憤怒
時に、喪失は世界を灰色に染める。
そして時に、怒りだけが過去と未来を繋ぐ唯一の橋となる。
この章は、痛みが憤怒へと変わる瞬間の物語だ。
その憤怒が導く選択は、主人公の人生だけでなく、彼を取り巻くすべてを揺るがす。
カイレンは、誰もが経験したくない現実に直面する。
底知れぬ喪失。
理不尽な現実。
そして――すべてに逆らってでも、決断しなければならない瞬間。
どうか心して読んでほしい。
ここには都合のいい痛みも、安易な答えも存在しない。
あるのは闇と怒り、そして――
彼の世界を永遠に変えてしまう「最初の一歩」だけだ。
第三章 憤怒
怒りが、俺の身体を喰らっていた。
世界そのものを、憎んでいた。
人生にあったすべての色が、一瞬で消え去った。
まるで誰かが、乱暴な手つきで塗り潰し、
あとには灰色だけを残したかのように。
――大切な人の葬儀を見るほど、苦しいものはない。
頭の中で、同じ叫びが何度も反響する。
なぜ、祖父なんだ?
なぜ、他の誰かじゃなかった?
この場所が憎い。
周りにいる人間が憎い。
哀れみを浮かべた顔が、目に刺さる。
――くそ……全員、消えろ。
「お悔やみ申し上げます、カイレン……」
誰もが同じことを言う。
同じ言葉。
空虚で、無力な言葉。
もう、耐えられなかった。
感情が波のように押し寄せる。
荒々しく、制御不能で――
そして……空っぽになった。
棺が、ゆっくりと降ろされていく。
「……やめろ……」
喉から、かすれた声が漏れた。
俺は前に飛び出した。
だが、強く掴まれる。
「離せ!!」
カグリムの腕の中で、暴れながら叫ぶ。
「まだ生きてる!
祖父は生きてるんだ!
お前ら……化け物か?!
なんで埋めるんだよ!!」
自分の声が聞こえる。
だが、それが自分のものとは思えなかった。
言葉が、勝手に溢れ出す。
痛みに歪んだ、醜い言葉。
涙で視界が滲む。
世界が、崩れていく。
――俺は……何を言っている?
痛み。
痛み。
痛み。
終わらない。
俺の目の前で、祖父は埋められた。
もう、いない。
受け入れられない。
受け入れたくない。
きっと――
永遠に。
指が地面に食い込む。
引き裂くかのように、土を掴んだ。
これは、ただの悲しみじゃない。
――怒りだ。
誰が殺した?
なぜ、あの外道はまだ生きている?
皆は家に帰る。
だが、祖父は帰らない。
……俺は、独りで家に戻るのか?
そこには、何もない。
カグリムが何か言っていた。
肩に触れていた。
だが、俺は彼を見ていなかった。
言葉は、通り過ぎるだけ。
何一つ、残らない。
やがて、皆が去った。
俺は祖父の墓の前に、独り残った。
頭の中は、静かだった。
――安らぎではない。
思考すら存在しない、
冷たく、暗い空白。
「……カイレン」
背後から、声がした。
「頼まれたものを、持ってきた」
振り返らなかった。
誰かなんて、分かっている。
そして――どうでもよかった。
「……これから、どうする?」
レヴァンが、正面に立つ。
しばらく、沈黙。
やがて、墓から視線を離した。
「……やるべきことをやる」
低く、言った。
「行こう」
祖父が眠る地面に、背を向けた。
俺の視線は、ただ一つの点に向いている。
――選択には、必ず代償がある。
それを、俺は知っていた。
だが、確信していた。
――それだけの価値がある、と。
そうでなければ、この喪失を少しでも和らげることなどできない。
俺たちは詰所に辿り着いた。
立ち止まり、耳を澄ます。
――静寂。
「……こっちだ」
レヴァンが囁いた。
「ここに隠した」
彼が板をずらすと、そこに武器があった。
金属が、闇の中で冷たく光る。
「誰にも見られてないな?」
視線を逸らさずに訊く。
「大丈夫だ。間違いない」
「……上出来だ」
俺は長距離銃を手に取った。
その重さは、知っている。
――知りすぎているほどに。
「……本当に、やるつもりか?」
レヴァンの声には、抑えきれない緊張が滲んでいた。
「来なくてもいい」
冷たく言い放つ。
「来るなら、くだらない質問はするな」
彼は重く息を吐いた。
――それが、答えだった。
警備はいない。
短い猶予。
逃せば、終わりだ。
扉を開ける。
闇。
湿気と、血の匂い。
俺は前に進んだ。
――居場所は、分かっている。
一歩ごとに、鼓動がこめかみに響く。
「……お客さんか」
冷たく、突き刺すような声。
血が、沸騰した。
「よう、坊主」
鉄格子越しに、奴は俺を見据える。
「何しに来た?」
答えない。
武器を持ち上げ、狙いを定める。
「最後の言葉だ、クズ」
「爺さんが死んで、最高だぜ」
奴は笑った。
「ははは」
――発砲。
弾丸は、耳元を掠めただけだった。
奴は、微動だにしない。
むしろ、笑みが深くなる。
「下手だな」
嘲るように言う。
「手、震えてるぞ」
「運が良かったな」
再装填しながら言った。
「次はない」
「急げ」
レヴァンが振り返りながら低く言う。
「撃った音、絶対聞かれてる」
「分かってる」
俺は、再び照準を合わせた。
「ほら、坊や」
奴は自分の額を指差す。
「ちゃんと狙えよ」
――カチッ。
詰まった。
武器が、動かない。
奴は、腹を抱えて笑った。
「おーっと、不運だな」
甘く、毒のある声。
「そんなに俺を殺したいか?
やれよ。――できるならな」
俺は、一歩踏み出した。
「やめろ!」
レヴァンが俺を強く掴む。
「挑発してるだけだ! 行こう、今すぐ!」
だが――
俺は。
行けなかった。
行けるはずが、なかった。
「……俺が、やる」
視線が、床に落ちる。
――鍵。
多分、これだ。
……運が、味方している。
鍵を差し込む。
回す。
――カチリ。
錠が、外れた。
「やめろ……」
レヴァンが、再び止めようとする。
俺は、檻の中に入った。
奴の視線が、俺に突き刺さる。
一歩。
もう一歩。
彼は鎖に縛られていた。
俺は確信していた――彼は無力だと。
「怖いのか?」
彼は笑みを浮かべた。
「初めてか?来いよ、俺が教えてやる…」
その瞬間、俺の視線は止まった。
俺はナイフを取り出した。
振りかぶり――
一瞬。
そして一撃。
だが彼は足で俺を蹴り飛ばし、俺は横へ吹き飛んだ。
起き上がろうとする間に、彼はすでに立っていた。
頭部への一撃――間に合わなかった。
レヴァンが飛び出し、その衝撃を自ら受け止めた。
「情けないな…」
首謀者はレヴァンの頭を掴みながら吐き捨てた。
「最初に死ぬべきはガキだった――」そして俺を指差す。
俺は再び立ち上がろうとした。
だが無駄だった。
顎への強烈な一撃で、世界は揺れた。
「いや…いや」
彼は低く嘲る。
「お前には見る義務がある。
自分の行動が何を生むのか――見届けろ」
彼はレヴァンの頭を握りしめた。
レヴァンは必死に抵抗した。
だが意味はなかった。
立て。
来い。
――立て!
頭の中で叫んだ。
だが体は動かない。
その目の前で、彼はレヴァンの首を捻った。
――ポキッ。
音。
そして虚無。
彼はレヴァンの体を床に落とした。
鈍い音が響く。
その冷たい床に横たわるレヴァンの瞳は、虚ろに俺を見つめていた。
俺は這って彼に近づいた。
「いや…いや…いや…」
震える声で繰り返す。
「そんなはずがない…起きろ…お願いだ…起きろ…」
だが、彼は動かなかった。
体は重く、他人のもののようで――
死んでいた。
「思春期のエゴイズムだな」
上から声がした。
「そしてその結果がこれだ。死体。呼吸もしていない、ただの死体だ」
その声の主が、俺の上に立っていた。
「さて――」
首謀者は不敵な笑みを浮かべる。
「次はお前の番だ」
頭の中が爆発したようだった。
痛み。
怒り。
罪悪感。
自己嫌悪。
そして――その奥底で、何か別のものが湧き上がる。
深くて、暗く、濃い――何か。
俺の霊的エネルギー――異質なものが、溢れ出した。
目が焼けるように疼く。
周囲の空気が震え、世界が息を止めたかのようだった。
「お?」
首謀者が身構える。
「これは面白くなってきたな…」
彼が先に動いた。
彼の「ヘイク」は空中で濃縮され、刃となった――暗く、鋭く、まるで死神そのもの。
俺は考えなかった。
俺自身のヘイクは球体となり、結集した。
衝撃。
大地が震え、爆発――石の棘が天へ噴き出し、床も壁も天井も引き裂いた。
建物は耐えられなかった。
バンッ。
轟音。
すべてが破壊された。
そして、ただ一つの場所だけが無傷だった。
――そこが、俺の立つ場所。
廃墟の中、静寂の中。
まだ消えない怒りとともに。
魂が、怒りの力とともに。
埃。瓦礫。
すべてが破壊され――俺の魂もまた砕けた。
その足元には、冷たいレヴァンの亡骸が横たわる。
「いや…いや…いや…」
俺は呪文のように繰り返した。
「お前は死んではいけない…まだだ…」
周囲から声が聞こえた。
たくさんの声。
ほとんど聞き取れない。
ただ一つ、すぐに識別できる声があった。
――ニコの声。
彼は俺を後ろへ引き戻そうとした。
瓦礫と死体の中で。
だが俺は手を離さなかった。
「立て…」
俺はレヴァンの冷たい手を握りしめた。
「お前は死んでいない…目を覚ませ…」
しかし彼は目を開かなかった。
廃墟の中、俺たちは首謀者の死体を見つけられなかった。
――彼は逃げた。
それは、さらなる問題。
最悪の問題だった。
その瞬間、帝国護衛隊――カイダナの騎士団が村に到着した。
だが捕らえた囚人はどこにもいなかった。
どうやら解放されたらしい。
建物の破壊。
囚人の逃走。
そして俺の暴走。
すべてが俺のせいだとされた。
だが、どうでもよかった。
これまでの俺の行いを思えば――罰など意味を持たなかった。
カイダナ騎士団の隊長は激怒していた。
その激しい性格は、赤い髪と同じくらい鮮烈だった。
彼女はすぐに判決を下したがっていた――速やかに、剣で、古き良き時代のように。
「血で全てを清める」
それが彼女の考えだった。
唯一、彼女が踏みとどまったのは――カグリムの権威と功績だけ。
それだけが、俺がまだ生きている理由だった。
だが、俺の呼吸のたびに、彼女の瞳は新たな怒りを燃やした。
しばらく、低い声で距離を置きながら話し合った――
どうやら俺の「未来」について。
時間は意地悪に長く感じられた。
だが、ついに彼らは合意に達した。
残されたのはニコだけ。
不器用に、俺を正気に戻そうとしていた。
「聞け」
彼は頭を掻きながら言った。
「辛いのは分かる。でも諦めるな…坊や。俺たちはここにいる。お前は一人じゃない」
言葉は少し頼りなく絡まっていた。
だが、俺には分かった――彼なりの励ましだと。
「今回は運が良かった」
レヴァンが言った。
「だが、もう俺のやり方で動くな。
次に“運が良かった”なんてことがあれば――世界がひっくり返るぞ」
彼は笑い、肩を叩いた。
俺はぎこちなく笑った。
「……ああ。お前の言う通りだ」
「それでよし」
ニコは安堵の声を上げた。
その瞬間、扉が開いた。
カグリムとカイダナ隊長が部屋に入る。
「カイレン」
カグリムが静かに言った。
「お前はアルヴェンダルへ向かう――」
そこで言葉を区切った。
「お前の未来は、審判の評議会が決める」
隊長――メイラの冷たい声。
「約束通りにやれ、メイラ」
カグリムが促す。
「覚えてるわよ」
彼女は淡々と答えた。
メイラは一歩前に出て、俺を見る。
「さあ、何をぼーっとしてるの?さっさと準備しなさい」
彼女の性格は鋭く、命令以外には関心がない。
「俺はレヴァンと一緒に行けるか?」
俺は問いかけた。
一瞬の沈黙。
「“はい”か“いいえ”の問題じゃない」
俺は立ち上がりながら言った。
「どんな結論でも――俺は一人で行かない」
俺は外へ出た。
メイラはカグリムを一瞥する。
その瞳には一つの問いが宿っていた――
「一体何に手を貸したの?」
この章は、最も暗い喪失と怒りの瞬間でさえ、前に進む力を見つけられることを示している。
すべての選択には結果が伴うが、痛みを通してこそ、本当の決意が形作られる。
カイレンとともに怒りを感じることを恐れないでほしい――
時に、それが変化への「最初の一歩」なのだから。




