エピローグ『雨の匂い、君の体温』
夏の終わりを告げる蝉の声が、遠くに消えていく。
校舎にはもう生徒の気配もなく、図書室の鍵を開けた音だけが、静かに反響した。
「懐かしい匂い……まだ、残ってる」
理沙がつぶやくと、透は隣で笑った。
「君の匂いかもよ」
「……ばか」
言葉と裏腹に、理沙の頬はほのかに染まる。
制服ではなく、薄手の私服。涼しげなワンピースが、夕陽に透けて揺れていた。
ふたりで歩いたのは、図書室のさらに奥――開架の棚を抜けた先にある、閉架資料室。
ほこりの匂いと、湿った紙の重み。けれど、その空間はふたりだけの“祈りの場所”に変わっていた。
「ここ、鍵……かかってないね」
「委員長の特権。夏休み明けの整理作業、ってことで」
透が笑い、理沙も笑った。
どちらからともなく、距離が縮まる。
「手……触れていい?」
「……うん。もう、冷たくないから」
透の手が、理沙の頬に触れる。
その指先には、かすかな汗と熱があった。
理沙はそっと目を閉じて、ゆっくりと自らの唇を重ねた。
キスは、やわらかくて、甘くて、確かだった。
「……ねえ、透先輩」
「ん?」
「……もっと、触れて……私を“生きてる”って思わせてほしいの」
「……いいの?」
「わたしから、お願いしてるの。……ちゃんと、あなたのものになりたい」
透の瞳が揺れ、理沙の体をそっと抱きしめた。
細い肩。しなやかな腰。胸元の奥に、かすかな震え。
ゆっくりと服の布地がずれ、素肌が空気に晒されていく。
「……綺麗だよ、理沙」
「やだ……恥ずかしいこと、言わないで……」
「だって、ほんとうに……」
透の声は熱を帯びていて、それだけで理沙の体温が上がる。
ワンピースの肩紐が滑り落ち、白い下着が透ける。
背中に回された透の指が、慎重にホックを外した。
「……手、震えてる」
「緊張してるんだよ……君が、あんまり綺麗だから」
理沙は小さく笑って、透の胸に顔をうずめた。
「先輩の鼓動、すごく速い……」
「君のもだよ」
肌と肌が重なる。
触れ合うたびに、そこが“冷たくない”ことに、ふたりは静かに安堵する。
キスが、頬に、首筋に、鎖骨に――少しずつ降りてくる。
理沙は自らの体を預け、指先で透の背中を探る。
シャツが脱がされ、下着もゆっくりと外される。
「……こわい?」
「ううん。むしろ、夢みたい……。でも、ちゃんと現実……だよね」
透がそっとうなずき、理沙の脚に触れた。
やわらかな腿、細く長い足。
ワンピースが腰の上で止まり、やがて完全に脱ぎ取られる。
全裸のまま、理沙は透にしがみついた。
「……お願い……優しくして」
「理沙……」
体と体が、ゆっくりと繋がっていく。
初めての痛みと、心の奥を揺らす温もりが交錯する。
理沙は涙を零しながら、それでも唇を噛みしめた。
――今、自分は“生きて”いる。透もまた、確かに“ここに”いる。
「好き……好き……っ……」
「愛してるよ、理沙……。君が、僕を現実に連れ戻してくれた」
ゆっくりと、奥へ、深くへ。
ふたりの体が重なり合うたび、魂の奥が溶けていくようだった。
やがて、震えるような波がふたりを包み、静かな余韻だけが残った。
雨はもう、止んでいた。
理沙は透の胸の中で、穏やかな呼吸をくり返す。
「……終わらないでほしい、って思ってたけど……」
「……終わらないよ。これからもずっと、君の隣にいる」
「……うん。だったら、これから何度だって……あなたと、こうなりたい」
透は黙って、理沙の額にキスをした。
図書室の奥に、ふたりの静かな体温が、確かに残っていた。