0.始まりの鐘(新)
私立馬虎学園高等学校。
ここでは、世界中から執事・メイドを目指す生徒たち集まり、日夜研鑽に励んでいる。
そして今日は入学式。
新たにこの学び舎で過ごすことを許された生徒たちが、一堂に会する初めての機会である。
が・・・
鳥海 悠は、1人言葉を失っていた。
「なんだ・・・これ・・・」
目の前には巨大な建造物がいくつか。
「おいおい、学園の敷地がこんなに大きいなんて聞いてないぞ・・・」
バス停を降りた俺は、目の前に広大に広がる学び舎を前に、このように言い訳じみたこと口にすることしかできなかった。
そう。
①入学式開始まで、30分。
②手元の地図には、学園の敷地の中ほどに位置する入学式会場のマーク。
③目の前には、入学式会場(5km)の立て札
イコール・・・?
「遅刻じゃねーか!!!」
俺は一も二もなく走り出した。
限界で走れば何とか間に合うかもしれない。そういえば、世界では10kmを30分で走る人もいるんだってな。ということは俺にも30分で5km完走くらいできてもおかしくないのでは・・・?
何てことを考えながら、学園の中心にあるらしい入学式会場へと疾走する。
耳には風を切る音しか聞こえてこない。
急げば間に合う! 間に合え、と念じながらひた走る。
「君、そんなに急いでどこへ行くの」
そんな風の音を掻き消したように、鈴を転がしたような声が耳に届いた。
ふと声のした方を見やると、木陰に腰を下ろしながらこちらを見る、黒髪の綺麗な少女がいた。
「あの・・・入学式で・・・会場に・・・はあ・・・急いでいる・・・ところです・・・」
息も絶え絶えになりながら答える。
「そう、それは大変ね」
少女は、こちらとは対照的に、落ち着いた様子で言葉をつづける。
こんな時間に校舎内にいるということは、上級生だろうか。
「すいません、急いでいるもので・・・ ところで、入学式の会場はこの道で合ってますか? 新入生なもので、不案内で・・・」
上級生と思われる少女に尋ねる。
「さあ、分からないわ」
「え?」
「分からないわよ、私も新入生だもの」
--何を言っているのだろう。
「いやいや、新入生はこれから入学式が始まるはずだろ。 なんでこんなところでのんびりしてるんだよ!」
「いいのよ、別にただの行事だし。 特に面白いものでもないでしょう?」
「いやいやいや、最初の行事くらい出ろよ・・・」
「だったら、私も連れて行ってくれないかしら。 ねえ」
「ついてくる分には構わないけど・・・間に合うかわからんぞ?」
「ついてくる? なんで? 連れて行ってくれるんじゃないの?」
同級生の少女は、不思議そうに小首をかしげてくる。
「いやいやいやいや、そこは自分で歩けよ!」
「今、もしかして私を抱っこした時の事想像した?」
「いやいやいやいやいやいや、してないし!!! お姫様抱っこなんてしねえよ!?」
俺はしどろもどろになりながら、反論した。
--いや、本当にしてないよ? 信じてくれよ?
「お姫様抱っこなんて言ってないけど・・・」
!!!!!!はずかしいいいいいい!!!!!いや、本当に想像してないんだからね!
「とにかく! 何とかして自分で行けよ! じゃあな! 一応先生には事情を説明しておいてやるから!」
そう、俺は(目の前の女の子もだが)入学式に遅刻しそうなのだ。
「そう・・・」
少女は少し俯きながら、絞り出すように言った。
俺は再び走り出した。少しの後味の悪さを残して。
しかし、一歩足を進めるごとに後味の悪さが増していく。 あの少女は入学初日から遅刻してしまって、これから大丈夫なのだろうか。
別れ際の少女のやけに寂し気な顔が、頭の中から離れなくなっている。
とにかく急げ、まずは入学式に間に合わなければ。
--
「おい」
数分後、俺はなぜか先ほどの木陰にいた。
「あら、どうしたの?」
少女は意外そうな目でこちらを向く。
「まだ間に合うかもしれん。ほら、行くぞ」
少女の手を取る。その手はすらりと長く、透き通るような白色をしていた。
「わたしを連れて行ってくれる気になったのかしら」
少女は、くすくすと笑いながら立ち上がる。
「仕方ないだろ、あのまま1人で残していったら、後味悪いしな」
明後日の方向を向きながら答えるが、我ながら恥ずかしいことを言っている。
何か、ラブコメのような展開だな・・・
しかし、次の瞬間、そのような想像を吹き飛ばすようなブレーキの音と、続いてクラクションが鳴り響いた―――
それとほぼ時を同じくして、音のした方向からスーツ姿の女性がこちらに走ってくる。
「洞爺さん! 探しましたよ! もうすぐ、入学式が始まります! 迷子だなんて困ります・・・ さあ、急いでこの車に乗ってください!」
スーツ姿の女の人は、俺の存在には気付かなかったように、少女(--洞爺さんというのか――)に向かってとにかく車に乗るようにと急き立てる。
「あの・・・」
俺は、スーツの女性に話しかけようとするも、相手は洞爺さんを車に移動させるのにそれどころではないようで、存在さえ認知されていないようだった。女性は、尋常ならざる面持ちで洞爺さんを後部座席に乗せると、自分も助手席に飛び乗ろうとしていた。
女性は、助手席のドアを開けようとしているときになってようやく悠の存在に気付いたのか、こちらを向き、洞爺さんに向かって、知り合いかと尋ねた。
助かった--これで何とか間に合う。
と思った矢先、少女の口からとんでもない言葉が飛び出した。
「先ほどお会いしたばかりの方です」
その言葉を聞くとスーツの女性は、
「そうなの。とにかく急いでいるから、会場に向かうわよ、出して!」
助手席に乗り込み、そうドライバーに告げた。
「あの、すいませ・・・」
俺は何とか事情を説明しようと車に近づくが、取りつく島もなく、車はエンジンをふかせ、猛スピードで発進してしまった。
発進の直前の後部座席の窓からは、少女が「私を置いていこうとしたバツよ」と言わんばかりに、いたずらっぽく微笑みながらピンクの舌を出していた。
俺は呆然としながら車の消えた先を見つめていた。
どのくらいの時間が経っただろうか。
入学式開始を告げる鐘が鳴り響き、俺は現実に引き戻された。
その鐘は、前途多難な学園生活を象徴するように、ひどく重苦しい音であるように感じられた。