エピローグ 二人の姉妹 〜将来〜
やっとエピローグです。
次編予告:沖縄本島編
6年前のある日の明け方。空には綿菓子のような形の、朝陽に淡く照らされた白い雲がポツポツと広がり、陽光が東の空から横浜の街並みを明るく照らし出している。ここ最近湿気が多かったからか街には朝霧が掛かり、景色が霞んで見えていた。しかしその霞が曙光の道筋を顕現させ、とても幻想的な景色に辺りは満たされている。朝ということもあって昼よりも静かであることも、その神秘さをさらに引き出していた。
そんな景色と澄み渡った空を眺めていた少女、エヴェリンは小さく息を吐く。そうすれば早朝の冷たい空気で肺が満たされた。ここはCONEDs研究所の中庭。エヴェリンはその寝癖だらけの髪を払いながらいつものようにベンチに端末を設置する。浜崎家ではここでいつも日課にしていることがある。時間は皆バラバラで、自分のやりたい時にやるのだが最早皆習慣づいていた。
そしてこの日もその日課を行うべく、エヴェリンが端末の再生ボタンを押そうとした時だった。
「あ、私もやるからちょっと待って!」
声が聞こえ、振り返れば石竹色の髪を綺麗に整えた姉、フィオナがいた。相変わらずこんな早朝でも身だしなみをしっかり整えている様を見ると敬服してしまいそうになる。出掛けるわけでもないのに化粧なんかしておしゃれするんだから呆れる時もあるが。
あまりそういうところを気にしない、さらに言えば面倒臭いと思っているエヴェリンとはずいぶんと異なる。
まあ、ソフィアの方が少女らしからぬ乱雑な生活様式なのは敢えて置いておこう。
「…おはよう」
「おはよう。寝癖酷いよ?梳かしてあげる」
「…別に――」
「だーめ。エヴェリンは可愛んだから。ちゃんと整えなさい」
有無を聞かせずエヴェリンの髪はフィオナの手櫛でせっせと梳かされていく。それがくすぐったくてちょっと苦手なのだが、全然文句を聞いてくれない。だからエヴェリンにとってフィオナの行動は少々迷惑だったりする。
それでも全く嫌というわけでもなく、撫でられる感じは好きだ。優しい手付きが心地良こともある。
「エヴェリンの髪は優しい木漏れ日の色だね。サラサラで気持ちいい」
「…褒めても何も出ないよ?」
「ふふっ。そんなつもりじゃないんだけどなあ」
暫くしてフィオナは両の手を合わせて。
「はい。終わり。あとは髪を纏めて……」
エヴェリンの見えないところでまた何やら行われて。
「うん。完成!これなら運動しても大丈夫だね」
気づけば丁寧に髪を組紐で纏められていた。その手際の良さに驚いていたらフィオナも自分の髪をさっさと纏めていて、あまりの早業に感心する他ない。
そしてフィオナはエヴェリンの端末に触れて。
「じゃあ、始めよっか」
「…う、うん」
そうして流れる曲は日本人なら誰でも知っているであろうラジオ体操である。
実はラジオ体操の歴史はそこまで古くないが、それなりに複雑な背景があったりする。日本に於いては戦前にラジオ体操第一から第三までが創られ健康志向への関心が増加したことなどが重なって爆発的に普及した。しかし戦後連合国軍最高司令官総司令部からファシズムの象徴という少々的はずれな嫌疑によって全く違う体操に変わり、新しいラジオ体操が第一から第三まで制定された。しかしその体操は難易度が高かったために普及せず、放送すらされない事態に。
そして戦後6年になって現在のラジオ体操第一が、その翌年にラジオ体操第二が制定されて今に至る。
つまり今のラジオ体操は三代目に当たるのだそうだ。因みに浜崎家ではなぜか第三まで行われるのだが、これは初代らしい。らしいというのは父が昔からやっていたことでろくに調べてもいないのが原因なのだが、それはまた別のお話。
音楽に合わせ、身体を動かす。リズミカルな運動で、強張っていた身体が解されてゆき、血行がよくなっていくのを感じ取れた。そこまで難しくもなく、激しい運動でもないのは本当にやりやすい。
ラジオ体操の強みは第一から第三までやったとしても10分ほどしか時間を取らず、しかも頭から手足の先まで全身をバランスよく運動できるという点にある。しかも第一だけでも400以上の筋肉を動かし、健康的で姿勢も良くなるというやらない理由がないほどに効果が高い。ダイエットなんて噂もあるほどで、モテたいのならまずやるべきではなかろうか?
そしてそれは人間を忠実に再現した人工実存である彼女たちにもいくらか有用で、血流を良くして頭の回転を早めたり、筋肉を解すことによって怪我のリスクを下げる意味も含めて毎日のようにやっているのである。まあ、これも幼い時から父と共にやって来たから苦に思ったことはない。むしろこれを毎日やらないと一日の始まりを実感できないほどにはやりこんでいる。
そうして一通り運動を終えて、エヴェリンとフィオナは呼吸を整える。
「ふぅ。今日のご飯はどうしようか?」
両腕をクロスさせてストレッチするフィオナがエヴェリンに問い掛ける。朝ご飯は基本最初に起きたヒトが作ることになっている。今日で言えばエヴェリンとフィオナの当番であった。
「…ネギとシラスを混ぜ込んだタマゴご飯の上に納豆乗せるやつ」
「ああ、いいよね。あれ。唐揚げも添えて、味噌汁も作ろうかな?」
「…おいしそう」
「納豆と言えば、もずくと紫蘇と茗荷を混ぜ込んだやつもいいよね」
「…うん」
そうして二人は端末を持って家に戻るために足を進ませた。10人分も朝ご飯をこれから用意するのはかなりの重労働だが、ふたりでやれば問題はないだろう。
因みに浜崎家の飯事情は現在進行形で逼迫しつつある。父が結婚し、父と母の収入を足しても質素な料理で凌ぐくらいの余裕しかないのである。すき焼きなんてまさに高級料理。肉は豚肉に頼らざるを得ない。よく食べるものと言えばたくさん作れて長持ちできるカレーや、安く手に入るうどんやそうめんの類だったり、そろそろ世の中から消え入りそうなもやしのサラダだったり。野菜ももちろん買うが、大家さんに頼んで中庭には野菜栽培用の花壇を設けていたりもする。外食やコンビニ弁当、出前なんかは完全に論外。
そんな食事事情なため、少ない食材だけで如何に美味しく作るかというスキルばかりが身についていくのが浜崎家であった。
「ねえ、エリー。今度カラオケいかない?エリーの唄、また聞きたいな?」
「…うぅ。恥ずかしいからヤダ」
「良いじゃんそれくらい。綺麗な声がもったいないぞ?」
それでも貯金して遊びに行くことは普通にある。
そしてエヴェリンにとって唄を唄うことは好きだ。それでも誰かが自分の唄を聴くためにこちらに注目して、しかも普段よりも大きな声をマイクで拡散するなんて羞恥以外の何物でもない。見られることだって苦手なのに、少しでも噛んだりすればそれが確実に聴いている全員の耳に届いてしまう。
その時の恥ずかしさと言ったら、文字通り穴に入っても一生出たくないほどのものだ。路上ライブは変装しているし、ミスしてもそれは自分じゃないと暗示できるから大丈夫なのだが、カラオケとなるとそんなことは絶対できない。
だからそんな事態になりたくないがために、話を逸らすことにした。
「…ねえ、フィオナ。フィオナって将来どうするの?」
「どしたん?いきなり?」
不意に尋ねたから首を傾げられた。まあ、唐突だったから仕方ない。
「…わたしたちって年齢的にはまだ子供だけど、いつか大人になって独り立ちするよね?」
「まあ、そうなるんじゃない?」
「…でも、私達ってまともに学校通ってないし、生きていけるのかな?って」
フィオナも納得したようで、顎に手を当てて斜め上に視線を向ける。それは彼女の考える仕草で、その癖は父にそっくり。
暫く考え込んでいたフィオナだったが。
「そうだなぁ……。人間じゃないってバレないようにしなきゃいけないし……。う〜ん。どうしよう」
ふとこちらに顔を向けて。
「エリーはなにかしたいことあるの?」
「…え、っと。わたしは――」
言うかどうかちょっと迷ってしまう。だって、恥ずかしい。正直秘密にしておきたかった。
けれどそういう自分を克服していかないといけないと思うしそう決めたはずだった。
だから言ってしまうことにする。
「…誰にも言わない?」
「大丈夫だよ。誰にも言わない」
「…わたしは………………シンガーソングライター、になりたい……」
「おおっ!いいじゃんそれ!エリーにぴったりだよ!」
ちょっと大袈裟にフィオナが反応する。なんだか言い方が褒められているような感じで、どこかこそばゆい。それにずっと隠してきたことだから恥ずかしくて仕方なかった。たぶん頬が朱に染まっているに違いない。
こんなに恥ずかしいものなら路上ライブのことは絶対言わないことにしよう。
「…フィオナはどうなのさ?」
「う〜ん。あんまり考えてなかったからなぁ……。あ、でも、父さんみたいに起業したら色々好きにできそう。何するかはわからないけど、何か発明したり、作ったりしてみたいなぁ」
「…フィオナならできそう」
エヴェリンの記憶では、フィオナは父の研究をいつも楽しそうにそばで見ていた。色々わからないことを質問したり、自分なりの考えを出してみたり、とにかく家族の中で一番父と仕事のことで語り合っているのがフィオナなのである。だから彼女が起業してみたいというのは確かに分かる話だった。
そしてフィオナ自身も皆が認めるほど頭が良いし、独学で勉学も積んでいるから将来起業に成功することだろう。
「じゃあ、お互い、将来の夢に向かって頑張ろうか」
「…うん」
「エリーの作った曲は全部買うよぉ?いやぁ、楽しみだなぁ!」
「…いじわる……」
そうして二人は軽口を叩き合いながら家に辿り着く。まだ誰も起床していないのか、とても静かな空気で満たされた部屋だった。しかし暫くすると猫のタマが走り寄ってきて、にゃ〜とご飯をねだりに来る。それに優しい笑みを浮かべてエヴェリンが餌を与えに行くのも、フィオナが料理の前に鏡の前に立つのもいつもの光景であった。
本当に平和ないつもの朝の出来事。退屈で、それでも充実した過去の日常。
一週間後、まさかあんなことが起きて彼女たちが正反対の道を歩み出すことになるとは、この時は誰一人思いもしなかったのだった。
二人の姉妹は別の道を歩んだ――。
本日も本小説をお読みくださりありがとうございます!
今日の解説。今回ここまで読んでいただいた皆さんは恐らく、あれれ?みたいな反応された気がします。まあ、過去は過去なんで、ネタバレにならない程度に。フィオナのエヴェリンとの会話から見るにエヴェリンを可愛がっているようでしたね。それにお洒落もして、普通の少女でした。昔の日常はとても平和で、けれど未来では変わってしまった。本当に何があったのでしょうか?
将来の夢、なんだかそれを持っているヒトの方が少なく思うことがあります。けれど、人生の目標って大事ですよね。それに向かって頑張れる一つのゴールなわけですから。しかしこの二人はそれとは違った道に進んでしまいました。
小ねぎにシラスに卵をご飯に混ぜ込んで、唐揚げと一緒に食べるとなんとも言えない美味しさを味わえます。朝には最高だと思います。これをもっと美味しくできるように工夫を重ねればさらに美味しくなりそう。
また数日後にお会いしましょう!感想、評価、質問、お待ちしております!ブックマークよろしくおねがいします!またまた〜。




