りすの尻尾
季節は巡り、アリーシアはエトワル学園の最高学年になり、ガイフレートと婚約者の期間も残り少なくなった。
アリーシアはすらりと背が伸び、頬の丸みは柔らかな曲線に変わり、ガイフレートの横に並んでも恋人同士にしか見えない大人の女性へと成長した——。
ウィンザー侯爵家に迎えに来て下さったガイ様に、えいっと抱きつくと、鍛えられた厚い胸板で優しく受け止められる。
「ガイ様……っ!」
「おはよう、アリーは今日も元気で可愛いな」
ガイ様が穏やかな声で笑うと、私の頭にぽんっと大きな温かな手を置いた後、オルランド侯爵家の馬車まで優しくエスコートして下さったの。
ガイ様が御者に出発を告げると、ゆっくりと馬車は走り出す。
並んで腰を下ろした馬車の窓から見える街の木々の葉っぱもおめかししたように紅色や黄色に染まり、石畳みの道の花壇にはコスモスも桃色の花を咲かせて風に揺れている。
けれども、私がちらちらと視線を向けているのは、ガイ様の切りたての短いこげ茶色の御髪なの。
どうしても気になってしまい、ちらちらと向けていた視線から、じっと見つめる視線に変わってしまう。
「ガイ様、あの、——触ってもいいですか?」
勝手に触りだしてしまいそうな両手を胸の前で組み、ガイ様を見上げる。
ガイ様の穏やかな瞳が揶揄うように細められる。
「ああ、着くまで時間もあるからいいぞ」
ガイ様にそう告げられた途端。
「きゃあ……っ!」
突然、身体が浮遊感に襲われ、小さな悲鳴が漏れてしまう。
浮遊感は直ぐに終わり、今度は逞しいガイ様の腕の中に囲われ、大きな膝の上で横抱きにされて座っていた。
「馬車の中だと揺れるし、ずっと頭を下げていると首が痛くなるからな。この体勢の方が楽なんだが、いいか?」
「——はい……」
横抱きの体勢は初めてではないけれど、ガイ様の身体に密着するような体勢に、恥ずかしくて顔に熱が集まる。
真っ赤な顔が恥ずかしくて、おでこをぴとっとガイ様の厚い胸板に当てる。ガイ様の甘い匂いを嗅いでいると身体の力が抜けてしまう。
ガイ様がくつくつと喉の奥で笑う。
「アリー、俺はこのままでも構わないが、髪を触らなくてもいいのか?」
「——っ! 触りたいですっ!」
両腕を伸ばしてガイ様の首に回すと、両手を広げて切りたての髪にそっと触れる。
ちくちく、ちくちく——。
一度ここに触れると夢中になってしまう。
両手を広げて下から上に、ちくちくの感触を手のひらで感じる。小さなシャラシャラと鳴る音も耳に心地よい。
耳回りの髪やもみあげは人差し指で、なぞるように触る。他のちくちくより、ぴんぴんと弾力があって、はみ出さないように気をつけて、ゆっくり触れていく。
横抱きの体勢だと見えないけれど、襟足の後ろにある二つのホクロにも触れたくて、ガイ様に近づくためにぎゅっと抱き寄せる。
人差し指で、ホクロの位置を探り当てると、宝物みたいに愛おしく感じて、思わず笑みが溢れる。
「アリーは楽しそうだな。そろそろ到着すると思うぞ。また止まらない魔法にかかってるな?」
「——もう少しだけ……」
もう少しだけ、もう少しだけ、と触れていると馬車が止まったのが分かる。
最後にもう一度だけ、ちくちくを触ると、腰に回されていた逞しい腕に力が篭り、きつく抱きしめられる。ガイ様の熱い吐息が首筋にかかり、心臓がどきんと跳ねた。
ガイ様の大きな手が、私の髪を梳き撫でる。柔らかな感触が頭の上に何度も落とされる。
「ああ、——早く食べたい……」
ガイ様の言葉に、瞼をぱちぱちと数回瞬く。
今日は、王都から少し離れた場所にある紅葉を眺めながら食事が出来る人気のレストランに連れて来てもらったことを思い出したの。このレストランは、運がいいと野生のリスに会えると聞いているわ。
ガイ様は気持ちいいくらい沢山食べるものね、と納得すると首を上下にこくこくと動かしたわ。
「ガイ様、お腹空きましたね。早く行きましょう! アリーは野生のリスさんに会いたいです」
「——アリーはかわいいな」
揶揄うように目を細めたガイ様は素早く、ちゅ、と甘い触れるような口付けを口許に落とす。
「止まらない魔法が止まってよかったな」
真っ赤な林檎みたいに色付いた私の頭に、ぽんっと手を置いた。
穏やかな声で笑うガイ様に手を引かれ、馬車を降りると、ガイ様の御髪と同じこっくりとしたこげ茶色のワンピースの裾が揺れた。
森の中にあるレストランの柔らかい陽射しの心地良いテラス席に座ると、まるで秋に包み込まれるような眺めを見ることが出来たの。
木々が織り成す美しい紅葉が目の前に広がり、それを眺めながら季節を感じる料理を頂くと、ほわんと幸せな気持ちになったの。
デザートのたっぷり胡桃のタルトと大粒栗のモンブランが運ばれる。胡桃のキャラメリゼが秋の陽射しで艶やかに映る。
「わあ! 美味しそうですね……っ」
嬉しくなってガイ様に視線を向けると、口許に人差し指を当てて静かに、と合図をされる。
その指が静かに動き、指先の指し示す方向に視線を向けると、ふさふさの尻尾が見える。
木の実を見つけたのか、前足で持つと口を動かして食べる様子も可愛らしい。続けて何個か食べると頬袋がぱんぱんに膨らんでいて、思わず笑ってしまった。
慌てて両手で口許を押さえたけれど、リスはあっという間にふさふさの尻尾を揺らして、去ってしまったの。
「可愛かったな」
「はい……っ! ガイ様、見つけて下さって、ありがとうございます」
ガイ様が穏やかに笑い、そして微笑みをもっと甘く優しげな瞳に変える。
「アリー、これを受け取って欲しい」
ガイ様はそう言うと小さな箱を私の目の前に置いた。
箱に落とした視線をガイ様にもう一度向けると、優しく微笑み、一つ頷く。
そっと箱を開けると、金色の指輪が二つ入っていた。装飾の何も付いていないシンプルな金色の指輪なのだが、よく見ると二箇所だけ丸くとび出ていて、まるで動物の耳みたいに見える——。
「ガイ様! くまさんのゆびわ! これってくまさんですよね?」
「ぶはっ! アリーは本当にかわいいな」
当たりだ、と揶揄うようにガイ様に言われる。
金色のくまさんの指輪は大きめと小さめの二つ、ペアリングだと思うと、頬が緩むのを止められない。
「アリー、右手を出してごらん」
そっと差し出した右手の薬指に、キラキラに煌めく金色のくまさんの指輪がはめられる。
ガイ様の大きな手に優しく手を繋がれたまま、甘い瞳に見つめられる。
「今は右手の薬指だけど、アリーがエトワル学園を卒業したら直ぐに左手へ引っ越しをしてもいいか?」
「——はい……。ゆびわの引っ越しの話、覚えてて下さったのですね」
「小さなアリーが一生懸命教えてくれたからな」
「とっても嬉しいです! アリー、お母様の指輪に憧れていたの」
幸せで目の前がぼやけるのが落ち着いた後、最後のデザートを笑って食べる私とガイ様の右手の薬指には、お揃いの『くまの指輪』がキラキラと輝いていたの——。
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