第184話:微笑み
そして、レヴィは腕の中で眠るロードの顔をじっと見つめる。
その顔は、やはり穏やかに微笑んでいた。
「ロード……様っ……!」
レヴィは砕けてしまった心のかけらを必死に拾い集め、消し去ろうとした想いを紡いでいく。
そのかけら全てにロードがいることに気付いた時、レヴィの瞳から今日幾度となく流した涙が再び溢れ出した。
「わたっ……私は……! ロード様っ……うっうっ……」
抱きしめた彼の鼓動をその身に感じながら、レヴィはこれまでの日々を思い出す。
その全てに彼がいて、その全てが煌めきを放つ尊いものであった。
「なんで私……私っ……!」
その時、涙で霞む視界の端にヨルムンガンドの足が見え、レヴィはロードをさらに強く抱きしめる。
取り戻しかけた心は懺悔に支配され、身体は微塵も動かない。
もうレヴィには、立ち向かう心と力が残されていなかった。
ヨルムンガンドの牙が2人に迫る。
レヴィはただひたすらに願った。
自分の命はどうなってもいい。
だから、ロードだけは――――
「えっ……?」
その時、何かに押されたレヴィの身体が起き上がり、彼女はロードの足の上にへたり込むように座る。
まるで時がゆっくりと流れているような感覚の中、彼女はただ呆然とそれを見ていた。
空に向かって伸びるロードの右腕が、次の瞬間……ヨルムンガンドの牙の中へと消えていくのを。
「ロー……ド……さ……」
ロードの右腕は二の腕までが喰い千切られ、刹那行き先を失った大量の血液が宙を舞う。
瞬間、ロードの左側から赤黒い光が溢れ出した。
『ぬうっ!?』
「ガアァァァァァァッ!!」
そうして現れた剣を纏った鋼鉄竜は、自身の倍はあろうかというヨルムンガンドに臆することなく飛び掛かる。
傷付いた主人を守る為、そして……その想い人を守る為に。
『き、貴様はッ……!?』
「グルァァァッ!!」
ロードが成長したように、イアリスもまた成長していた。
体長は20メートル近くにまで伸び、頭から突き出た剣ももはや以前とは比べ物にならない。
イアリスは頭や腕、尻尾に生えた剣を使い、ヨルムンガンドを一気に攻め立てる。
その凄まじい気迫に、ヨルムンガンドは押されていた。
『ちぃ……!』
「グルァッッ!!」
イアリスはいつも感謝していた。
自分を大切に扱い、毎日自分を磨いてくれるロードに。
故に、イアリスの心はこれ以上ない程に滾っていた。
今こここそが、己の魂を懸けて恩を返す場所なのだと。
「ロ、ロード様ッ!!」
レヴィはすぐに我へと返り、未だ溢れ出す血を止める為に自身の袖を引き千切ると、それを使って腕の根元をきつく縛った。
「ぐっ……あ……はぁっ……はぁっ……」
「ロ、ロード様っ……血……う、腕がっ!! わたっ……私っ……私なんで……やだぁ! ロード様ロード様! ごめんなさいごめんなさいっ……うっうっ……ロード様ぁ……ごめんなさいぃ……ひっく……私……!」
その時、ロードの左手がレヴィの頬に触れた。
「あっ…………」
レヴィはびくっと身体を震わせた後、左手に誘導されるように顔を上げる。
そこには、やはりいつものように微笑むロードがいた。
「レヴィ……無事で…………よかった……」
「あ…………あぁっ……!」
その時、レヴィは確かに感じた。
自身の心を優しく照らす……その光を。
その光は彼女の思考に絡みついていた霧を吹き飛ばし、朧に霞んでいた大切な想いを照らしていく。
そうして彼女の心は今……全てを取り戻した。
「あっぐっ……うっうっ……ロード様ぁ……ロード様ぁぁぁぁぁぁぁぁあ!」
後悔の涙が止め処なく溢れ、レヴィは子供のように泣きじゃくる。
ロードは必死に身体を起こすと、傍で泣き崩れるレヴィを強く抱きしめた。
「ロード……様……」
「ごめん……レヴィをそうさせたのは……俺の所為だ」
「うぅっ……ち、違うっ……私がロード様をっ……!」」
それを止めるかのように、ロードは残された左腕に力を込め、彼女を更に強く抱きしめる。
「レヴィ……大丈夫……もう……大丈夫だよ」
「ロ、ロード様っ……うぅっ……ロード様ぁ! うぁぁぁぁぁ! ごめんなさいぃ……ロード様ぁ……ごめんなさいぃ……うっうっ……」
「大丈夫……もう大丈夫だ……レヴィ……!」
レヴィはロードの肩に顔を埋め、震える手で彼の背中を強く抱きしめる。
ロードはレヴィの頭をくしゃくしゃっと撫で、少し身体を離して彼女の顔を見つめた。
「ロ、ロード様……」
「レヴィ……俺は君を……」
「グゥッ……!」
その時、巨大な衝撃音が上空から聞こえ、凄まじい勢いでイアリスが地面へと叩きつけられる。
如何に成長したとはいえ、イアリスとヨルムンガンドの力の差は歴然であった。
ロードは言いかけた言葉を飲み込み、上空に君臨する竜王を睨みつける。
「ぐっ……!」
ロードはふらつきながらも立ち上がると、腰につけたベルトを回転させ、普段右側にぶら下げている手帳を左側へと移動させる。
ロードが立ち上がったことに気付いたイアリスは、近くに落ちていたアイアンハートをくわえてロードの下へと走り寄った。
「あ、ありがとうイアリス……はぁっ……はぁっ……ゲホッ……お、大きくなったな……咄嗟に生命を与えたんだが……おかげで助かった」
「グルゥ……」
「よしよし……」
擦り寄るイアリスの頭を撫でた後、ロードはアイアンハートを手帳に納める。
この時、既にバルムンクとトライデントの反応がないことにロードは気付いていた。
「恐らく魔力切れ……結界も消えている……」
ギリシアの上空を飛び回る大量のドラゴン達、地響きを立てながら町を蹂躙するファーブニル、そして何よりも、今目の前にいる強大な力を持ったドラゴンの存在が、ギリシアの現状を雄弁に物語っていた。
「うっ……くっ……!」
レヴィも必死に立ち上がろうとするが、もう彼女にはその力すら残されていなかった。
それを見たロードは、ある決意を胸に手帳を開く。
「……ソロモン」
黒と銀色のまだらな指輪を握りしめ、ロードは彼に生命を込める。
そうして現れたソロモンは、すぐさまロードの傷を癒し始めた。
「旦那……」
「ある程度でいい。後は……分かってるな?」
「……ああ」
「ロ、ロード様……?」
その2人の様子に、レヴィは嫌な予感を抱く。
それを振り払うかのように彼女は再び必死に立ち上がろうとしたが、限界をとうに超えていた彼女の身体は動かない。
その肩に、そっとソロモンの手が触れた。
「ソ、ソロモン……様……」
そのひどく悲しげな表情に、レヴィは嫌な予感をさらに募らせていく。
ロードは2人に背を向けると、再び手帳を開いた。
「ウィガール……タラリア……グラム……!」
砕けた鎧は銀色の鎖帷子に覆われ、両足には翼が生えていく。
そして強く握りしめた封竜剣は、雨が降りしきる闇夜の中でも白銀の輝きを放ち、ロードは左腕でそれを構え、その切っ先は……竜王ヨルムンガンドへと向けられていた。
瞬間、レヴィの心臓がズキンと痛む。
彼女は全てを察し、必死に声を張り上げた。
「ロ、ロード様駄目ですっ……! 今は逃げ……!」
「……あいつを野放しには出来ない」
「嫌……嫌ですっ! その身体ではっ……お願いです……ロード様ぁっ!」
ロードは既に一度、自身の身体にエクスカリバーを使用している。
エクスカリバーは同じ対象に使う度、その効果が半減してしまう。
つまり、彼の身体を完全に回復することは出来ず、その右腕は……二度と元には戻らない。
「今ここであいつを抑えられるのは……俺だけだ」
「やだ……嫌ですロード様っ……! な、なら私も……私も一緒に……!」
「旦那……」
「行ってくれソロモン。分かるんだ……ギリシア軍は既に撤退を始めているし、地下にも移動する多くの生命を感じる。もう……ギリシアは……」
死の間際にいたロードの感覚はこれ以上ない程に研ぎ澄まされており、周りにいる生命の流れを正確に捉えていた。
だから気付いてしまう。
はっきりとは言わなかった。
いや、言いたくなかったのだろう。
ギリシアは……敗けたのだと。
「ここでこいつを抑えなければ、さらに多くの死者が出る。3人を回収したらレヴィと一緒に……ギリシアを離れてくれ」
「…………分かった」
「ソロモン……レヴィを頼む」
「この魂に懸けて……必ず」
「……ありがとう」
ソロモンは唇を噛み締めながら、転移する為の魔力を練り上げる。
「いやッ! ソロモン様はなしてッ……ロード様ぁッ!」
レヴィは必死に手を伸ばす。
そのいつも見てきた背中を……もう二度と失いたくないから。
「お側に……お側にいさせてください……嫌です……行かないでロード様ぁ……わ、私はあなた様をっ……!」
泣き叫び懇願するレヴィの声に、ロードの決意が一瞬揺らぐ。
だが、彼は思い出していた。
ある人に言われた……その言葉を。
「レヴィ……俺を……信じてくれ」
ロードは背を向けたままレヴィに語りかける。
その声は力強く、そして……優しかった。
「ロード……様……」
「俺は死なない。絶対に死なない。必ず生きて……レヴィの下へと帰ってみせるから」
ロードは振り返る。
その顔は――――
「約束だ……レヴィ」
やはり優しく……微笑んでいた。




