1話
その者はギルド曰く、「この国で最も賢く、知恵ある賢人である」
その者はとある国家曰く、「関わっては飲まれる叡智の具現である」
その者は吟遊詩人曰く、「天上の知恵持つ御使いである」
人通りの多い、大通りを大股で闊歩する男が居た。
男の名は、アルゴー、年は20。
背丈はそれほど大柄ではないが、くたびれた服の上からでも見て取れる筋肉質なその体型は、荒ごとに向いていることは明白であった。さらに腰には剣が一本携帯されていた。
だが、それ自体は、取り立てて騒ぐことではない。なぜなら、ここは冒険者の町。
そこらのゴロツキでさえ、並の鍛え方はしていない。
だが、男には奇妙な点が、二つあった。
一つは、その表情に明らかな焦りがあること。
もう一つは、その小脇に折りたたみ式のボードゲームが携えられていることだ。
そのボードゲームは、大昔から今日まで根強い人気を博するもので、駒を兵士に見立てて、陣地を取り合う「ハル」というものだ。
男はその風貌に似つかわしくないものを携えたまま、酒場のドアを開けた。
その酒場「ジュリアの酒場」は、冒険者ギルド御用達の酒場であり、ここで騒ごうものならすぐに荒くれどもに袋にされる。注意が必要だが、同時に安全の保証された場所であった。
そんな中、男は荒くれどもの座るテーブルを抜け、時折かけられる軽口に手を振って答えながら、一直線に最奥のテーブルへ向かう。
そこには既に、大柄な男たちが円になって集まっていた。
それを見て男は顔を顰めた。「先を越されたか…」
小さく呟くと、その円に加わった。
円の中心には、この酒場には似つかわしくない少女と三人の男が座っていた。
三人の男たちは何れも同様のローブを身に纏い、ハルシュペル学院で最も権威のあると呼ばれる最上位の白色のハットをかぶっていた。
少女の方は10代半ばほどだろうか、赤毛の髪に、白い手のこんだ刺繍の入ったドレスを着ている。
顔立ちはまるで人形のように整っており、無表情。その赤い瞳には人にあるべき熱量が一切のっていなかった。
少女と男たちの前には、ハルの盤が3台並んでいる。
男がゲームに目を落とすと、終盤が近づいているようだった。
表情を見れば勝者と敗者は一目瞭然であった。
少女に対面している三人の大男がボードに顔を近づけ、勝ち筋を青い顔をして探している。
だが、その内、勝ち筋がないことを悟り、一人、また一人と負けを認める。
その少女は、三人の大人をゲームで同時に相手取り、勝利しているようだった。
最後の一人が降参すると、男どもの野太い歓声が上がった。
そうこの少女こそがこの国で最も知恵ある賢人と評される人物である。
男たちの歓声に身動ぎ一つせずに座っている彼女の前にアルゴーは向かい、肩を落とし項垂れている3人の男を強引に退かした。
「なんだ貴様は!」
3人の男たちは、無理やり立たされ、追いやられたことに怒鳴り声をあげるが、それを上回る迫力の声でアルゴーは怒鳴り返した。
「さっさと退け!次の試合があるんだよ!」
顔は、既に目の前のハルの盤に向かっており、三つの盤はアルゴーの手によって速やかに片付けられた。
その様子に3人の男は憤る。
「この国が誇るハルシュペル学院で、最も知恵ある白が3人がかりで勝てなかったものを君一人で敵うとでも思っているのか!!」
アルゴーは呆れた顔で答えた。
「この国で知恵の力比べは意味がねーんだよ」
「誰がどんだけ賢かろうがこのお嬢ちゃんがいる限り、そいつは永遠に二番手なんだからよう!」
男が紡ぐ言葉に3人の男も呆れた顔をした。
「それでは、貴様がハルで勝利することも無いと認めているようなものでは無いか…」
「俺は趣味でやってんだから別にいいんだよ!すっこんでろ!!!」
アルゴーは3人を睨め付けた。
「アルゴー」
場が静まり返る。
それはこの酒場においてあまりに似つかわしくない声であった。
線の細い消えてしまいそうな儚い声色はしかし、この喧騒の中、しっかりと皆の耳に入り、場を鎮めた。
皆の視線がその声の持ち主、すなわち赤毛の少女へと向けられた。
「勝負は誰が相手であろうと1日一回」
少女の言葉にアルゴーは罰が悪そうに顔を顰めた。
「一回ぐらいいいじゃねぇか、ケチケチすんなよ」
言葉こそ強いがその言葉には先ほどまでの威勢は感じられなかった。
「1日一回」
「ちっ」
アルゴーは今度こそ諦め舌打ちを残した。
「それに…」
少女は続けた。
「あちらの方々の用事はまだ済んではいないようです」
「あ?」
アルゴーが振り向くと、先ほどのローブの3人が一斉に彼女に向かい、頭を下げた。
「貴方を試すような真似をして申し訳ありません。天上の知恵もつ賢人様。貴方のお知恵をお借りしたくお願いに参った次第であります」
3人のうち、一番若い男が代表して言葉を紡いだ。
「そう」
少女は素っ気なく返事をした。
「場所を変えましょう」
少女の提案に一もにもなく頷いた男たちは、ジュリアの酒場の二階にある個室へとマスターに鍵を借り歩を進めていく。
少女は男たちの後ろについて歩くが、突然、振り返り、「アルゴー手伝って下さい」
その言葉をアルゴーへと投げ掛けた。
退屈そうに机に肘をつき、頬杖をついていたアルゴーは渋々立ち上がり、後を追った。