アメシストの宝石言葉は「高貴、誠実」
幸いにして現在は社交のシーズンではないことから、お父様――バラス伯爵は領主館内の執務室で机仕事のさなかということでした。
事前に確認を取ったところ、すでに領民や商人などとの面談は終わっているので問題ない……との返事をもらい、普段着である化粧着(絹ではなくカシミアかメリノ毛糸でできています)に着替えた私は、執事のセバスティアン(もうちょっとひねりのあるネーミングはなかったのでしょうか、運営?)に案内されて、館の一階にある執務室へと足を運びます。
ちなみにバラス伯爵家は王臣伯爵ではなく、ジオード公爵家によって叙爵をされた陪臣伯爵ですので、同じ伯爵でも直参の王臣伯爵に比べると格下の下級貴族に分類されます(王臣伯爵以上が上級貴族)。
ついでに言えばジオード公爵家の“宝石の乙女”であるアメシスト公女様(なぜか前世私が居た国では「アメジスト」と呼ばれることが多かったようですが、正式名称は「アメシスト」になります)は、その知名度からして押しも押されもしない正真正銘の『SR』もしくは『★★★★★』の強キャラなのは言うまでもありません。
年齢は私よりも一歳年上で、透き通った神秘的な紫色の髪とラベンダーの瞳が特徴的な深窓の令嬢そのもののお姫様ですが、見かけの嫋やかさとは裏腹に『閃煌水晶拳』という、拳や足に水晶をまとわせ戦うスタイルの徒手空拳を使う拳法家であるという意外性。
なおかつその震脚は大地を穿ち、その拳は相性もありますがほぼ鎧袖一触。一撃でボス級の魔物とその他の雑魚を一掃する剛拳という、ゲーム中でも五本の指に入る……つまり常に一軍メンバーの常連でもあります。
ちなみに宝石言葉は「高貴、誠実」で、その名の通りの性格であり、あとお酒に関してはウワバミなのは余談と言えるでしょう(この世界に飲酒の年齢制限というものはありません)。
そんなジオード公爵家とバラス伯爵家は代々の主家と股肱の臣という関係もあり、領地も隣接していて領都同士も整備された街道を使って半日という距離ですので、私も幼いころからアメシスト公女様には妹のように可愛がってもらって……最近は、なんというか『かわいがり』の意味が変わっていますけれど、非常に良くしていただいています。
いや、まあ気持ちはわかるのですよ。何しろ近い年代で本気を出した模擬戦で、どうにか互角に近い戦いができるのが私ぐらいしかいないものですから、終わったあと足腰立たなくなるまで満遍なく可愛がられる……というわけで、たまたま自宅で訓練中に木剣で頭を叩かれて気絶したくらいでは、周りが大して大騒ぎしないのもむべなるかな。
大体において魔物が居て、それと戦って民を守るのが王侯貴族、そしてその象徴にして剣であり盾であるのが“宝石の乙女”である、『ゆえにその身が砕け散るまで戦え!』という脳筋――じゃなくて、尚武の気風が強いブリリヤント王国ですから、訓練でケガをしたり施設を破壊したりなど日常茶飯事なので、目覚めた直後も家族も軽く様子を見に来ただけで終わりでした。
まして私の場合、自分で自分をヒーリングできるのですから、意識が戻ったとなれば下手な薬師や医者にかかるよりも、自分で何とかしたほうが早いし確実だという信頼の裏返しでしょう。
そのようなわけでそこそこ広い領主館――使用人だけでも二百人くらいはいるはず――の廊下や階段を通って、執務室へとたどり着いた私と案内役のセバスティアン。
扉の前に立っていた護衛を兼ねた使用人にセバスティアンが私の到着を告げ、次に護衛がノックをして、さらにちょっとした誰何を経て、ようやく室内へと招かれました。
貴族って本当に七面倒臭い儀礼で成り立っています。
かといってこれを面倒臭がって省いたりすると、史実のマリー・アントワネットのように『長年王宮に仕えていた儀礼官たちを、勝手なワガママで馘首したオーストリア女』と悪評を流されて、最終的にギロチンの刃に消えた……などという事態を招く遠因になるわけですから、歴史・伝統・血統・儀礼で成り立っている貴族社会においては、何事も効率だとか革新だとかを錦の御旗にすればよいというわけではないということでしょう。
「おお、スピネル。顔色も戻ったようだが……何か調子がおかしいところでもあるのかい?」
マホガニー製の机に座っていた年齢は四十歳前後。大企業の部長といった風情と貫録を持ったナイスミドルであるお父様、バティスト·ルイ・バラス伯爵が顔をほころばせ手にした羽ペンを置いて腰を浮かせ、すぐに私の思いつめた表情を見て眉をひそめました。
「ご心配をおかけしました、お父様。思いがけずに不覚をとりましたが、体調の方はつつがなく……ただ少々ご相談したい儀がありまして、お忙しい中申し訳ございませんがお時間を戴けないかと思いまかりこしました」
そう口上を述べて淑女の礼をすると(身体が完璧に覚えているのでほぼ無意識にできます)、お父様の表情が父親のものから為政者であるバラス伯爵のそれへと変化します。
「それは私の娘であるスピネル個人としての話かな? それともバラス伯爵家が誇る“宝石の乙女”スピネル・マグラックス・バラスとして話かな?」
個人的な話か公人としての相談事かと暗に問いかけられ、私はしっかりとお父様の目を見つめて言い切りました。
「すべてをひっくるめて――私とこの国、この世界のすべてに関わる話です」
「「「…………」」」
そう口に出した風呂敷が大きすぎたのでしょう。執務室の中にいた執事のセバスティアンをはじめ、秘書官や侍従が明らかに困惑というか、頭を打っておかしくなったのでは? と言いたげな目で無言のまま私をまじまじと凝視します。
「ほう。大きく出たものだね。それはまた――と、人払いをした方がいいかな?」
「そのあたりのご判断はお父様にお任せします。しかしながら事は我が家門のみならず、世界の根幹や今後の趨勢すら左右するような荒唐無稽な話ですので、くれぐれも他言無用にお願いいたします」
「ならば問題はない。公務を行うこの執務室において知り得た秘密を、陪臣ながらもブリリヤント王国において、武門において誉れ高きバラス伯爵家当主と、この世界の至宝である“宝石の乙女”との会話の内容を、不用意に漏らす不忠臣者など我が家にはいないからね」
全幅の信頼を寄せられた家臣たちが、『その通りだ』と言わんばかりに顔を引き締め、無言のまま軽く頷くしぐさを見せます。
なるほど貴族家の当主とあろう者は、こうして度量の大きさを見せることで味方の信頼を得るものなのですね。前世で上司になった連中は誰もかれもが自己保身の塊で、公私ともに尊敬できる部分などなかったですけれど、貴族たる者・上に立つ者かくあるべしと言わんばかりのその姿勢に、私は内心で大いに感動と感嘆を受けるのでした。
「ではこのままで。それと茶の用意を頼む」
立ち上がったお父様が来客用のソファセットへ座るように私を促し、ローテーブルをはさんで対面に腰を下ろします。
ほどなく客間女中がお茶(コーヒーだったのはありがたかったです。考えてみれば前世の記憶を取り戻す前も私は紅茶よりもコーヒー党でしたけど、知らずに前世の影響があったのかも知れません)をティーワゴンで運んできて、しばし馥郁たる香りを楽しみ、喉を湿らせ気分が落ち着いたところで、私は改めて威儀を正して『思い出した前世の話』について口火を切りました。
ぶっちゃけ為政者にして貴族であるバラス伯爵相手に腹芸は無理でしょうし、下手に誤魔化したり隠し事をしても一発でバレて不信感を持たれるだけの気がします。もはや確信として。
そもそもいくら“宝石の乙女”とはいえ十四歳の小娘が、妄想も同然の手札で交渉しようというのですから、ありのままに正直に全部話すしかないでしょう。
信じてもらえないのはほぼほぼ覚悟していますが、最悪の場合、悪霊に取り憑かれたとか、お前などは私の本当の娘ではない――と罵倒され、拒絶されることも覚悟の上です。
そうなった場合は殺されるか――“宝石の乙女”の稀少性を考えるとそれは悪手ですので、より可能性が高いのは平民として――放逐されるかでしょう。
まあ放逐なら冒険者にでもなって、他国で活動するというのも『宝石の姫君たち』の本筋。身代わりイベントの回避につながる一つの方法ではあるので、それはそれでアリかも知れません。
とは言えこの中世ヨーロッパ風の世界で、不衛生で不合理極まりない平民の生活が、果たして貴族の令嬢にして、病的に清潔と秩序を重んじる現代日本人の生活を知っている私にできるかどうかは定かではありませんが、死ぬよりはマシでしょう。
そのようなわけで私はお父様に木剣で頭を打って以降、自分の身に起きた出来事とこの世界の姿、将来起きるであろうイベントについて詳らかに放し始めました。
三時間後――。
「……にわかには信じがたいな」
眉間の当たりに皴を作ったお父様が、予想通りの言葉を発します。
セバスティアンたちはポカンとした顔で、私が話した前世を含めた『宝石の姫君たち』についての内容を、一割ほども理解していないようでした。
諦観と徒労で心身ともに疲れ果てた私は、メイドを呼ぶのも面倒だったので、手ずから脇に置いてあったコーヒーポッドを手にして、自分のカップにコーヒーを注ぎます。
「私にももらえるかな?」
そう言ってソーサーごとカップを寄越したお父様の分もコーヒーを注ぎました。
お互いに一口飲んだところで、先にカップを置いたお父様――ブラックで飲んでいるお父様と砂糖とミルクを入れてひと手間必要な私との時間差でしょう――が、さほど動揺した様子もなく口火を切ります。
「まあ前世の記憶があるというのはいいのだが」
「いいのですか!?」
「回帰派の教義によれば生きとし生ける者たちの魂は、常に輪廻転生を繰り返しているというからね。私だって前世は農民か、ことによれば虫や樹木であったかも知れないだろう? その記憶はないけれど、たまたまスピネルの場合は前世の記憶を持っていた――別に本物のスピネルの魂を追い出して、別人の魂が入り込んだわけではないのだろう?」
そう聞かれても自分では何とも判断しづらいのですし、それを証明する手立てもないのですが、なんとなく本能的に本体はあくまで今の自分で、前世の記憶は残響のような形でよみがえった記憶……という風に感じたので、ああ転生したんだなと単純に納得したわけですけれど。
「じゃあそれでいいじゃないか。別に人が変わったようにも、昨日までなかった違和感があるわけでもないし、家族の誰もおかしいと思わなかったことが答えだろう。君は私たちの自慢の娘スピネルだよ」
「――っっっ!!!」
気負いのないその言葉に、思いがけずに私の胸は一杯になり、熱くほとばしる形にならないグチャグチャとした激情がほとばしり、気が付けば私の目から滂沱と涙が流れ、淹れ直したコーヒーが塩コーヒーになっていました。
「しかしこの世界が遊戯版で、我々が役割を振られた駒であるとはな……」
どうにも釈然としないお父様の呟きに、私はすかさずセバスティアンが二の腕にかけて寄越したハンカチーフで目元をぬぐいながら答えます。
「あくまで非常に類似した世界を模したゲームというわけで、そのものではないと思います。偶然の産物かそれともゲームがこの世界を生み出したのか、もしかするとこの世界を俯瞰しうる存在がいて、何らかの意図をもって干渉したのかも知れません」
少なくとも私に十四年間の揺るぎのないこの世界での現実として記憶がある以上、この世界はゲームではなく間違いなく現実であるのは間違いありません。
「ふむ、文字通り“神の悪戯”というわけか。それで、私に話したということは何か思惑があるのだろう?」
「そうですね。私自身が貴石の皆様方に後れを取らないように、可能であれば半年以内に一次レベルをカンストさせておきたいところです。それとお父様にお願いしたいのは三つ。ひとつは『朱』『蒼』『翠』『山吹』『玄』の『精霊の雫』を集められるだけ集めて欲しいのです」
この世界。たまにダンジョンや山奥などで正体不明の『精霊の雫』という、濁ったビー玉のような玉が発見されることがあります。
珍しくはありますが、さほど美しくないことから現在はほとんど見向きもされないハズレアイテム扱いですが、将来的にはこれを巡って各国が血眼になって収集をする騒ぎになることを知っているのは私だけでしょう。
「『雫』か。一部好事家が集めてはいるが、二束三文の代物だろう?」
「現段階ではそうですが、今後宝石の乙女の潜在能力解放条件として必要となるのです。そうなると争奪戦になり、価格も天井知らずとなりますので、いまのうちに集められるだけ集めておきたい……とにかく二次開放条件とプラスして、能力上限値の上昇には各種『雫』が膨大な数必要となりますので」
ちなみにリリースしてから2年後に実装された、キャラ強化のための新たなシステムでしたので、その段階ですでに過去の存在として、スチルにしか登場していなかったスピネルには、まったく恩恵のないアイテムでありました。使ったら凄いらしいんですけれどね。設定上は。