未来の魔法
どうにも気まずい空気が続き、それにまた呆れたように《アサヒ》が声を掛けてくる。
『そろそろいいですか?もう既に瓦礫も落ちてないようなので避難しましょう。もうすぐ消防と警察がやってきますよ』
それを聞いてハヤトは思い出した。
あれからどのくらい時間が経った?
父さんはどうなった?
連絡は着くのか?
無事なのか?
それを《アサヒ》に問うと、少し言い淀んだ末に教えてくれた。
『まだ、連絡は取れてません。私もこのビルの中を探してみたのですが、どうやら爆発で回線が切れたらしく、爆発現場より上の階の情報が入りません』
つまり、行方不明ということ。思わず顔を真上に上げてしまう。
頭上には見覚えのある、三階まで吹き抜けになっているCONEDsのロビーの天上がある。非常灯以外の照明が全て消えており、この場所を照らす光源はハヤトの端末しかなく、少し離れたところにぼうと非常灯の明かりが灯る。
あの向こうに父がいるのだ。そう思うと居ても立ってもいられない気持ちになった。
こういう時、自分には何ができるだろうか。最初に思ったのは、そういう考えだった。
さっきまでのように突然のことに理性をなくして衝動で動くなんてしない。そんなことをしたから危険な目に遭ってしまったのだ。自分が死んでは元も子もないというのに。
けれど、どうしたら良いか考えて、それでもハヤトは父の許に行きたかった。他人なんかに任せてられない。自分の家族のことは自分でやりたいのだ。
例え、それが意味ないことだとしても。
「《アサヒ》。父さんがいる階は何階だ?」
『ダメです!また何かあったらどうするんですか!?』
流石に《アサヒ》が叱責して止めてくる。しかしだからといって迎合するつもりは更々なかった。
「危険なのは分かってる。でも、行きたいんだ。やらないよりやった方が良いって思うし。このまま何もやらないのは、自分が許せない」
『ダメです!』
「行きたいんだ」
『……』
《アサヒ》が黙り込んだ。恐らく正論を言ってもハヤトには意味がないと分かり、どうするべきか判断しているのだろう。
対して天上を静かに見上げるハヤトは冷静だった。そういう風に見えた。
不安や恐怖、悲しみで押し潰されそうな心を無理やり押さえ込んで、理性を働かせる。
冷静でなければ、何も成し遂げられない。
昔そう父に教わったことだから。
「ハヤトは、本当に行きたい?」
エレナの方を向けば、彼女は真剣な眼差しでハヤトの瞳を見つめていた。その心の奥まで覗き見るような静謐な眼差しをハヤトは真っ直ぐに見つめ返す。
「ああ。僕は父さんの力になりたい。後悔だけはしたくないんだ」
しばし見つめ合って、どこか納得したようにエレナは頷いた。エレナも上階にいるはずの父が心配で仕方なかったのだ。ハヤトと合流した今、彼女は彼を守れる。
ハヤトだって救えた。
なら、お父さんだって救えるはず。
「わかった」
『エレナさんッ!?ダメです!危険です!』
「大丈夫。私が絶対、守るから」
そう言われるのは正直嬉しいのだが、どうにもほぼ同い年に見える女の子に守るとか言われると、流石にハヤトも気分が凹む。男子としては頼られたいと思うのが本音なのだが、そこまで弱く見えるだろうか?毎日鍛えているというのに……。
それに小恥しくてむず痒い。もっとしっかりしなければ。
その後も《アサヒ》は抗議し続けた。しかしエレナが有無を言わせずに立ち上がり、ハヤトも端末を手にして歩き出してしまうので、最終的には《アサヒ》が折れる形となった。
凄く不満そうであったが。
『知りませんからねっ。私は忠告はしましたっ。死んでも恨むのは自分だけにしてくださいっ』
「はいはい」
『警察にも連絡しませんからねっ。いざという時に助けが来なくても知りませんからっ』
「そんなに危ないのか?」
『知りませんっ!』
大分拗ねてしまっているようだ。《アサヒ》の中ではこれがハヤトたちを止める最善手になっているのだろうが、端から見るとまるでただ駄々をこねているだけのように見える。
まあ、本当に具体的な内容を言わないということは、大丈夫なのだろう。もしくは《アサヒ》が推理し得ない危険なことがあるのかも知れないが……。
案の定エレベータは止まっていて、非常階段で上ることにした。非常灯しか灯っていない階段は、外の光が入ってくるロビーと違い想像以上に暗い。端末のライトがないと足元さえ覚束ないのだ。端末のライトだとすぐに充電がなくなってしまうだろうが仕方ない。
一歩歩くごとに足音が反響し、ここにいるのが自分とエレナだけだと思えてしまう。
それが非常に恐ろしく、またハヤトを不安にさせた。無意識に握りしめた拳は握り過ぎたために既に痛い。呼吸もなんとなく思うように出来ない。気温のせいもあるが少し苦しいくらいだ。
まるでねっとりと空気がまとわりついているみたいに。
誰も、いないのか?
あんな爆発があったのだからしょうがないのだろうけど。
本当に、誰もいないのか?
父さんは、無事、だよな……?
そんなこと、ないよな…………?
トン、と肩に手を置かれて、ハヤトは反射的に振り返った。
「大丈夫?」
エレナが心配そうに見つめてくる。言われて初めて自分の呼吸が少し荒くなっていることに気づいた。それだけ平常ではなかったらしい。思えば冷や汗も大分掻いて、動悸が激しい。
ハヤトは心の中で自嘲した。自ら行くと言っておいて、彼女に心配させるくらい不安なのだ。あまりにも静かなこの場所にいると、最悪な形しか思い描けない。
もしものことを考えると、押し潰されてしまいそうなくらいに。
それが、とても怖い。
ハヤトは深呼吸をし、自分を落ち着かせようと胸に手を当てた。何度もそうして動悸が落ち着いてくるとエレナにもう一度顔を向けて笑みを浮かべる。
「悪い。もう、大丈夫だから」
「本当に?」
「ああ」
それでも心配そうなエレナであったが、その後はただ寄り添ってくれるだけだった。それが心強くてその後は不安によって呼吸が乱れることもなく、とうとう爆発現場である九階に辿り着く。
非常階段とその階を隔てる防火扉を開けると、そこは明るい場所だった。明るいと言ってもそれは非常階段の暗がりと比べてであって、その明るさの原因が街や月の明かりであるとすぐに理解できる。それだけビルの外と内を隔てる物が何もなかったのだ。
窓は全て割れ、壁も崩れている。爆心地らしき場所は天井も崩れてその裏側に隠れた配線やパイプが剥き出しになってしまっていた。他の場所も同じように崩れているのか、強い風が外から暗い廊下の向こう側に流れている。
「酷い……」
その言葉通りの悲惨さだった。全ての机や椅子がなぎ倒され、バラバラに砕け、あらゆるものが変形し、暗くて分かりづらいが恐らく煤で黒ずんでしまっているのだろう。それらが元が何だったのかは判別できない。
ただ分かることは、それらが一瞬の内に破壊されてしまったことだけだ。
一歩踏み入れれば、粉々に砕けたガラスの破片が足の下で割れた。足元を見下ろせば、ガラスの他にもコンクリートの破片やどこからか飛ばされたのであろう筆記用具、電子機器が散乱している。
足場が殆どない状態だった。
「誰か、いますかっ?」
しかし父がいるとしたらこの階、つまりは九階か、もしくは最上階である十階にいる可能性が高い。なぜならば、ここより下階の場所は非常灯と同じ電力で動く監視カメラと回線網が隈なく設置してあるのを前に父に教えてもらっている。それならばここの監視カメラを覗ける《アサヒ》が回線が切れて見つけられなかった九階より上にいると踏んだのだ。
実際それは正しかった。
一通りこの場所を探してみるものの誰も居ない。なので廊下の奥に進んでみることにした。暗い廊下を足元に気をつけながら進む。時折天井が崩れていたり、有機照明のガラス板が散乱していること以外は特に何もない。
それらに注意しつつ先に進むと案の定再び同じような光景が現れた。壁や天井の壊れ具合は先程とほぼ同じだが、違うことと言えば精密機械だったらしき物が山のように積み重なっていることか。
「父さんっ。いるっ!?」
吹き抜けるビル風に遮られないよう大きな声で呼びかける。
しかし返事はなかった。
ともかくここも隈なく探そうと二人が崩れた部屋の中に足を踏み入れた時だった。
どこからか呻き声が聞こえてきたのだ。
「父さん!?」
ハヤトはどこから聞こえたのか探るように見回した。しかしビル風のせいでどこにいるかまでは判別がつかない。
「ハヤトッ!こっち!」
振り返れば、瓦礫の山の向こう側にエレナがいて、支柱の反対側からハヤトを呼んでいた。
もしかしたらそこに父がいるのかもしれない。
呻き声があったということは、まだ生きているのだ。
まだ、助かるかもしれない。
急いでそこに駆けていく。途中で瓦礫に足を取られそうになる。しかしどうにか踏ん張って転ぶことはなかった。
そしてエレナの元へ来てライトで照らされたその場所を覗き込んだ時、ハヤトは肩を落とした。
そこには確かに人がいた。けれど、父ではなかったのだ。期待が大きかった分、落胆も大きかった。
しかしハヤトはその考えを頭を振って追い払う。
なぜならそこにいたまだ若い、二十代後半くらいの男性は誰がどう見ても重傷だったのだ。手足に様々な瓦礫の破片が突き刺さり、左腕に関しては大きく抉れておかしな向きに折れてしまっている。しかも胴体の上には非常に重量のありそうな複雑な実験装置が倒れていた。
辺りには血の海が広がり、瓦礫の山の間にあって風が比較的通らないから、むっとするような血の匂いが立ち籠める。まだ彼が生きているのが不思議なくらいだった。
「なんとかしないとっ!」
ハヤトはまずその金属で出来た実験装置の管を掴み、思いっきり引っ張った。見ただけで持ち上げるのは無理だと分かるから装置を起こして反対側に倒すしかない。
しかしハヤトの力でも僅かに動く程度でほとんど動かなかった。
エレナも同じように管を握り、ハヤトと同じように引っ張る。二人で腕が痛くなるほど全力を出し、歯を食いしばりながら引き続ける。そうすれば装置が最初はゆっくりと立ち上がり、最後は勢い良く反対側に倒れた。幸い倒れた方に瓦礫の山がなく、その装置が瓦礫の山を下ってくるようなこともなかった。
「ッ……!」
男性の怪我は手足だけではなかった。腹や胸にも大きな打身や切り傷があり、最初は気づけなかったが、様々な場所に火傷の痕が見られた。
どう考えても手遅れである。顔も本来の色を失ってまるで死人のようである。
ハヤトは悔しさで唇を噛み締めた。
そして自分の無能さを呪った。こういう時、専門的な治療が出来ずとも応急処置くらいはすべきだ。
しかし、ハヤトは知らなかった。
今まで生きてきてそんな物に頼る機会など皆無であり、必要性すら感じてこなかったから。
それもそのはず。昔より治安は悪くはなったとはいえここは日本だ。安定した生活が存在し、生きるために必死になる必要もない。仕事に赴き、学校に通い、家に帰って寝る。それが当たり前で今回のような事故や事件も直ぐに警察がどうにかしてしまう。
そういう非日常の出来事はテレビやパソコンの画面の向こう側の世界だと思い込んで生きてきた。だからいざという時の知識を学んでこなかったのだ。
しかし、そのいざというこの時になってハヤトは深い絶望感に襲われた。
何も出来ない。
助けることが叶わない。
死に逝く者をただ見ているだけ。
そしてこの先にいるであろう父もこの男性と同じ目に遭っているのだとしたら……。
悔しい。
凄く悔しい。
どうして、僕はこれまで簡単な治癒の一つや二つすら覚えなかったのか。
こうやって目の前で誰かが死にそうになって初めて知るなんて、滑稽にも程がある。
勉強する時間があったなら、こういう時のための勉強もすべきだったのに!
助けたいのに……っ!
「くそっ!!」
無意識に握りしめた拳が軋んで痛みが走る。しかし目の前の人を見ているとそんなことが些細なことにしか感じられなかった。爪が食い込んで血が滲むがそれすら些末なことだ。
いっそ代わることができればいいのにとすら思った。
やはり世界は、理不尽だ。
そう結論づけるのにさほど時間は掛からなかった。
「まかせて」
「え……?」
瓦礫を退かして直ぐにエレナはそう言った。彼女にはこういう時のための技術か何かがあるらしい。彼女の言葉からそんなものが感じられた。
「内臓は……うん、大丈夫かな。それなら」
彼女は服の下から一つのネックレスを取り出した。それは星のような雪の結晶のような六方に鋭い先端を伸ばしたネックレスだ。中心に丸い宝石を嵌め込んだ丸い金属板があり、その周囲にこれも宝石を嵌め込んだナイフのようなダイヤ型の金属板が並んでいる。
それを手にし、振り上げた。一体何をしようとしているのか。その時のハヤトには全く分からなかった。
それも仕方ないだろう。普通は誰にも分からない。
一度高く掲げたそれを、一気に振り下ろした。その鋭い先端部はエレナの手首の皮膚を切り裂き、その下の動脈をも裂いた。鮮血が勢い良く飛び散り、彼女の白い手首を真っ赤に染め上げる。
「くっ……ぁ!」
「なにやってんだよ!!?」
しかしエレナは顔を顰めはしても大声を上げるようなことはなかった。奥歯を噛み締め、左手首を握りしめながら必死に痛みに堪えている。
それだけでハヤトはどうしたら良いか分からずに動揺して、頭が混乱してしまった。どうしてそんなことをしたのか理解が全くできなかった。
とにかく彼女に歩み寄るが、彼女は血を流していない右手でハヤトを制する。
エレナはその血の流れる腕を水平に持っていき、死ぬ直前の男性の四肢と胴に血を注いで、小さく言葉を放った。
「〈再生〉」
言葉と共に起きたその現象にハヤトは驚きを隠せなかった。飛び散った血が全て輝いたのだ。透明な紅い光がこの空間を満たす。
するとどうだろうか。なんとその男性の傷がみるみるうちに塞がっていったのだ。
刺さっていた瓦礫の数々もゆっくりと取り除かれていき、折れた腕も正しい方向に向けられてこれも紅い結晶がどこからか現れて添え木の代わりとなった。
大きな傷はよく見なければ分からない小さな物になり、血色も良くなってくる。浅かった呼吸も安定してきて、もうそこには死にそうな人など存在していなかった。
「す、すごい……」
その非現実的な奇跡の光景を前にハヤトはそれ以外の言葉が出て来なかった。驚きを隠せないとはこのことだろう。開いた口が塞がらない。
何が起きているのか、分からない。
けれどエレナのおかげで彼が死の淵から戻ってくることだけは理解できた。
未来の魔法は傷を癒やして――。
第一章『未来の魔法編』とさせて頂いていましたが、ようやく魔法らしきものが現れましたね。勿論これは空想科学なので完全にファンタジーではありません。文字通り科学です。SF作家アーサー・C・クラークという人が定義した3つめの法則では、『十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない』となっていますのできっとそういうものです。その性質や特徴はまたその内に。
感想、評価お待ちしております。