第1章「夏休みの憂鬱」2
僕が立ち上がったとほとんど同時に、事務所のドアが乱暴に開いた。
「おじさん! 秋緒! オハヨ!!」
「やあ。今日も元気だね。美凪ちゃん」
事務所のデスクで、書類に目を通していた父が、顔を上げて微笑んだ。
笑っている場合じゃないだろう。
うちのドアは、近い内に壊れるぞ……。
僕は、美凪を無視して三階の部屋へ戻ろうとした。が、美凪に腕を掴まれてしまった。
「なになに~? 夏休みだってのに、朝っぱらから勉強かよ?」
「……僕達、来年受験生だろ? してない方が変だよ」
「あはは! 変かな~?」
そう言って、美凪はカラカラと笑った。
美凪は赤いキャミソール、青いジーンズのパンツに、サンダルという、いつもの格好
でやって来た。
たぶん、散歩がてら来たのだと思うが、今日は何の用なのだろう?
見たところ、差し入れを持って来た様でもないし……。
すると美凪は、父に近寄ると、デスクに両肘をついてわくわくした様子で言った。
「ねえ、おじさん。『謎の組織』とかから挑戦状とか来たぁ?」
「……謎の…? いいや、来てないけど」
父が困ったようにそう言うと、美凪はがっくりと項垂れた。
「な~んだ、まだか! おじさんなら、そろそろ来る頃だと思ったのにな」
僕は呆れて言った。
「バカかお前は! 漫画の読みすぎだよ!」
すると美凪は口を尖らせた。
「うるさいなあ~。あたしはおじさんのファンなんだよ! おじさんは日本一の探偵なん
だから!」
「…日本一、ね」
僕は心の中で苦笑した。
探偵など、この日本には数多くいる。確かに父は、この世界では、それなりに知られた
存在かもしれないが、漫画や小説に出て来るような、派手な存在ではない。
実は、美凪は体育会系の割に、探偵や推理小説といったものの大ファンで、数までは
知らないが、かなり多くの本を読破している。
たぶん、僕の父の影響なのだろうけど。
美凪が、うちの事務所に顔を出すのも、父の仕事ぶりを見たい為もあるのだと思う。
「そんなに探偵に興味があるなら、美凪ちゃん、やってみる?」
僕達のやりとりを、にこにこしながら見ていた父が、そう静かに言った。
「ええ!? 駄目だよ、あたしは。才能ないもん!」
美凪は、少し赤くなって、慌てて首を振った。
まあ、確かに美凪には才能無し、と思うけど……。
せめて、ドアくらい静かに開け閉め出来ないと。
すると、美凪がちらりと僕を見た。
「…ね、秋緒なら……」
「嫌だね」
美凪が言い終わらない内に、僕は言った。
「何でだよ? 秋緒は頭もいいしさ」
「……」
「秋緒が探偵になったら、あたし手伝ってもいいし…」
「だから! 何度も言ってるだろ? 僕は教師になりたいんだ!」