この町の朝
開いた窓から差し込む優しい日差しと、肌を撫でる様な風によって大羽は目を覚ます事となった。
「……。」
モゾモゾと体をゆっくり動かし、枕元に置いておいたスマートフォンで時間を確認する。
スマートフォンには、午前七時と表示されている。
「………。」
もう一度眠りにつこうと目を瞑ったが、少し便意を感じて仕方なく掛け布団を退けて上半身を起こす。
そして、キョロキョロと辺りを見渡した。
大羽がいるのは、昨日越してきたばかりの六畳一間……ではなく、大羽一人には広い十畳一間の和室だった。
"あれ、俺の部屋ってこんなに広かったっけ?"とぼんやりと考える大羽。
そして、ふと昨日のことを思い出す。
「………あ、そっか。」
昨晩、田んぼの畦道で荒山の提案を呑んだ後、大羽は荒山の家へと連れてこられた。
荒山の家は旅館よりは小さいが、他の一戸建ての家と比べると遥かに大きい、立派な木造建築の家なのがひと目で分かった大羽。
手入れされているのか、瓦屋根には欠けたところが一つも無かった。
園部さんのマシンガントークによって疲弊しているところを、追い打ちをかけるように本物のマシンガンに追いかけ回されるという体験を強制的にさせられたため、家の床で寝てしまいそうなほど疲れ切っていた。
そのため、荒山は家の中を案内をするのをやめて早急に空き部屋を用意し、うつらうつらとしていた大羽をひとまず寝かせることにしたのだ。
荒山が空き部屋に布団を敷くと、大羽は食事と入浴をすっ飛ばして布団に滑り込んだ。
『まぁ……車から全力疾走で逃げれば、そりゃあ疲れるよね……。』
荒山のその言葉を聞くと大羽の意識は落ちてしまい、気づけば今に至る。
立ち上がって自分の姿を確認してみると、昨晩の格好のままだった。
汗臭い上に、少し煙臭い。
この状態で布団に入ってしまったことに少し申し訳ない気持ちになる。
後で謝っておこうと思う大羽であったが、それは後回しにさせてもらいたい。
今は緊急事態なのだ。
トイレの場所が分からない。
これは漏らすかもしれない、そう思っていると、枕の近くに置いてあったのボストンバッグの上に小さい紙が一枚置いてあるのに気がつく。
それを手にとって見ると、『トイレは部屋を出て左に進めば分かるよ~』と書かれていた。
なんとありがたいことか。
大羽は部屋を出ると、紙に書いてある通りに左に進む。
トイレに向かう中、大羽は様々な場所に目を配りながらトイレを目指す。
くれ縁と呼ばれる縁側を通り、いくつか障子で区切られた部屋を通り過ぎると、男子と女子のプレートで分けられた共用便所へとようやく辿り着いた。
用を足し、少し軽くなった体で二度寝をしようと考えながら歩いていると、近くから香ばしい匂いが漂ってくる。
気がつけば、大羽の足は匂いをたどって進み始めていた。
匂いの発生源は予想通り台所から漂っており、大羽は入り口の暖簾を潜って中へと入った。
昨晩に案内された時には、疲れていたためしっかりと見ていなかったが、台所は殆どが木材で作られており、和の歴史を感じさせる作りとなっていた。
「あれ?もう起きたんだ。そろそろ起こしに行こうかと思ってたんだけど。」
台所を見回していた視線を声がした方へ向けてみれば、割烹着を着た荒山が鍋の汁物をお玉でかき混ぜながら大羽を見ていた。
「おはよう、大羽くん。」
「あ……うん、おはよう。」
挨拶を返すが、大羽は荒山の格好が気になって仕方がなかった。
荒山の目つきが人殺しみたいに悪いため、割烹着があまりにも合っていないのだ。
「ん?どうしたの?」
大羽の視線が気になったのか、荒山が首を傾げる。
「いや、目つきと割烹着があまりにも合ってなくてな。」
「君は本当に嘘つかないね。」
よく言われるよ~と笑いながら、荒山はお椀に味噌汁を注いでいく。
「これから茶の間で朝食にしようと思うんだけど、おなかすいてる?」
「減ってる。」
園部さんの家で昼食を食べて以降何も口にしていないので、大羽の腹はペコペコだった。
「じゃあ、茶の間に朝食を運ぶからついて来て。」
荒山はそう言うと、料理の載ったお盆を持って台所を出ていくので、大羽もそれに続く。
大羽が通った縁側とは違う通路を通り、荒山は一際大きい障子扉の前で止まる。
荒山がその障子扉を開けると、大羽を手招きして中に入る。
大羽が寝ていた和室は十畳一間とかなり広かったが、この茶の間はその倍の二十畳一間となっており、かなり広い和室だということが分かる。
視線を動かすと、茶の間の中央のある大きな長机を囲むように置かれている座布団の一つに、一人の長髪の少年が座っていた。
「ウッチー、朝食持ってきたから配膳して。」
「任せろ。」
荒山にウッチーと呼ばれた少年は、立ち上がってお盆を受け取る。
少年はかなり背が高く、荒山とは頭一つ分も違う。
「あ、紹介し忘れてたね。ウッチー、挨拶。」
「内野井リクト、コイツの幼馴染だ。よろしくな。」
内野井が荒山を指差しながらそう言うと、大羽に手を差し出して握手を求めてくる。
「おう……こちらこそよろしく。」
大羽は握手をしながら内野井の顔を見る。
この男、髪はサラサラ、顔を見れば紛うことなきイケメンなのだが、表情筋腐ってんじゃないの?と言わんばかりの無表情に、目が死んでいると来たものだ。
これではせっかくのイケメンフェイスも台無しである。
自己紹介を終え、すべての料理を並べ終えたところで、三人は座布団に腰を下ろした。
「それじゃあ、いただきます。」
「「いただきます。」」
荒山に続けて二人も手を合わせ、食事をとり始める。
まずはじめに、大羽は蕪の味噌汁を飲んでみることにした。
一口汁を口に含むと、少し甘めの白味噌の味が口の中に広がった。
次に焼鮭をほぐして食べてみる。
程よい塩味が白米を誘い、炊きたての白米を口に含めば白米特有の甘みが広がる。
気付けば、箸を進める速度が上がっていた。
「お気に召したようで何よりだよ。」
荒山がその様子を見て、嬉しそうに目を細める。
『――現在、警察が火災の原因を捜査しており、まだ詳しいことは――』
「そういえば昨日はありがとな、布団を貸してくれて。こんなに汚れてるのに大丈夫だったのか?」
テレビのニュースを見ていると、そういえばまだお礼を言ってなかったことに気づいたので、箸を止めてお礼を言う大羽。
「気にしなくていいよ~。それにうちの風呂、昨日壊れちゃったから……今日中には直ると思うんだけどね~。」
大羽のお礼に対し、荒山は申し訳なさそうに『ごめんね~。』と返した。
その間ニュースを見ていた内野井は、突然『そうだッ!』と言いながら立ち上がったかと思えば、大羽の肩に手を乗せ、無表情なのに目だけをキラキラとさせながら口を開いた。
「じゃあさ、この後三人であのクソババアの銭湯に行こうぜ。男同士、裸の付き合いも良いもんだろ。」
「あ~良いね、そうしよっか。大羽くんは?」
「え?あぁ…じゃあ俺も。」
内野井の提案から始まり、あまりにもトントン拍子で話が進んでいくので、流れで了承してしまった大羽。
この時もう少し考えるべきだったと思うのは、もう少し先の話である。