2章4話
まほろが聞いたのは、この世界で最も優しく、心から癒される言葉。
くらりっと甘い余韻に浸った時には、まほろの身体から全身の力が抜けていた。
「暫くこのままでいよ。まほろちゃんは今、癒されるべきなんだよ」
「ぅ、あ……っ。い、癒されるべき……私、が」
また、まほろの頭を優しく撫でられていく。まほろに、もう何も言わせない。
と言うか、言う気が失せていく。結音の撫でる手付きが巧みで、まほろが気持ちよくなる箇所を的確に触れている。
安心する、心から落ち着く。でも、あぁぁ……でも。このまま癒されて良いの? 本当に良いのだろうか。
(ここは拒まないと、でも癒されたい)
自分に正直になりたい。でも、正直になるのは恐ろしい。これが甘え下手の原因か。癒されているのに不安がっている。これでは余計に結音に申し訳ない。
そう思った時だ。
「……うん。膝枕だけじゃ足りないかな。じゃぁ、こういうのはどう?」
「へ、あ……ッッ」
結音が、まほろの頭を床に置いた。急にどうしたの? と思った直後。結音はまほろの背後に回って、ピタリとくっ付くように寝そべり。抱きついた。
「ゆ、ゆゆゆ。ゆい……ねぇさん!? ぁ、ふ……ッッ」
「しーッッ。幾ら、空き教室で私達しかいないにしても。大声だしたら、誰か来ちゃうよ」
添い寝だ。柔らかな肌をくっつけて、まほろの耳元で囁かれる。こんなの癒しが過ぎる。くすぐったくて、甘ったるくて。脳ミソが甘さで蕩けてしまう。
(や、ぁ。だめよ、ゆい姉。それ、は)
生徒に、こんな事をさせてしまった。まほろの中で、また不安が思い浮かんだ。振り払いたくても振り払えない想いは、永遠にまほろを苦しめる。
それを察したのか、結音はまたも耳元で話し始めた。
「まほろちゃん。毎日頑張っててエラいね」
「は、ぅ……ッッ」
「これはご褒美だよー。遠慮なくゆっくりしていいからね。たっぷり私に甘えてね?」
「く、は、ぅ……うぅぅ」
わざとやっているのか、それとも意図せずやっているのか。結音は時折、唇を、まほろの耳たぶに当て囁き続ける。
語られるのは甘く優しい言葉。全てが心に染み込んで癒してしまう。不安や暗い気持ちが思い浮かんでも上書きされる。
「まほろちゃんも、私に抱きついて良いんだよ」
「え。でも、それは……」
官能的な癒しに、変な声が出てしまう。身体を小さく揺すり、未だにまほろは苦悩した。だがあと少し、あと少しでまほろは完全に結音にすがってしまう。
「恥ずかしいかな? だったら、暫くこうしてよ。まほろちゃん、すっごく気持ちよさそうだから」
「ッッ」
見透かされていた、気持ちよくなっている事を。それもその筈、結音はまほろの感情が手に取るように分かる。
お世話が大好きで、困った人を放っておけない彼女の性質。
ただ、今の結音は自分がまほろに抱く気持ちを知りたくて、こうしている。
「実はさ、私もちょっぴり恥ずかしいの。私の妹や弟よりも濃いスキンシップをしちゃってるもん」
まほろに触れれば、結音まで心地よくなってくる。まほろが見せる仕草、声音、全てが癒し。癒しているのに自身も癒される。
こんな事は初めてだ。
「だからさ、遠慮なく甘えて欲しいな。じゃないと、私が困っちゃう」
「で、でも。ゆい姉さんは生徒で、わ、私は」
寮母、大人だから。故にそうする訳にはいかない。まほろはソレを言いかけた、しかし。
「たまには、立場とかに目を瞑らないと……その、辛くなっちゃうよ? まほろちゃん、今辛いんでしょ。分かるよ、顔を見れば」
それよりも前に結音は訴えかけてくる。その先は言わせない。と言うより聞きたく無かった。聞きたい言葉は従う言葉。それだけだ。
「わ、分かるって……。どうして?」
まほろが以前から思っていた事だ。どうしてここまで癒してくれるのか。言ってしまえば他人だし、放っておいても困らない筈。
癒してくれるのは嬉しいけれど、まほろはソレが不思議でならない。故に、それを含めて問いかけた。
「え、と。言わないとダメかな? 話すのちょっぴり恥ずかしんだけど」
「あ、や。いと、言い難いのなら言わなくても。い、いえ。や、やっぱり聞きたいです」
いつものまほろなら、言い辛そうな事は言ったりしない。でも、今回は思い切って聞いてみた。すると結音は途端に紅潮し、恥ずかしさを誤魔化すように髪の毛を弄りながらギリギリまほろに届く声音で呟いた。
「その。まほろちゃんの事が気になるからなの。私、変なのかな。まほろちゃんに対して良く分からない気持ちが湧いちゃってるの」
結音が伝えた言葉は暗い気持ちから来るモノではない、甘ったるくも優しい気持ち。チリチリ胸焦がしちょっぴり辛いけどソレが嬉しくもある。
結音はその気持ちが何なのか知りたい事を、まほろに伝えた。
「は、え。な、え、え?」
まほろは酷く混乱した。
変な気持ち。暗い気持ちではなく、良く分からないと言う想いの方が大きい。
一体どういうこと? 理由を聞いても分からなかった。分からなかったから、まほろは暫く混乱のあまり硬直してしまう。
「と、とにかく!! そう言う事だから。その……まほろちゃんは、癒されても良いんだよ」
すごくゴリ押されてしまった。だからどういうこと? と言いたくなったが。言える訳が無かった。何故ならまほろは。
(う、ぁ。ゆい姉さんの吐息が首にっ。くすぐった……い。くぁ)
緊張のあまり荒くなった結音の吐息がまほろの首筋に当たり、妙な気分にさせたから。これが切っ掛けと言っても良い。
まほろは、次に結音が語る言葉で完全に心が良い方向へ折れてしまう。
「まほろちゃん。辛いなら甘えてもいいんだよ。もう無理をするのはやめよ。ね?」
緊張した結音の唇は火照り、艶のある口から言われた言葉は、魔性を放っていた。
その言葉はスーッと心に入り。抗えぬ癒しの力に圧倒され。まほろは無意識に恍惚で恥じらいを持った顔をし。暫く間をおき、全身で結音の存在を感じながら。
「は、はひ」
蕩けきった声音で、まほろは返事した。抗える訳が無い。こんなの"はい"って言うしかない。
「うん。いい返事。じゃぁ、ご褒美に良い子良い子しちゃお」
「あふぅ、ぅ……ッッ」
でも、だからと言って。こうやって子供を褒めるみたいに頭を撫でてくるのは、何処か変な気持ちになってしまう。
けれど、イヤじゃない。むしろ良い……。
(……。い、1回だけ。そうよ、1度だけと決めれば)
心の中で語り、まほろは結音の癒しを受け入れる事にした。1度きりと心に決めたが、そう簡単にいくのだろうか?
心が完全に甘えるモードに入ってしまったまほろ。言うまでもなく、結音の癒しが癖になり抜け出せなくなる領域まで至るのに、そう時間は掛からないのであった。




