2章3話
「やめて下さいっ!!」
まほろは、急に大声で叫び……結音を突き飛ばしてしまった。自分でも信じられない、今何をしてしまったのかを。
(え、わっ私……なにをして)
恐る恐る前を見ると、キョトンとした表情の結音がいた。
まほろは、突き飛ばしてしまった事実に怯え、震える手と結音を交互に見つめ絶望した。
(わ、私。いま生徒に手を出してしまて……。あ゛……ッッ、ぁぁぁ)
表情が暗くなっていくのが分かる、目が悪いわけじゃないのに、視界が暗くなっていく。また離れないと、ここにいたくない。逃げるみたいで嫌だけど。
今すぐ結音の傍から離れたい!! だから、まほろは両足に力を入れ、立ち上がろうとした。しかし。
(う……そ。立ち上がれ、ない?)
まほろの身体が、ココから離れるのを拒否した。どうして離れるの? 癒して貰えば良いじゃない。まほろの身体が訴えかけてくる。
否、断じて否だ。生徒を押し倒してしまった。酷いことをしたんだ。なのに癒してもらう? 出来る筈がない。
と言うか、なぜ逃げようとしたのか……まほろは、ふと思った。
(ちゃんと謝らないと。逃げちゃダメじゃない)
唇が震えた。とてもじゃないけど喋れない。なんなのだろう、この状況。未だかつてこんなに不安になった事はない。
謝らないと、でも謝って許してくれる。結音はきっと蔑んでる、生徒に手をあげる大人だと思ってる。事実だから何も言えない、その事実が深くまほろを傷つける……。
なにも感じない、結音が目の前にいるのに。1人で、孤独でいるかの様に。
寂しい、泣きたい、苦しい。癒されたい、誰かに甘えたい。でも誰に? こんな弱い人を癒してくれるのは……誰?
「おいで。まほろちゃん」
他でもない、春嵐の夜に現れた。小さなお姉ちゃん、江咲 結音である。結音は、有無を言わせずまほろを優しく抱きしめる。
絶対に離さないよう、力は強め。でも、決して痛くはしない様に。瞬時にまほろの身体に温もりが伝わった。
心地いい、心地いいのだけど。今だけは罪悪感も含んでる。いきなり突き飛ばした人なんて、優しくする必要なんて無い。突き飛ばしてよ。
あらゆる暗い言葉が頭を駆け巡り、まほろは言った。
「はっ、離れて下さい。ゆい姉さん。私は貴女を突き飛ばしたんですよ? 優しくしないでください」
「だーめ。優しくするもん」
けれど、結音は明るく笑って取り合う気は無い。だっだっこの様に頬っぺをまほろの胸に押し付け離さない意志をアピール。
まほろにとっては、嬉しい限りだけど。本当に今だけはダメなのだ。こんなに悩んで悔やんで、本人がダメと思っている内は真に癒されない。
「い。いい加減にしないと、怒りますよ」
声に怒気を込めて、まほろは言った。言うだけで首が締められるような感覚がして、とっても辛い。
(出来ることなら全てを投げ捨てて、本音を言いたいわ。それが出来たら、どんなに楽か)
自分の立場、どう思われるか、どう見られるか。やはり出てくるのはソレばかり。苦しい、苦しいよ、助けて、助けてください。
まほろの声は悲鳴をあげる。嘘の言葉を並べ。目の前にある癒しから離れようとしている。本当はいや、でもそうしないと。そうするのが正しいこと。
大人が甘えるのなんて、早々許されないから。ましてや年下、しかも生徒相手になんて。絶対にやってはいけないんだ。
(だから私は。拒むんです)
結音に決して見せない、まほろの苦しい表情。でも。そんな仕草をまほろが見ても、結音は決して態度を変えなかった。
「まほろちゃん」
「……。まだくっついてたんですか。早くはなれ、いたっ」
結音は軽くまほろの頭を小突いた。突然のことに驚いて、ポカーンと結音の方を見つめると。彼女は悪戯っ娘の様に微笑んだ。
「これがさっきのオシオキで。これが、すっごく悩んでるまほろちゃんへの癒しだよっ」
そして、更に強く抱きしめてくる。スリスリと頭を擦りつけ、上目使いで見上げて。結音は更に続ける。
「まほろちゃん、とっても辛そうだよ。みてて辛くなっちゃう」
「……ッッ」
結音の優しい声音は、まほろの耳と心に深く響く。聴くだけで癒されて、深く浸透していく。
でも、でも……ダメなんだ。まほろは離れようとした。でも、離れられない。
いいや、違う。離れたくなんか無い。
「辛いなら、甘えて良いんだよ?」
「ッッ」
やめて、そんな言葉を言わないで。直ぐにでも甘えたくなっちゃうから……。気がつけば、まほろの両手は、結音の背中に触れている。
柔らかい、触り心地も良い。甘えていいと言うなら、たっぷりと甘えても……。
「……だめよ、こんなの許されないわ」
だが、まほろは唇を噛み、気持ちを押し殺した。こんな言葉、吐き気をもよおすぐらい言いたくない。
でも言った。結音を突き放す為に。
「えいっ」
「な、ぇっ。あ……」
しかし、まほろは知らなかった。結音と言う人柄を。彼女は苦しんでいる人を決して見捨てない。必ず手を差し伸べる。
結音は、まほろの頭を無理矢理に自身の膝に乗せた。
まほろが見上げる視線の先に、ムッとした結音が見える。結音は、まほろの額に手を乗せて叱りつける様に言った。
「まほろちゃん、甘えるの下手過ぎ!! そんなんじゃ生きるの辛くなっちゃうよっ」
「う、ぁ」
その言葉は、まほろに深く突き刺さった。全くもってその通り。甘えるのが上手なら……もっと上手くやれたのだろう。
あぁぁぁ、またウジウジと落ち込み出す。ソレを察した結音は、優しく頭を撫でた。まほろの髪を掻き分けて、まるで言い聞かせるように語る。
「辛くなって、どうしようも無かったら、頼っても良いんだよ?」
「……」
「んー。それでも頼り辛いかな?」
結音の言葉に。頼って、どう見られるのか怖い……そう伝えたかったが。言える訳が無かった。こんな事、言ってどうなる? そう悩んでいて時。
「まほろちゃんが何に悩んで、なにと戦ってるか分かんないけど。私ね、決めたんだ」
まほろの眼を真っ直ぐみつめて、真剣に結音は語る。
「なんだか放っておけないと言うのもあるけど。私がまほろちゃんを甘やかしたい、もっともっと触れ合いたいって思ったの」
「……え」
初めて言われた言葉だった。甘やかしたい……? なぜ? という疑問よりも先に生まれたのは嬉しさだった。
だって、そんな事を思われたのは初めてで、あまりにも自分の望みにあった想いだから。
「春嵐の夜からかも。まほろちゃんに触れて、私も嬉しくて、ドキドキして……。兎に角こんな気持ちになったの初めてなの」
「ゆい姉さん……」
「自分でもよく分かんない。私のこの気持ち、ハッキリさせたい!! だから、だからね? まほろちゃん」
結音は、みつめるまほろの視線をジッと見た後。両手で彼女の頬に触れ、恥ずかしさを感じつつ、胸に秘めた想いを語る。
「私に甘えて。依存してもいいよ。我慢なんか止めて? そうしたら、私もたっぷりと甘やかすから」




