第一ビルにて
「では、少々お待ち下さい」
そう言って黒のスーツをきっちり身に纏った秘書風の男性が部屋から出ていく。顔立ちも美形でその黒髪もきっちり整えた紳士なヒトだった。
ハヤトたちの目の前には彼が用意してくれた麦茶とチョコレート菓子が丁寧に置かれている。
そしてハヤトは麦茶を口に含んだ。
ひんやり冷たくてこの季節だととても心地が良い。すっと身体に溜まった熱が引いていく。
まずは一息。
でも――。
「緊張するな……」
隣で同じように麦茶を口にするエレナに言葉を掛ける。
「うん。何度も来てるけど、私も全然慣れないよ」
今ハヤト達がいるのはCONEDs第一ビルのとある一室である。ただその建物の様相はハヤトが想像していたどの予想とも違うものであった。正しく予想外としか言いようがなかったのである。
おかげで何度かエレナに尋ねた。
「本当にここか?」、と。
なぜそう思ったかというと、どう見てもマンションだったからだ。それも新品などではなく、家賃も安くなっているような古いものだ。
外壁のペンキは処々剥がれ、残ったそれも長年塗り替えられていないためにくすんでしまっている。花壇も雑草だらけだし、そもそも辺り一帯人気がほとんどなかった。
正直、企業の交渉とかに支障がないか心配してしまったくらいだ。
まあ、よくよく考えてみれば第二ビルで対応すれば何も問題ないようだが。今は知らない。
エレナ曰く、父が会社を起業した時に拠点となるような場所が必要になり、ちょうど安かったこのマンションで始めたらしい。そこで天才と変人が集まってCONEDsを創設したとか。
ハヤトとしては父の会社に行くことなんてなかったし、行くとしても第二ビルの方だったからこれが初訪問となった。
暫くしてこの部屋を自分の研究室にしていて、CONEDsの臨時代表になった人物がついに奥の部屋から現れた。
「待たせてすまない」
やって来たのは呂色の髪をショートボブにしている三十代くらいの女性だ。その後ろに付き従うのは先ほどの秘書風の男性だった。彼女は彼と同じくスーツに身を包んでいる。
しかし何より印象に焼き付けられたのは、その鋭い眼差しであった。それは十分に、いや過ぎるほどに眼光鋭く、相手を威圧する力がある。何もしていないのに緊張感が湧いて、冷や汗が止まらない。
背筋を伸ばし、キビキビ歩く姿からはどこかカリスマの雰囲気が漂っていた。
ハヤトとエレナは一度ソファーから立ち上がり、軽く頭を下げた。
「浜崎ハヤトです。お時間を頂き、ありがとうございます」
「よろしくお願いします」
対してその女性も自身の名を告げる。
「桑原ミカエだ。早速話を始めよう。私も、結構忙しくてな」
そう言う彼女の目の下には確かに濃い隈がある。もしかしたらずっと寝ていないのかもしれない。
そうして秘書と思われる男性以外の三人は向かい合うようにソファーに腰掛けた。
「で、話はなんだ?」
何の前置きもなく単刀直入に問いかけてきた。忙しいというのは本当のことなのだろう。
まあ、考えてみれば会社があの状況なのだ。それで忙しくなかったら逆におかしい。
彼女の質問にエレナが答えた。
「昨日、科学魔法を使いました」
瞬間、桑原の視線が更に険しくなる。元々威圧感が凄かっただけに、それだけでハヤトとエレナの顔に冷や汗が垂れて背筋が凍りついた。
思わず次の言葉に詰まってしまい、二人は固唾を飲む。麦茶を飲んだばかりなのに、口の奥を潤したい衝動に駆られた。
「なるほど、そういうことか。治療なら別に構わない」
二人はその言葉にあっけにとられた。
何も言っていないのに、治療のことまで知られている。驚きで二の句を継げなかった。
「ん?話が違ったか?」
「い、いえ。どうしてわかったのか、ちょっと驚いてしまいまして」
ああ、と桑原は声を漏らす。
「別に難しくない。普通に推理すれば、誰でも分かるだろ?」
分からない、とハヤトとエレナは同時に同じことを思った。そしてこれが天才というものかとどこかで納得していた。どんな推理なのか全く見当がつかない。
きっと彼女はCONEDsの中でもかなり頭が切れるに違いない。
「ミカエ。普通は分からないぞ」
秘書風の男性がそうツッコんだ。
「そうか?」
「そうだ」
全く理解できないという風に桑原が首を傾げるが、ハヤトはどこか諦観のようなものを感じていた。
確か父も色々と理解できないことを口走ったり、他よりも推理が上手かったりと分からないことが多々あった。それを説明されてもよく分からないのだから、どこかで理解できないものだと納得する他なかったのである。そんな感情をこの桑原にも抱いていた。
父本人曰く、本人は自分のことを天才ではなく変人と呼んでいたが。
「白井には言っておく。そっちの方に行ってくれ。案内はこのノアにさせる」
秘書風の男性が小さく頷く。そして桑原は立ち上がって、エレナの方に顔を向けた。
「お前は残れ。話がある」
「は、はい……」
若干、エレナが怯えるような仕草をしたが、どう見てもあの上から威圧する態度と鋭い視線では仕方ないだろう。完全に蛙を睨む蛇だ。
「じゃあ、ハヤト。また後でね」
エレナが恐怖に染まった瞳で引きつった笑顔を作る。
「えっと…………、う、うん」
彼女が心配で内心同情してしまう。しかしぐずぐずしていても何もならない。本当は一緒にいた方が彼女には良いのかも知れないけれど、桑原の纏う雰囲気がそれを許さなかった。
結局、後ろ髪を引かれる思いで、ハヤトはその部屋を後にする。
部屋を出て、ノアという名らしきその秘書の後をついて行く。目的の場所はここと同じ階らしく、外の廊下を歩いていった。
「大丈夫。そんなに心配しなくても、ミカエは見た目だけが怖い人だから。内心は結構可愛いんだよ?」
心配そうな顔をしていたのか、彼が肩越しに振り返ってハヤトに優しく言った。
「そ、そうなんですか?」
そうは言われても全く想像が出来ない。下手なことを言ったら殺されるかもとまで思ってしまったくらいだったのに。寿命が縮む思いとはたぶんあんなことだろうと思う。
可愛い、のか?
まあ、人は見た目によらないのかもしれない。
そう、思っておこう。
けれど、やはり心には不安が尽きない。エレナは一人で大丈夫だろうか。
大袈裟だけど、泣かされてないだろうか?
それを感じ取ったのか、ノアは語りかけてきた。
「エレナさんとは姉弟なんですよね?」
「はい。そうです」
「仲が良いんですね」
「そう、見えますか?」
ノアはクスリと笑った。
「はい。互いに信頼しあっているのが、すぐに分かりました。さりげないアイコンタクトとか、手の仕草なんかが似ていて少し驚いたくらいです」
流石に自分のことだからか、指摘されてもよく分からない。確かに意思疎通が逢ったばかりとは思えないほど出来た気がするが、そういうことなんだろうか。
でも恐らく記憶を失う前の自分はエレナととても親しい間柄だったに違いない。それを心のどこかで憶えているのかもしれないと思った。
それから数メートルほど進んだ辺りでノアが立ち止まり、とある一室のチャイムを鳴らした。
表札には白井研究室とある。中からは直ぐに返事があった。
『あれぇ?ノアぁ?どうしたのぉ?珍しぃ』
聞こえてきたのは間延びした女性の声だ。
「この子を連れてきてね。今、白井さんはいるかな?」
『いるよぉ。まあ、中に入ってぇ』
施錠が開く音が鳴り、ノアは迷いなくそのドアを開けた。
「お邪魔します」
ハヤトも恐る恐る中に入る。すると理科室に、あるいは病院にいる時に嗅ぐことができる独特な薬剤の臭いが漂ってきた。
本当に研究室っぽい。しかし何を研究しているところなのだろうか。見た所玄関は普通だ。
『いらっしゃぁい。そのまま進んでねぇ。真里奈は休憩中だよぉ』
声が突如そばから響き、驚いてその方向に顔を向けるとカメラとスピーカーとマイクがあった。そこから声が聞こえる。
『あぁ。あなたがハヤトぉ?私ぃ、《アリア》ぁ。AI だよぉ。よろしくぅ』
「ハヤトです。こっちこそ、よろしくお願いします」
『敬語はぁ、いらないよぉ』
「そうか、わかった」
《アサヒ》に慣れているから特に動揺もしない。しかしAIと聞いて、今まで端末の電源を落としていることに今更ながら気づいてしまった。病院で検査の時に迷惑にならないように電源を切っていたのだが、そのままにしていたのである。
すっかり《アサヒ》のことを忘れていたわけだが、彼女のことだから今頃ご機嫌斜めに違いない。電源入れた時に何が起きるか、少々不安だ。
まあ、今は白井という人と話さなければならないし、後回しだ。《アサヒ》がそんなことで報復してくることはないだろう。
きっと、たぶん。
…………。……データ大丈夫かな…………?
まさか教育のためだとか言って消されてないだろうな?
短い廊下を通り過ぎ、リビングに入るドアを開ける。そして、中を見渡して、ハヤトは思わず目を見開いた。
水が入っていたりいなかったりの沢山の水槽が並び、試験管や様々な薬品が入った瓶が部屋のあちこちに立ち並んでいる。冷蔵庫はもちろん、父が教えてくれた遠心分離機や細胞や細菌を培養するための機材まである。棚にはびっしり薬品の容器が並び、リーラーコンセントが天井からぶら下がっている。
それだけでもマンションとは思えない研究室であるのだが、ここで最もハヤトが驚いたのは水槽の中の生き物だった。
「?」
八首の蛇に、足の生えた魚、翼のあるトカゲに、じっと見てみると動いているのが分かるこぶし大の粘菌、心臓らしき器官を持つ植物、複雑怪奇な昆虫…………etc。
そんな、もはや何なのかさえ分からない異型の生物たちがそこに沢山並んでいた。
本能的にヤバイと思ってしまうほどその空間は異様であった。何かに例えるのならば、怪しい魔女の家だろうか。
「いらっしゃい。あなたがハヤト君ですね?我が研究室へようこそっ」
中央の実験机の向こう側に座っていた女性が笑顔でひらひらと手を振ってくる。
ボブカットの焦げ茶色の髪に防護メガネを乗せ、白衣をしっかり着こなした三十代くらいの人だ。桑原と比べればとても人懐っこい雰囲気があるのだが、この部屋の中にいるだけで、何故か薄気味悪さを感じる。印象は正しく魔女であった。
「浜崎ハヤトです。今日はよろしくお願いします」
「うんうん。聞いてるよ。早速始めようか。あ、私は白井真里奈です。よろしく」
その女性、白井はにっこりと人懐こい笑みを浮かべた。
治療は大丈夫なのか――。
そしてCONEDs第一ビルへとやってきたわけですが、CONEDs の最高権限保持者たちは浜崎代表が全国から集めた天才と変人の集まりです。天才はその片鱗を桑原が見せたわけですが、変人というのは私が考えた勝手な呼び方で、天才ほどでもないけれど一般人よりかは断然能力値が高い人のことを指しています。
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