第4話
菊花寮では、全員が入浴し終わったら暫くの自由時間の後、就寝する事になっている。
いまは就寝の時間。菊花寮内の明かりは消え、闇に染まる。そんな廊下にパッと明かりがついた。
「なんだか気味が悪いから。早く済ませてしまいましょう」
ソレは、雨酔まほろが持つ、懐中電灯の灯。彼女は皆が寝静まった頃、寮全体を歩き見回りをする。
毎回やっているのだが、今日に限っていえば少し怖い。言わずもがな、大量に降る雨と、未だ窓をガタガタと言わせるぐらいに吹き荒れる風。
怖がるなと言う方が可笑しい。
「ぅぅ、ふぅ……、ふぅぅ」
足取りが重く、いつもり前に進むのが遅い。真っ暗闇の廊下を懐中電灯で照らし、小刻みに呼吸しながら見回りを続ける。
本当なら手早く済ませたいのだが、そうもいかない。コレも大事な仕事なのだから。
(あ、あとは。ここを見回りすれば終わりなんです……頑張るんですよ、わたしっ)
自分自身を鼓舞し、勇気を振り絞るまほろ。彼女が今いる場所は、寮生の部屋がある廊下。真っ直ぐに部屋が並んでいる。
部屋の中までは見回らないから、早く済ませられる。けれど、まほろは丁寧に見回りをする。
誰か部屋から出ていないか。不審者はいないか、変わった所は無いか。もし、なにかあれば大変だから。
「特になにも無さそうですね」
時間を掛けて、一通り見回った後、安堵のあまり大きくため息をはいた。扉の横の壁に背中を当て、ほんの少しだけ休憩。
その際、何の気なしに目の前にある窓の景色を見た。
外は変わらない勢いで雨が降り、風が吹き荒れたまま。木は大きく揺れ、枝や葉を容赦なく地面へ落とす。
これでは、まだ咲いている桜も全て散ってしまうだろう。
(まだお花見に行ってないのに)
出来ることなら、のんびりとお花見をしたかった。ほんのちょっぴり悲しくなりつつ。一息つき終えたまほろは、再び歩き出そうとした。
その刹那ーーッッ。
ピカッッ、と窓が一種光に包まれた。瞬時の光が終わった時。
ドガァァァァァンッッ!!!!
「ひゃっ、ふァァァァァァっっ!!!!」
空気を揺らす程の轟音が鳴り響く。近くに雷が落ちた、その音に大きく悲鳴をあげたまほろは、すっかり腰が抜けてしまい床にペタンと尻もちをついてしまう。
手にした懐中電灯も落としてしまい、その勢いで電源が切れてしまった。
「え、ぁ、えっ、えっ。うそ、うそぉ……」
完全に闇に包まれた廊下内。まほろは一気に不安と恐怖に襲われる。別人の様に怖がるまほろは、雷が大の苦手。
雷鳴が光っただけでも怯え、暫く動けなくなる。しかも、近くに落ちたとなったら状況は悲惨だ。
(あ゛……や、やだ。いや、いやぁぁ)
必死に周りをみるが、暗くてなにも分からない。手探りで懐中電灯を探すけど、全く見あたらない。落とした勢いで転がってしまった様だ。
ゴロゴロゴロ……ッッ
「ヒ……ッ」
まるで子供のように怯えてしまったまほろは、完全に萎縮してしまった。脚に力が入らなくて動けない。怖過ぎて声すら上げられない。
(だ、だれか。だれかぁぁ、たった助けてください……)
出来るのは、心の中で助けを求めるだけ。けれど、そんな都合よく助けが来る筈が……。
「なっなによ、さっきの悲鳴……。オバケじゃないでしょうね」
……あった。
まほろがいるすぐ隣の扉が開いた。その娘は、驚いた顔を見せながら、心配そうに呟くその人は。江咲結音であった。
雷の音で目が覚めた結音は、同時にまほろの悲鳴も聞こえ、様子を見に来たらしい。
そんな結音は、床に尻もちをつくまほろを見つけた。
「えっ、エェェェッッ。ま、まほろ……さんっ。ど、どうしたんですかー!!」
「う、ぁ、あ゛ァァァ……ウァァァッ」
まほろは、結音の顔を見た瞬間。緊張の糸が切れ、泣き出してしまった。本当に怖かったのだ、人の顔を見て安心した。
涙で顔をグシャグシャにし、泣きまくるまほろを見て、結音は困惑……。いっ、一体彼女に何があったのか?
そんな風に結音が困っている時、我に返り猛烈に恥ずかしくなった。
「へぁっ、え、江咲さんっ。ど、どうして起きてるんですか。もう消灯時間は過ぎてますよ。は、はやく寝てください」
そんな恥ずかしさを押し殺し、起きている結音を叱る。しかしその様は少々情けない。だって、尻もちをついたまま涙声で叱ったから。
「あー、えと。それよりも、まほろさんの状態が気になるんだけど……。大丈夫ですか?」
「ッッ。あ、ぅっ、みっ見ないでください」
やはり、心配されてしまった。きっと嫌な風に思われた、まほろは一気にその考えに至り。恥ずかしさと不安が襲い、顔を手で覆った。
(お願い、私を見ないで……)
まだ、雷の恐怖が抜けなくてカタカタ震えるまほろ。そんな時、追い打ちを書けるように、また空が雷鳴で光った。
途端に肩を震わせるまほろ、顔を覆った手を今度は耳に当てギュッと目を閉じた。
ピシャァァァンーーッッ!!
「ッッ、ぅっ、きゃぁぁぁぁ……ッッ」
また雷が落ちた……。もう、こんな音聞きたくない。涙が頬を伝い床に落ち、結音が見ているのにも関わらず、他人に見せたくない筈の弱い姿を見せてしまった。
この時、まほろは結音が近くにいる事が、頭の中から抜け落ちてしまったのだ。結音はそんなまほろを見て何を思うのか。
まほろの思う様な、嫌なことを思い嫌ってしまったか?
「まほろさん、だいじょぶ。怖くないよ、落ち着いて?」
断じて否。結音は決してそんな事はしない。彼女は優しく声を掛け、震えるまほろの手を両手で取り、優しく微笑んだ。
ビクッと身体を震わして、結音の顔を見ると……。感じていた嫌な気持ちが全て吹き飛んだ。
まほろから見た結音の表情は、優しい天使様。見るだけで癒され、救われた気がする。これは救いと言っても良い。だって、まほろの中の恐怖は消えてしまったから。
春嵐の夜にそっと手を。繊細な心に温もりを。
ここから二人の物語が大きく始まる事になる。これはまほろの願いが叶う物語……。