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その初恋は何を殺すのか  作者: 田中菜優


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第5話『幸せはそっと息づいて』

 「フィリシアレ様。このパンは公爵様が一番お好きなパンです。幼き日には母君と一緒に作られていたんですよ。そうですよね、イェルクさん。」

 「そうですね。懐かしいです。」

 「確かにルッツェリヒ様は、執事コースの授業をわざわざ履修して、料理を学んでいらっしゃいましたね。母君の影響が大きかったようです。」

 「えっ、そんなに本格的にお料理なさるの?というか、エディス。ルッツェリヒ様と学校でも一緒だったという話は初めて聞いたわ。」

 

 フィリシアレが、王宮から念願の公爵邸に移って2日目の昼。公爵邸の厨房は、いつもより活気付いていた。


 昨日、公職邸の使用人たちへ挨拶を済ませたフィリシアレは、執事長のイェルクに連れられて(やしき)の説明を受けた。昨日のうちに主要な部屋はまわり終えていたので、2日目はフィリシアレが気になるところを案内してもらっていた。


 ルッツェリヒの健康を守るにはまず食から、ということで厨房に連れてきてもらい、ルッツェリヒの食事事情について調査していた。

 「カールは、ルッツェリヒ様に仕えて長いんですか?」

 

 副料理長のカール・コッホ。料理長の一番弟子らしい。

 

 「そうですね……。私が公爵邸に来たのは15の時ですから、かれこれ20年です。ただ公爵様がこちらにいらっしゃったのは、私が来た2年後でしたので、厳密には公爵様にお仕えして18年です。副料理長になったのは5年前で……。イェルクさんはもっと長いですよね?」

 「私は元々、公爵様の母君であられるレイネ様の専属執事でしたから。公爵様がお生まれになった時からお仕えしております。」

 

 イェルク・ヴァルトマン。公爵家の使用人全体を統括する執事長。ルッツェリヒの母レイネが、ディゾーネ王国へ来る際に連れてきた使用人の1人である。

 

 「料理長も私と同じく、元はレイネ様にお仕えしておりました。」

 レイネは、現在公爵領内の村を転々としながら、領地経営を支えている。

 料理長は現在、休暇中らしい。

 

 主人が分け隔てないからだろうか。これまで出会った公爵邸の人々の中に、突如やってきたフィリシアレに対して嫌な反応を見せるものはいなかった。

 きっと以前の「未来」でも公爵邸の人間は同じように友好的だったのだろうが、フィリシアレが自室に引きこもっていたため、接触は最小限であった。実際、未来のフィリシアレは、自室、ルッツェリヒの執務室と寝室。大広間、居間、図書室くらいしか場所を把握できていなかった。

 

 ――主人であるルッツェリヒを困らせ続ける私に、憤っていた人もきっといたでしょうね。

 それでもフィリシアレを蔑ろにしたり、嫌がらせをしたりする人はいなかった。

 ――執事長のイェルクや、メイド長が代わりに不満を受け止めてくれていたのかしら。

 

 「今朝のパンとジャムも手作りだったんですよね。昨日の夕食も素晴らしかったです。ありがとう。」

 「嬉しいお言葉、ありがとうございます。お口にあってよかったです!」

 ルッツェリヒは、亡くなるだいぶ前から体調を崩しがちであったため、食事に着目したのだが……。カールの作る食事は、栄養バランスが良く、何も口出しの必要はなかった。

 それでも、ルッツェリヒが不調を隠し、食事の内容に反映できなかった可能性もある。今後、厨房との密な連携は必須である。

 「これから、よろしくね。」

 「よろしくお願いいたします。フィリシアレ様。」


 厨房はそろそろ夕食の準備に取り掛かるらしく、執事長のイェルクが先導して厨房を出た。

 「お次はどちらに行かれますか?」

 「そうですね……。公爵家には専属の医師や薬師(くすし)の方はいらっしゃるわよね。」

 「……ええ。住み込みの医療班がおります。」

 「その方々にお会いするのは難しいかしら。」

 「いつでも呼ぶことはできますが……。体調がお悪いのですか。」

 「いえ……。そういうわけではないのよ。ただちょっとご挨拶をしておきたくて。昨日は姿を見かけなかったし……。」

 

 食事関係の調査の次は、医療体制の調査だ。

 ただ決して、公爵家専属の医療班に対して不満があるわけではない。

 

 ルッツェリヒの治療には最善を尽くしてくれたように思うし、彼らは実際優秀だった。

 その優秀な医療班でさえ、ルッツェリヒの不調の原因は分からず、受傷後の死を回避できなかった。

 

 『ルッツェリヒの死』という未来を知ったのは婚約直前の話だが、元々フィリシアレが独自に行なってきた「立派な夫人になってみせるプロジェクト」の一環に医学の研鑽もあった。母国で医学書を読み漁るほか、実地での診療にも携わっていたため、ある程度の診察が可能だ。しかしもちろん、医師でも薬師(くすし)でもないため、結局のところ彼ら医療班の協力は絶対不可欠である。

 

 協力してもらうには、フィリシアレに対する信頼が必要だ。『ルッツェリヒの死』まで約1年。決して遠い未来ではない。フィリシアレはできるだけ早く、彼らと対策を立てたかった。

 

 「医療班は、公爵邸の隣にある医療棟で生活しております。公爵様からの呼び出しがない間は、研究活動や公爵領の医療体制の監督をしていただいています。」

 公爵家の医療班は、医師1名、薬師(くすし)1名で構成されている。未来(かつて)のフィリシアレも、精神的な不安で薬師(くすし)のお世話になっていた。と言っても医療班との具体的なやりとりはルッツェリヒがしていたため、実際2人がどんな人なのか、フィリシアレはよく分かっていない。

 

 「着きました。こちらが医療棟です。」

 公爵邸のすぐ隣には小さな森があり、その中にひっそりと3階建の建物が佇む。

 森自体はそれなりの広さがあるが、医療棟までは公爵邸の正面口から歩いて4分ほどである。

 棟自体の大きさは、公爵邸の約1/7くらいといったところだろうか。

 フィリシアレの母国プロディージョにある診療所のほとんどは1階建てであったが、その診療所を少し大きくして3階建てにしたようなイメージだ。

 

 建物の裏から、茶髪の女性がやってきた。うっすらと見覚えがあるような。

 「イェルクさん、エディスさん、こんにちは!そちらはもしかして……。」

 「初めまして。昨日より公爵邸でお世話になっております。フィリシアレ・ディ・プロディージョです。」

 「あっ、すみません!ご丁寧にありがとうございますっ!薬師(くすし)のアマリエ・ゼーマンです。こちらからご挨拶に行けず、申し訳ありません。」

 アマリエは、後ろで一本に結われた三つ編みをゆらゆら揺らしながら、頭をヒョコヒョコとさげた。

 草木がよく似合う、ふんわりとした雰囲気の女性だ。


 アマリエの薄茶色の瞳がキョロキョロと動く。

 「今、レオンさんを呼んできます!」

 バタバタ走りながら、建物の中に入っていくアマリエに、エディスがついていく。

 「アマリエ殿はいつも走ってるんですよ。入りましょうか。フィリシアレ様。」

 「行きましょう。」

 イェルクにも促され、建物の中に入った。

 

 玄関を入ってすぐにある大きな部屋は、壁や机が色々な物で覆われており、まさに研究室だ。右奥の螺旋階段は吹き抜けになっており、上からアマリエの声が聞こえてくる。

 しばらく待っていると、螺旋階段をパタパタと降りてくる音に続いて、のそのそと足音が聞こえた。

 

 「王女様!お待たせいたしました!」

 アマリエは、また勢いよく頭を下げる。

 「いえ。こちらこそ急に訪ねてしまって申し訳ないです。」

 

 アマリエに続いて降りてきた男性はしっかりとしたベストを着て、黒髪も整っている。が、どこか気だるげな感じが滲み出ていた。

 「なるほど……。アマリエ、言葉足らずにも程があるぞ。王女様がいらしたならそう言えよ。」

 「えっ、言いませんでしたっけ?」

 「とにかく急いで!しか言わなかっただろうが。」

 「そうでしたっけ。すみません……。」

 男性はため息をつくと、フィリシアレの方に向き直した。

 

 「バタバタしてしまい、申し訳ありません。医師のレオンです。」

 「それ愛称じゃないですか!」

 「アマリエ……お前。余計なこと言うなよ……。」

 フィリシアレがそんな二人のやりとりに思わず笑ってしまい、レオンたちは気まずそうに顔を見合わせた。


 ――レオン。確か本名はエーデルレオン……。

 エディス曰く、元は王立医学院の一員だったのだが、思うような研究をさせてもらえず腐っていたところをルッツェリヒが引き抜いたらしい。

 

 「フィリシアレ・ディ・プロディージョです。私のことはどうぞフィリシアレとお呼びください。」

 「よろしくお願いいたします。あと私たちは屋敷の人間ですし、敬語は不要ですよ?フィリシアレ様。」

 「分かったわ。」

 「ところでこちらにはどのようなご用で。」

 「まずは挨拶を……と思って。あとできればどんな薬草があるのか見せてもらいたいと思ったの。」

 フィリシアレの発言に、アマリエの瞳が輝く。

 「薬草にご興味が?」

 「ええ。プロディージョにいた時、医学を勉強していたから、ルッツェリヒ様のお役に立つことができるかもと思って……。」

 「素晴らしいです!私、公爵様が突然婚約なさると聞いて、お相手はどんなお方なのだろうかと心配だったんです。医学にも精通されているとは感激です!私の心配しすぎでしたねー。」

 アマリエの早口に圧倒される。

 

 「アマリエ……。失礼ですよ。」

 イェルクが諌める。

 「あっ……。申し訳ありません……。」

 「全く問題ないわ。突然やってきた婚約者がどんな人間なのか不安に思うのは当然です。それだけルッツェリヒ様を大切に思われているということでもありますし……。アマリエさん、よろしければ案内してくださる?」

 「もちろんです!」

 フィリシアレはアマリエに連れられ、アマリエの研究室と薬草園がある3階、屋上へと向かった。


 フィリシアレが薬草を見ている間、レオン、エディス、イェルクの3人は、1階で待つことにした。

 「国外に滅多に出ないプロディージョの姫とは思えない落ちつきぶりだな。イェルク殿もそう思われるだろう?」

 「そうですね……。活発なお方だと公爵様から伺っておりましたが、想像以上でした。」

 「エディス。お前がわざわざついて回ってるってことは、気になることがあるのか。」

 「まぁ……そうですね。」

 「公爵様に害をなすと?」

 「レオン様!」

 「イェルク殿、そう怒らないでください。で?どうなんだよ。今日、公爵様は王宮だろ?なのに付いて行かずに監視してるくらいだ。気になるじゃないか。」

 「害をなす可能性は低いと思います。ただ……」

 「ただ?」

 「いろいろと疑問があります。特に、知識やルッツェリヒに対する態度について。」

 「というと?」

 「レオン様がおっしゃったように、プロディージョは国外への人の移動が滅多にない特殊な国です。王家は特に閉鎖的なはず。第三王女であればなおさら世間を知らずに育っても不思議ではない。なのに……ディゾーネ王国についてよく把握されているように見えます。学んだにしても、ディゾーネ王国にくることが決まってから到着まで1ヶ月半ほどしかなかったはずです。それに……到着したその瞬間から葛藤が見えなさすぎて、不気味です。」

 「そうか……。公爵様はなんと?」

 「特に警戒なさってはいないようです。」

 「まぁだろうな……。うちの公爵様は人が良いからなぁ。」

 レオンは椅子に座って、頭の後ろに手を組んだ。

 

 「貴族社会の嘘に揉まれたことのある私から1つ言うならば……。ルッツェリヒ様の役に立ちたいって言葉は本心だ。……何か隠してるような気はするがな。」

 「そうですか……。」


 アマリエによる薬草ツアーは3時間ほど続き、心配になったイェルクによって半ば強制的に終了した。

 知識欲が凄まじいアマリエは、研究にも非常に熱心。フィリシアレが図鑑でしか見たことのない薬草もかなりあった。

 元は公爵領内の村で薬師(くすし)をしていたらしいが、公爵家専属の薬師(くすし)が募集された際に応募して採用されたという話だ。

 

「またいつでもいらしてくださいねー!」

 大きく手を振るアマリエと、それに合わせて小さく手を振るレオンに見送られ、フィリシアレ一行は屋敷に戻った。

 

 森を抜けると、屋敷の扉前に馬車が一台停まっているのが見えた。

 「ルッツェリヒ様……」

 フィリシアレは駆け出して、(やしき)の中に入る。

 玄関ホールには今帰ってきたばかりのルッツェリヒがいた。

 

 「おかえりなさいませ!ルッツェリヒ様!」

 「ただいま帰りました。」

 フィリシアレはルッツェリヒの顔色を念入りにチェックしていた。

 特に変わりはなさそうだ。本当は外にもついていきたいのだが、まだこの国での信頼がないせいで、王宮に入ることさえ簡単ではない。

 

 続けてイェルクとエディスが玄関ホールに入ってくる。

 「お帰りですか。」

 「おかえりなさいませ、公爵様。」

 3人が揃って屋敷の外に出ていた様子を見て、ルッツェリヒは不思議に思った。

 「どこかに出かけていらしたのですか?」

 「はい。医療棟の方に行ってきたんです。アマリエさんがたくさん薬草を見せてくださって、感動しました。」

 楽しそうに話すフィリシアレに、ルッツェリヒは、良かったですね。と頬を緩ませた。


 その日の夜、一緒に夕食をとった後、2人は居間でお茶をしていた。

 「ここ数日、毎日王宮に向かわれていて大変ですね。公爵領の経営もあるのに……。」

 「領を任されている公爵であると同時に、王族ですからね。」

 

 ルッツェリヒは、ここ数日王宮にて、王族としての勤めを果たしている。この忙しさは、未来(いぜん)もそうだったのだと思う。

 

 未来(いぜん)のルッツェリヒは、王宮に泊まるのではなく、公爵邸に毎回帰ってきていた。

 そして、引きこもり続けるフィリシアレを訪ね、部屋の前からよく話しかけてくれていたのだ。

 ――いつになってもまともに返事をしない私に、あの時のルッツェリヒはどれほど失望していただろうか。

 

 「休日はこの屋敷にいられますし、王宮に行く日も、なるべく夕食に間に合う時間で帰るようにしますね。」

 現在のルッツェリヒも、公爵邸に帰ってくるという方針が同じだ。

 ルッツェリヒの「夕食」という発言に、そういうことだったのか、とフィリシアレは思った。未来(いぜん)の世界では、ルッツェリヒが部屋の前で話をして去った後、夕食が運ばれてきたのだが……。

 ――毎日話しかけてくださっていた時、本当は夕食に誘おうとしていたのね……。

 

 「どうして……。どうしてそこまで配慮してくださるのですか?いきなり他国の王女と婚約することになって……。私は疎ましく思われても仕方がないというのに……。」

 「……。私たち王族も案外大変ですよね……。」

 「えっ?」

 驚くフィリシアレに優しく微笑む。

 「王族に生まれた以上、時には国のための判断に従う必要があります。今回の婚約も、国のための婚約と言っていいのでしょう。それでも……。それでも、私は伴侶となってくださる方には幸せになっていただきたいし、異国の地でも、できる限り寂しさを感じずに過ごしていただきたいのです。そのためにまずは、配慮と歩み寄りが大切だと考えています。疎ましく思うことなどあり得ませんよ。」

 

 『幸せな人生を生きてください』

 未来(かつて)のルッツェリヒの最期が思い起こされる。

 

 「……私もです。ルッツェリヒ様に幸せになっていただきたいです。」

 真剣にルッツェリヒの瞳を見つめる。

 「では、2人で幸せになっていきましょう。」

 「はい!」

 ――未来(かつて)の過ちを正し、彼を幸せにしてみせる。

 フィリシアレは決意を(こぶし)に込め、ぎゅっと握りしめた。

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