第175話:鍵
海竜種
竜族の中で唯一、海を根城とするドラゴンである。
平均的な体長は約10メートル。
蛇のような長い体に4本の短い前手と後ろ足がついており、個体差はあるがその体は青や白の鱗で覆われている。
水を操る能力を有し、口から吐き出す水の息吹は鉄すら両断する力を持つ。
また、長い体は筋肉の塊であり、獲物を喰らう際は締め付けて骨を粉々にした後、ゆっくりと丸呑みにするという。
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「ギォォォォォォッ!」
「ひっ……いやぁぁぁぁッ!」
「ぐッ!」
逃げ惑う民衆に向けて海竜種が吐き出した水の息吹を、アスカロンは自身である十字の大剣で受け止める。
彼女はそのまま民衆を庇うように剣を構えると、人々を鼓舞する為に大きく口を開いた。
「死にたくなければ足を止めてはなりませんッ! 早く城へ!」
「ひ……あ……は、はいっ!」
『戦闘能力のない市民は直ちに城、もしくは指定の避難所へ! 繰り返す! 戦闘能力のない市民は……』
ギリシアの町は今、混乱の極みにあった。
水路からは次々に海竜種が上陸し、国内には緊急放送が流れ、民衆は突然の襲撃に怯え慄き、そして逃げ惑う。
美しかった町並みは瞬く間に瓦礫の山へと変わっていき、先程までやかましく鳴り響いていた雨音は忘却の彼方へと消え、今はただ、破壊音が生み出す民衆の悲鳴がギリシアの町を支配していた。
「うッ……!」
「レヴィ様ッ!」
「わ、私は大丈夫ですッ! それより皆様を!」
当然民衆の中にもある程度戦うことが出来る者はおり、家族や友人を逃すべく、武器を取った者も少なくない。
さらに、ギリシアに滞在していた冒険者達も既に至る所で戦闘を開始していた。
だが――――
「1匹1匹が……強い……!」
レヴィがそう弱音を吐くのも無理はない。
現時点でギリシアに入り込んだ海竜種はおよそ50匹と、数だけ見れば決して多くはない。
これは彼らの体が巨大であったが故に、地下水路を一斉に通ることが出来なかったことに起因するのだが、それとはまた別の理由もあった。
それは、フリードリッヒが南に固めていた防衛の一部を北西へと向け、水路から入ろうとする海竜種達の足止めに動き、後続の侵入を防いでいたからである。
また、レヴィ達はまだ知らないが、ロードやジル達を含めたギリシア軍は既に町へと相当数が入っており、市民や冒険者も合わせればその数は1000人を超え、数の上では人間の方が圧倒的に多くなっていた。
だが、それにも拘らず、人間達は明らかに押されていたのである。
突然の襲撃だったこと、水を操ることに長けた海竜種に味方する雨が吹き荒れていたこと、町に張り巡らされた水路があることなど、彼らにとって優位に働く条件が整っていたことは間違いない。
ただ、それを差し引いても尚、ドラゴニアのドラゴン達は強大な力を有していた。
普段戦闘を行なっていない市民はもちろん、戦うことに慣れている筈の冒険者や兵士達すらが、ほとんど為す術なく次々と地に伏せ、あるいは飲み込まれていく。
そして、人間達にとって最悪だったことは……。
「ギッ……!」
「これで……5匹!」
レヴィの鎖によって身動きの取れなくなった海竜種を、アスカロンの剣が十字に斬り裂く。
彼女とレヴィがいた地点の海竜種は全て駆逐され、アスカロンは自身である大剣を背中に納めた。
「お見事です……アスカロン様」
巨体が4つに分かれて地に伏せる傍で、レヴィは彼女に賛辞を送る。
だが、アスカロンはそれを素直に受け止めることが出来なかった。
「……いえ。バルムンクならもっと早く片付けていたことでしょう。所詮私は……いや、そんなことを話している場合ではありませんね。さぁ、次の戦場へ向かいましょう」
「あ……はい……!」
物悲しげなアスカロンの表情に戸惑いつつも、レヴィは駆け出した彼女の後を追った。
正直なところ、アスカロンの力は他の竜に特効を持つ剣達に比べ一段劣る。
彼女にはバルムンク程の切れ味もなければ、グラムのような絶対的な力もない。そして、リジルのように強力な一撃を持っている訳でもなかった。
バルムンクがグラムを元に創られたように、アスカロンはリジルを元に創られた剣である。
さらに言えば、アスカロン達はバルムンク達を創った神に対抗した別の神が創った剣。
この2柱の神は、実のところ仲があまり良くなかった。
といっても、アスカロン達を創った神が、バルムンク達を創った神に対し一方的に対抗心を燃やしていたに過ぎないのだが。
そうしてグラムに対抗してリジルを、バルムンクに対抗してアスカロンを、といった具合に彼女達は創られた。
グラムの弱点である持続性を高めたのがバルムンクであり、リジルの竜以外斬れず、竜に特効を持つものに弱いという欠点を消し、汎用性を高めたのがアスカロンである。
それ故に、アスカロンの力はどうにも中途半端なものになってしまった。
もちろん伝説の武具の1つとして、それを名乗るだけの力は持っている。
だがそれでも、アスカロンは引け目を感じていた。
優秀な他の竜殺しの武器達に。
だから彼女は、神に対し"祈り"という名の"問い"を繰り返していたのだった。
「レヴィ様」
次の戦場へと向かう最中、アスカロンは走りながらレヴィの名を呼んだ。
「はい?」
「私にこれを言う資格はないかもしれませんが、1つだけご忠告を」
「……なんでしょうか?」
「あなた様はあなた様なのです。ロード様のお近くにいるべきなのは、レヴィ様をおいて他におりません。私は手帳の中からあなた方をずっと見てきました。だから分かるのです。あなた方が互いに互いを必要とされていると」
「……」
「お気持ちは痛いほど分かります。私も似たようなものですから。自分の存在とはいったいなんなのか。果たして本当に必要とされて生まれてきたのか。常にそんな疑問を持っておりました。ですが、ロード様を見ていると、その……なんといいますか……軽い言葉に聞こえるかもしれませんが……元気が出るのです」
「元気……」
「ええ……まぁ正直なところ、私は今でも自分の存在に自信がありません。他の竜殺しの武器に比べ、私の力は劣っていますから。そんな私の迷いを軽くしてくださったのが……ロード様なのです。誰かの為に懸命に戦うロード様のお姿に……私は元気を貰っているのですよ。自分を苦しめた町の人達を許し、無能と呼ばれる方を救う決意をされ、今は窮地に立たされたギリシアを守る為に戦っている筈です。そこに迷いはなく、自分の力をなんとか活かせないかというその一点で。それを見ていると私も……こんな私の力でも何か役に立てるのではないかと……そう思わせてくれるのです」
「アスカロン様……私は……」
「レヴィ様……迷いは恥ではなく、よりよい未来へ進む為の鍵なのです。その鍵はどの扉でも開くことが出来る……だからこそよく考え、そして過去を振り返る必要があります。自分が開けてきた扉を。通ってきた道を。後悔しないように……大切に。そうやって前へと進む為に……」
『グハハ……なかなかよいことを言うではないか』
「っ!?」
突如聞こえたその声。
それと同時に、町を通る水路の中でも一際大きいその水面から、何かが爆発したかのように巨大な水柱が上がる。
そうして水飛沫が霧散する頃、現れたその巨大な海竜種が、口角を釣り上げて2人を見下ろしていた。
『だが、俺に言わせれば……結局全ての道は1つに繋がるのだがな。貴様ら人間の……滅亡という道に』
「き、貴様は……!?」
『我が名はウンセギラ……海竜を統べる海の王なり。近場にいた強い力に惹かれて来たのだが、まさか小娘2人とはな。いやはや……俺の鼻も鈍ったものだ』
「ウ、ウンセギラだと!? 既に入り込んで……!」
人間にとって最悪だったこと。
それは、ウンセギラが既にギリシアに入っていたことである。
彼は自ら前線に立ち、その圧倒的な力で町を蹂躙していた。
事実、犠牲になった人間のほとんどが、このウンセギラの腹に収まっている。
彼は結界の破壊を配下の海竜種達に任せ、障害となるであろう強い者達を喰らっていたのだ。
余裕の笑みを浮かべるウンセギラに対し、アスカロンもまたニヤリと笑った。
「……そうでもない」
『……ほう?』
「我が名はアスカロン。神より聖なる祝福を受けた……竜を天に還す剣なり。お前の鼻は鈍ってなどいない。何故なら……私はお前を殺す者なのだから……!」
彼女はレヴィの前で鍵を開け、力強くそう言ってみせた。




