第265話:槍
その名を聞き、ゲイジャルグの赤く細い眉がピクリと動く。
正直なところ、彼はゲイボルグに対してあまりいい感情を抱いていない。
名前が似ていることもあり、また、手帳から出ていった魔を冠する武具の中にも似た名前を持った者がいることから、かつてゲイジャルグも"魔槍"と呼ばれたことがあった。
しかし、ゲイジャルグやその兄弟槍であるゲイボーは、まごうことなき聖なる槍である。
元来そういった邪気を孕んでもいなければ、当然魔に堕ちたこともない。
魔剣と呼ばれる武具達は、自身の力を貸し与える代わりに、使用者に対してリスクを課す傾向にある。
かつてはゲイボルグもそうであったのだが、前の使用者だった光の英雄クーフーリンの影響か、自身の力をある程度抑えるということを学び、それにより使用者にリスクをもたらさない戦い方が出来るようになったのだった。
とはいえ、彼女にも魔槍として忌み嫌われた過去があり、更に他の"ゲイ"を冠する魔槍達は、古から今に至るまで変わらずに在り続けている。
邪悪なままに。
はっきり言って、ゲイジャルグ達からすればいい迷惑であった。
名前が似ているからといって一括りにされてはたまったものではなく、あまりいい感情を抱けないのも無理からぬことだろう。
無論、だからといってどうこうするつもりはない。
ゲイボルグや他の魔を冠する槍も、自ら望んでそうなった訳ではなく、そう在るように創られたに過ぎないのだと理解はしていた。
しかし、気に入らないものは気に入らない。
そんな感情が込められた視線が、目の前に現れた黒衣を纏う殲滅槍へと向けられていた。
「ひっひっひっ……どしたいどしたい? こえー顔してんぜぇ……ゲイジャルグよぉ?」
「……貴様の気のせいだろう。私は元からこういう顔だ」
「おー、そうかい? お堅いねぇ。その面もセリフも……まるでどこぞの聖剣様みてぇだぞ? ひっひっひっ……」
一瞬で張り詰めていく空気に、自然とロードの緊張が高まっていく。
こういったことになるかもしれないということは、エクスカリバーとゲイボルグのやり取りから当然想定済みのことであった。
危険だと判断した場合、魔法を解除して両者敗退とするというのは、それ故に作ったルールである。
だが、火種は想像とは別のところで燻っていたのだった。
「……2人とも、ルールは覚えてるな?」
ロードはあえてそれを口にした。
いわば警告である。
「無論だ」
「わぁってるよぉ」
「ん、じゃあ闘技場へ」
2人は闘技場の中央に立ち、互いに槍を構えて睨み合う。
ただ、その口元は対照的で、一文字に口を結ぶゲイジャルグに対し、ゲイボルグは嬉しそうに口角を吊り上げる。
「ど、どっちが勝つんだろ……やっぱりゲイボルグの方が……」
「いや、有利なのはゲイジャルグの方だ。ゲイボルグも既に気付いているだろうがな」
「えっ? そうなの?」
「単純な斬り合いなら恐らくゲイボルグだろう。あれの速さを超えられるのは、ブリューナクくらいなものだからな。だが、ゲイジャルグは魔力を含んだものを無効化する力を持つ。それ即ち……」
「あ、まさか……当たっただけで武器に戻っちゃうの!?」
「フ……なかなかに鋭いではないかメルよ。お主の言う通りぞ。生命を得たとはいえ、それはあくまでロードの魔法に過ぎない。触れたが最後、生命魔法は無効化され、そのまま武具へと……つまり、ゲイジャルグは我ら全員の天敵という訳だ。そうだろう? レヴィ」
「はい。槍で受ける分には問題ないでしょうが、身体に当たればそうなると思います。ですが、ゲイボルグ様にはアレがありますから、ゲイジャルグ様も使いどころを誤れば……」
「ああ、あの槍の雨か。確かに、アレを能力なしで防ぐことはまず不可能。クックックッ……どうやらこの試合も楽しめそうだ」
向かい合う両雄の中央で、ロードの右腕がゆっくりと空へ向かう。
この時、ゲイジャルグは一つの選択を迫られていた。
能力を使用出来るのは一度のみ。
つまり、無効化を攻撃に使うか、それとも防御に使うかということである。
攻撃に使えば、クラウソラスが言ったように当てるだけで勝利を掴むことが可能だろう。
しかし、万が一それを外した場合、ゲイボルグの放つ無数の槍が彼の身体を貫くことになる。
当てるだけで勝利出来るとはいえ、ゲイジャルグが持つ優位は決して確実なものではなく、薄氷を隔てた向こう側には敗北の二文字が息を殺して潜んでいた。
「フッ……」
気がつけば、己でも分からぬうちにゲイジャルグは笑っていた。
真剣勝負が生み出す独特の緊張感と高揚感。
いつの間にか彼は、それを"楽しい"と感じていた。
気に入らない相手であることは間違いないが、その不快感を遥かに凌駕する胸の高鳴り。
そして、どう勝利するかという己の中での問答が、彼の中にあった余分な感情を取り払っていた。
「よぉ、ゲイジャルグ」
「……なんだ?」
「楽しもうぜ? ひっひっひっ!」
「ちッ……」
やはり気に入らない……と、ゲイジャルグは改めてそう思った。
「始めッ!」
「いやっほーッ!!」
そうして獣は鎖から解き放たれ、目の前にいる遊び相手へと喜び勇んで走り出す。
対する遊び相手ことゲイジャルグは、槍を構えたままその場から動かず、鋭い視線だけをゲイボルグへと向けていた。
この時、彼は既に選択を終えていた。
ゲイジャルグにとって一番厄介なパターンは、ゲイボルグが初手に能力を発動し、それを防ぐ為に自身の能力を使わされること。
これをやられると単純な斬り合いに持ち込まれてしまい、ゲイジャルグの勝ち目はかなり薄くなる。
しかし、それはあり得ない。
何故ならゲイボルグが戦いを楽しもうとしているのは明白であり、彼女は自身の能力に絶対の自信を持っている。
要するに、その一撃で終わるかもしれない可能性がある以上、ここぞという場面にでもならない限りゲイボルグがそれを放つことはないと判断したのだ。
実際その読みは間違っておらず、ゲイボルグは能力を使わずに、満面の笑みを浮かべながら初撃をゲイジャルグへと放っていた。
「おっとぉ!」
「……ッ!」
ゲイボルグが放つ高速の突き。
まさに黒い閃光とでも言えるそれを、ゲイジャルグはあえて前に出て潜り抜ける。
そうして放った返しの薙ぎ払い。
並みの者なら終わっていたであろうそれを、ゲイボルグは身体を仰け反らせて軽々と躱していた。
「あの体勢から……!」
レヴィが驚くのも無理はない。
ゲイボルグが放った突きは、全体重を乗せた渾身の一撃。
重心が完全に前にかかったその超前傾姿勢から、ゲイジャルグの薙ぎ払いを受け、後頭部が地面に触れる程一気に後ろへと仰け反って躱したのだ。
「まさに全身がバネ……あの柔らかさが速さの肝か。おお、メルよ見えるか? まるで槍が鞭の如くしなっておるぞ」
「み、見えないよぉ!」
その仰け反った状態から繰り出される神速の連撃。
クラウソラスが比喩するように、まさに鞭が如く暴れ回るそれが、ゲイジャルグの手を前に出させない。
「このッ……!」
いや、むしろ前に出るどころか、受け切る為に下がらざるを得ず、ゲイジャルグの口元が怒りに歪む。
「ほれほれほれぇッ! ああ! 楽しいなぁもう……滾るぜおいぃッ!!」




