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その初恋は何を殺すのか  作者: 田中菜優


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8/8

第7話『初恋に溶ける』

 公爵邸から中心街までは徒歩で10分ほどである。

 

 ルッツェリヒが治める公爵領は、シェーネツリュックという名がついており、元々は先王の所有地であった。

 先王は、ルッツェリヒ誕生時に公爵の爵位と領地を分け与え、ルッツェリヒが成人するまでは、ルッツェリヒの母レイネが領地経営を指揮していた。

 

 王都からさほど遠くない場所にあるものの、領内の雰囲気はかなり異なる。

 新しい服や装飾品で流行を先駆ける煌びやかな雰囲気を持つ王都に対し、昔ながらの歴史的な建造物が多く残り、医学・工学・建築学が発達している職人の(みやこ)。それが公爵領シェーネツリュックである。


「美しい街並みですね。」

「ええ。私から見ても、美しい貴重な街並みだと思います。」

 嬉しそうに語るルッツェリヒを見ると、1度、未来で街歩きをした時のことを思い出す。美味しいケーキのお店があるから、とルッツェリヒが休みの日に連れ出してくれたのだが、ルッツェリヒと一緒に食べたケーキは、幸せな味で特段美味しく感じたのを覚えている。

 引きこもっていたフィリシアレの久しぶりの外出であり、忘れられない思い出だ。

 

 街に入っていくと、未来でルッツェリヒが連れてきてくれたカフェの看板が見えてきた。

「あのカフェのケーキ美味しいですよね。ケーゼクーヘンなんて特に。チーズへのこだわりに感動しました。」

「……そうですね。よくご存知で。」

「えっ?」

 ――しまった。未来の出来事を今と混同して話してしまった。舞い上がって、こんなミスをするだなんて……。

「あ、えーと、パーティーで街歩きの話をしてから楽しみすぎて、おすすめの店をジータに調べてもらっていたんです。ね、ジータ。」

 ――ジータ、助けて!

 フィリシアレはジータをじっと見る。

「左様でございます。フィリシアレ様は甘いものがお好きなので、カフェの確認は念入りに行いました。」

 ジータは顔色を全く変えずにスラスラと答えた。

 ――ジータ、素晴らしいわ。

 

「そうだったのですね。実は、まずあの店で軽食でも、と提案しようと思っていたんです。気になっているお店でしたか。」

「そうなんです!軽食、いいですね。行きましょう!」

 フィリシアレの歩みが少し速くなった。

 

 店に入ると記憶の中と同じで、空気が落ち着いている。

 扉に付いた鈴のチリンという音に気がついて、女性店主が出迎えてくれた。

「いらっしゃいませ。公爵様ではありませんか。それではお隣のお方は。」

「公爵様の婚約者、フィリシアレ・ディ・プロディージョです。素敵なお店ですね。」

「ありがとうございます、王女殿下!お二人にお越しいただけるとは光栄でございます。どうぞお席へ。おすすめの場所にご案内いたします。」


 店主のおすすめは庭の草木を眺められ、カウンターからもほど近い2人席。ジータと護衛のミーナも近くの席に座る。

「何にいたしますか。」

「ケーゼクーヘンにしようと思います。ルッツェリヒ様は何になさいますか。」

「同じくケーゼクーヘンをお願いします。私も好きなんですよ。」

「ケーゼクーヘンおふたつですね。お飲み物ですが、お嫌いでなければ、当店おすすめのミルヒカフェをお飲みになりませんか。コーヒーに温かいミルクをたっぷり入れたものなのですが。」

「店主がミルクにこだわっているんです。」

ルッツェリヒが補足した。

「あら、それでは、ミルヒカフェもいただけますか。」

「私もお願いしよう。」

「ありがとうございます。」

 

「ジータ殿とミーナも、好きなものを頼んでくださいね。」

 ジータ、ミーナ双方、遠慮している様子だったが、店主の押しに負けて同じものを頼んだ。

 4人から注文を取ると、店主は満足げにカウンターへ戻って行った。


「このカフェにはよく来られるのですか?」

「そうですね。ここのケーキは絶品ですから。それに、街の、特に飲食店にはどこもよく行くようにしています。」

「情報収集ですか?」

「はい。飲食店では、街の人から話を聞きやすいんです。」

 ルッツェリヒは領主として、街の人の声を聞くために定期的に街へ出ている。

 ――あんなに毎日忙しいのに、休日までお仕事のことを考えているのね。

 ルッツェリヒが一息つける瞬間はあるのだろうか、とフィリシアレは心配になった。

 

「そうだ。今日はちょうど、街でパレードをやっているのですが、見に行きますか?」

「パレードですか?」

「ええ、1年に1回行われる恒例行事です。ここは職人の街ですから、さまざまな職人が腕を振るって作品を作り、それを展示した車を馬で移動させて、宣伝するんです。パレードは1週間ほど続いておりまして、私も初日には見に行ったのですが、本日が最終日なんです。」

 ――知らなかったわ。

 未来のフィリシアレが公爵領(シェーネツリュック)に来たのは、現在よりもかなり後だったため、恒例行事もとっくに終わっていたのだろう。

 

「ぜひ見に行ってみたいです。最終日に間に合って良かった……。」

「こちらに来られたばかりですし、お疲れかと思い、お誘いが遅くなってしまいました。申し訳ありません。」

「いえ、ご配慮ありがとうございます。」

 話しているうちにケーゼクーヘンとミルヒカフェが運ばれてきた。記憶にある思い出のベイクドチーズケーキだ。

 

 ドキドキしながらケーキを口に運ぶ。

 ――懐かしい味。

「すごく美味しいです。」

「美味しいですね。」

 ――また食べられるなんて夢みたいだわ。

 未来で、このケーキを食べたのは一度きりだった。

 

「そういえば、お料理をなさると聞きました。」

 カップを持ち上げたルッツェリヒの手が静止する。

「誰からお聞きになったのですか。」

 ルッツェリヒは少し焦っているように見える。

「昨日、厨房にお邪魔した際、エディスから。学生時代に料理の授業をとっていらしたとか。」

「授業をとっていたといっても、成績はあまり良くなかったんです。お恥ずかしいですね。」

「いえ、素晴らしいと思いました。さまざまなことを学ばれていたのですね。」

「私が通っていた学園では、他のコースの科目もいくつか受けることができたんです。私は騎士コースの所属だったのですが、他にも色々とやってみていましたね。」


 学生時代のルッツェリヒ。

 想像するだけでフィリシアレの心が舞い上がる。

 ――きっと制服姿も素敵だったでしょうね。

 学生時代を見ることが叶わず、非常に悔やまれる。

 

「プロディージョの学校はどのような方式だったのですか。」

 ――あっ。

「……そうですね。全員が基礎教養を学んだ後、専門学科に進み、その後は専門領域の学習しかしなかったかと……。」

「やはり国によって異なりますね。」

 ――言わなければ……。


 「未来視」によって、起床時間をコントロールできなかったせいとはいえ、王族が学校に通っていなかったというのは重大なことである。

 

「実は……私は学校に通っていなかったんです。王宮で学習をしていたもので、学校の方式も知識として知っているだけなんです。……申し訳ありません。」

「そうだったのですか。いえ、謝らないでください。私の配慮不足でした。申し訳ありません。」

「いえ。あ、学校には通っていなかったのですが、王宮ではいろいろなことを学ばせていただきました。医学や法学、歴史、文化、その他いろいろと。」

 弁明しようと焦ったフィリシアレは早口になる。

 

「素晴らしいですね。初めてお会いした時もかなり博識でいらっしゃると驚いていたんです。」

「ありがとうございます。」

 ――あの日は興奮して話しすぎたのよね。

 馬車の中で、ひたすら喋り続けた自分の姿を思い出して、フィリシアレは赤面した。


 カフェを堪能した4人は、店主にお礼を言って外に出た。

 しばらく歩くとパレードが見え始め、家具や宝飾品、料理の宣伝など、各人の工夫を凝らした台を馬が引いていく。また街には多数の屋台が出ていた。

「パレードで紹介されたものをはじめ、いろいろな店が屋台を出しているんです。何か気になるものがあればおっしゃってください。」

「はい。」

「それと、ドレスについてですが」

「ドレスですか?」

「王都に、王室御用達の仕立てアトリエがあるので、そちらのカタログを見つつ、ゆっくり選んでいただこうと考えております。そのため、街での仕立ては、日を改めてもよろしいでしょうか。」


 婚約式前にルッツェリヒから贈られたドレスはフィリシアレにとって十分な量だった。しかしルッツェリヒは、目まぐるしく変わる社交界の流行に合わせ、新たにドレスを作ろうと考えてくれていたのだ。

 王室御用達ということは、王子の婚約者のドレスは、まずそこで仕立てる必要があるのだろう。

「もちろんです。今日は屋台とパレードを楽しみます!」

 街歩きの時点で、ドレスの仕立てについて考えているとは思っていなかったフィリシアレは、また感動していた。

 

 パレードを追いながら屋台を回っているうちに、あたりはすっかり暗くなってきていた。

「今日は最終日ということで花火師たちがそれぞれの自信作を披露するんです。ここシェーネツリュックでは秋の風物詩になっていて、とても綺麗ですよ。」

 そう説明しながらルッツェリヒは、フィリシアレをおすすめの観覧スポットに連れて行く。


「公爵様!」

「最終日にもきてくださってありがとうございます!」

 観覧スポットは街の人の定番らしく、人が集まり始めており、それぞれ席取りをしていた。

 ルッツェリヒの姿を見ると、いろいろな人が話しかけてくる。

 普段から頻繁に交流をしている証拠だ。

「今年も素晴らしかった。初日と最終日にしか来られず、申し訳ない。」

「申し訳ないことなんてないですよ。お忙しいのにこうやって顔を見せてくださるだけでみんな喜んでます。それに……」

 一歩後ろにいるフィリシアレに視線が移る。

「王女殿下ですよね。来てくださり、ありがとうございます。街で家具職人をしているコーエンです。」

 続けて何人かがフィリシアレに自己紹介をした。

「フィリシアレ・ディ・プロディージョです。よろしくお願いします。」

 フィリシアレはそれに応えて丁寧に礼をし、街の人たちは、その丁寧さに驚いた様子だった。

 挨拶をしてくる街の人の何人かには見覚えがあった。コーエンもその一人だ。

 ――ルッツェリヒの葬式に来ていたわね……。

 思い出すと、悲しみと絶望が押し寄せ、胸が苦しくなる。

 目を閉じると、悲しみに包まれるその光景がありありと思い出される。


『王女と婚約なさって、たった1年足らずで亡くなられるなんて。やっぱり婚約は間違いだったんだ。』

『おい、不用意な発言はやめろよ。』

『公爵様のいらっしゃらないシェーネツリュックなんてどうすりゃいいんだ。』

『レイネ様がお可哀想に。こんなにも早くご子息を亡くされるなんて。』


 領民の悲しみも計り知れなかった。

 今、ルッツェリヒと楽しそうに話す姿を見て、フィリシアレはなんだか泣きそうになってしまった。

 

 コーエンたちは、丘の上の芝生に布を敷き、手で差し示した。

「さあ、どうぞこちらへ。」

 ここに座ってください!と2人に促した。

「でも、そこはコーエン達がとっていた場所だろう。」

「何言ってるんですか、公爵様。俺たちは毎年見てますけど、王女殿下は初めてじゃないですか。一番いい席なんです。ぜひこの特等席で見てください!」

「そうですよ!」

「ぜひ!ほら!騎士様方も!」

 コーエンら街の人間が、後ろについてきていたジータとミーナにも促す。

 

「では、お言葉に甘えよう。感謝する。」

「ありがとうございます、コーエンさん。皆さんも。」

 コーエンたちは照れた様子で頭をかいた。


 特等席の言葉通り、花火が上がると、とても近く鮮明に見えた。

 ふとルッツェリヒの方を見る。

 花火に照らされるその横顔に、フィリシアレの心臓が跳ね上がった。

 

 ――愛してる。

 

 唐突に心がつぶやいていた。


 未来のフィリシアレは、最期までルッツェリヒに想いを伝えることができなかった。

 婚約者という立場にあぐらをかき、愛される努力さえしていなかった。

 ――随分と甘えていたわね。

 考えてみればルッツェリヒは、「未来視」の中で一度もフィリシアレに愛を囁いたことがなかった。


 ――同盟のために婚約したというのに、不遜な態度をとるだけでは飽き足らず、自身の可能性を潰した婚約者(わたし)を好きになるわけがない。あれはずっと私の片想いだった……。それに……。

 ――ルッツェリヒの誠実さは、婚約者が私でなくても変わらない。わかっている。私が特別なわけじゃない。


 ルッツェリヒの隣には、本当はもっと相応しい人がいる。そんな考えが()ぎる。

 同時に、ルッツェリヒには想い人はいなかったのだろうか、と急に不安になった。

 

 フィリシアレは、ルッツェリヒについて知らないことばかりである。

 学生時代、好きになった人はいないのか。実は許嫁がいたのではないか。気になり始めると止まらなくなっていた。

 

 現在の自分は、未来とは異なる行動をとっている。とはいえ、ルッツェリヒが自分のことを好きになるとはどうしても思えなかった。

 ――私では釣り合わないわ。

 未来のフィリシアレにさえ、最期まで優しかった人だ。

 きっと誰にでも優しい。勘違いしてはいけない。

 ――分かっている……。分かっているのに望んでしまう。あなたにまた会えた。それだけで幸せなのに……。



 ――あなたの特別になりたい

 フィリシアレにとって、ルッツェリヒは「初恋」だった。

 


 ――今の私も、存外わがままね。それでも……、この想いを告げてはならない。

 この恋を伝えてしまえば、優しいルッツェリヒはフィリシアレに愛を返そうと努力してしまう。

 ――私はあなたの重荷になりたくはない。

 フィリシアレの目からぽろぽろと涙が出てきた。

 花火に感動したからか。目を輝かせながら花火を見ているルッツェリヒに心奪われたからか。


 こんなに近いのに、決して届くことのない初恋が苦しいからか。

 

「ルッツェリヒ様。」

「はい。」

 名を呼ばれてルッツェリヒがフィリシアレの方を向く。

 フィリシアレの視線は花火に向けられていた。

 

「フィリシアレ()ではなく、フィリシアレと、そう呼んでいただけませんか。それに……私にはもっと楽な口調で構いませんよ。王宮では無理でも、せめて公爵領にいる間は……。」

――このくらいは許されるかしら。


「……泣いていらっしゃるのですか。」

「花火に感動してしまいまして……。」

 フィリシアレはふわりと微笑んだ。

 花火の音が響きわたっている。

 

「……フィリシアレ。」


 ルッツェリヒの温かい声が届いて、耳が熱くなる。

「……はい。」

 

「……私にも、敬称をつける必要はないですよ。」

 視線を向けるとルッツェリヒと目が合った。ドキッとして思わず視線を逸らす。

「私は小国の姫です。許されません。」

「負担なら無理にとは言いません。ですが、私を敬称なしで呼ぶ人は少なくなってしまったので、呼んでくれると嬉しいです。」

 ――そんな言い方、ずるい……。


「……ルッツェリヒ。」

「はい。」

「ふふっ、まだ口調が硬いですね。」

「緊張してしまうんです……。口調は少しずつでお願いします。」

 ルッツェリヒが、はにかむ。


「フィリシアレも私に硬くなる必要はありません。」

「……はい。」

 フィリシアレは一度流れ始めた涙を止めることができず、見かねたルッツェリヒがハンカチを渡した。

 ――あなたを困らせたくはないのに、涙を止められない。


 フィリシアレは言葉を絞り出す。

「花火……綺麗ですね。」

「そうですね……。」

 

 夜空にかかる花火はしばらくの間、2人を照らし続けた。

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