第9話
遅くなって本当に申し訳ございません。ごゆっくりお楽しみ下さい。
まほろは息が切れても周りの視線が突き刺さっているのも関わらず走っていく。極度の緊張感と動揺がそうさせた。
(変な顔出しちゃったわ、変な声出しちゃったわぁぁ)
結音の手、触れられたのは髪だけだったけど。感覚的に伝わった、あの温もりと柔らかさ。
在り来りな表現だけど、結音に触れられて何度も同じことを思う。すごくいい、スゴく気持ちよくて、癒された。
身体が結音を求めたんだ。本能でハッキリ分かった。もっと、もっと……長い時間、色々な所を触って欲しかった。
(あと少しで寝ちゃいそうだった。何もかも捨てて、あの場で甘えそうになってたわ。なにをやってるのよぉ)
凄まじい"癒し"と言う魔力。気持ちが安らかになって、心の底からリラックスし。ついつい寄り添って甘えたくなった。
「はぁ……ッッ、はぁ……ッッ、は……ァ。う、んん……」
みんなの前でだらしない姿を見せてしまった。多分生まれて初めてかもしれない。ゆるみ切った顔を見せたのは。
生徒達はまほろの事をどう思っただろう、将棋や囲碁をしている中での出来事。
恐らく、生徒達はチラチラと見ていた筈。まほろは癒しを感じていたから視線に気が付けなかった。
否、視線なんてどうでも良かった。
(だって、だって、だって。あんなにも気持ちよかったんだもの。顔が緩んじゃうのは仕方ないじゃない)
それで責められても困る。だって、あんな事をされれば誰だって……。
(癒されちゃうじゃない)
まだ髪に、結音に触れられた感触が残ってる。走るのを止め、その場に立ち止まったまほろは、息を切らしながら髪に触れる。
……この髪をとかしてくれた。たったそれだけなのに、スゴく心があったかくなって尊くなった。
(長い間、ずっと求めていたもの。ゆい姉さんが、持っていた)
抱いてはいけない、それは分かってる。心の中で必死に"それはダメよ"と叱るけれど。覆せるものか。
心が揺らぐ、あの短い時間で、少し触れられただけで。癖になる安らぎを感じたのだから。
(次にゆい姉さんに会ったら、私……)
なにをするか、なにを言ってしまうか分からない。
結音のことを想像して、身体が火照っていく、そんな身体を抱きしめ……まほろは何事も無かったかのように、また歩み初めて菊花寮へ戻っていく。
脳裏につよく、結音の事を思いながら。
◇◇◇
時が進み深夜。寮の仕事を全て終えたまほろは1人、寝室にいた。彼女は寮生と一緒にここで寝る。
ただ寝るのは、寮母専用の寝室だ。そこには最低限の家具しか置かれていないシンプルな部屋。
そのベッドに、パジャマに着替えたまほろは、重力に従い倒れるように寝そべる。途端に全身の力が抜けて、ベッドに深く沈んでいく感じがした。
(まったく、仕事に気が入らなかったわ)
自分でも、浮かない顔をしてしまっているのを感じた。結音と別れてから気が抜けてしまった。職員にも心配されたのも思い出す。
主に、上の空で掃除して同じ箇所を掃除し続けたり。ぼーっとし過ぎて壁に激突したり。兎に角普段しないミスをしてしまった。
(あんなの、ちょっとした出来事よ。なにを意識してるのかしら)
あの出来事から、それなりに時間がたって、今は冷静になれた。でも……今でも思うのは。
(ちょっと、浮かれすぎよ。夢を見過ぎている感じがするわ)
自分が少し変になってしまっているという事。
やはり、自分は大人だという理由から、理性を保っている。でも……本音を言ってしまえば、あのまま甘やかして貰いたかった。
「初めての経験だったから、こんな事を考えてるんだわ」
ぐぐぐっと身体を丸まって、まほろはそう決めつけた。そうじゃなきゃ、こんな事を考えない。
まほろと結音は、寮母と生徒。それ以下での関係性はありえない。夢なんて見てはいけないのだ。
(反省しなさい。現実を見るのよ)
今しているのは、そういう反省。明日からは、もしも結音に会うことがあれば、普通に接する。そう心に決めた。
少しだけ、寂しさはある。心残りはあるけれど……互いの為に、そうしなきゃ。
(……どうしてだろう。とっても嫌だって思ってるわ)
心の中で、嫌だと叫んでる。もっともっと甘やかされたい。心が蕩けるほどトロトロにされたい。
あの優しさにどっぷりと浸かりたい。離れなくなっても良い、あの時感じた想いにもう一度浸ってみたい。
もっと、もっともっともっともっと……永遠に。
一度抱いた思いは中々消えない。あの時の夜とは違い静かな夜。
まほほの心は、嵐の様に荒れ……眠りにつくのに時間がかかった。




