進展
ハルカはそろそろエレナとの追い掛けっ子に飽きてきて、ふと気になったので海の家を見やった。確かそこにソフィアやハヤトがいたことを思い出したのである。もしかしたらもう昼ご飯を食べているかもしれないし、食べているのなら分けてもらおう。そんな考えだった。そしてその様子でも見ようかなとその場所を見やって、しかし次の瞬間変な光景を見た。
「ん?んん?」
なにしてんの、お姉ちゃん?
「はぁ……はぁ……はぁ……っ」
肩で息をしながら今にも倒れそうなほど疲れているエレナがふらふらと後ろからやってきた。折角整えた髪型が崩れかけているのは全力で追いかけたのだから仕方ない。そしてハルカがこれ以上逃げないと分かったのか、エレナは両膝に手を置いて足を止める。
エレナの感想としては。
汗が、気持ち悪い。
とても疲れた。
なんかまた振り回された気がする。
みたいな感じである。最後のは案外間違っていないのだが。
「疲れ過ぎじゃない?」
「誰のせいよ……」
ハルカは若干足が震えているエレナに突っ込む。しかしそれはハルカが異常であって、その身体能力について行ったエレナは賞賛されるべきであろう。全力で追い掛け続けたのだからこうなるのは目に見えて当然の結果だった。
「それよりさ、あれ。何やってるんだろう?」
「え……?」
エレナは顔を上げる。そしてハルカが指さす先の、目に入ってきた光景を見て吃驚した。
「な、な、な――っ!?」
その青銀の瞳が見開かれる。その眼に飛び込んできたその光景は、彼女にとってとても恥ずかしいものだった。自分がやったら恥ずかしくて誰とも3日は目を合わせられなくなる。
自分からは絶対しないと断言できるものだ。
何を見たのか。それはソフィアが所謂、”あーん”をしていたのである。つまり態々ソフィアがハヤトに食べさせようとしていた。そして食べ物を差し出されたハヤトは恥ずかしそうに嫌がっているが、それを楽しそうに見つめてソフィアは箸を差し出し続けている。
その程度のものだが、エレナにとってはその程度どころではなかった。それは物凄く恥ずかしく、そして同時になぜかとても嫌だった。ハヤトが誰かにあんなことをされているのを見るだけで嫌な気持ちになる。
なんでそんなことを思うのか分からない。
分からないけれど、とにかく嫌だ。
見ているだけで焦燥感のような、不安のような得体のしれない何かが湧き上がってくる。今すぐ何かしないとと思うけれど、何をしたらいいのか分からない。
そしてハヤトが根負けしてソフィアの差し出す物を口に入れようとしたのをその目で見てしまって――。
流石にエレナはそれ以上看過できなかった。
「だめーっ!!」
気づけば走り出していた。疲れなんて吹っ飛んでいた。
声が届いたのかソフィアとハヤトの動きが止まる。周りの人も何事かとこちらに視線を向けてくるが、気にしない!気にしてなどいられない!
しかしその時ソフィアがこちらを見て、目を細めて楽しそうな、そしてどこか怪しい笑みを浮かべたことにエレナは気づけなかった。
そしてエレナは海の家に物凄い勢いで駆け込んだのだった。
叫び声の後に、海の家の中に騒がしく駆け込んできたエレナは、バンッとハヤトたちのエーブルを叩きつけてソフィアを睨みつけた。
「なにしてるのっ!?ソフィア姉さんっ!!」
突然駆け込んできたエレナにハヤトは驚くと共に動揺した。辺りに響き渡るような声を上げて走ってくるような女の子ではないエレナが、そんなことをしてまで走ってきたのだから驚かないほ方がおかしい。
一体何事だというのか。
訳が分からない。
何かあったのか?
「あらあら。そんなに騒いでどうしたんですか?なにかありました?」
至極楽しそうに笑みを浮かべて頬杖を突くソフィアは、何故かいつも以上に明るい雰囲気を纏っている。まるでゲームでも楽しんでいるかのようだ。いや、どちらかというとその笑みはニコニコと言うより、ニヤニヤのようにも思われる。何かを企んでいるような……。
「なにってっ、さっきの――」
「さっきの?」
「さっきの――……っ!……うぅ……」
エレナは何かを言いかけて、言い淀んでしまった。体調でも悪いのだろうか。少し顔が紅い気がする。
「ふふふっ。見てて飽きないですね。エレナもします?」
「な――っ!?え!?あ――っ!?」
とうとうエレナは顔を真っ赤にして硬直した。美しい青銀色の瞳が見開かれ、目が泳いでいる。どう見てもかなり動揺しているのが分かった。流石に普通じゃない。
「大丈夫か?」
ハヤトがそう問いかければエレナの肩が思いっきり跳ねた。
「ふぇっ!?」
エレナと目が合う。しかしすぐさま逸らされてしまった。
「え?」
それが少しショックでハヤトは胸がチクリと痛むのを感じた。
「本当に大丈夫か?」
「だ、大丈夫だから。……ちょっと、飲み物買ってくる」
そう言ってエレナは海の家から立ち去ろうとしたが、すぐに踵を返してソフィアに小声で話しかける。耳元で話しているから、ハヤトには全然聞こえない。
「ソフィア姉さん。本当にやめて。もうやんないでっ」
「ふ〜ん?どうしてですか?」
「どうしてって……。う〜んっ、よくわかんないけど、どうしてもっ!」
「エレナがやればいいのに。間接キスですよ?」
「!?」
一瞬の沈黙の後に呟く。
「……ソフィア姉さんのバカ……!」
そしてエレナはソフィアを睨んで、最後にか細い声で一言言い捨てた。
「ソフィア姉さんのいじわる……」
そのまま彼女は本当に海の家を出て行ってしまった。
飲み物ならここにあるのに……。
「大丈夫かな?」
そうハヤトが呟くと呆れたようにソフィアが溜息を吐いた。
「無自覚なエレナはともかく、ハヤトはあれを見てその感想ですか。頭大丈夫ですか?どこかにバグでもあるんじゃないですか?」
「いや、なんでそこまで言われなきゃいけないんだよっ。体調が悪かったらどうするんだよ。ただ僕は心配しただけで――」
「はぁぁああああ――――………………」
本当に盛大な、肺の中の空気を全て吐き出すかのような嘆息をソフィアは吐いた。呆れを通り越して少し苛ついている気がするのは気のせいではあるまい。ジトッとした目でこちらを睨んでくるし、今にも舌打ちしそうなのがちょっと怖い。しかしハヤトには彼女がなぜそんなに苛ついているのか皆目見当がつかなかった。
基本的にハヤトはそういう感情を読み取るところは苦手なのである。
「もう、折角自覚させてあげようとしたのに、まさかハヤトまで……。これは面倒くさそうですね」
「どういう――?」
「じゃあ、私はもう要らないので、あとは全部食べちゃって下さい。残したらこの店に迷惑ですよ?」
そう言ってソフィアは突然立ち上がる。
しかし眼前の料理を見て、ハヤトは固まった。唖然として動けない。
え?
この量を?
4,5人前はあるよな……?
まだソフィアはほんの少ししか食べていない。しかもこれは彼女が注文した品々だ。なのにそれを全てハヤトに委ねると?
何の拷問だ!
美味しい料理がまるで拷問官に見えてきたぞ。
今後、美味しいものが全てトラウマになりそうな気がする……。
食べ残しは絶対にしないと心のどこかで決めているハヤトの価値観ではこのまま立ち去る選択肢はなかった。食べ物はもったいないし、料理を作ってくれたヒトにも悪いし、迷惑を掛けるし。そもそも命を粗末にしているようで、心情的に許せない。
しかも頭が回らなかったせいで端末をホテルに忘れてきた。連絡ができないから誰かがここに立ち寄らない限り、食べきれないことになる。
「待てよ、ソフィア。こんな量食べきれないって!」
「ハルカにでも頼んで下さい。私は用事があるので」
「ま、待てって!」
ハヤトの制止も聞かずさっさとソフィアは去っていった。そしてまた、ハヤトはポツリと海の家に残される。大量の食べ物と共に。
「マジか……」
それでもできる限り食べようと少しずつ摘んでいく。さっきまであんなに美味しかった料理が今では味すらもまともに感じられない。こんなに食べられるわけがないと思うだけで、既に満腹であった。
現実逃避気味に天井近くのテレビに視線を向ける。出演しているレポーターが運ばれる料理を今か今かと待ってどっかの企業を紹介しているが、これをおすそ分けしたい気分だった。
そんな得体の知れない有機物から食材を立体プリンターで再現して、わざわざそこから調理した料理を食べるより自然食のほうがずっと良いだろうに。
なんか、この技術さえあれば宇宙での補給活動がより経済的になるとか言っているが……絶対飲食店で流す内容じゃない気がする。
消化できるプラスチックで食感再現とかどう考えても怪しいし。それ、海洋ゴミ対策のやつじゃなかったっけ?
だが、そんな遠くで起きていることを見ていても目の前の料理は減らない。だからハヤトは意を決して料理を食べていった。
しかし、数分後――。
「だ、だめだ……」
暫くはチマチマと食べていたのだが、一人前くらい食べた辺りで限界が来た。皿を避けてまたテーブルに倒れ伏せる。暑さもあるが、お腹いっぱいで一歩も動けそうになかった。
それに寝不足と満腹でもう頭がまともに回らない。しかしまだ食べなければならないのが現実だった。
ハルカを呼ぼうかとも思い海の方に目を向けるも、いつの間にかどこかに消えていた。本格的に海に泳ぎに行ったのかもしれない。呼ぶ手段も呼ぶ相手も皆無。
苦しい……。
地獄だ……。
店員に頼んで持ち帰りにしてもらおうかと考えたそんな時だった。向かいの席に誰かが腰掛ける気配がしたのである。
「こんにちは。ハヤトくん」
声を駆けられてハヤトは顔を上げた。そして目に飛び込んできたそのヒトの容姿にハヤトは目を見開く。
振り回される主人公――。
本日も本小説をお読みくださりありがとうございます。
宇宙では水を尿から取り出してリサイクルしているのだそうです。そして本文にあった有機物のナンタラですが、下手すると実際に未来の宇宙では使われている技術かもしれませんね。地上から重い食べ物を運ばずとも人工衛星内で完結できてしまうので確かに経済的でしょう。
けど、絶対尿よりも忌避感は強いとは思いますね。衛生管理も大変そうですし、なかなかに難しい技術になりそうです。
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