1.5.月とスッポン
ふう、と息を吐く。
ガラス戸の向こうでは、まだパーティーが続いているようだ。
悠は、同じクラスの友人とその幼馴染に詰問されている最中であった。
「なんで言ってくれなかったんだよ、うらやまし……いや、水臭えじゃねえかよ。」
郷が不満そうに言う。
その様子を見て伊勢さんは、郷の脇腹にパンチを食らわせる。
痛て、と顔をしかめる郷を尻目に、ふんっ、と言ってそっぽを向いている。
悠は、微笑ましい二人のやり取りを見ながら、自分の追い込まれた状況を考えてげんなりとした。
悠は、仮釈放中だった。
もう少ししたら、きっとあの看守様が異変に気付き、探しにやってくるだろう。
しかし、少し外の空気を吸うことくらい、許されてもはずだ。
「それでさ、なんでユウ、お前が洞爺さんのパートナーになってるんだよ。あの人、他の生徒の誘いを全部断ってるんだぜ。男も女の子もよ。何かお前に弱みでも握られてるんじゃないかって話まである始末さ。もちろん、俺は信じてないけどよ!」
郷が肩を組んでくる。隣の伊勢さんは細目で、疑わしそうに、そして少し興味ありそうにこちらを見ている。
はあ、とため息をついてから、首に回された郷の手を退ける。
「理由は分からないけれどさ、急にあの女が」
「洞爺さん、だろ」
郷が修正する。
その脇腹に再び幼馴染の拳がヒットする。
「そう、その洞爺さんが、『下僕になりなさい』とか何とか言いだして……」
ここまで言ったところで、郷が笑い出した。隣の伊勢さんも口元を抑え、肩を震わせている。
「そりゃあユウ、作り話にしたって出来が悪いぜ。そして、もし、万が一、仮に、ほぼありえない確率で本当だったとしても、そんなことを信じるやつがあるかよ。」
笑い続ける二人を前に、悠はあきらめにも似た感情を抱いていた。
「まあ、友人の俺くらいがお前のこと信じてやらないとな。とりあえずそういうことでいいぜ。」
と一頻り笑ったところで、面白そうに言った。
言い終えた後、何かに気付いたようにして、おっと、と声を出すと、悠の肩に手を置いて、こう囁いてくる。
「それじゃごゆっくり」
郷はニヤニヤとしながら幼馴染とホールの中へ戻っていった。
そこに残る、シルエットがひとつ。
ついにその看守様がやってきてしまった。
「逃げるなんていい度胸ね。」
にっこりとした表情でこちらを向く女性が一人。
「少し、夜風に当たりたくてね。それに、逃げたわけじゃない」
「どうかしら、楽しそうにお話ししていたようだけれど、私を一人残して何も感じなかったのかしら?」
わざとらしく肩をすぼめる。
「それで、誰と話していたのかしら? また女性? あなた、自分の立場わかっているの? そんなことをしていたら、社会的に死んでしまうわよ」
そんなことない、少なくとも話していた相手は男だ。
特に弁解をすることもないので、無視しておく。
すると、洞爺さんは思い出したように手をぱん、と叩いた。
「そういえば、鳥海くん。いえ、悠。私あなたの連絡先を知らないわ。」
「そんなことを聞いてどうする。」
と悠がうんざりした様子をあからさまに示しながら答えると、洞爺さんはそんなことも分からないのか、といった微妙な微笑みを湛えて答える。
「そんなこと、決まっているじゃない。いつでも悠を呼び出せるようによ。それと、GPS入っているでしょう。それを私の携帯から確認できるように設定しておきなさい。」
「嫌だ。絶対しない。君とはビジネスだけの付き合いだ。」
とはねつける。
「まあ、とりあえずいいわ。でもビジネスなら連絡先くらいは教えるものでしょう?」
といって、するり と距離を詰めてくる。そして追加する。
「それと、私のことは、唯子、と呼ぶこと。いいわね。」
「嫌だ。危険だ。僕は死にたくない。」
「ほら呼んでみて、悠♪」
わざとらしく微笑んでくる。
「さっきからさりげなく名前で呼ばないでくれるかい、“洞爺さん”。」
悠が答えると、洞爺さんは頬を膨らませる。いちいちわざとらしい。
「まあ、恥ずかしがりの悠には、まだ名前呼びは早いのかしら。とりあえず、早く連絡先を教えなさい。」
と手を出してくる。
悠はしぶしぶ携帯を取り出す。
「ふふ、登録完了ね。」
と洞爺さんは嬉しそうに微笑む。
「それじゃ、僕は寮に帰るよ」
と悠が足早に去ろうとすると、携帯の電話が鳴り始めた。
画面には、♡俺の唯子様♡、と表示されている。
振り向くと洞爺さんが耳に携帯電話を当てながら微笑んでいた。
「ふうん、ダミーを教えたわけじゃあないようね。感心だわ。」
なんという慎重さだ、と悠があきれていると、電話口から声が続く。
「それで主人を、しかも女性を一人で置いていこうなんてどういう了見? とりあえず、戻って来なさい。」
と命令される。だが、悠は構わず歩を進めようとする。
すると電話口から、先ほどとは打って変わった、かすれたような声が聞こえてきた。
「お願いだから、待ってよ……」
ぎょっとして振り向くと、洞爺さんが目に涙を浮かべてしゃっくりあげている。
「おいおい、泣くなんて卑怯だぞ……」
と悠は電話を切り、泣いている女の子の方に歩みかける。
その時、折悪しくホールから数人かが外へ出てきた。
彼ら彼女らは、まず泣いている洞爺さんを見る。
そして、悠の方をみる。
その視線が、みるみる怒りを帯びたものに変わっていく。
「なにやってんだ、この野郎!」
とその中の一人が悠の方へ突進してくる。
間もなく、悠は組み伏せられ、洞爺さんの前に引きずり出される。
「謝れ!」「男のクズ!」「泣いて詫びろ!」
などと怒りの形相で彼ら彼女らに、怒鳴られている刹那、悠は白いものを見た。
洞爺唯子はこちらを見下ろしながら、予定通り、と言わんばかりに微笑んでいた。