第1章「夏休みの憂鬱」4
江里子は今年の春頃からその東郷家の娘、円香の家庭教師をしているのだそうだ。
夏休み中は、住み込みで教えているのだという。
東郷家というのは、その土地では結構有名な資産家なのだそうだ。
家、土地など合わせると、資産は数十億と言われているらしい。
その東郷家の当主である正将氏が先月亡くなったのだという。資産家らしく、遺言状を
遺していたので、親族を集めて弁護士の元、それを開いた所、財産のすべてを、孫の
円香に譲り渡す。とあったのだ。
「正将氏には、四人の子供がいて……円香ちゃんのお父さんは正将氏の長男なんです
けど……。他の親族の方が、反対して」
「しかし遺言は確かなものなのでしょう? その遺言状が偽物だと言われてるんですか」
「はあ…それもあるんですけど、問題は正将氏の死因なんです」
実はその遺言状には、「老衰、事故、病気」の場合にとあり祖父、正将の死は、自殺
か殺人の疑いがあるから遺言は無効だと親族から待ったがかかったのだという。
「それで警察の方には連絡を?」
「ええ。でも警察の方は、事故死に間違いないと……」
「でも親族の方が自殺か殺人だと仰るからには、何か不審な点があったのではないの
ですか?」
「私はその時居なかったので、詳しくは分からないのですけど、でもその事で円香ちゃ
んが毎日責められて……。それで、警察が駄目なら、探偵に頼んではどうかと親族の
方達に言ってみたら、ぜひそうしたい…と」
父の事は、同じ家庭教師の派遣会社で知り合った友人から聞いていたのだそうだ。
「滝田さんという方の…。二年位前に、横浜の事件で」
「ああ! 滝田さんですね。ええ、覚えていますよ。滝田さんとお知り合いなんですか?」
「いえ、その滝田さんの知り合いの人が友人で…それで」
「……分かりました。その正将さんの死因を調べればいいんですね?」
「は、はい! お願い出来ますか?」
江里子は嬉しそうに顔を上げると、父に縋り付くような目を向ける。
そんな江里子を見て、父はちょっと微笑みながら言った。
「すぐにでもお伺いしたいのですが、生憎今別の仕事があるので、一週間程お待ちいた
だけますか」
それを聞くと、江里子は悲しそうに眉を下げた。
「一週間…ですか?」
父の座っているソファの後ろにある椅子に座って、一部始終を聞いていた僕は、おや?
と思い、父に聞いてみた。
「父さん、東海林さんはどうしたの?」
東海林さんというのは、この事務所の唯一の所員で、趣味はボディビルとプロレス観戦
というれっきとした女性である。髪は短く刈り上げ、いつも地味なパンツ姿で化粧っ気が
全くないので、よく男に間違えられるのだが。
「東海林くんは今、別件で動いてもらってるんだ」
成る程、どおりで最近見かけなかったわけだ。
しかしそれを聞いた江里子は、益々悲しそうな顔をして俯いてしまった。
すると僕の横で、今まで大人しく座っていた美凪が突然立ち上がると、とんでもない事を
言い出した。
「あのっ私達ここの助手なんです!所長が行くまで、私達が行きましょうか」
………私達、と言うのは僕と美凪の事なんだろうか……?
嫌な予感がして、美凪を見ると「ねっ秋緒!」と肩を叩かれた。