第183話:感情
翼爪竜種
竜族の中で最も数が多い種族。
故に、人間達がドラゴンと聞いて真っ先に連想されるのがこの翼爪竜種である。
実際、今回ギリシア襲撃に参加したドラゴンの実に三分の一がこの翼爪竜種であった。
平均的な体長は、頭から尾の先までで15メートル程。
飛行能力に長け、空中での速さは竜族随一。
更に、強靭な太い尾による攻撃や息吹など、非常にバランスの取れたドラゴンである。
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「ギォォォォォォッ!」
「ちっ! 翼爪竜種どもめ……この雨の中で妾の前に立つとはいい度胸だな……!」
ロードの下に帰ろうとしていたトライデントだったが、空からの浸入を防いでいた結界が破られたことにより現れた翼爪竜種達にその行く手を阻まれてしまう。
ギリシアの民は既に城、もしくは地下避難所へと集められ、そこから地下経路を使って既に脱出を開始していた。
民がいないことは竜族も既に察知しており、ドラゴン達は残っている兵士や冒険者を駆逐する為、町への侵攻を始めていたのだった。
「ガァッ!」
数匹の翼爪竜種が空中から同時に多種類の息吹を吐き出す。
それは並みの冒険者なら一撃で戦闘不能に陥る程の威力を持っていたが、トライデントは創り出した水の盾によりその全てを弾き飛ばした。
「貴様らに構っている暇など……ないわッ!」
「ガバッ!?」
トライデントが槍を向けた瞬間、翼爪竜種達が雨を集めて創られた水の球体に閉じ込められる。
突然の出来事に彼らはなんとか脱出しようと暴れるが、翼は虚しく水を掻き、息吹を吐き出そうにも空気が吸えない。
「ふん……水に入るのは初めてか? ならば、たっぷりと味わうがよい……!」
やがて踠き苦しんでいた翼爪竜種達が動かなくなった頃、トライデントがパチンと指を鳴らす。
すると水の球体が空中で弾け、動かなくなった翼爪竜種達が次々に地面を揺らしていった。
「早く行か……ッ!?」
「「「「グガガガガッ!」」」」
しかし、その行く手を今度は多頭竜種に塞がれてしまう。
竜族は続々と空中からギリシアに侵攻し、ギリシア連合軍には最早それを止める手立ては残されていなかった。
トライデントの上空には既に別のドラゴン達も現れており、彼女はそれだけで今の戦況を理解する。
そうして目の前に現れた多頭竜種は4つの頭全てをトライデントに向け、その剥き出しになった2本の長い牙からは紫色の液体が滴り落ちていた。
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多頭竜種
竜族の中で唯一複数の頭部を持つ種族。
平均的な頭部の数は3つ。
頭部の数は強さに比例し、多ければ多い程に強い。
四足歩行で移動し、あまり長くは飛べないが飛行能力も持つ。
平均的な体高は頭の先から足の先までで約20メートル。
首が長い種族であり、体高の半分程が首である。
複数ある頭部はそれぞれが独立した意思を持っているが、体を動かしているのはその内の1つのみ。
仮に体を動かしている頭部が無くなった場合は別の頭部にコントロールが移る為、全ての頭部を潰すか、もしくは体にある心臓を破壊しない限り死ぬことはない。
また、息吹を吐くことは出来ないが、触れただけで生物を簡単に殺してしまう程の猛毒を持っている。
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トライデントは忌々しげにそれを睨みつけた後、金色に輝く槍の切っ先を多頭竜種へと向ける。
「次から次へと……大火に引き寄せられた羽虫どもめが……! 地に伏せてから後悔しても遅いのだということが分からぬかッ!」
瞬間全ての雨粒が、まるで時が止まったかのように静止した。
突然の出来事にドラゴン達が驚き戸惑う中、トライデントは膨大な魔力をその身に滾らせ、槍を持った右腕ごと身体を限界まで捻る。
それはかつて、ティアとの戦いの際に見せたあの構えであった。
「「「「ガガァッ!!」」」」
三又の切っ先へと雨粒が吸い寄せられる最中、我に返った多頭竜種は4つの口いっぱいに毒液を溜め、長い首をのけ反らせて勢いよく毒々しい紫色の液体を吐き出した。
その毒液の影にトライデントが覆われた刹那、彼女は真の意味での海竜をその槍から突き放つ。
「失せろッ! "逆鱗逆巻く海竜の咆哮"ッ!!」
放たれた一撃は周囲に飛び散る毒液すら巻きみ、一瞬にして多頭竜種の体をこの世から消しさって霧散する。
残された4つの頭部は少し鳴いた後、血と毒液を撒き散らしながら地面へと叩き付けられた。
「……ちっ」
見事多頭竜種を駆逐したトライデントであったが、その顔に笑みはない。
既に周囲は取り囲まれ、ドラゴン達はだらしなく開いた口から涎を垂らして彼女をじっと見つめていた。
彼らにとってトライデントの魔力はご馳走以外の何物でもなく、本能の赴くままに彼女の下へと集まっていたのだった。
「いいだろう……そんなに欲しければくれてやるわ。お望み通り……極上の魔力をなぁッ!」
トライデントの咆哮を合図に、ドラゴン達は己の欲望のまま一気に彼女へと飛び掛かる。
その時だった。
「ギッ!?」
「ガァッ!?」
「はぁぁぁッ!!」
空中から彼女へ襲い掛かった2匹の翼爪竜種が突如地面に叩きつけられ、雷鳴を轟かせながら一筋の閃光となった騎士が息吹竜種の横腹を突き刺し穿つ。
翼爪竜種はそのまま何かに押し潰され、息吹竜種は心臓を貫かれて地に伏せた。
「ったく……女1人に寄ってたかって恥ずかしくねぇのかね?」
「阿呆……奴らにそんな高尚な思考があってたまるか。所詮、欲望の赴くままに生きる獣に過ぎん。そんことより……とにかく1匹でも多く奴らを狩り、負傷した兵士や冒険者を救出する時間を稼ぐぞ。我らに出来ることはもう……それぐらいしかない」
「ああ……わぁってるよ……!」
現れた2人の男女は苦々しげにそう言うと、トライデントに背を合わせて周囲を睨みつける。
「お前達は……」
「俺らは通りすがりの冒険者と騎士団長様さ。ところであんた……ひょっとしてロードが使ってた槍か?」
「ああ……確かそうだ。ダンジョンで見た記憶がある」
「いかにも……我が名はトライデント。ロードは我が主人だ。お前たちは確か……グラウディとジルといったな。礼を言う」
「礼なんかいらねぇよ。で、ロードとレヴィは無事なのか?」
「無事と言えば無事……といったところかな」
「……どういう意味だ?」
「ゆっくり話してやりたいのだが……どうやらそんな暇はないらしいぞ?」
彼女達を取り囲むドラゴン達はさらにその数を増し、大量のドラゴン達が涎を垂らしながら喉を鳴らしていた。
また、それとは別に相当数のドラゴンがギリシアの上空を飛び、北の方角には大竜種の長であるファーブニルの巨体が見えている。
最早ギリシアは町としての機能を完全に失い、ただ蹂躙されるのを待つのみであった。
「戦いながら話すとしよう。すまないが……妾に残された魔力はそう多くはない。お前達を当てにさせてもらう」
「……分かった。さっさと倒してしまおう。合わせろよグラウディ!」
「ああッ!」
それでも彼らは立ち向かう。
大切な仲間の為に。
あるいは、傷付けられたその誇りの為に。
そして、いつかそれを……取り戻す為に。
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「うッ……あッ…………!」
レヴィの口から漏れたその声は、彼女の腹部を穿つ黒き尾の威力を雄弁に物語っていた。
彼女はその場に留まることなど到底出来ず、軽々と吹き飛ばされた身体が濡れた地面を滑るように転がっていく。
「あっ……くぅ……! はぁっ……はぁっ……」
とはいえ、普通の人間ならば一撃で死に至るであろう攻撃を何度も受けて尚、レヴィはその都度立ち上がり、自分に対し蔑んだ瞳を向ける竜王を睨み返す。
そうして彼女は吹き飛ばされる度にロードの下へと必死に駆け寄り、何度でも彼を守るように立ちはだかった。
それは、今の彼女には自分でも理解出来ない行動。
消したかった対象は、今……守るべき対象となっていた。
『……理解に苦しむな。何故守る? 状況から察するに、貴様はその人間を殺したかったのではないのか? 魔族の小娘よ』
「はぁっ……はぁっ……」
何度かそれを繰り返した後、ヨルムンガンドはレヴィにそう問いを投げ掛ける。
もちろん彼女の答えは"分からない"だった。
彼女の心は一度粉々に砕けている。
それは積み重なった僅かな揺らぎから始まり、それがあの出来事をきっかけに疑心へ、そしてウンセギラの術によって疑心は確信へと無理矢理追い込まれてしまった為であった。
そうして砕けた心は一方でロードを想い、もう一方では憎しみを生んでしまう。
だから彼女は泣きながら笑っていたのだ。
自分の感情をコントロール出来ずに。
先程まで、彼女はただただ全てを消したかった。
苦しみを、痛みを、憎しみを、悲しみを、そしてその元凶だと信じ込んだ彼を。
しかし、傷だらけで横たわるロードの姿が、そして彼の微笑んだその顔が、壊れてしまったレヴィの心をほんの僅かだけ引き戻す。
今感じている悲しみよりも、元を断つ行為そのものが悲しいと感じた今、レヴィは自分の心がよく分からないままにロードを守っていたのだった。
『それにしても頑丈な奴よ……だが、なんの意味もないと理解しているのだろう? 貴様の牙は……我には届かない』
ヨルムンガンドが現れた当初、レヴィはロードを守る為に残る力全てを使って彼に挑んだ。
しかし、レヴィの攻撃はヨルムンガンドの前に全て弾かれ、もはや彼女にはその身を呈してロードを庇うことしか出来なかった。
だが、それも限界を迎えてしまう。
「ごッ……はッ……!」
ロードを背に、力なく立っていたレヴィの身体が弾け飛ぶ。
ヨルムンガンドは軽く尾を振っただけであった。
だが、それだけでレヴィは背後にいたロードを飛び越えて地面を激しく転がっていく。
「う……ぐ…………ロード……様ぁ……」
全身がバラバラになったかのような激痛の中、うつ伏せに倒れたレヴィは必死に立ち上がろうと顔を上げる。
しかし、もう彼女に立ち上がる力は残されていなかった。
それでも彼女は雨に濡れた地面を這い、ロードの下へと手を伸ばす。
その様子に、ヨルムンガンドの口元が歪に歪む。
彼らはずっと耐えてきたのだ。
いつか人間と魔族を滅ぼし、竜族がこの世を統べる為に。
目の前の状況はその縮図であり、まさに彼が望んだ光景そのものだった。
故に、彼が多少の愉悦を感じるのも無理からぬことだろう。
そうしてヨルムンガンドが見つめる中、レヴィは再びロードの下へと辿り着く。
彼女はそのままロードの身体に覆い被さると、震える腕を必死に伸ばし、彼の顔に優しく触れた。
『……我としてはその美味そうな人間だけを喰らいたいのだがな。魔族の魔力はどうも好きになれん。さて、どうしたものか……息吹を吐けば貴様ごとその人間が消えてしまうし……まぁ、仕方があるまい』
ヨルムンガンドがゆっくりと2人に近付いていく。
レヴィは強く、ロードを抱きしめた。




