抹茶味の、お礼
「お前のことが好きだ!」
幼馴染である北條恭介があまりにも唐突に言うので、アタシは一瞬何を言われているのか分からなかった。遅れて意味を理解して、顔から湯気が噴き上がるように真っ赤になる。
そんなアタシのことなどお構いなしのようで恭介は目の前に迫ってくると固まったアタシを強く抱きしめた。最初は真っ白だった頭もだんだんとうれしさでいっぱいになり、気付くとアタシも恭介の背中へ腕を回し、ギュッと力を入れる。
あぁ、小さい頃はよく泣いていた恭介をこんな風に抱きしめてたっけなぁ。
あのころと違い、今は恭介を異性として意識してしまっている。だからだろうか、こんなふうに昔の ように抱きしめ合っていると余計に幸せに満ちていく。
恭介はアタシの耳元まで顔を落とすと「愛してる」とささやいた。
落ち着きを取り戻しかけていたアタシの頭はまたしてもパニックになる。驚いて顔を上げるとそこにいたのは―――
「おーい瀬南、この私の授業で居眠りするとはいい度胸だな」
主に国語の時間に見かける先生がいた。手にした国語辞典を頭の上まで振り上げている。
「あはは、どうしたんですか上野先生。国語辞典は振り上げるためのものじゃないですよ?」
今かいている汗は冷や汗ではなく気温が高いせいに違いない。やっぱり夏だね。
「あぁ、そうだな。……振り下ろすためのものだ」
そう言って上野先生はアタシの頭をめがけて辞典を振り下ろす。
「イテッ!」
「まったく、これで少しは目が覚めたか」
アタシが頭を押さえながらうなずくと上野先生は教室の前の方へ戻っていった。
前の方の座席では恭介が必死に笑うのを堪えている。
……あぁ夢オチか。
「さて、瀬南。とりあえず居眠りの言い訳を聞こうか」
授業が終わった昼休み、国語の先生であり担任でもある、上野梢先生に呼び出された。
上野先生はまるでベテラン教師のような空気をまとっているがまだ二十代だ。独身でかつ彼氏もいないらしく休日は婚活にいそしんでいるらしい。美人なのにかわいそうに思えてくる。
「いや~、アレですよ。最近部活で忙しくて」
「面白いことを言い出したな。いったい帰宅部はどんな活動をしているのかね」
「……すいません、寝不足です」
「はぁ、聞けば他の授業でも熟睡だったそうじゃないか。どれだけ寝てないんだ、まったく」
そう言って上野先生はタバコをくわえる。……先生、校内は全面禁煙です。
ちなみにアタシが呼び出されたのは生徒指導室。おそらくこの先生は誰も見ていないからタバコに手を伸ばしたのだろう。というか、たかが居眠りで生徒指導室に招待される生徒の身にもなってください。
「まぁ君も色々あるんだろうが、あんまり根を詰めるなよ」
先ほどとは一転した柔らかい口調に少し驚いた。
「どうしたんですか?やけに優しいですね」
「……私はこれでも生徒思いの優しい先生を自負しているのだけれど」
「ダウト!」
「心外だな。私は本気だぞ。……まぁ私の話は今はよそう。それよりも君は最近どうなんだ?」
あぁなるほど。それが聞きたくて呼んだわけだ。
「う~ん、ぼちぼちですね。毎日のように弟が連れてくるんで、休み無しですよ。もうホント授業中に寝るのは仕方のないことだと思うんです」
「まさかここで正当化してくるとはな。言っておくがその言い訳が通用するのは私だけだぞ」
「自分には通用する自覚があるんですね……」
「残念なことに君のことが理解できてしまうからな。同じ『見える』人間としてね」
「……感謝してますよ、色々相談に乗ってくれて」
「言っただろう、私は生徒思いなんだよ。おっと、だいぶ時間をとってしまったようだな。くれぐれも午後の授業はちゃんと受けるように」
「ほーい」
適当に返事をして生徒指導室をあとにする。外に出てから制服にタバコの臭いがついてないか気になった。これで他の先生に何か言われたら上野先生のせいだ。
「あーかーねっ、梢ちゃんどうだった?怒ってた?」
教室に帰るとアタシの一番の親友(というか一人しかいないんだけど)の宝城明海に声をかけられた。このふわふわお嬢様みたいな雰囲気の友達を見ているとアタシもこんなふうになりたいと思ってしまい羨ましくなる。
ちなみに茜というのはアタシの下の名前だ。
「いーや、べつに。ただ注意されただけ」
「なぁんだ、つまんない。てか一体どんな夢見てたの?なんか隣で『ぐへへっ』って言ってたけど。それに顔が不気味なくらいにやついてたし」
うわぁ、恥ずかしい。そんな顔見られて夢の内容まで知られるのは避けたかった。
「……いや、よく覚えてない」
「ふーん。まぁなんとなく予想はつくけどね。どうせ恭介君の夢見てたんでしょ」
「なっ、ちがう!そんなんじゃない!」
「あはは、照れるな照れるな。それにしても恋する乙女の顔にしては随分と邪悪な表情だったよ?あれ直さないと恭介君もそのうち引くと思うんだけど」
「うぅ~、そんなこと言ったって無意識なんだし仕方ないよ」
「無意識であんな禍々しい顔になるのね……」
明海が呆れ顔でため息をつく。そんなにひどかったの?
「よっ。何の話してんの?」
後ろから声をかけられた。恭介の声だ。そして肩を叩いてくる。ふとさっき見た夢を思い出してしまって顔が赤くなる。
「アタシの後ろに立つなァァァ!」
「っごぁ!」
恭介のうめき声が聞こえた。あぁ、照れ隠しでハイキックが出てしまうアタシの癖を誰か直して下さいお願いします。
「うわぁ、ゴメン!ついうっかり足が出ちゃった」
「いててて、ったく何なんだよ。なんでうっかり暴力になるの。てかなんで蹴られたの?」
「だからゴメンって」
「……まぁいいけどさ。さっきの寝顔ケッサクだったし」
「今すぐ忘れろ!」
今度は回し蹴りだ。もちろん手加減はしない。
そんなアタシ達のやりとりを見て明海はまたため息をついた。
キーンコーンカーンコーン、と授業の終わりを知らせるチャイムが鳴る。ふぁ~よく寝た。えっ?寝るなって言われてなかったって?気にしなーい気にしなーい。
「終わった~」
アタシのとなりで明海が背中をそらして体をのばす。なんてことない仕草でもかわいくみえてしまうほんわかお嬢様は午後も健在だった。
「明海は今日も部活あるの?」
「そうなのだよ。じゃ、また明日ね~」
明海がひらひらと手をふってくる。アタシもそれに返し、帰る支度をする。
「なぁ、茜。今日もお前の家行っていい?」
恭介が聞いてくる。毎度のことなのだが年頃の女の子の家に上がろうとするのになんでこんなに躊躇がないのだろう?あぁそうか、年頃の女の子に見られていないのか。
放課後も一緒にいられるのは幼馴染みの特権だが、アタシの場合は女の子に見られていないというオプションも付いてくるので素直に喜べない。まぁ他にも喜べない理由はあるのだけれど。
「……いいけど、今日もいつものやるよ?」
「別に良いよ。あれ、傍から見てると面白いし」
「見せ物じゃないっての。……まぁいいか」
思わず苦笑が漏れる。アタシの一日は家に帰ってからが本番だ。……何これ本当に高校生?
アタシの名前は瀬南茜。健気で純情な女子高生だ。……嘘ですゴメンナサイ。中学の頃は不良のカリスマとして崇められ、綺麗な服より特効服が似合うとよく言われていました。
でも高校に入ってからはそんな生活ともおさらば。
染めていた髪を黒に戻し、荒っぽい言動を抑え、高校入学を期に心機一転。いつか見目麗しいお嬢様のようだと言われてみせるぜ!
そんなTHE女子高生なアタシだが、実はちょっとした秘密がある。どうでもいいけどミステリアスな女って魅力的らしいよ。かの有名な推理漫画でベルモットも言ってたし。
でも残念ながらその秘密はアタシに災難しかもたらさない。もうホント神様アタシに文句でもあるのっていうくらい毎日災難続きだ。一難去ったらもう三難ぐらいの勢いで降りかかってくる。
そろそろお気づきの人もいるかもしれない。何を隠そう、アタシには……幽霊が見えるのだ!
あれっ、そんなに驚かない?そうですか、分かりました。
まぁ幽霊が見えるっていう人自体珍しいけど、それだけならアタシの周りにもいる。上野先生も見える人だし。
ただアタシが人と違うのは……弟の存在だ。
アタシの弟、瀬南純平も霊媒体質なのである。でも純平は何かが見えるとかそういうのではない。
とにかく引き寄せるのだ。幽霊だったりお化けだったり、しまいには悪霊まで引き寄せてしまうのでタチが悪い。しかし純平は何も見えない。何が起こっているのか、自分の周りに何がいるのか、全く理解していない。
そしてその体質がもとで、純平は去年大けがをした。アタシが高校に入学したばかりの時の出来事である。それまでは純平に近寄るものはたとえ悪霊でも追い払っていたアタシだが、その時だけは足がすくんだ。取り憑いた悪霊が大きすぎたのである。
その事件がきっかけで、これまでの対処療法では意味がないと悟った。しかし、残念ながら幽霊が見えるだけのアタシでは解決策は出てこない。途方に暮れていたところへ手をさしのべてきたのが上野先生だ。
先生の実家は神社で、そこでは憑き物落としのようなこともやっているらしい。先生は純平の体質を抑えるお守りを作ってくれた。そのおかげで弟に悪霊が憑くことはなくなった。
お守り様様である。
ただ、どうしても引き寄せられてしまう幽霊というのもいるらしい。そしてこの世に未練がある幽霊は放っておくと悪霊になってしまう。
そこでアタシは純平に取り憑く幽霊を成仏させることにした。なぁに、お守りのおかげで取り憑いてくる幽霊自体ほとんどいないのだし、そもそも十何年も純平に取り憑く奴らを追っ払ってきたのだ。楽勝だ!……と思っていたのも束の間。連中を成仏させるのは一筋縄ではいかない。じっくり話を聞いて、何が未練なのかを聞き出し、解決していく。この地道な作業がとても大変なのだ。多分上司と部下の板挟みに苦しむサラリーマン並に大変だと思う。
そんなこんなでウルトラ女子高生、瀬南茜は今日も絶賛お祓い中!
家に帰るとリビングで純平が昼寝をしていた。その近くでじいさんの幽霊がうろちょろしている。昼寝に関しては日課みたいなものなのであまり気にしていない。それに純平には幽霊の話はあまりしたくないので都合がいい。
今日の仕事相手はどうやらじいさん一人のようだ。雨の日には何人も連れてくるのだが、梅雨があけた最近はめっぽう少なくなって助かる。
「恭介は何か飲む?」
「じゃあ麦茶で」
「……普通『いや、いらない』って遠慮するとこじゃないの?」
「幼馴染みに遠慮もなにもいらないだろ」
さいですか。異性としては部屋に上がることを少しはためらって欲しい所なんだけど。
とりあえず恭介は先に部屋に行かせて麦茶の準備をする。その足でじいさんの首根っこをつかんで純平からひきはがし、アタシの部屋に引きずり込む。じいさんは「ひいっ」とか声を上げていたが無視だ。
部屋に入ると恭介がさっそくくつろいでいた。……いや、まぁいいんだけどね。
なにはともあれ、仕事開始だ。
「橋本昌史、享年75才、二ヶ月前に車にはねられ死亡。長年連れ添った妻を残してしまっている、そういうことね?」
確認と、見えも聞こえもしない恭介に知らせる意味で得た情報を口にする。
「……ハイ、その通りです」
最初の印象が悪かったようで向こうはかなり及び腰だ。隣では恭介がアタシの漫画を読みふけっている。
「で、なんでまだこの世をさまよっているワケ?言っておくけど奥さん残して心残りっていうのなら見当違いだからね」
世の中に大事な人を残して死んでしまう人なんてごまんといる。みんなそれでも残されてしまった人に心配されないように成仏していくのだ。甘ったれてはいけない。
「いや、それがその……。死ぬ直前にばーさんと喧嘩してしまって……それで家を飛び出したら車に轢かれて……結局謝れなかったんじゃ」
鼻をすする音が聞こえた。見るとじいさんは目に涙を浮かべていた。もしかしてけっこういい話ですか?
「・・・・・・喧嘩ばかりの結婚生活じゃったが、なんだかんだで楽しかったしの。最後に、お礼だけでも言いたくて」
絞り出すようなじいさんの声は自然と胸に響いた。
「ふーん……。ちなみにその最後の喧嘩の原因は?」
「それがのう……」
ここでじいさんは妙に間をとった。まぁきっと話しにくい事なのだろう。
「実は……ばあさんが大事にしとったアイスを食べてしまったんだよ」
だよー、だよー、だよー、よー、よー、ょー。
頭のなかでじいさんの言った言葉がリピートされる。コイツハイッタイナニヲイッテイルノ?
「……ふぅ。とりあえず今から神社に連れて行ってあげるわ。そこの神主さんならどんな幽霊も一発で成仏させてくれるわよ」
「ま、待ってくれ。ワシの話を聞いてくれるんじゃなかったのか!?」
「聞いたよ。聞いた上での妥当な判断でしょ。んなふざけた理由でさまよってんじゃねぇっての。アタシの貴重な時間を返せ」
おっと、つい口調が荒っぽくなってしまった。いかんいかん。
「ちょっ、本当に待ってくれ!だってハ○ゲンダッツじゃぞ!見つけたらつい食べてしまうじゃろ!」
……ホントにふざけたやつだな。よし、一発説教かましてやるわ。
「……何味だ?」
「へ?」
「何味のハ○ゲンダッツを食ったと聞いてんだコノヤロォォォ!」
「ひいぃすいませぇん!抹茶です。抹茶を食べましたー!」
「ふ、ふざけるなァァァ!」
そう言ってアタシはじいさんの顔面に拳をたたき込む。うなれアタシの右ストレート!
「……なんでそのお爺さんの頼み聞いたんだよ」
アタシの拳がいいところに入ってしまったらしく、じいさんは気を失ってしまった。いや、幽霊も気絶とかするんですよ。
その間に恭介に事の詳細を話したのだが、ため息まじりにそう聞かれた。
「いや……だってハ○ゲンダッツだよ?自分へのご褒美に奮発して買うようなやつなんだよ?しかも抹茶なんだよ?それを食われたばあさんの身にもなってみなよ」
「みなよ、じゃないだろ。それ単にお前が抹茶すきなだけじゃん」
「いいじゃん、別に。とにかくこの依頼は受けるからね」
「……まぁ茜がそういうならいいけど。それで、具体的にどうするの?」
「……いっつも思うんだけどさ。なんで付き合ってくれるの?いや、ありがたいんだけど」
そう聞くと恭介はうーんと首をかしげる。まるで言葉を選んでいるかのようだった。
「なんていうか……、茜が暴走しないようにするため?かな」
「なっ……」
どういう意味だと問いつめようとして、先ほどのじいさんを殴った光景を思い出す。アタシとしては人を殴っているつもりなのだが、傍から見れば急にシャドーボクシングをしだしたようにしか見えないだろう。まぁそもそも人を殴っている時点で暴走なんだけど。
「そんなことより、どうするの?どうやったってお爺さんの声はお婆さんには届かないよ?」
その通りだ。死人は口をきかない。きいたとしてもたいていは届かない。だからじいさんもどうしようもなくてこの世に留まってしまうのだ。
「分かってるよ。死人の声は届かない。……でも言葉なら届くでしょ」
と、ちょうどいいタイミングでじいさんが目を覚ました。
「おっ、起きたか。じいさん、アンタの依頼受けてあげるわ」
「へ……、いやいや、急にどうしたんじゃ?」
「ばあさんのハ○ゲンダッツの恨みも返してやらないとね」
態度の急変にじいさんは何か言いたげだったが、何しろ時間がない。今日中に片を付けたかったので急いで出かける支度をする。
まずはコンビニへレッツゴー!
アタシ達はある民家の前まで来ていた。表札には“橋本”と書いてある。
「ここでいいんだよね?」
アタシはじいさんに尋ねる。手に提げたビニール袋には買ったばかりのハ○ゲンダッツとプラスチック製のスプーンが入っている。
「あ、あぁ、そうじゃ」
その声は少し震えていて、緊張しているようだった。……なんでアンタが緊張しているんだよ。話すのアタシなんだけど。
ちなみに恭介もちゃっかりついてきている。無言で。ちょっと不気味なくらいだ。
「……行くよ」
自分に言い聞かせるようにつぶやいて、インターホンを押す。ピンポーンという何の変哲もない音がやけに耳に響いた。
ガチャリ、と鍵の開く音がしてドアが開く。少し不用心なんじゃないの?
「……どちらさま?」
出てきたばあさんの問いにには答えず、無言でビニール袋を差し出す。
「……これは?」
怪訝そうな顔で聞いてくる。見知らぬ女にいきなり尋ねられビニール袋を渡されれば、そんな顔にもなるだろう。
「アンタの旦那から。届けてくれって言われた」
アタシはぶっきらぼうにそう言った。ばあさんは怪訝そうな顔のままだったが、ビニール袋を受け取ると中身を確認する。その瞬間ばあさんの手が震えたのが分かった。
「これ……、な、なんで、あなたが……」
ふぅ、よかった。アイスのこと覚えてなかったらどうしようもなかったんだけどね。
「アンタの旦那の遺言。救急車で運ばれる前に頼まれた。名前を教えてくれなかったから探すのに苦労したよ」
じいさんの幽霊に頼まれた、とは言わない。
じいさんは死んだのだ。そこに霊がいようがいまいが関係ない。死んだらそこで終わりなのだ。もう一度会う、話をする、そんなことはできっこない。
きっとばあさんも悲しんで、だけど乗り越えて今日も生きているんだと思う。そんな人に叶いもしない希望を持たせてはいけない。
だからアタシは嘘をつく。
幸い、じいさんは車に轢かれての事故死だ。調べると、即死ではなく、救急車の中で息を引き取ったらしい。それならばじいさんの遺言を聞いた、と言っても信じてもらえるだろう。
なにより最初のアイスが効いているはずだ。
沈黙の中で、ばあさんのすすり泣く声だけが響いていた。
「アイスついでにもう一つ。アンタとの人生、喧嘩ばっかりだっだけどけっこう楽しかったってよ」
となりではじいさんが心配そうにばあさんを見つめている。何か言いたそうだったが口をつぐんでしまった。
一体どれだけの時間立ち尽くしていたのだろう。ふいにばあさんが口を開いた。
「……まさかあのクソジジイがそんなことを言ってたなんてねぇ。夢みたいな話だよ。そうかい、じいさんも楽しかったのか……」
隣では、そのクソジジイが涙をこらえている。
「わたしも……楽しかったよ、クソジジイ」
ばあさんにはじいさんの姿は見えていない。だけども確かに相手を思って放ったその言葉は、きっとその人に届いたのだろう。
その証拠にじいさんの体が光に包まれていく。何度も見てきた光景、成仏するときの光だ。
「最後に一つ、聞いていいかい?」
「なんですか?」
「あの人、死ぬ前にどんな顔していたんだい?」
何と言おうか迷って、ふとじいさんの方を見る。ほとんど消えかかっていたがその表情は確かに───笑っていた。
死んだらそこで終わり。死んでしまえば、会うことも話すこともできやしない。
だけどこの表情は。子どもみたいなこの笑顔くらいは、伝わってもいいと、いや、伝わらなければいけないと、そう思えてくるのだ。
「……しわくちゃの顔に似合わないくらいの、とびっきりの笑顔でしたよ」
ばあさんの心には映っただろうか。じいさんの、あのバカみたいな笑顔が。
結婚生活なんて一日で飽きる。そう言ったのは誰だったか。
楽しいのは最初だけ。お互いに我慢して、時に喧嘩して、結局はそんな夢のない日々が続いていくだけだ。
確かにそうかもしれない。
でももし最後に笑い合えたなら、あのじいさんばあさんのように笑って別れることができたなら、それはきっと幸せな人生だったのではないだろうか。
夕暮れというには少し日が落ちすぎた道を、アタシと恭介の二人が歩いていく。
「いやー、それにしても恭介の置いてけぼり感ハンパなかったね」
「ほっとけ。どうせいてもいなくてもどっちでもいいような存在だよ」
「そんなこと言ってないって。アタシだって恭介いなかったら心細かっただろうし」
さりげなく明海にアドバイスされた健気アピールをしてみるが恭介の反応はない。
「……そうだ!付き合ってくれたお礼にアイス奢ってあげようか。抹茶のやつ」
「えっ!?まさかハ○ゲンダッツ?えらい太っ腹だな」
「んなわけないでしょ。百円のやつに決まってるじゃん」
「ちぇっ、ケチなやつだな」
「奢ってあげるって言ってんだから感謝しなさいよ」
誰もいない道路で、アタシ達のバカみたいな会話だけが響いていた。
初めまして。一之助です。
拙い文章ですが最後まで読んでいただきありがとうございます。
書き終わって読み返してみると、結局幽霊ものがやりたかったのか幼馴染ものがやりたかったのかイマイチ分からなくなっていますがご容赦ください。作者はどちらもやりたかったんです。
ちなみに作者には幽霊が見えるのかというと……ご想像にお任せします。
もしかしたら続編を書くかもしれないのでよろしくお願いします。