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短編

鳥に成り下がった男

作者: 牧田紗矢乃

 私の幼馴染の鵜沼(うぬま)(こう)()

 彼の夢は、昔からずっと「鳥になること」だった。

 彼が、いつ鳥に対しての憧れを抱いたのかは分からない。けれど、「コウキくんは大きくなったら何になるの?」「鳥!」というやり取りがあったことだけはよく覚えている。


「ハルちゃんは?」


 問われた時の私の答えはいつも決まっていた。「コウキくんのおよめさん」と。

 幼稚園の頃の文集の将来の夢の欄には、覚えたてのひらがなの「とり」という二文字が並んでいた。下手くそだが、決意のにじみ出るような文字だった。




 小学生に上がった彼は、落ちているカラスの羽を拾い集めた。私たちが住んでいた団地の近くにはカラスの群れの寝床となっている、通称「カラスの森」があり、そこへ行けばいくらでもカラスの羽が手に入ったのだ。

 彼にとって、その羽の一枚一枚が大切な宝物だった。

 母親は幼い一人息子の収集物によい顔はしなかったようだが、それでも頭ごなしに否定することはしなかった。私の両親も放任主義の人だったから、これといって叱られることもなかった。


 恵まれた環境のおかげで、わずか半年ほどのうちに、羽をしまうためにもらった段ボール箱は黒い羽根でいっぱいになった。

 私たちは初めのうち、箱の中身を見ているだけで満足だった。


 けれど、ある日、彼は箱の中の羽をセロハンテープで貼り合わせ、大きな翼をこしらえ始めた。私も不器用なりにそれを手伝った。

 彼は鳥の羽そっくりのものを作りたかったのだろうが、根元の白く固くなっている部分を張り合わせたために黒くて大きな羽毛のボールが出来上がってしまった。

 ボールになってしまった原因がわからなかった私たちは、あちらこちらからカラスの羽の塊を見つめた。最終的にその塊は、自由帳を切り抜いて作った目玉を張り付けられて、まっくろくろすけとして私たちのおもちゃになった。


 一度目の工作の失敗の後も、私たちは羽を作ろうとした。けれど、手がテープの糊でベタベタになるばかりで思い描くようなものを完成させることはできなかった。


 いつしか羽の収集・作成に飽きた彼は、近所でスズメやハトを捕まえるようになった。そこでも、私たちはより確実に鳥を捕まえるためにはどうしたらいいのかと案を出し合いながら罠を作った。

 捕まえた鳥は、私たちによって筋肉の動きの一つ一つまで詳細に観察された。


 まだ小学校の低学年だった私たちに、それが観察であるという認識はない。ただ、羽を押さえつけた時にどこへ力がこもるのだろうとか、餌を飲み込む時にはどんな風に体が動いているのだろうとかという純粋な興味のままに鳥を乱暴に扱っていただけだ。


 無謀な実験の結果、命を落としてしまう鳥もいた。がっかりはしたが罪悪感はなかった。

 時が経つのも忘れて鳥と戯れる私たちは、近隣の誰もが認めるほどに、熱心な子供たちだった。

 観察していく中で知ったことのどれもが、彼にとっては新たな発見であり、重要な事実だった。新たな知識に目を輝かせる彼を見ていると、私も幸せな気分になれた。




 学年を重ねるうちに、その日知ったことを忘れないようにノートに書き出そうという考えが芽生えた。

 そこからは、あっという間だ。


 彼は、知りえた知識を全てノートに書き出した。足りないと感じる部分がれば、図書館へ走って行って本で調べた。読めない字や分からない言葉もあったが、近くにいた大人に声をかけては教えてもらった。

 私は彼が記したノートに挿し絵を入れた。いわゆる交換ノートだ。他のみんながやっているような、くだらない悩み相談やその日にあったことを書いただけの日記帳なんかよりも何倍も素晴らしい、私たちだけの交換ノートだ。


“コウキくんはどんな鳥が好きなの?”


 一度だけ、ノートの端の空白に書いて渡したことがある。

 怒られるかなと思ったけれど、優しい航希はきちんと答えを書いてくれた。


“全部だよ。ハルちゃんは?”

“私もぜんぶ!”


 話題を振ってくれたことが嬉しくて、字が少し震えていた。


 ――本当に好きなのは、航希なんだよ。


 そんなこと、言えるはずもなかったけれど。

 彼が読む本は次第に専門性が増していき、一流の研究者が著した本を何冊も読破した。

 彼が小学校を卒業するまでに埋め尽くしたノートは、十冊でも足りないほどだ。彼の母親は、彼の研究内容にうっすらと難色を示していたが、やはり口出しはせずに見守り続けていた。




 中学校へ進学した彼は、観察だけでは飽き足りなくなった。彼の探究心を満たすには一枚の羽毛程度では、到底足らない。

 彼が望んだのは、鳥の羽の標本だった。とはいっても、鳥を一羽丸ごと標本にして飾っておけるようなスペースは彼の部屋にはなかった。

 そこで、妥協策として彼は鳥の羽の標本を作ることにした。


 初めのうち、彼はそこらで捕まえてきたスズメの羽を生きたままの状態で切り落としていた。そして、切り落とした羽を、昆虫の標本と同じように、釘でケースの中へ打ち付けておくのだ。

 それで、万事がうまく進むはずだった。

 だが鳥が虫と違ったのは、すぐに異臭を放ち始めたことだ。


 彼の収集物は呆気なく彼の母親に発見され、処分された。けれど、彼は諦めずに翼の収集を続けた。

 彼が参考にしたのは、理科室に並ぶホルマリン漬けのビンの行列だった。

 私はもちろん、協力を惜しまなかった。




 高校受験の時、彼は工業高校を真っ先に選択した。倍率の高い学校だったけれど、彼は難なく合格した。

 私は自宅からほど近い女子高へ進学し、学校で彼と会うことはなくなってしまった。


「今までの生物学的な知識とは別の視点から、もう一度鳥を見つめ直してみよう思うんだ」


 航希からそう告げられた時、私は言葉を発することができなかった。別れがあまにりもつらすぎたから。


「ハル、そんな顔しないで。違う学校へ行っても僕らは友達だろう?」


 優しい航希の言葉に、涙が溢れてきた。私は何も言えないまま、ひたすら嗚咽をもらした。

 学校で学ぶさまざまな教科を総合して、彼はさまざまな演算を行った。その結果を元に、飛行に適した翼の形を考案するためだ。彼の情熱はすさまじく、中学校の頃はお世辞にもよいと言える成績ではなかったテストで目を疑うような好成績を叩き出した。


 高校へ通う間にも彼のこれコレクションは増え、その数はあっという間に二十を超えた。その間も航希の言葉通り、私たちの交流は続いた。

 高校生にもなると、将来の夢が「鳥になること」だと公言するのははばかられるようになったらしい。いつしか彼は、疑似的な鳥を作る、という目標を口にするようになっていた。

 けれど、私と二人っきりの時だけは「僕、鳥になるよ」と力強く語った。




 学生たちの間で、大学進学の話題が交わされる頃。

 彼の答えはやはり異色だったらしい。


「俺、鳥の研究ができるとこにするわ」


 何の迷いもなく、相手の目を見据えて言うのだ。彼の変人ぶりはクラスや学年の垣根を簡単に越えた。学校の中で彼の名を知らない者はいないほどの有名人だった。

 鳥の研究を第一に志望していた彼は、動物学に特化した大学ではなく、機械工学のエキスパートと呼ばれる教授のいる大学を選んだ。鳥の生態などについては、あらかた独学で調べ終わってしまっていたのだ。

 次に必要な技術は、空に舞い上がるための翼を完成させることだった。


 彼の志望した大学は、彼の通っていた高校のレベルから考えると非常困難だと言われる所だった。自宅からも遠く離れていて、飛行機と電車、バスまで使ってようやくたどり着けるような場所だ。

 鳥の研究ばかりで家事など一つもしたことがない彼が、一人暮らしなどできるはずがないと彼の両親は反対した。けれど、彼は決して諦めなかった。




 努力の甲斐あって、彼は志望大学に合格した。大学では授業の傍で友人たちへ宣言していた通りの研究にいそしんだ。

 一人だけ異質なオーラを放つ彼の元には、誰もが近づくことをためらった。広い大学構内で孤立することも、研究に集中しやすくなるのだと言って苦にしている様子を見せなかった。


 卒業論文のテーマは「滑空に最も適した翼の形について」と大学入学当初に決めたらしい。教授たちが難色を示しても、独学でやり通して見せるという意思を告げ、一人早々に論文を書き始めた。小学生の頃から学術論文に目を通してきた彼には、先人たちと並ぶことができる喜びのほうが先行したようだ。


 コレクションのためのまだ見ぬ鳥探しは難航し始めた。そのため、彼は長期休暇になるたびに様々な地方へ「遠征」に出かけた。

 それでも探究心が満たされない時には、単位を落とさない程度に学校をサボることもあった。

 彼の鳥への情熱は、それほどまでに強いものだった。




 大学三年の夏、彼に衝撃の出会いが訪れた。

 それは、とあるテレビ番組だった。つけっぱなしのテレビが映し出した、普段なら目にも留めないものだ。

 平時、バラエティー番組など見ることのない彼は、出演者の顔など一人も知らなかったし、知りたいとも思わなかった。

 リモコンを拾い上げて電源を消そうとした時だ。画面の両端に分かれて出た「『猫になりたい!』夢を叶えた女性の想像を絶する姿とは」という一文に目を奪われてしまった。テロップと共に一瞬画面に映ったのは、一人の若い女性だ。


 コマーシャルが終わるのを今か今かと待ち続け、ようやく彼が待ち望んだ映像が映し出された。その時の彼の表情と言ったら、今までにないくらいに輝く目をしていた。


 その番組で取り上げられた女性の手には、長く伸びた爪があった。全身にはくまなく刺青が刻み込まれていた。頬には長いひげがぴょこぴょこと生えていた。上唇に切れ込みが入り、小動物のような緩やかな弧を描く形に整えられていた。また、尻にはやわらかそうな尻尾があった。

 彼女は幼い頃から猫になりたかったのだという。そして、猫になるために貯金をはたいて整形手術を受けた。毛並を再現するのは難しいから、刺青を入れることで代用したらしい。尻尾をつけるのも困難だと言われたので、作り物の尻尾をズボンへ固定することで妥協したという。


 なりたいものになるために、努力を惜しまない。その姿勢は彼と同じはずだ。

 航希は研究で、彼女は自分の肉体の改造。二人は、夢を叶える手段を違えただけなのだ。けれど、彼にとってはとてつもない衝撃だったらしい。

 私が適当な話題を見繕って電話を掛けると、興奮冷めやらぬ様子で熱く語ってくれた。


「――コウキもやってみれば?」


 言った私はほんの冗談のつもりだった。けれど、帰ってきた声は本気だった。


「そうだね。僕、やってみるよ」

「……もう、仕方ないな」

「え?」

「ううん、こっちの話。手伝うよ。何かあったら言って」

「ありがとう」


 その一言だけを伝えると、電話は一方的に切れてしまった。

 仕方がないので、私は彼の部屋に用意しておいた小型のマイクで音を拾いながら、ぬいぐるみの瞳に仕込んだカメラで彼の様子を見守ることにした。




 彼の研究は、社会人となってからも続いた。

 繊維加工を主とする企業の、開発本部へと入り、人工羽毛を作り出すことを決めたのだ。そのきっかけは、私が掛けた言葉にあると思う。


「もっと飛びやすい羽を作ろうよ。コウキならできる!」


 カラスなどの羽に、希望を託すことができなくなった結果の提案だった。航希はしばし思案顔を見せて小さく頷いた。

 それだけのできごとだ。


 七十を越えるコレクションを持ち、大学でも様々な経験を積んだ彼をしても、実際に翼を開発することは難しかった。初めは賛同してくれていた上司や同僚も、いつからか不可能だと思うようになったという。

 また、彼自身も例外ではなかった。




 苦節七年目にして、ようやく追い求めたものが完成したと連絡があった。

 他の商品の開発と並行しての研究、開発だったから、思っていた以上に時間がかかってしまったと電話口で笑っていた。


「よかったね。おめでとう」


 私の口から出るのは、その二語ばかりだった。

 彼は、何度も何度も「ありがとう」を繰り返していた。

 こうしてレンズ越しに見つめるだけでは耐えきれない。明日、朝一番のバスで彼の所へ遊びに行こう。




 羽が完成するよりも少し前から、航希は自らの身体を改造することに着手していた。これまでの真面目な勤労のお陰で、懐には余裕ができたのだ。


 複数回の整形手術を重ねることで、鳥のような足を作り上げた。

 彼が受けたのは、不要な指の切除と、指の間に切り込みを入れることで指一本一本を長くする手術だった。鳥足を手に入れるため、彼は二本の指を犠牲にした。

 鳥の皮膚の質感を再現することはできなかったが、見た目はかなり鳥に近くなった。


 傍から見れば異様なその足も、彼にとっては至高の芸術作品だった。

 本当は(くちばし)も欲しかったようだけれど、社会人であるという身を考えると実行はできなかった。そのため、過去に得た技術を総動員して嘴の模造品を作り、マスクのように着用することにした。

 私が「手伝うよ」と連絡を入れると、彼はわざわざ地元から来てまでやってもらうような仕事じゃないよと笑っていた。そんな、遠慮することないのに。


「ちょうど出張が入ってさ、コウキの家の近くに行く用事ができたの」


 そう付け加えてやれば、航希もすぐに私の来訪を歓迎してくれるという返事をくれた。





「ホゥ、ホゥ」


 フクロウの鳴き声を模しながら首を大きく傾ける。

 いつからか彼は、自宅にいる間は鳥として暮らすようになった。


 奇怪な行動にも見えるけれど、これすらも彼にとっては夢の実現へのステップの一つでしかないのだ。

 食事も鳥のものへと近づけるべく、彼は鳥の餌を買い込んだ。

 また、古いノートを引っ張り出してきて、野鳥がどのようなものを食べていたのかを調べた。


 彼は、調査の結果分かった食品の全てに挑戦した。

 水辺にすむものは魚を食す。野にすむ鳥が好む果物や粟や麦などの穀物は生のままだと固くて食べづらいというだけで、食するのが不可能なほどではなかった。けれど、問題は昆虫だ。鳥はよく昆虫を食する。

 ミミズを土の中から掘り出して、活きのいいまま口へ放り込む。だが、口の中でのたうち回る感覚と泥臭さに、一度噛んだだけで吐き出してしまった。他の様々な虫にも挑戦したが、どれもおいしいとは言えなかった。


 それでも、じっくりと時間をかけて慣れていくことで、初めは苦手だった鳥の餌も食べられるようになった。今では鳥の餌が彼の必需品になっていた。




 羽の試作品が完成してから半年、まとまった休みを取ることができた彼は試験飛行を行うことを決意した。

 試作であるから、腕に縛り付けるような形となる。だが、実際に完成した暁には、本来の腕とすげ替えることも視野に入れていた。


 実験に協力してくれた後輩たちに見守られながら、彼は羽の調子を確かめるように小さく羽を動かした。

 大きな空気抵抗を感じ、体が持ち上がる。

 小さく動かしただけでこれだ。本気で羽ばたけばどれほどに気持ちが良いことだろう。


 いける、と確信した彼は、建物の三階から助走をつけて踏み切った。




 目が覚めたのは、病院のベッドの上だった。着地に失敗して足を折ったのだ。

 秘密裏に行われた実験に腹を立てた開発本部長が、彼をプロジェクトチームから外すことを告げに来た。クビも同然の宣告だった。


 息子の身を心配して駆けつけた彼の母親は、彼の荷を取りに自宅へ入った。

 彼の母は、室内に並べられた膨大なコレクションに相当なショックを受けたらしい。時間と労力をかけたコレクションを、一つ残らず処分してしまった。


 そして、息子が怪しげなコレクションを再開しないようにと、鳥の捕獲のために用意していた道具類も全て捨ててしまった。

 膨大な量の資料が入った十年以上も使っていたパソコンは、古いからという理由で処分されてしまった。


 息子の持ち物を勝手に整理してしまった罪悪感からか、彼の母は彼女なりの罪滅ぼしをした。最新型の、値の張るデスクトップパソコンを購入し彼に送ったのだ。

 どちらも、彼の母親からすれば正しい判断だった。けれど、彼の受けた傷は深い。

 体の傷よりも、さらにさらに、深い。





春捺(はるな)ちゃん」


 彼のいる病院へお見舞いに行った時だった。

 後から入ってきた彼の母親が私の名前を呼んだ。


「はい?」

「春捺ちゃん、いつも航希の様子を見に来てくれてありがとう」

「いえいえ、大切な幼馴染のことですから」


 満面の笑みで答えたけれど、相手の表情は硬い。


「春捺ちゃんもお仕事やってるんでしょう?」

「はい」

「今日もお仕事だったんじゃないの?」

「あ……、いえ。今日は休みなんです」


 無意識のうちに左手が動き、眉頭を軽く掻く。


「本当に? 昨日はどうだったの? 一昨日は?」

「休みですよ、休み!」


 ガリガリガリと眉を掻きむしる手に力がこもる。

 爪が皮膚に刺さる感触があって、追って鋭い痛みに襲われた。


「春捺ちゃん」


 真っ直ぐで強い意志の垣間見える視線に、私の動きの一切が停止した。

 目を逸らしたくても、首が動かない。眼球も動かない。次巻さえも止まってしまったのではと思うほどだった。


「……もう、来ないでほしいの」

「……っ!?」


 空気の塊が咽喉を通過し、食道を下り、胃に落ちた。

 息を飲むという言葉を、文字通り身をもって知った。

 飲み込んだ空気が逆流して、胃から食道へとせり上がり、咽喉を潜り抜けて口腔内に戻ってきた。その時になってようやく、いつも通りに声が出せるようになった。


「どうしてですか……?」

「あなた、自分が何て呼ばれているか知ってるの?」


 てんで的外れな答えが返ってきて、左手の人差指が再び眉に伸びる。

 爪の中にまで血が染み込んでいたけれど、気にはならなかった。


「そんなこと、関係ないですよね?」

「ストーカー」

「え?」

「ストーカーよ。春捺ちゃん、ストーカーって呼ばれてるの」


 意味がわからない。

 眉をえぐる速度が増していく。

 ぐちゅぐちゅと水っぽい音がしていた。


「誰がそんなこと。馬鹿なこと言わないで下さいよ」

「馬鹿なことじゃないでしょう? 飛行機や電車のお金だってかかるでしょうに……」


 言っていることは間違っていない。けれど、交通費も滞在費も全て私が支払っているのだから問題はないはずだ。

 それをわざわざストーカーだなんて呼称を付ける必要がどこにあろうか。


「私だけが言ってることじゃないのよ。お願い、もう後期に近づかないで」


 突きつけられた言葉に、私は何も言い返せなかった。

 航希は目覚めていたようだけれど、虚ろな目で私たちを見るばかりで何も言わなかった。


 これ以上話しても無駄。

 そう感じた私は、決意をすると部屋を出た。

 



 狭い部屋の中、潰れてかすれた声で彼はさえずる。

 もしくは、大きな体を丸めて肩にかけた毛布を羽に見立て、ベッドの上でうずくまっている。

 痩せこけて落ちくぼんだ目をぎらつかせながら、彼は注意深く周囲を見回した。


 あの事故以来、彼は少し変わってしまったようだ。

 今の彼にはどんな景色が見えているのだろう。


 時おり両手を広げては、毛布の羽をばたつかせた。

 そのたびに細かいほこりが空気中に魔って、太陽の光を受けてキラキラと輝いた。光り輝くほこりは、部屋の中に充満する。

 毛布の下には、骨と皮ばかりになった軽い肉体がある。鳥の餌だけでは到底栄養が足りていないのだ。それでも、彼は人間の食べ物を口にしようとはしなかった。


 毛布の間から除く彼の足には、異様に長い指が三本だけある。鳥の足だった。

 毛布の羽をばたつかせる今、彼は大空を翔けている。





「……コウキ、今日は調子がいいんだね」


 食事の入った皿を持って、彼のいる部屋へ入る。

 今は私だけが彼の専属の看護師。


 焼きもちを焼いて、いちゃもんをつけてくる母親からは引き離してあげた。この場所を知っているのは私たちだけ。他の人には気付けない。

 カラスの森の奥にある、小さな朽ち果てた小屋だ。

 ここなら彼のために全てをしてあげられる。食べるものも着るものも、すべて私が見繕う。


 彼はまるで、何も知らない幼子のようだ。

 可愛い可愛い私の息子。


 彼は私の突然の訪問に驚き、手をばたつかせて飛び立とうとした。チッチッチと舌を鳴らして彼をなだめる。

 できればすぐにでも抱きしめてあげたいのだけれど、それはできない。一度だけそれをやったことがあったけれど、その時に彼が恐慌を起こしてしまったからだ。

 酷く取り乱した彼の姿は、見ていてとてもつらいものだった。


 今は少しずつではあるけれど、私に懐いてくれつつある。数歩ずつ距離を縮めて、私の手から食事をとってくれるまでになった。

 ここに来てから、彼は人間の言葉を発していない。人間の食物を口にしてもいない。

 鳥の言葉で話し、鳥の食物を食んだ。


 ここへ迷い込んだ子供たちは、彼を見て不気味だとか頭がおかしいんだとかと言った。けれど、彼は完璧だった。

 幼い頃から夢に見続けてきた鳥がそこに居るのだ。

 動作の一つ一つが、彼の研究の成果だった。




 彼はもう、人ではない。

 念願かなって鳥になったのだ。

 そして、私の願いもかなった。


 これで、大好きな航希とずっと一緒に居られる。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  航希の異質さはもちろん、主人公の異常さもラストに近付くにつれ徐々に表れてきてわくわくしながら読めました。  とても面白かったです! [一言]  Twitterのbotにて別の作品…
2014/03/17 15:30 退会済み
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