第一話 猫と二人 - 7節 -
7
動機は、ただ何となく梨本の言葉が引っ掛かっただけだった。いつも来ている葉月が来られなくなったというのも、条件の一つだったのかもしれない。また、どこかで自分に責任を感じていたのかもしれない。
一つ一つを取ってみれば大した事ではないのだが、重なれば、特別なように感じられる。全ては偶然でしかなく、偶然など、世の中の至る所に転がっているというのに、積み重なっていけば、それは必然等という言葉にすり替えられる。要はきっかけとタイミングなのだ。きっかけに気付き、タイミングを逃さなければ、物事は勝手に、自らの速度で流れていく。必然とは、何処かに流れ着くまでの過程に対して、誰かが意味を付けたがった名称なのだろう。それならば、例えば、偶然川に舞い落ちた葉っぱが海に流れ着くまでの過程、そんな事でも、必然という淡い希望を付けられるのではないか。
そこまで考えて、美樹田は自分の思考で吹き出してしまった。作業時の格好の一つとして、作業員は皆マスクを付けているので、美樹田が吹き出し笑いをしている事は誰にも気付かれてはいない筈だ。吹き出した時の挙動で、磨いている楽器を落としそうになったが、それも問題はない。美樹田は楽器の研磨を続ける。
しかし、どう考えても先程の思考は大袈裟だった。そういう風に考えてしまう事自体が、自分にとって都合の良い考えでしかない。それはもう的から逸脱している。
美樹田は葉月の表情を思い出す。極度に元気がない訳ではない。涙を流す程、あの猫と共に過ごした訳でもない。ただ、葉月は少しだけ寂しいのだろう。名前を決めていなかった事も、もしかしたら気に掛けているのかもしれない。美樹田にしてみてもそうだった。偶然拾った猫が、偶然空いていた窓からいなくなった。ただ、それだけだ。一ヶ月程度しか共に過ごしていないではないか。共に過ごした時間でいえば実家で飼っていた猫の方がずっと長かった。
胸にモヤが掛かる。
何だろう。何かが引っ掛かる。
美樹田は持っている楽器の向きを変えて持ち直す。十メートル程離れた場所では、菅田と梨本が話をしている。仕事の話だろうか。話し好き同士、話が合うのかもしれない。作業所内の掛け時計を見る。今のままのペースを保てば、残業はなさそうだ。