寝不足と南国の浜辺
本格的な夏を全国的に向かえた8月。蝉の大合唱は最盛期を誇り、他の生き物たちも一年で最も活発に動く時期。
その月について普通は何を思い浮かべるだろうか?夏の海辺で、強い日差しに肌を晒しながら水着ではしゃぐ楽しい楽しい海水浴か。山に登って焚き火を焚いてバーベキューに勤しんだり釣りを楽しむキャンプか。もしくは満開に咲く夜空の大輪と呼ぶべき花火を大勢で見上げる花火大会か。それとも数多の安価な品々を並べヒトビトを楽しませてくれる店が立ち並ぶ和気藹々とした夏祭りか。
普通はそんな楽しいことだろう。学生で言えば辛い勉学から逃れられるし、会社員であれば単調な事務作業から解放される天国のような期間と呼ぶ者もいるかもしれない。
しかし現状ハヤトはどうしてもそんな楽しいことを考えられないでいた。というのも今ハヤトはとてつもない眠気に襲われていたからである。頭痛は酷いし、目が回るし、身体はだるいし、もう動けない。いや、動きたくない。やっとの思いでこの場所まで来たが、今はホテルに残った方が良かったと若干後悔している真っ最中であった。そして現在あまりの眠さにぐったりとガタつくテーブルに倒れ込むしかできないでいた。全身の筋肉が弛緩して、もはや端から見れば溶けたアイスにさえ見えてしまう。
しかしここでは寝ようにも眠れない。座っているのもその理由かもしれないが、亜熱帯の灼熱の暑さが夢の世界に向かおうとする彼を現世に留めようと強要してくるのだ。
彼は思う。
地獄だ、と。
それでも耳だけは辺りの音を拾っていた。
「わぁああいっ!海だぁああああっ!!」
遠くでハルカの嬉々に満ちた黄色い声が響き渡る。それを聞いてハヤトはまた顔を顰めた。なぜならその声の持ち主がこの眠気の元凶だったからだ。彼女のせいであまりにも眠いのに、その大音響とも言える大声が頭にガンガン響いてくる。頭痛が酷くなるばかりで、不機嫌にならない方がおかしい。
昨日。
ここは沖縄県の沖縄本島。かつて琉球王国が存在し、独自の文化を今なお残している国内でも名高い観光地である。県全体ではその温暖な気候を利用し農業も盛んであり米などは二期作が行われ、漁業に関しては4種類のマグロ類を年間通じて水揚げしているなど、狭い国土ながら一次産業が活発である。
そして一般的に旅行と言えばまず上位にこの県は出てくるであろう。浜崎家の皆々も同様で、やっぱり旅行は沖縄だよね、という安直な理由がまかり通った結果この場所に遊びに来ていた。
昨日は那覇空港に到着し、とある海の景色が綺麗なホテルで泊まることになった。それからは昼過ぎに着いたこともあって空港で捕まえたタクシーで騒がしい家族と共にいろいろな観光地を巡った。
歴史的に何度も燃え落ちては再建され続けた首里城、東洋一の鍾乳洞と名高い玉泉洞、特徴的な岩や透明度の高い海が見渡せる景勝地として有名な万座毛。主にそんなところを巡り、ホテルに帰った後は近くの街やホテル一階の店でいろいろなお見上げを物色した。
しかし旅行中は嵩張るため最終日に纏めて買うことにしている。それでも珍しい品々に、普段は見れない美しい景色に、これまた美味しい食事にと、初めの一日だけでかなり沖縄を堪能できた。全国の人間がここに来たがるのも頷けるぐらいに。
そして就寝時間になった頃には、慣れない飛行機に乗ったことも相まって体力がほとんどなくなっていた。だから風呂に入った後はぐっすりと泥のように眠る予定だったのだ。
だったのだが……。
ハヤトたち家族は7人という大所帯で来たということもあって2つの部屋を借りていた。そしてハヤトはハルカの隣のベッドに寝ており、深夜唐突にその事件は起きたのである。
心地良い眠りから強制的に叩き起こされるような激痛が腹から襲ってくるという形で。
「ぐはあ……っ!??」
そんな声を本能的に上げてしまうほどの激痛だった。心臓が激しく跳ね回り、何が起きたのか分からず上体を起こし、パニックになった目で見渡して、その暗さに慣れたところでハヤトは漸く理解することができた。なんと隣のベッドで寝ていたはずのハルカの足がハヤトを襲って来たのだ。
かかと落としという形で。
寝相が悪いにも程があった。ベッドとベッドの間には大きなトランクを置けるほどの隙間があったというのに。しかもベッドから落ちても眠りながら戻っていくのだから少しホラーを感じてしまった。
それでも何度かは寝ようと試みた。しかしハルカの攻撃が何度も何度も繰り返し襲って来る。そんな中で眠れるわけがなかった。それでいてハルカ本人は爆睡しているのだから質が悪い。
逆に彼女が起きているのではないかとも疑ったが、完全にいびきをかいて寝ていた。おかげで朝ハルカが起きるまで全く眠れなかったという顛末である。
因みにハヤトとは反対側のベッドにソフィアが寝ていたのだが、ハヤトが見ていた限り彼女はハルカの攻撃を簡単に受け止めていた。もしくは避けていた。なのに寝ていた。
もはやそれは洗練され訓練されたような身の熟し方だった。
なんなんだ、と嘆きはしたが父も母も同じく寝相の悪い花楓の攻撃を避けていたらしいから魔法とかの話ではないのだろう。寝ていても危険だけは察知できるらしい。もしかしたら長年攻撃を受け続けたことにより、気配を感じただけで反射的に対応している可能性がある。
だが、そんな都合のいい話があるだろうか?
不思議だ。
まあ、それを言ったら科学魔法の方がずっと都合のいい話か……。
……。
……眠い。
兎に角そういうことがあってハヤトは昼の今でも眠くて眠くて仕方なかった。だが今こんな外で眠れるわけがない。暑すぎるのだから。
元凶たるハルカ以外が同情を抱いたのは言うまでもない。ハルカはいつも通りだったのは……まあ、仕方がなかったということにしよう。
ハヤトにとって腹立たしいことこの上ないが。
†
燃えるような紅い髪を雑に緑の組紐でポニーテールにしたハルカは裸足で元気よく走り回っていた。彼女は今沖縄本島のとあるビーチに来ている。そして彼女の前に広がる光景はまさに誰でも一度は憧れるであろうコバルトブルーの海だ。空は蒼く澄み渡り、真っ白な積乱雲が堂々と遥か彼方に浮遊島のごとく浮かんでいる。裸足の下に広がる白い砂浜は本土の砂とは違って眩しいほどに白い。まさしくここは日本の南国だった。
しかも初めて来たのなら興奮しないわけがない!
我慢する理由は一切ない。全身全霊を持って楽しむべきだ!
「海、海、海、海、海、海、海ーっ!」
そう叫びながら海に向かって駆け出すハルカ。もちろん水着を来ているから水に濡れても問題はない。少なくとも彼女はそう思っていた。彼女が身につけている水着は可愛らしいフリルで着飾った藍色のワンショルダービキニで、彼女の誰でも一度は振り返らせるほどに美しい白銀比の身体がとても眩しく見える。特に日に晒したその細いくびれが際立っていた。
しかし。
「あっ!ハルカ姉さんっ!パーカーは脱いでっ!それとセリフ古いっ!」
そうハルカの後ろから叱りつけたのは白銀の髪を彼女にしては珍しくポニーテールにしているエレナだ。しかしハルカとは違ってとても丁寧に結ってある。しかもいつもハーフアップを飾っている三つ編みをサイドに同じように編み込みしていてそれがまた可愛らしい。普段は見せない髪型のためか、紫の髪飾りと紅い組紐もいつも以上に映えていた。
そして彼女も白とピンクを基調としたフリルのあるクロスデザインのビキニに身を包んでいる。整った顔立ちと華奢なボディラインが目立っていて、今ハルカと並んで美少女2人は注目の的だった。しかもハルカが大いにはしゃぐものだからそれによってさらに視線を集めている。
だが2人は完全にその視線を無視していた。一々反応していたら気が持たないから。
「ええ?別に良いじゃん。濡れても乾かせば良くない?」
「臭くなるよっ!洗濯だってハルカ姉さんやんないでしょ!?」
「知ーらないっ」
エレナの言葉はどこ吹く風とばかりにハルカが海に足を付けた。それを認めてエレナが慌てて追いかける。しかしハルカはエレナに捕まらないように、かつ捕まりそうな距離で飛沫を上げながら駆けていった。その後をエレナはまた追い掛けていく。
「ちょっと!脱ぐだけじゃん!早くっ!」
「きゃーっ!エレナのへんたーいっ!こんなところで脱がせたいなんてっ!」
「人聞きの悪いこと言わないでっ!」
とんでもない誤解を招きそうなことを叫びながらハルカは楽しそうに駆ける。しかしやはりハルカもパーカーを濡らすことは悪いと思っているのか、海の深いところには決して行かない。水飛沫もパーカーには届いていなかった。
周りから見た2人は普通に仲の良い姉妹だった。
楽しい楽しい夏休み――。
本日も本小説をお読みくださりありがとうございます。
海、海、海、海、海、海、海ーっ!元ネタ分かるヒト、いるのかな?なんだか書いていてハルカがやっている様が見えたので入れてみました。あれにも魔法が出てきますが、最近は科学魔法でも再現できそうな気がしてきました。科学魔法を考える上で参考の一部にした作品とも言えなくもないとは思います。まあ、全然違うとは思いますが、魔法ってなんだろう?って考えるきっかけはあれだった気がします。
というか日本って魔法をアニメにしまくる国なのに、魔法について全く研究しない変な国に見えてしまいます。最初に考案したヒトは完全に変人扱いされて、気でも狂っているんじゃないとか世界に思われても仕方ない気がするなぁ。
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