第8話
(い、いま。何が、起きているの。わ、私はなにをされてるのよ……)
いまのまほろは、雷が鳴った夜と似た様な心境だ。心の中の声すらも動揺し、言葉にならない。違う点があるとすれば恐怖ではなく、今は動揺の方が大きいということ……。
「もう少しじっとしてて。直ぐに終わるから」
「あ、え。は、はい……ッッ」
くしっ、くし……っと。まほろは結音にブラシで髪をとかされている。どうしてこうなったのか……。
先程結音が、まほろの髪がちょっぴり乱れているのに気付いて、治おす事になったのだ。
「もぅ。まほろちゃんっ、女の子なんだから髪のことちゃんとしなきゃダメだよ?」
「ッッ!? へ、ぁ。は、はい。ごめんなさい……」
くいっ、くいっと。手馴れた手つきで髪をとかれ。ちょっぴり気持ちよくなってきたまほろ。うっとりと目を細めつつも、その実……猛烈に緊張している。
近くに結音がいる、さっきあんなに意識していた結音が。吐息、手の温もり、距離感。その全てが尊くて、甘くて蕩けてしまいそう。
「あ、こら。動いちゃダメー」
「いっ、あ。だ、だって……こそばゆいから。ひゃ、ぁっ」
「もぅっ。まほろちゃん、動いちゃダメだってばー」
動いちゃダメ? そんなもの不可能だ。身体が無意識に反応してしまう。髪をとかされる度に、ビリビリと微弱な刺激が走り。まほろをダメにしていく。
(髪なんて、他の人にとかされたのなんて何時ぶり……。ん゛、ぁ……ッッ。いい、きもち、いぃ)
ただ髪をとかされているだけなのに。まほろは無意識に甘ったるい声音を漏らす。ちょっぴりえっちなその声は。囲碁将棋部の面々を赤面させ、魅了させる程に美しい……。
と。ここで結音が皆に向かって言い放つ。
「こらー!! 手を止めないの。あなた達は部活動しなさーい」
その声に、各々「は、はい」と慌てて言い。囲碁や将棋を打ち始めるが。皆、まほろと結音の様子が気になって仕方がないのか、チラチラと見ている。
「ごめんね、まほろちゃん。ちょっぴり騒がしかった?」
「い、いいえ? も、問題ない……わ」
本当なら、皆に見られて焦りまくる所なのに。まほろは変に冷静であった。いや、ただ単に感情が追い付けて無いのだ。
まほろが、そんな状態だとは気付かないまほろは、続けて髪をとかし続ける。が……。
「あ、あれ? あれあれ? うわっ、どっ、どうひよう!!」
突如、結音が慌てたように声を上げた。まほろも慌てて後ろを振り返ると。本当に慌てた様子の結音がそこにいた。
「なにかあったんですかっ」
「や、そっその……あの。こ、これ」
結音は気まずそうにまほろに鏡を渡してきた。なんだろうか? 疑問を浮かべながら鏡を見てみると。
「わ」
まひろの髪型がとんでもない事になっていた。ぼんっと爆発したかの様に髪の毛があちこちに跳ね、癖づいてしまっている。
結音は、基本的になんでもテキパキこなすが、たまぁにドジってパニックになることがある。それで取り返しがつかなくなる事もシバシバ。
実際に、いまも慌てふためきテンパリ中。わたわたする様は小動物を彷彿とさせて、すっごく可愛い。そんな結音の姿に、まほろはほっこりしていると。ペコリと結音は深々と頭を下げてきた。
「ご、ごめんなさい。まほろちゃん!! 私ったらドジっちゃった」
「あー、いえ。大丈夫ですよ? これなら自分で直せますから」
まほろは微笑んでそう言うけれど、結音はふるふると首を振るう。そして、まほろから鏡を取ると。ふんすっと鼻息を鳴らして言ってきた。
「だ、ダメよっ。私がした事なんだから、キチンと私が直させて」
「え、えぇ。でも……」
「おねがいっ。私にもう一度チャンスを頂戴」
「え、えぇぇ」
チャンスだなんて大袈裟な……。とは思うものの。こんなにやる気を出している人の願いは、まほろは断れない。
ここはやらせてあげるべき、そう思ったまほろは、そっと後ろを振り向いて優しく言った。
「じゃぁ、お願いしようかしら」
「あ、ありがと。次は失敗しないから安心してっ」
心做しか恥じらいながら結音は言うと。再びまほろの髪の毛をとかし始めた。今度はさっきよりも丁寧にゆっくりとだ。
(あ……。んっ、はぅ。すごく、気持ちいい)
撫でるように優しく、髪の毛の一本一本を丁寧に撫でてくる。さっきの慌てぶりと違う手馴れた手付き。
でも、ちょっとだけ震えてるような気がする。でも、あまり気にならない。
「まほろちゃんの髪、さらさらぁ。羨ましいなぁ」
「……ん、ふぅ。はぅ」
「まほろちゃん?」
「ふぇぁ!? な、なんですか? ゆい姉さん」
いけない。つい夢見心地になって話し掛けられている事に気が付かなかった。結音がなんと言ったか聞けていないまほろは少し困ってしまう。けれど結音は気にしていない様に話を続けた。
「ううん、なんでもない。えへへ、なんだかこうして髪をといてると、まほろちゃんが私の妹になったみたい」
「あ、あはは。それだと随分おっきな妹さんですよ?」
「おっきい妹でも良いと思う」
ちょっとだけ可笑しな話をしつつも、少しずつまほろの髪の毛はキレイに整ってくる。次第にあんなに感じていた戸惑いや緊張が何処かへいってしまった。
あまりにも気持ちがよかったから、心が癒されたのか……いや、そんな事はどうでも良い。
(ただ。この瞬間がスゴく愛おしくて、大好きだわ)
出来ることなら、長く続けば良いとすら思う。あぁ……ほんの少しだけど、眠たくなってきた。ちょっとだけ寝てしまおうか。
そう考える程に心地いい。実際にまほろはうっとりうっとりと眠たそうにしていると……。
「はいっ、出来たよ。まほろちゃん」
「ッッ」
ぽむっと、方を叩かれ我にかえる。その瞬間。まほろは、いまされた事を改めて思い返し恥ずかしくなってきた。
あの、短い時間で自分はどれほどの恥ずかしい姿を見せてしまったのか。まほろの顔は徐々に赤くなり、頭から湯気が出てきそうだ。
(はは、恥ずかしすぎるっ。私ってば思いっきりゆるゆるな顔をしていたかも……)
座ったまま顔を手で隠し、俯くまほろ。どうしよう……皆は確実にまほろの事を変な風に思っているかも知れない。
恥ずかしい、恥ずかしい、恥ずかしい。そんな気持ちが強すぎて、一刻もはやくこの場から去りたくなった。
「どう? おちついてやればこんなもんよ。私ってばスゴいでしょう?」
得意げに鼻息を鳴らしながらドヤ顔をする結音なんて見る暇もなく、ガタッと椅子を思い切り軋ませながら立ち上がり。まほろは結音の方を向き素早くポケットから鍵を取り出す。
結音が忘れていった、なにかの鍵だ。ソレを素早く結音の手首を掴み強引に渡した。
「か、かかか。かみ、治してくれてありがとうございますっ。あと、これ忘れ物……ッッ、うっ、あ。しっ、失礼しましたァァァァッッ!!」
そして、強引に立ち去っていく。その勢いたるや、この場にいた生徒達をポカーンっと呆然させる程。
とうぜん結音もその1人で、暫く立ち尽くしたあと。手のひらに乗せられた鍵を見てピンっと来る。
「自転車の……鍵。あ、寮から出る時に落としたんだ」
わざわざ届けてくれたのか。と思い立った結音は。その鍵を手のひらにのせたまま。キュッと拳を作った。
そして、結音は誰にも聞こえないようにポツリと呟く。
「まほろちゃん、可愛かったな。ドキドキしちゃった」
結音は心に生まれた脈動に、トキメキを隠せない。そんな彼女は、部内の活動に戻っていくのであった。




