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第一話 旅の途中

時は、江戸時代中期



棟方飛翔丸(むなかたひしょうまる)は、どこか満たされない心を抱えていた。

幼い頃から剣の修行に(はげ)み、数々の道場で勝ちを収めてきた。


技の正確さも、力強さも、一目置かれるほどの腕前に成長した。

しかし、どれだけ勝利を積み重ねても、心の中にはぽっかりと穴が空いているかのようだった。



思えば、修行の旅に出た理由もその空虚(くうきょ)さを埋めるためだった。

しかし、いくら剣を振るい勝利を収めても、その達成感は瞬間的なもので、

剣の道を極めたという確信には至らない。


それどころか、勝つたびに胸の奥で広がる苛立(いらだ)ちが強くなっていく。

剣を振るう意味を問い続け、彼は次々と町の道場を渡り歩く。


「木刀や竹刀で勝敗を争うだけでは、剣の本質には届かないのか。

命を懸けた真剣勝負こそが、剣の道を極めるための唯一の方法なのか…」


そう考えると、飛翔丸は行き場のない苛立ちを覚えていた。



日も暮れ、疲れた体を癒すため、飛翔丸は浮花町(うきはなちょう)月夜屋(つきよや)という酒場に立ち寄った。

のれんをくぐると、薄暗い店内には酔っ払った客たちの笑い声が響いている。


彼は、お銚子(ちょうし)一本を頼み、静かに席に座った。

その時、奥の座敷でだらしなく寝ころんでいる男が彼の目に留まった。

ボサボサの髪、薄汚れた着物、酔いつぶれているその姿は、見るからに堕落(だらく)している。



酒に酔った客の与平(よへい)が大声でその男に向かって叫んだ。

「おい、また貧乏浪人、楽屋七乃助(らくやしちのすけ)さんが酔いつぶれて寝てるぜ!」


隣の文吉(ぶんきち)も笑い声を上げる。

「ほんとだ、あれじゃ楽屋(らくや)じゃなくて堕落屋七乃助(だらくやしちのすけ)だな!はははは!」



酒場は嘲笑(ちょうしょう)の渦に包まれた。

飛翔丸はその男、七乃助をじっと見つめていたが、彼にはただの酔っ払いには見えなかった。

何かが違う、そう感じていた。



その瞬間、七乃助が目を覚まし、酔いの勢いで突然脇差(わきざし)を抜くと、

酒場の壁に向かって投げつけた。脇差は風を切り、客たちの目の前を通り過ぎ、(やいば)が壁に突き刺さる。



与平(よへい)が驚いて声をあげる。

「な、なんだ!あぶねぇじゃねぇか!もし人に当たってたらどうすんだよ!冗談もわからねぇのか!」


騒然とする酒場。だが、七乃助は涼しい顔でボサボサの髪をかきながら不敵な笑みを浮かべ、

ゆっくりと体を起こした。



「わりいわりい、酔いが回って変な夢見ちまったらしい、寝ぼけて脇差(わきざし)なげちまった。がははは」

七乃助は頭をかきながら大きなあくびをし、周囲を見回してから再びお銚子(ちょうし)を手に取りお猪口(ちょこ)に酒を注ぐと

ぐびっと飲み干した。

彼の軽口に、周囲の客たちも再び笑い始めた。



しかし、笑っていない者が一人だけいた。棟方飛翔丸(むなかたひしょうまる)だ。

彼は、七乃助が投げた脇差の先に刺さったハエを見逃さなかった。


「……ハエを狙って投げた……」飛翔丸は胸の内でそう呟いた。

脇差がただ投げられたのではないことを確信していた。



夜も更け、客が次々と店を後にした頃、月夜屋(つきよや)女将(おかみ)さんが七乃助に声をかけた。

「ほら、もう閉店だよ、七乃助さん」



七乃助はゆっくりと目を開け、周囲をぼんやりと見渡してから立ち上がり、

腰の帯に打刀(うちがたな)と脇差を収め、懐から小銭を出すと女将(おかみ)さんに渡し、

ふらふらとした足取りで店を出た。




店を出たところで、飛翔丸が待っていた。彼は七乃助の横に立ち、軽く頭を下げた。

「少しお話がございます。どうか、私をあなた様の弟子にしていただけませんでしょうか?」



飛翔丸は真剣な眼差(まなざ)しを七乃助に向けた。七乃助は驚き、怪訝(けげん)な顔をして彼を見つめると、

大声で笑い出した。

「バカ言うねぇ!お前も頭に酒が回っておかしくなったんじゃねえのか?」


「いいえ、私は知っています。あなた様がハエを狙って脇差を投げたのを見ていました。」


飛翔丸の言葉に、七乃助の顔が一瞬引き締まる。しかし、すぐに再び笑みを浮かべた。


「ハエがうるさく飛んでたんで、脇差を投げてみた。たまたま刺さったんだな、まぐれもいいところさ。今日は運が良い日かもな!」

七乃助は胸をかきむしりながら再び歩き出した。


「お前、何歳だ?」七乃助は不精髭(ぶしょうひげ)をさすりながら(たず)ねた。

「20歳です。剣の道を極めるため、各地の道場に試合を申し込んで旅をしております。」



「俺は32歳。見ての通り、薄汚れた着物にボサボサの髪に不精髭(ぶしょうひげ)

そして酒に溺れてる堕落(だらく)した貧乏浪人だ。だからみんなの笑いものさ。

だらくや七乃助って呼ばれてらあ!そんな奴に弟子入りしたいだなんて、正気の沙汰じゃねえな!」



「そんな暇があるなら、さっさと道場で試合でもして剣の道を極めるこったな。あばよ!」

七乃助はふらつきながらも笑いながら去っていった。


飛翔丸はその背中を見つめ、深く頭を下げた。

「私は(あきら)めません。私の空虚(くうきょ)を埋めてくれるのは

あなた様だと感じたからです。また、明日あの月夜屋(つきよや)でお待ちしております」


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