怒り
CONEDs 爆破事件から三日後の夜。
相変わらず蒸し暑い日が続き、家に篭もらなければ熱中症になってしまいそうな気温が続いていた。今はそんな熱に浮かされ、日が落ちたにも関わらず照明のせいで昼だと勘違いした蝉が疎らに歌っている。
今日は雲が多く、全く星が見えない。きっとあの向こうにたくさんの星々が輝いているはずで、少しでも見たかったのだが見れないのだから仕方なかった。
そんな日の浜崎家では告別式が開かれていた。火葬場と僧侶のスケジュールの関係上、本来であれば事件の次の日には通夜が催されているはずだったのだが、父が突然死んでしまって通夜が翌々日になってしまったのだ。それから色々とスケジュールを組んで、どうしても火葬が明日となって告別式が今日となったのである。
ハヤトとエレナと花楓はそれぞれの学校の制服に身を包み、母も黒のスーツに控えめな真珠のネックレスを首に掛けている。そしてこの告別式にやってくる人たちに対して外で挨拶を続けていた。
それでもそこまで大人数では無いので、忙しいという程ではない。それに小まめに交代しているから問題はないし、もう陽が沈んでいるから多少は涼しいくらいだ。
もちろん昼と比べればの話だが。
因みにあの事件のすぐ後に警察がやってきて事情聴取をハヤトとエレナは受けた。やはり現場にいたのが不自然だったのか、二人はどちらも三時間ほど質問に答えることになったのである。もしかしたら疑われていたのかもしれない。誘導尋問とか嫌だったので正直に、かつ客観的に状況を説明したら解放された。
妙に警察を警戒してしまうのはきっと父の蘊蓄のせいだろう。冤罪は絶対嫌だったし。それに正直物凄く疲れた。帰った後はストレス解消も併せて長風呂に入って、家族に迷惑をかけてしまったのは別の話。
閑話休題。
そんな前日のことを思い出しながら周りに視線を向けてみる。やってくるのは父の会社の人とか、母方の親戚が多い。父の友達だとか、親戚は連絡先が分からずあまり呼べないでいた。
そこへまた誰かがやってきた。
「「こんばんわ」」
「美枝?健二?来てくれたのか?」
それは美枝と健二だった。確かに父が他界して学校は休んだが、告別式の連絡は送っていなかった。それはただ単に忙しくて忘れていただけなのだが。
「もちろん。ハヤトは友達だもん。来ないわけにはいかないでしょ?」
「そうだぞ。俺ならなんでも話を聞くからな。遠慮するなよ?」
二人の言葉にハヤトは胸の内が暖かくなるのを感じた。自分を想ってくれている友達とはこんなにも嬉しい存在なのだと改めて知ったのだ。
「ありがとう。でも、僕は大丈夫だ」
「そうか?何か言いたくなったらちゃんと言えよ?」
「分かった。そうするよ」
そうしてハヤトは二人を中に通す。家の中でも特に広い奥の和室で通夜が開かれていて、たくさんの花が飾られている。その中央に父の写真と棺があった。父の遺骸は損傷が大きかったために人前では出せず、棺の中にある。遺体の修復も頼めるようだが、値段が数十万円ほどもして葬式にもかなりの金額が掛かるということで諦めた。そんなお金をポンッと出せるわけがないのである。そして父さんがいなくなることで家計が苦しくなったのも理由の一つだったりする。
そして飾られている写真も父にとってはかなり珍しい笑顔の写真だった。父は写真が嫌いで、なかなか写ろうとせず映ったとしても角度が悪かったり真顔だったりのものがほとんどだったのだ。しかもカメラの回避術が凄すぎてレンズが視界の端に映った途端に手で顔を隠されて撮れないということばかり起きていたのである。おかげで盗撮の腕が上がるという本当に有り難くない特技が身についてしまった。
しかしこれだけは例外で、父の誕生日に苦労して撮らせてもらった一枚である。少し引き攣っているが、父らしいだろう。
それも今年からはもう見れない。
「じゃあ、また学校でな」
「ああ。またな」
ハヤトは美枝と健二が線香をあげた後、一言二言二人と話してから別れたのだった。少しだけ心が軽くなった気がする。
同じように花楓やエレナの友人たちもやって来ている。
それに対して気丈に振る舞う彼女たちが心配であった。笑顔は出せているが、そのどれもが作り笑いみたいで、悲しさを滲ませている。
それはハヤトも同じだったのだが、自分が辛いことを忘れかけてしまった。もしくは忘れたかったのかもしれない。心のど真ん中に大きな穴が空いてしまったようで何を注いでもすり抜けてほとんど感じられない。ただただ重く、暗い海に沈んでいくようだ。けれどそれがどういった感情なのか分からない。
何も感じないのは、親不孝者だろうか。
分からない。
そんなところへ一組の老夫婦がやってきた。
「こんばんわ」
二人がハヤトに挨拶してきた。それに対してハヤトも定型文で返す。
「こんばんわ。告別式にお越しいただきありがとうございます」
二人の年は見たところ八十くらいで、老婦人の方は電動車椅子に座っている。それを後ろの旦那さんが杖を突きながらサポートしているようだった。
「あ、お義母さんにお義父さん。来てくれたんですねっ。ありがとうございます。お身体の調子は大丈夫ですか?」
不意に後ろから母が現れてその老夫婦に挨拶していた。
「大丈夫ですよ。日和さんも今回は大変だったね」
「いえ。いつかはこうなるんじゃないかって、どこかで思ってたんですけど……やっぱり、突然過ぎますね……」
母が途中から涙ぐんでしまうので、どうしたものかと見ていたら、その老婦人がハンカチを母に手渡していた。
「私達で良ければ相談に乗りますからね」
「……はい。ありがとうございます。あ、この子は私の息子のハヤトです。ほら、挨拶して」
「え、あ、えっと、今回喪主を勤めさせていただきます、ハヤトです。よろしくお願いします」
「うん。私たちはあなたのお父さんの両親で、あなたの祖父母に当たるの。よろしくね。それにしても、しっかりしてるわね。あの子じゃ考えられなかったよ。友達は作らないし、引きこもるし、連絡は一切しないし――」
「は、はあ」
この時、ハヤトが描いた祖母の印象はおしゃべり好きな人であり、気さくな良い人であった。明るくて話しやすいけど、相槌を打つだけで会話が成り立つのはどうなんだろう。
祖父の方を伺ってみると母と話していたが、祖母とは違って物静かであった。そして雰囲気が好好爺である。それはどこか父に似ている気がした。
「じゃあ、中に入りましょう。外は暑いですし」
「そうですね。もうここに来るまでに汗びっしょり!この年になると熱中症には気をつけてるんですけどねぇ」
母と祖母はずっと会話を続けながら家の中に入っていった。祖父もその後ろについていく。
ほぼ絶縁状態だと聞いていたのだが、意外だった。どう見ても普通だった。けれど二人を初めて知ったほどハヤトと彼らが接してこなかったのも事実だ。
なぜ交流がなかったのか。
またエレナの時と同じ理由な気がして、詮索しないようしようと思った。根拠はない。だけれどそんな気がしたのだ。それに、これでエレナがまだ話したくないことに辿り着いてしまったら彼女に悪い気がした。
それからは滞りなく告別式は進み、時間はあっという間に過ぎていった。喪主の挨拶は非常に緊張したが、上手く出来たと思う。
色んな人がやってきたが、その親戚の中にはなんと国防空軍所属の”はとこ”も居たりして、珍しくて色々と話を聞いたりもした。ハヤトも自分のことを話したら軍人にならないかと聞かれたが、自信がないので断っておいた。父の話を聞く限り本当に自信を失くすくらい厳しそうだったからである。
皆が帰った後、後片付けと明日の準備をして、その日は終わったかのように思われた。
しかし、それは風呂上がりの時に起きた。
汗を流すつもりでシャワーを浴びたのだが、ハヤトはこれからのことを考えていてまた長湯してしまった。父が居なくなって家計は大丈夫なのか?とか、自分もバイトを始めた方が良いのではないか?とか、色々悩んでいたのである。母も仕事に就いてはいるが、知っている限り父の収入も合って家計が回っていたはずだ。だから今後母の負担が増えてしまうのは想像に難くない。だから少しでも母の支えになることをしようと心に決めた。
しかし湯船の中でそんなことを考えていたおかげで軽く脱水症状になってしまい、激しく喉が乾いてしまった。なので水でも飲もうと台所に足を踏み入れたのである。
そこで誰かが流しにいるのが見えた。
花楓だ。彼女は今日の夕食に使った食器なんかを洗っている。いつもは母とかに任せているのに珍しいこともあるものだ。
「風呂上がったぞ」
「うん」
そう声を掛けるが、違和感を覚えた。花楓の言葉にはどこか棘があって、こちらを見ようともしない。思い起こせば、父が死んでからずっと花楓とは話していない気がする。
彼女を怒らせた記憶は無いが、不機嫌なのは確かだった。
「母さんとエレナは?」
「二階で部屋作ってる」
実は今倉庫と化していた部屋を片付けて新しい家族の部屋として再利用しようとしているのだ。十分に広さもあり、掃除をすればあと数人くらいは使えそうなほど広い。
そして今は全部片付けて、そこにエレナの荷物を運んでいるといったところか。
しかし今のハヤトには花楓の方が気がかりであった。
「大丈夫か?」
「何が?」
突き放すようなその言葉にどう返すべきか戸惑ってしまう。しかしきっと父の死が花楓の心境に何らかの影響を与えたのは確かであろう。
もしかしたら無理して悲しいのを我慢しているのかもしれない。
「いや、その……あまり抱え込むなよ?話くらい何でも聞くからさ」
「話?」
「ああ、遠慮するなよ?僕は、大丈夫だから」
花楓には早くいつものように元気になってもらいたい。勘違いが甚だしいくらいが彼女らしいのだ。父の死を受け入れるのはとても大変なことかもしれない。けれど、それなら少しでも支えになってやりたかった。
父には何も出来なかったのだから、せめてそれだけはしてやりたい。
花楓は作業をしていた手を止めた。視線は食器に注がれたままだが、一向に動こうとしない。蛇口から水が流れ続ける音だけがリビングと台所に響き続けている。
「……――して」
「花楓?」
声が小さくてよく聞こえなかった。俯く彼女の顔もよく見えない。ただごく僅かに肩を震わせているのだけは分かった。
心配になって一歩踏み出した時、バッと花楓が顔を上げた。
その顔を見てハヤトは絶句する。
彼女は怒りよりも強い、憎しみの篭った目でハヤトを睨みつけたのだ。そしてその目尻には涙が浮かんでいる。
「どうして……っ!」
再び花楓が声を上げる。そこにはどうしようもない怒りと悲しみが込められていた。
「どうしてそんなにお兄ちゃんは冷静なのっ!?なんでそんなに平然としてられるのよっ!!」
最初に花楓が父の死を知らされた時、何の冗談かと思った。不謹慎にも程があると。バカバカしいとまで思っていた。
けれど、それが本当のことで、彼女は初めて絶望というものを知ったのである。
あの夜はただ悲しくて泣き続けた。目が腫れることなんて全く眼中に無いほどひたすらに一晩中泣いたのだ。
信じたくなかった。
聞きたくなかった。
何かの間違いであってほしいと何度も願った。
けれどもそれは現実で、変えようのない事実だった。本当に大事で、大好きだった父はもうこの世におらず、先にあの世に逝ってしまったのだ。
どうして自分たちを置いていってしまったのかと、もう居ない父に何度も問うた。もちろん答える者などおらず、泣くことしか出来なかった。
それが酷く悲しかった。
だから花楓には兄であるハヤトが許せなかったのである。
母も姉も、父を想って泣いていたのに、兄だけは違っていたのだから。ひと粒の涙も流さない。悲しんでいる素振りも全く見せない。それがまるで父のことなどどうでも良いように思っているようで、それが許せなかった。
しかも自分は大丈夫だなんて……。
声を荒げるなと言う方が無理だ!
「悲しくないのっ!?お兄ちゃんは、お父さんのことなんてどうでもいいっていうのっ!?」
気づけば兄と正対していた。拳を握りしめ、眉間が痛くなるほど自分の兄を睨みつけていた。
「そんなわけ――」
「じゃあ、なんで泣いてないのよっ!?」
それに兄は答えなかった。
自分でも今気づいたのか、唖然としている。
花楓はいつしか握りしめた拳を兄の胸に叩きつけていた。何度も何度も。それと共にポロポロと止めどなく涙が溢れていった。
「お兄ちゃんにとってお父さんって何だったのっ!?どうして悲しくないのっ!?寂しくないのっ!?」
これはただの八つ当たりだ。自分でも分かっている。
けれど止められなかった。
本当は違うのかもしれない。兄も心の奥ではとても悲しんでいるのかもしれない。けれど、何も感じていないように見える兄が腹ただしくて仕方なかった。
同じように悲しんでくれる存在だと思ったのに。悲しんでいると思っていたのに。
その態度を見ていると、まるで裏切られたような感じがしてならない。
なぜ、大丈夫なんて口にするのか。全く理解できない。
大丈夫ってことは、傷ついてないということだ。
それが分かっているのか!
拳をぶつける度に嫌なことを考える自分に嫌気が差して、また答えない兄がもっと嫌いだった。
怒りでは収まりきれないこの感情は、憎悪だろうか?
こんな気持ちを初めて知った。自分では止められない激情が激しく心の中を掻き乱している。
悲しくて悲しくて仕方なかった。
そして花楓は言ってはいけないと分かっていても、その言葉を心中に留めることが出来なかった。
「なんでお父さんじゃなくて、お兄ちゃんが死ななかったのよ……っ!!」
その日はそれ以上兄とは話さなかった。
彼女の悲しみは怒りとなって――。
本日もお読み下さりありがとうございます。最近思うことは小説を書くことの難しさです。何でしょう?物語が思いついても肝心の最初を上手く書けないんですよね。この小説で今書いている部分も最初の部分なんですが、なかなかに難しい。
でも楽しいから書くんですけどね!
本当に小説を書いてる人の文章を読んでいると尊敬します。私も精進していきたいです。
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