決別
注意:残酷な描写あり。苦手なヒトはそれを知った上で読み進めてください。
床や宙で結晶化したマナリウムがフィオナの意思に従い形を変えていく。それらは撓る鋭利な刃となって無数にこちらに牙を向いた。瞬間、目にも止まらぬ速さでソフィアに襲いかかる。そしてその身体をいとも容易く貫いて――。
「〈牽引〉っ!」
しかしその直前にソフィアも魔法陣を展開して自分の身体を吹き飛ばした。正確には辺りに張り巡らせたマナリウムで自分の身体を強引に後方に引っ張った。
急激な加速度に舌を噛みそうになる。しかしその甲斐もあって無数の刃のほとんどはソフィアが数瞬前にいた場所に突き刺さるだけで済んだ。どれだけの勢いがあったのか、屋上の床が抉られている。それでも追随した一部の刃が身体を掠って抉っていった。
それでもなんとか致命傷からは逃れることに成功する。
だが飛び退いたということはソフィアが僅かな時間滞空しているということを意味している。その僅かな時間が致死的な隙となってしまった。そしてやはりそんなところに先程掠めていった刃たちが、床に突き刺さった刃たちが大きく形を変えて長く伸び、自在に曲がりながら迫ってくる。
「〈伸縮〉!」
咄嗟に魔法陣を書き換えて屋上の手すりと自分の間をマナリウムで繋いだ。そのまま無理やり別方向に機動を変えて自分の身体を手すりに向かって吹き飛ばす。今度は身体の動きにも注力して可能な限り避けていく。腕を曲げ、足を伸ばし、首を捻り、できるだけ傷を追わないように尽力する。それでも身体のあちこちから鮮血が散った。
このまま上手く調整して引っ張り続ければ手すりの向こう側に出られる。そうすれば逃亡も可能になるだろう。距離さえ稼げれば選択肢もぐっと増える。今フィオナと真正面から対抗するだけの力はない。
そうソフィアは判断した。
だが、次の瞬間だった。
「ッ!?」
突如目の前に無数の刃が現れた。それもソフィアが目指す手すりの上に。
罠だったのだ。つまりこのままその手すりの方向に飛び続ければその刃に全身が貫かれてしまう!そして今、急ぎすぎたこともあって今からでは機動を変えられない。絶対無理だ!
速度が速すぎる!
流石にあれを喰らえば再生できても内蔵を機械で補っているソフィアには致命傷になりかねない。今だって無理に身体を制御しているのだ。これ以上損傷すれば命に関わる。
避けきれない――っ!
頭をフル回転させ、回避方法を余計な論理的思考を省いた効率的な思考で導き出そうとする。人間でいうのならば走馬灯だろうか。だが、ソフィアのそれはあまりにも合理的な思考だった。そして彼女でも経験したことがないほど早く結論を導き、一つの策を考案する。そしてそれに近い魔法陣を描き、それを微調整し、実行に移した。
「〈架橋〉ッ!」
ソフィアの前にマナリウムの結晶が作られる。本来は橋を掛けるだけの、昔即席で作った魔法。だが、今はそれを少し応用してハニカム構造のそれを隙間ないように何重にも重ね合わせた。そして一つの壁として作り変えたのである。簡単に言ってしまえば即席の盾であった。
もちろん咄嗟のことだったから、非常に小さい最低限の盾でしかなかった。だから自身を庇うように思わず身体を丸めてしまう。
ぶつかるッ!
ガシャーンッと結晶が砕ける音が響き渡る。即席の盾は鋭く貫通することに特化した形状の刃を止めること叶わず砕け散った。しかしそれは刃の方も同じで鋭かった先端部は折れ、ソフィアは強い衝撃を全身で受け止めるだけで済む。
しかし。
「く――ッ。かはっ!」
こみ上げた物を思わず吐き出すと、それは血の色で染まっていた。喉のどこかか、胃の辺りを傷つけてしまったに違いない。いや、若しくは肺だろうか?
よく確認してみれば背中に結晶が突き刺さっていた。身体を丸めたせいで結晶が諸に背中に突き刺さったらしい。完全なミスだ。しっかり想定しなければならなかった。
「はぁ……っ!はぁ……っ!」
本当に呼吸が思うようにできないだなんて……っ!
苦しい……っ!
力が出ずに地面に倒れ伏してしまうソフィア。そんな彼女に歩み寄る一つの足音。それを聞いてソフィアは諦めかけた。だって、性能が違いすぎる。
正攻法で勝てるわけがない。
「あらあら。呆気ないですわね?」
「……ッ」
フィオナがここに来た理由。それは自分が産み出された原因である『管理者』への八つ当たりだけではないだろう。あるとすれば自身の魔法に対抗しうる『管理者』という存在の排除だったのかもしれない。自分と同等の存在で、自分の目的を妨害してくるCONEDsの『管理者』を殺しに来た。これが真相に違いない。どちらにしろ今フィオナが『管理者』権限の魔法を使用しているのは明らかだった。
いや、今まで彼女が無事だったことを考えると今までずっと『管理者』権限を持っていたのは自明の理であろう。それによって一度は発動してしまった【プロトタイプ】を抑え込んでいた。ありえないとどこかで決めつけていた自分はあまりにも愚かであった。僅かな可能性でも切り捨てるべきではなかったのだ。
現に彼女は『管理者』権限を使い、魔法陣の制限を受けずに自分の想像したものをそのまま操っている。そう思うのは明らかにフィオナが魔法陣もなしにマナリウムをコントロールしているからだ。こちらが手出しができずに一瞬で追い詰められるほど『管理者』権限の魔法は圧倒的なのである。
何が違うのかを具体的に上げるとするのならば、ソフィアは魔法陣を描いてその名称を言わなければならないところを、フィオナはただ考えただけで実行できることだ。
二人の知能はソフィアの方が優秀であるものの、魔法を行使するまでのほんの一瞬の時間差が二人に圧倒的な差を生んでいる。しかも『管理者』権限の魔法はただ想像するだけで事象を起こせるからその具現化は汎用性が高い。それに比べ、魔法陣に事象を定義してほとんどそれしかできないソフィアの魔法は柔軟な対応が難しい。何かを応用しなければならず、新しいことなどすぐにはできない。新しいものはバグが発生しやすくコントロールが難関すぎるのである。
『管理者』権限の魔法は扱いがとても簡単なのも災いした。【プロトタイプ】がイメージを際限なく具現化するのに対して、この魔法は身体を動かすことと似たようなシステムで成り立っている。腕を動かすように簡単にマナリウムが動くし、腕を動かすイメージだけをしても勝手に動かないのと同じようにマナリウムが暴走するわけでもない。
すなわち身体の範囲の拡張ともいうべき魔法なのである。もちろん身体能力に個人差があるように使い熟せるかどうかは個人によるが、フィオナはある程度使い熟しているようだった。
今の彼女ならばやろうと思えばソフィアが使用しているマナリウムさえも自分の制御下に置いて何もさせないことだってやりかねない。ソフィアの身体を構成するマナリウムだって奪われかねない。
いや、もう既に少しずつマナリウムを奪われているのか……。
そう思う理由は先程から怪我した場所が再生するどころか悪化しているからだった。〈再生〉も〈感覚切断〉も意味を為していない。明らかに干渉を受けていることは間違いなかった。だから経験したこともない痛みが絶えず精神を蝕んでくる。本当に不愉快極まりない。
だが、まだ完全に使い熟せているというわけではないことは救いだった。まだまだ使い方が粗い。対抗できるかもしれない。
「ええっと、こうすればいいのかしら?」
「ぐっ!?が、ぁああああぁぁ――っ!!??」
突然さらなる痛みが全身を襲った。身体中から血が迸り、彼女の銀雪のように白い肌を真紅に染め上げる。
「……ぁあ……ぐ……っ!」
辺りも真っ赤に染まっていく。そして理解した。全身が内側から破壊されたのだと。無数の結晶がソフィアの全身貫くように引き裂いていた。
何が起きたのか。簡単な話だ。フィオナはソフィアの体内に流れるマナリウムを制御下に置いて無理やり結晶化させたのである。おかげで身体中の血管がズタズタにされた。運良く破れなかった肌の下も内出血のように赤黒くなり、肺も大きく壊されたのか先程よりも多くの血を吐いてしまう。咳き込めば咳き込むほど痛みが奔っていった。
自分の周りに生暖かい血が広がっていくのが見える。
意識が……遠くなる。
ただ幸運だとソフィアが思ったのは眼球が飛び出さなかったことだった。
視界も奪われていたら確実に死ぬ未来しかなかった。まあ、目からも血が流れて視界が赤く染まってしまっているのだが。この幸運は利用しない訳にはいかない。
「あら、やっぱり中枢神経はお姉様の思考が邪魔して制御できませんわね。結果的にかなり残忍だったかしら?」
ソフィアを見下ろすフィオナは薄い笑みを浮かべる。淡々と今自分が行ったことを分析して楽しむかのように。そう。まるで実験の一つの結果を考察し楽しむように。
「……誤った、二分法的思考で……攻撃っ、するなんて……バカですか……?」
「どうでもいいですわ。そんなの」
その目を見てソフィアは腹ただしいと思った。普通のヒトなら完全に戦意喪失して死を選ぶか、怒りに燃えて憎悪を爆発させるだろう。もちろんソフィアだってこんな痛みを味わいたくないし開放されたい。目の前の妹に絶大なる怒りを抱いている。それでも合理的な思考をやめることができない彼女は怒りに我を忘れるなんてことも、未来の全てを放棄することもできなかった。ただただここから逃れる打開策を考え続ける。
もしかしたら、目の前の妹を哀れに思ったからこそ感情が抑制されたのかもしれない。頭の良い彼女が感情的になるなんてよっぽどのことがあっただろうから。
今の自分では想像もできない日々を送ってきたのは間違いない。
どうしたら。
どうしたらこの場を乗り切れる?
こちらの魔法は定義したものに限られる。
即席に魔法を創ってもバグだらけで使い物にならない。
バグだらけだと――。
……やはり、そうするしか……。
一つだけこの状況を打開する方法をソフィアは閃いていた。しかしそれは考えればすぐに分かるものでなぜ今まで自分は思いつかなかったのか、本当に恥ずかしいくらいの代物だった。いや、今まで簡単過ぎて考えもしなかったのだろう。けれど、フィオナと対峙するためにこの一週間研究していたことだ。
リスクが非常に高い。だから今まで使ったこともなく、《アリア》に定義させてもいなかった。これを使えばどんな結果になるかなんて簡単に理解できているからこそ、実際に実験することができなかったのである。使えば取り返しのつかないことをすることになるはずだから。そしてその研究内容はその危険性をできるだけ失くし、使用者の安全性を高めること。
だが、研究は上手くいっていない。いや、寧ろ難関過ぎてあと2週間は研究時間が欲しかった。つまり端的に言えば研究は終わっていない。使えば死ぬかもしれない。
でも、もう身体はボロボロで今さら壊れても同じであろう。
それにこれなら――。
「どうしましょうね。ただ殺すのもつまらないし、いっそのこと操り人形にしてしまおうかしら。じっくり研究すればその魂も書き換えられるでしょうし」
「……それはどうでしょう?」
「?」
フィオナは訝しげに眉を寄せ、しかし次の瞬間その眼は驚愕に染まった。地面に魔法陣が描かれたと同時にフィオナの制御下にあるマナリウムが彼女の意思とは関係なく動き出したのである。しかもその魔法陣は出鱈目なことばかり書かれていてソフィアが何をしたいのかフィオナにはさっぱり分からない。
「何を――?」
「……《アリア》。これを〈瑕疵〉と、定義」
ソフィアの耳に《アリア》の言葉が聞こえる。フィオナは動揺してすぐには動けていない。
チャンスだ。
今なら邪魔されない。
『了承。以下の魔法を〈瑕疵〉と定義』
「〈瑕疵〉」
光が瞬いだ。
それは奥の手の魔法――。
本日も本小説をお読みくださりありがとうございます。
誤った二分法。これは前にも解説しましたね。簡単に言ってしまえば本来は選択肢がたくさんあるところをまるで二つしかないような状況になっていることです。具体例をあげようとしましたが、あまりにもセンシティブな気がして、消されかねないので止めました。どうか具体例は探してみてください。けど、悪用するには簡単な手法なんですよね。
まあでも、ジョルダーノ・ブルーノみたいなヒトがいることは確かで、火炙りに掛けられても自分の意見を変えないヒトはいるのです。頑固ともいいますが、精神的に非常に強い人でしょう。彼の著作が禁書目録になったこともまた知られた話です。
といった感じでそれっぽいことをフィオナがしたのでソフィアはそんな発言をしたのです。正しい発言かどうかはさておいてそれっぽいということです。
というかもっと簡単に言ってしまえばトロッコ問題みたいなのも誤った二分法でしょうかね?なぜか皆選ばなければならないという思考に陥るけど、必ず選ぶ必要はあるのか?
では今日はここまで。また来週の日曜日にお会いしましょう。またまた〜。




