出会い①
姉が好きだった。優しくて、美しい姉が。
姉は皆に愛されていた。そして皆は姉のことを哀れんでいた。
姉は十年に一度神に捧げねばならない生贄だった。その運命は生まれた時から決まっていたことで、十五になれば村にある森の奥の社に行かなくてはならなかった。神はこの村を守る存在。崇めれば、村を守護し、侮れば、村は滅ぼされてしまう。
だから生贄を捧げなければならない。村のために生贄が必要なのだから。
生贄に出される娘がどうなるのかなんて知らない。ただ、十年後新たな生贄が捧げられる時そこには娘の姿はない。故に、生贄になれば神に殺され、食されるのだと村人は信じていた。
愛されている姉。誰からも愛されている姉。だれもが、姉を憐れんだ。そして、運命に憤った。なぜ、姉がこんな目に合わねばならない?と誰もが思った。
仕方ない、では片付けられなかった。だから、誰かが言った。代役を立てろ、と。
●〇●〇●
――リン……リン……
遠くで鈴の音が聞こえた。何の音なのかと目を開いて確認しようとするけれど、瞼が重くて上がらない。甘い香りが周囲に漂う。頭がぼんやりして眠りに誘おうとする。抗いたくても抗えない。私は眠りについた。
「ねえ。こんなところで寝てたら風邪ひいちゃうんじゃないの?」
ゆさゆさと体を揺らされる。私は意識が浮上して、瞼を上げた。
周囲は暗く闇に彩られていた。先程までの鈴の音はもうしなくて、代わりに虫の鳴く音、葉の掠れる音が聞こえた。
私はどうしてこんなところにいるんだっけ……?ぼんやりした頭でそう考えてはっ!と起き上がる。ぼんやりとした頭にかかっていた靄が突然晴れる。
「起きた」
そう声がして横を向けばそこには幼い少年。私よりも年下くらいだから十二歳くらいだろうかわ、真っ白な髪に、赤い瞳。見た事のないその色に一瞬見惚れるが、すぐに正気へと戻る。
「だ、だれ?!」
「神様」
少年はそう答えた。神様?今、彼は神様と答えた?
いったいなんの冗談……と思ったが待てよと思い直す。この髪にこの瞳。そしてこの神秘的な雰囲気。私の第六感が告げた。こいつはただ者じゃない、と。
「ほんとに、神様ですか」
「うん。神様」
少年は、神様はこくりと頷く。
それに私は冷や汗が出た。神様、神様。何故、神様がここに……と考え、私はここに来る前の記憶を思い出した。
●〇●〇●
ある日、朝起きたら母親に告げられた。
次の生贄はあなたに決まった、と。は?と間抜けな声を出してしまったのはしょうがないと思う。いやいやいやいや。生贄?なんで私が生贄?
「私、十三歳ですけど」
咄嗟に出ようとした言葉を飲み込み、言葉を変えそう言えば大丈夫、と親は頷いた。
「それはあくまで目安だから。近ければいいの」
「いえ、でも他に十五歳に近い方がいると思いますが……姉とか、姉とか、姉とか」
「あなたはっ!なんてこというのよ!」
いや、それはこちらの言葉ですよ?そもそも姉が生贄になると昔から決まっていたというのにどうして私が生贄になるという話になっているのか。
小さな村だから過去に十五になる年の娘が生贄を捧げる年に生まれない時もある。そう言った時はなるべく年の近い娘を選ぶのだ。私は十三歳。十五歳の娘の姉も、十四歳の娘も、十六歳の娘もこの村にはいる。なのに、なぜ私?
「お姉ちゃんが生贄になってもいいのっ!?」
「いや、私が生贄になろうとしているのですが」
お母さんこそ娘の下の方が生贄になってもいいって言うんですか?そう思いながらもいいんだろうなぁと私は納得してしまう。
両親は姉が好きだ。というか村全体が姉を好きだ。もちろん私も。
姉は完璧だ。優しくて、美しい。勉強もできるし、世渡りも上手だ。それに比べて私はなんかぱっとしない。そこまで可愛くもないし、勉強も人並み。人好き合いは苦手で、村人ともそこまで仲良くない。そんな娘二人どちらを犠牲にするかと問われればきっと私なのだろう。
まあ、しょうがないかなとは思っても、生贄にされるなんて絶対に嫌だ。姉には同情するが、生贄を代りたいなんて自己犠牲は私には湧いてこない。
「お願いよ!桜。お姉ちゃんを助けてあげて」
「嫌ですよ」
「あなたって子は!なんて冷たい子なのっ!」
いやいやいやいや。さすがに自分の命は捧げられない。これで冷たい子なんて言われても困る。
「そもそもこんなことをして神様は怒られないのですか?」
「たぶん大丈夫よ!村長はあくまで目安だって言っていたし、十五歳に最も近い娘を捧げてたのは、争いが起こらないようにするためらしいし」
「いやいやいやいや。なら慣習に従いましょう?争いが起きますよ」
「大丈夫!村の皆は了承してるわ」
「皆……?私は聞いていないのですが」
「今言ったもの。ちなみに梅、お姉ちゃんにはまだ言っていないわ。あの子は優しいから反対するでしょ?」
ちょっと、当人二人に言わないなんてどういうことですか?さすがに母親の正気を疑う。でも、まあ。姉はまだ知らないのか。さすがに姉にまで裏切られたら落ち込む。自分は姉の代わりが嫌なくせにそう自分勝手に思う。
「とにかく。私は生贄の代わりなんて嫌ですからね」
「桜。これはもう決まったことなの」
「そもそも決まったことでしたよ、姉が生贄になるのは。それを数年前に変えるならともかく、明後日に迫ったところで言われても覚悟も何もできるはずないじゃありませんか」
「桜!」
そう怒鳴られたところで私にも限界がきた。
「嫌です!だいたいお母さんはおかしいですよ!私も同じ娘でしょう?!それなのに私は見捨てるんですか!」
「……っ!あなたのそういうところが!」
「……っ?!」
突然母が目を見開いたと思ったら、口元を誰かに塞がれた。ツンとした刺激臭がし、耐えきれず涙が滲む。なんとか逃れようと暴れても、抱き締めるように拘束され出来ない。と、だんだんと頭に靄がかかりはじめ意識が遠のいていく。力が抜ける。抵抗どころか立っていることも出来ない。いったい、誰?私の力が抜けていると油断し力が緩んだところでなんとか相手の顔を見る。そこにいたのは、私の幼馴染み兼婚約者だった。
「ごめん。桜」
いや、許しませんよ。私は力の限り彼を睨む。彼が姉を好きなことは知っていた。仲間に姉妹なのになんでこんなに違うとぼやいていた事も知っていた。その度に私だってあんたみたいな奴嫌だ。あんたの弟はあんなに可愛いのになんだって私は思う兄の方なのか。と何度も思ったのをのみ込んで我慢してやっていたのだ。こいつは自尊心が高く、優秀な弟を妬んでいたのを知っていたから。それをこんな形で返されるなんて。
絶対許さない、そうできる限りの憎しみのこもった顔で彼を睨みつけた。