげるから。」
田中山は解放されて、トイレに向かった。
小貫は川端の元に駆け寄り、田中山の代わりに謝った。川端は気にしてない素振りを見せていたが、些細なキッカケがイジメに発展する事を小貫は知っていた。
その日の放課後に小貫は田中山に聞き込んだ。
「理由考えたか?」
「ちゃんと下向いて歩くべきだったよ。そうすれば消しゴムを蹴り飛ばさないだろ。」
「他に理由がないなら職員会議にかけるからな。」
「勘弁してくれよ。何だよ。」
「明らかに他の生徒と態度が違うな。分からないのに上から目線で聞くやつなんか、どう考えても他人を敬ってないだろ。」
「よくわかんねぇよ。」
「俺が指摘した事に対して、抗ってるんだよ。いじめた事を俺と共有したくないからだ。落ちた物を蹴り飛ばさないよう下を向いて歩くってのは、先生が生徒に求める答えじゃないのさ。よくわかんねぇとか、覚えてねぇとかって誤魔化すための言葉だよ。言いたくない事を言わないように先送りしてるだけさ。」
「何が言いたいんだよ。」
「おまえの成績が落ちてきて、志望してる大学に行けなさそうなんだろ。」
「はぁ?」
「担任だからある程度の成績のことも知ってるんだよ。」
「関係ない。」
「学生の心に余裕がないのは、成績か人間関係トラブルだろうからな、調べたんだよ。」
「…」
「それだけが原因だと特定できないけど、川端はそこまで成績も良くない。大人しいから言い返す事もないからな。」
「…」
「都合がいいんだよ。感情をぶつけるのに。もう一度明日の朝に理由を聞くから、答えを用意するんだ。」
次の日の朝。
小貫は教室に入って、田中山を呼んだ。田中山は思ったよりもダルそうにゆっくりと小貫に近づいていった。
「考えたか?」
「…。」
小貫はため息をついて、話し続けた。
「お前と俺だけで考えるのにも限界がある。職員会議にかけるってのは、脅しじゃない。他の先生の力を借りて、一番の答えを決める事なんだよ。」
「…俺さ、受け入れられなかった。自分の成績も自分が起こした行動もな。」
「…そうか。」
「川端の事を都合がいいのか少し考えたんだ。やっぱり都合が良かった。謝って解決するんなら、俺は謝るよ。」
小貫は川端を呼んだ。
「田中山の言葉を聞いてくれて。」
「ごめん。もうしない。」
クラス中の生徒が小貫と田中山のやり取りを見ていた事によって、小貫の評判が上がっていった。
この日から小貫は先生として生徒から信頼される大人へと変わっていく事になる。
放課後になり、川端は小貫のもとへ近づいていった。
「小貫先生、本当にありがとうございます。」
小貫は笑って応えた。
「職員会議の議題にかけるって、少し脅したんだよ。我ながら汚い大人のやり方で田中山に謝らせてしまった。」
「そうだったんですか?」
「あぁ、でもな。強引にでもやらないと、いじめられた過去って消えないんだよ。たまにふといじめられた過去を思い出してしまい、出来なかった時の自分が今の俺に対して『許せない』と訴えかけてくる事があるんだよ。」
「…なんとなくわかります。」
「田中山を許してやれる川端は、他のやつより少し大人なんだな。許せなくなったり、困った事があったらこっそり教えてくれ。」
「はい。」
小貫は職員同士でも生徒の観察がよく出来てると評判になっていた。
川端は変わらず大人しくしていたが、水面下でまたいじめが再発していた。
田中山の件から一ヶ月経ったある日のこと。
机の中にしまってた教科書が一冊濡れていた。他の教科書が濡れないように離して置く。
教科書が濡れている原因が分からないまま、誰にも相談せずに教科書を乾かしていた。
川端にとって小貫は特別な存在であるため、迷惑をかけたくなかった思いがあった。こんなすぐに何か起こるはずがない。何かの間違い…。
表情が曇らないように、小貫が察しないように川端の行動が徐々に変わっていく。
事件が起きるその日も川端は小貫の前で笑顔を見せていた。
小貫は川端の目がいつもと違うように見える。何故かいつもよりも笑っていて、違和感がある。
あの笑顔には意味があるのか…。
笑顔を怪しむ事に違和感を覚えた小貫は通常通りの対応だった。
お昼休憩が終わり午後の授業が終わり放課後で皆帰ってるであろう時間なのに机の上に手紙が置いてある。
先生に会えた事が私の人生の頂点でした。先に屋上で準備しています。
小貫は手紙を握りしめて、屋上に向かって走った。
「川端なのか…。そんなこと…」
屋上までの階段を手すりを掴みながら、全速力で駆け上がる。
既に開けられていた形跡のある屋上の扉を開いた。
校舎の屋上には一人の女子生徒が立っていた。
「川端、落ち着いてくれ。」
小貫の心臓は高鳴って、止まらない。
悟られないように冷静を装うが、冷や汗が止まらず。明らかに焦っている風貌であった。
川端はゆっくりと丁寧に語り出した。
「先生、ごめんね」
「謝る事なんかないだろ!!」
川端は屋上の塀に軽々と登った。
その瞬間、小貫は川端の元へ走った。
手を伸ばせば、まだ。
屋上から飛び出した川端は小貫をじっと見つめていた。
グラウンドから悲鳴が聞こえてきた。
「かわばたーー!!!!」
小貫は屋上からめいいっぱい手を伸ばした。
川端は最後に一言「ありがとう」と語りかけるてるように小貫には見えた。
ドサッと大きな音と悲鳴がグラウンドから響いた。
小貫は何もできなかった自分に腹を立て、塀に頭を打ちつけ額から血を流していた。
「うわあああああああぁぁぁ!!」
近くにいた先生に救急車を呼ぶように頼んだ小貫は全速力で川端の元へと駆け寄った。
川端の頭を抱き抱えようとしたが、妙に柔らかい。
医療知識のない小貫は川端をそのままの姿勢にさせるしか出来ない。
「川端!!川端!!」
何度も名前を呼びかけて、傷口からこれ以上の血が出ないように抑えていたが、大量の出血を抑える事ができない。
「誰か!!保健室から包帯を持ってきてくれ!!」
周りの生徒達が保健室へと走っていく。
保健室の先生が応急処置をしてくれて、泣きそうな顔をしながらも必死に処置を続ける。
救急車が駆けつけて、川端を運んで行った。そこに小貫もついて行ったのであった。
川端は救急車に乗る前には息を引き取っていた。
小貫は川端の両親に説明、学校側への説明。ガムシャラに、強い感情に突き動かされていった。
一睡もできなかった小貫は翌日の緊急朝会にそのまま参加して、最後のホームルームに出る。
いつもの教室なのに、いつもの生徒なのにぼんやりとしか認識できない。
小貫は教壇に立って無言で周りを見廻した。
生徒達は落ち込んで、泣き出している生徒と俯いている生徒、不安そうに見つめ返してくる生徒。
全く違うクラスになったかのようだった。そんな中、小貫は涙を流して話し出す決意を固める。
「まず君たちにやってもらいたい事は、…彼女に黙祷しよう。」
黙祷後、小貫は続けた。
「川端さんはとても素敵で知的な女性でした。
これからもっと彼女と接して皆に成長して欲しかった。
これからもっと彼女の良い影響を受けて皆に優しく賢くなって欲しかった。
これからもっと彼女に幸せになって欲しかった。」
小貫は涙が出ても拭える程の気力がない。
「責任は全て担任の私にあり、今日でこの学校から去ります。こんな去り方をするのは本当に申し訳ない。」
悲しみの中で、生徒達はザワザワと動き出した。
「何で先生だけが悪いんですか!?私達は川端さんのクラスメイトですよ!」
ある女子生徒が語り出すと、他の生徒達も自分の感情を吐き出すように小貫に語りかけた。小貫が辞める事を引き止めるように言葉を語りかける。
「そうか…。ありがとう。でもな、お前たちが俺を許してくれても世間は許さない。誰かが責任を取るべきだ。今回の事件は、教師が起こした監督義務違反だ。だから皆は、川端さんの事をたまに思い出して欲しいが、気に病む事はない。」
小貫は思い出したかのように続けた。
「伝えるべきかな、俺に向けて川端さんは最後に『ありがとう』と言っていた。まあ、それだけなんだけど…。」
ホームルームは終わり、職員室で辞表を提出した小貫は一字高等学校を去っていった。
塾長の話を聞いていた斉藤は、小貫に言葉をかける。
「あなただけの責任だとは思わないけど…。」
塾長は斉藤に話しかけた。
「小貫先生は人に教える気力もなかったけど、私が無理矢理この塾で雇ったんだ。生徒と触れ合えばその内、元気になるだろうと思ってね。」
「本当に俺を誘ってくれたこと、感謝しています。雑誌に変な記事が載った時も宣伝だと言って流してくれました。」
「あぁ、あの記事で生徒が二人ぐらい増えたからね。」
「時期がたまたま被っただけです。」
「小貫先生は生徒想いなんだよ。とことん生徒に付き合うし、教え方も上手いんだよ。そりゃあ、雇うだろう。」
斉藤は小貫に声をかける。
「でもみっちゃんの担任でしょ。あなたの生徒だったんでしょ!」
塾長も小貫も静まり返った。
「私はみっちゃんに憧れていた。いなくなっても、私はみっちゃんの為にこの塾に入ったの!」
塾長が斉藤に話しかけた。
「里香ちゃん、小貫先生を恨んでも川端さんはきっと喜ばないよ。川端のさんもこの先生を恨むはずない。私は小貫先生を信じてるんだ。過去に囚われてしまうんなら、一度小貫先生とお墓参りに行ってきたらどうだろう?」
「お墓参り…」
「え?その間、塾はどうします?」
「小貫先生の夏休みって事で休暇をとってもらうよ。」
「それなら、俺はいいんですけど…」
「私もお墓参りに行きたいです。」
「大丈夫?」
「えぇ、小貫先生の事を見極める為にも行かせてもらうわ。」
小貫と斉藤は夏期講習の期間中、休みを取って予定を立てた。
お墓参りを決めた当日、昼ご飯の為にファミレスに寄った。
小貫が斉藤に語りかける。
「好きなもの頼んでいいから。」
「あら、ご馳走様です。」
小貫の食事と比べて、斉藤は大量の食事をするのに必死になって食べていた。
小貫は塾の生徒として微笑ましく、食べっぷりを見ていたのだった。
「川端さんともご飯を食べたりしてたの?」
「えぇ、高校が違うからそんなに頻繁には行けなかったけど。」
「そうか…。」
「みっちゃんは、可愛くて頭が良かったの。私はあまり取り柄がないからみっちゃんに変顔見せたり、動物のマネしたりして笑わせようとしてたなぁ。みっちゃんって、すごい笑うの。何でも教えてくれて、憧れていたの。」
「川端さんは斉藤さんの前だと、素直になれたんだね。」
「何で、そう思うの?」
「よく笑う子だけど、どちらかと言えばおとなしい子だったから。斉藤さんの前だと素直に感情を出せたのかなって。」
「おとなしいじゃなくて、品があるのよ。」
「…。」
小貫は川端の事を無意識に守る対象として捉えて、素直に向き合えていたのかに疑問を感じていた。
斉藤のような明るい子だったら、クラスでは人気者だったかもしれない。
この二人が対等の立場で友達だった事はとても素晴らしく、小貫の無意識の偏見を炙り出してるようだった。
「俺は川端さんの事を理解できていなかったかもしれない…。」
「どうして?」
「生徒としてでしか、川端さんの事を見ていなかった…。」
「え?それ普通でしょ。女として見てたらキモすぎるし。」
小貫は斉藤と話してると不思議な感覚に陥った。斉藤の近くには川端がいるんじゃないかという感覚だった。
小貫と斉藤しかいないのに川端もいたら、斉藤の隣で笑っていたんじゃないか。小貫は三人でご飯を食べてた事もあったんじゃないかと考えていた。
「川端さんのご両親にも挨拶しに行かないか?」
小貫の突然の提案に斉藤は戸惑っていた。
「え?そんな事してて、今日だけで終わります?」
「改めて生徒としてではなく、川端さんはどういう人だったのか知った上で川端さんに会いに行くべきなんじゃないかと思ったんだ。」
「先生が良いなら、私もついて行きますけど。」
「塾長には、説明しておきます。斉藤さんもついてくるならご両親には説明しておくんだよ。」
「はい。」
次の日になって、小貫と川端は斉藤の実家を伺った。
「すいません。連絡させてもらった小貫です。斉藤さんと一緒に伺いにきました。道枝さんに線香を上げさせてもらってもいいですか?」
出迎えたのは川端の母、川端 道花であった。
「小貫先生、定期的に道枝にために来てもらってありがとうございます。里香ちゃんもいらっしゃい。」
「ご両親には、辛い思いをさせてしまい申し訳ございません。」
「毎回、本当に大丈夫ですよ。先生の事は道枝から聞いていましたし、最善を尽くしてくれてたのは、他の方からも聞いていましたから。」
二人は川端の仏壇に通されて、線香をあげた。
小貫は道花に向かって話しかける。
「これから斉藤さんも連れて、道枝さんのお墓参りをさせてもらおうかと思っています。」
「あら、道枝も喜びます。」
「お願いがあるんですが、大丈夫ですか?」
「えぇ、どうしました?」
「道枝さんの小さい頃からのアルバムなんかあったりします?」
「ありますよ。取ってきましょうか?」
「是非、見せてもらえると嬉しいです。」
斉藤も話し出す。
「私も見たい!」
「そうね、里香ちゃんが写ってるのもあったはずだわ。」
クリーム色の分厚いアルバムブックを道花は取ってきた。
「えーと、これは道枝が幼稚園の時ね。里香ちゃんも写ってるのわよ。」
川端の隣の斉藤は変顔をして写ってた。
「うわ!この頃の私、きっつー。」
小貫はニコニコしながら斉藤の変顔を見ていた。
「小学校の時の道枝ね。あら、制服が少し大きいわね。」
「成長に合わせるために、制服って大きめに作られるらしいですよ。」
「あら、そうなの?」
「先生〜、知的アピールね。」
「アピールではないけどね…。」
アルバムはまだまだ続いていた。
「これが中学生の道枝ね。この頃になるとあまり写真に写りたがらないのよね。」
「思春期ですからね。家族の写真とか嫌がっちゃうんですよね。」
「顔つきにもう、品が出てるわ。こりゃあ、モテるわね。」
「そんな事ないわよ。人見知りで、なかなか友達もできなかったわね。」
ページをまためくると、一字高等学校の入学式の写真だった。
満面の笑みを浮かべる川端が写っていた。
「…受験大変だったから…、喜んでて写真にも写ってくれたんです。」
道花は涙をハンカチで拭った。
「お母さん、すいません…。」
「こちらこそ、なんか、ごめんなさいね。アルバムを一緒に見てもらえて嬉しいんです。」
「私も見れて、嬉しかったわよ。」
「ありがとう、里香ちゃん。ちょっとすいません。」
道花は奥の部屋から着物が入った箱を取り出してきた。
「先生、私は道枝が成人したらこの着物を着て欲しかったんです。」
「綺麗な織物ですね。」
エメラルドグリーンにアサガオの刺繍が入った着物だった。
「着物って、レンタルじゃないんだ。」
「えぇ、私のお婆ちゃんから引き継いだ着物で私も成人式の時にこの着物を着てたんです。道枝は嫌がってたんですけど、一回着てもらってサイズも少し大きいくらいで…。これは、親のエゴって奴なんですが、私も成人式に参加してるような気分になれるから着てほしかったんです…。」
「道枝さんなら着てくれたんでしょうね。」
「はい。」
「私も見たかったな。」
「道枝は、小貫先生の話をよくしてくれたんですよ。」
「そうだったんですか…」
「意地悪してきた男子を説得して謝らせたとか。」
「あぁ、そんな事もありましたね。」
「本当にニコニコして、今までの先生と違うみたいって。」
「ありがたいですね。」
「え?意外と怒ったりするタイプなのね。」
「怒ってるというか説得ね。」
「教師なんだからガツンと言わないといけない時は言わなきゃね。」
「君の感覚は意外と古い感覚だね。」
たくさん道花と話してるとやはり、亡くなった川端の存在も近く感じるような気がした。斉藤と道花の間にいたのかもしれない。そんな感覚を感じていた。
川端の実家を出た小貫は斉藤と会話していた。
「どう?先生満足した?」
「お母さんがとてもいい方で、本当に良かったよ。」
「じゃあ、お墓参りに行きますか。」
「もう一人…。」
小貫は顔付きを曇らせた。
「え?また誰かに会うの?」
「君に辛い思いをさせたくはない。私一人で会いに行って話をさせて欲しいが…。」
「何言ってんのよ!?みっちゃんに関係する人でしょ!?」
「あぁ。」
「私も行くに決まってるじゃない!!どんな人なの!?」
「俺の元生徒だよ。こいつにも一応聞いておかないとな。」
「…。」
次の日、小貫は斉藤とファミレスに寄って、食事をしていた。
「先生さ、元生徒ってどういう感じなの?」
「あぁ、田中山って言うんだが川端とは、相性が悪そうな奴でな。」
「そうなんだ…。」
「あいつが来たら、基本俺が喋るから横で聞いていてくれ。あまり気持ちの良い話ではないかもしれんが…。」
小貫は大きく手を振った。
「おう!すまんな。呼び出してしまってな。」
「あぁ、暇だったし。」
「何か頼むか?」
「いい…。」
小貫は斉藤の紹介を始めた。
「この子は、川端の友達の斉藤さんだ。」
田中山は軽く会釈した。
「先生、やっぱり川端の話ですか?」
「そうだな…。お前から見た川端はどんな奴だったか教えてくれ。」
「特に、印象はないけど。さすがに飛び降りた時は驚いたよ。」
「クラスメイトだからな…。それくらいか。」
「あぁ…。」
「そうかぁ…。俺にお前は会いに来てくれたのは、本当に暇だったんだな。」
「そうだよ。」
「…俺さ、今は塾講師なんだよ。お前らの教師じゃない。あの時のように俺は職員会議の議題にかけられない。俺にはもう、お前に対して何もやれない。」
「何が言いたいんだよ?」
「お前の自由だと伝えてる。俺はもうあの時のように謝ってもらうように説得できない。お前がもし、先生だった頃の俺に何か伝えたい事があれば、聞くことぐらいはできるだろうな。」
「…何だよ。意味わかんねぇ。」
田中山の目は涙で潤んでいた。
「先送りにして、もう俺に会わないならそれでもいいさ。俺から伝えれる事はこのくらいだよ。」
田中山はゆっくり間を置いて答えた。
「言わせてくれ…。」
田中山は俯いて、拳を膝の上に乗せた。
「俺のせいだ…。」
「…そうか。」
小貫は辛そうに頷いた。
「川端の教科書を濡らして机に入れた事もある。あいつが隠そうとしてた低い点数のテストをあいつだけが見えるようなところで広げて、バカにして…。」
斉藤は机を叩いて、田中山に怒鳴りつけた。
「あんたね!!みっちゃんに傷つけて、どういう理由があるのよ!!?みっちゃんがあんたに何かした…。」
小貫が斉藤の前に手を出して、制した。
「…頼む。…聞こうよ。俺が頼んだんだ。」
小貫は涙を流して、斉藤を止めた。
立ち上がって周りのお客さんに、謝って田中山に言葉をかける。
「田中山、続けてくれ。」
田中山は涙を流しながら、話し始める。
「俺はいろんなことをしてもずっと無表情なのに、先生に話しかけるといつだって笑顔だったんだよ。何だか訳分からなくて、、。」
「田中山、そんな気持ちを抱えてたんだな。最後のホームルームの時、ずっと俯いてるのお前だけだったんだよ。」
「…先生。俺のせいなんだ。すまない。」
「俺は、言っただろ。全ての責任は俺にある。監督義務違反だ。」
「でも…、俺のせいで…。」
「俺は自主的に辞めたんだよ。俺の判断で辞めるべきだと判断した。田中山のせいではない。」
「…川端に…。」
「でもな…川端に許されることがあるか?
今となっては本人に聞く事はできない。
分かるか?
あの時とは状況が違う。
川端は死んでもお前の中に残り続ける。俺もそうだ。だから、…お前なりに川端の死と向き合ってくれ。」
「…俺は…どうする…。」
「それは、一字高等学校の先生に聞いてくれ。もう、お前の事を叱ってやれないよ。」
斉藤は涙目で常に腕を組んで、舌打ちをしながら田中山を睨んでいた。
斉藤の隣には川端が無表情で田中山の事を見ていたように思えた。何を考えて見てたのか分からないような無表情で。
田中山とは、ファミレスで分かれて二人はお墓参りに向かった。
無言で黙り込む小貫に斉藤は話しかけた。
「あいつのせいで…。」
「そうは言っても、仕方ない。本当の理由は分からないからな…。」
また黙り込んでしまい、日が落ちてきて周りは暗くなり始めた。
自然に囲まれた環境に墓園が存在して、虫の声がよく聞こえていた。
「斉藤さん、俺さずっと川端さんが近くにいるように感じたんだ。斉藤さんの隣にいるようで。」
「そうなのね。きっといるんじゃないかしら。」
しばらく間を置いて、斉藤も小貫に語り出す。
「私は、あなたの事信用してなかったのに、あなたの言う事を聞くとみっちゃんの先生だったんだな〜って思えたの。」
「どうして?」
「分からないけど、先生と一緒だと思う。みっちゃんを近くに感じてたの。私の事を説得してたのかもね。」
「俺は、川端さんに助けられてたんだな。」
墓園が目の前に見えてきたのを確認した二人は、地面に座って休憩を取った。
「先生、何日間か話を聞いたけどみっちゃんの事分かった?」
「結局…満足出来るまで川端さんの事は分からなかったよ。」
「え〜〜〜!?」
斉藤は地面に倒れ込んで、起き上がる。
「じゃあ、何のためにわざわざ塾も休んで話を聞きに行ったたのよ!?」
「そうだよな…。すまん。」
「すぐにお墓参りして、終われば良かったじゃん?」
「それは、違う。」
「え?」
「…俺はこうしたかった。塾講師なのに川端さんの死が頭から離れなかったんだ。そうだな…。」
小貫はしばらく間を置いて答えた。
「職権濫用だよ。」
「職権…?」
「塾講師という立場で川端さんの友達の斉藤さんを連れ回してしまった。」
「私は…ついてきただけよ。」
「そうか…。本当に君には助けられたよ。お墓に行こうか。」
斉藤はたっぷりと間を取って答えた。
「そうね。」
川端のお墓の位置を記載したメモに目を通す。
暗くなった墓地で目的の墓石を見つけることが出来た。
「川端 道枝」
名前がしっかりと刻み込まれた墓を目にして小貫は涙を浮かべていた。
「分かっていた…。」
小貫には川端の死を受け入れきれてなかったことに気付いて目が涙で潤んでいた。
斉藤の顔を見ると斉藤も呆然と立ち尽くしてるようで、墓石の文字を見つめていた。
「線香に火をつけて、手を合わせようか。」
「…はい。」
小貫は手を合わせると川端の声が聞こえてくるようだった。
「私が先生に最後、ありがとうって言うと思ったかしら?」
「違うのか?」
「最後に顔を見たい異性に対して、言う言葉は決まってるでしょ。」
小貫は手を合わせながら、微笑んだ。
「生意気な年頃だな」
墓参りを終えた二人は、遅れていた夏期講習を取り返すために頑張っていた。
数年後
小貫は成人式の会場に来ていた。
成人した男女が和気あいあいとしていた。
「こんなところで、見つかるはずねーよな。」
すると大きな声が聞こえてきた。
「小貫先生ー!!」
斉藤がオレンジに向日葵の刺繍が入った着物を着て、手を振りながら斉藤が近づいてきた。
友達と喋っていた斉藤が小貫のもとに一人で駆けつける。
「もう、早いもんだな。」
「そうね。髪型気合い入ってるでしょ!!」
「あぁ、もう頭でかすぎて意味わかんねぇよ。」
「意味はわかるでしょうが!!成人式の気合いよ!!」
「まぁ、いいから。川端さんの実家にも送る写真を撮らせてよ。」
「いいわよ。みっちゃんに気合い見せたるからな!」
「もうー、はいはい。」
斉藤は気合いの変顔を見せて、小貫はシャッターを切った。
横には成人した川端がいるであろう、余白を残して。
(終)
面白かったら、ブックマーク、評価お願いします。