59.通商会議(3)(R)
59.通商会議(3)
勇者上月が充血した目を魔法で癒した。それでもまだ違和感が残るのは、通商会議の準備のせいだろう。
(頭が痛い……)
資料を一通り目に入れたが、まったく頭に入ってこなかった。
それもそのはず本来十七歳の上月は高校生=後期中等教育の途中で、通商条約の内容は分かってもそれにどういった意図があるかを理解できなかった。
たとえば、安政五年(一八五八年)の日米修好通商条約が不平等条約だと知っていても、それがどのように不平等なのか、授業では簡単な説明しかされなかった。条文に関税自主権や領事裁判権など聞きなれない文言が並んでいた。
治外法権という言葉を知っていても、日本人である上月は実感したことがなかった。
通商の機軸である貨幣については完全にお手上げだった。
高等学校で、江戸時代の荻原重秀の業績を習うことはない。
昔鳥は金本位制や銀本位制といった本位貨幣ではなく、荻原重秀の信用貨幣の概念を援用した。これにより今後の経済発展による貨幣を調節できるのだが、上月には何をどう調節するのか不明だった。
隣に昔鳥がいれば直接そうしたことを学べたかもしれないが、子爵の第四子であるパキストラキストでさえあまりよく理解していなかった。
「教えは学びの半ば」とはよく言ったものだが、パキストラキストはそれを昔鳥に文書で伝え、条約の資料は増えに増えた。
(三倍はあるよね……)
上月としては、面白くない日が続いた。
一般教養の他は、まず言葉遣いからだった。社交辞令の例文をすべて暗記させられた。
なお、昔鳥は社交辞令を覚える気がないらしい。強者の特権だが、違う意味に取られては後で戦争になる可能性もある。
姿勢も矯正された。剣術の上達とともに、遅滞ない動きが表現できた。
ただ、食事のマナーが最低だった。
二刀流の剣聖(Master of the Swords)のリムリス嬢といる時は何でも一番に食べていたし飲んでいた。
「女が悪い」
と教育係のパキストラキストが結論づけた。
昔鳥曰く「イイ女をつくるにはイイ男が一人いればいいが、イイ男をつくるにはイイ女が三人は必要だ」そうな。
リムリスは「冒険者にテーブルマナーは不要」が口癖だったが、上月はおおいに反省した。
国家の代表なのだ。みっともない真似はできなかった。
パキストラキストは、カナイルナイが勇者に注意できる立場にいながら指導しなかったことにも触れた。言及した火の上級魔術師は、名門ファイア侯爵ナイル家という貴族の子女なのだ。
「教えるべきでしたね」
「まあそのころの俺ならウザがって聞いていなかっただろうけど。……親しくもなかったし」
「関係しなかったんですか?」
「えっ? ああ、だってタイプじゃあないし」
巨乳好きの勇者の範疇外だった。
「仮にもコカトリス殺しですよ?」
パキストラキストがうな垂れた。
「言ってくれればいいのに」
カナイルナイを傷つけたことを知った上月もうな垂れた。
「ちゃんと貴族らしく誘ったはずですけれど?『二人で食事をしましょう』とか」
「ええー……でもリムリスがいたし……」
「あのバカ女……嫉妬でしょうね……それが男をダメにする……ああ、ダメな男が好きなのかも……」
「あ……」
何か思い当たる節があるらしい。あえて、パキストラキストは聞かなかった。
(どうせ気分がすぐれなくなるに決まっている……)
「二人ともコカトリス殺しでBランク。片や庶子とはいえ貴族の令嬢。一方はエリート家系の女冒険者。元宮廷魔術師の天才と、花摘み娘バカ。冷静沈着、天真爛漫。色白低身長黒髪美少女眼鏡っ娘――」
「――あー聞こえない聞こえない」
人選はヴィヴだった。二つ月の女神も関係しているのか、よく対比させていた。
「もったないことをした……」
「そうでもなくってよ」
上月がそういうと、パキストラキストが笑い返した。
「どうしてです?」
「魔王を斃していたらリムリスがあなたの首を落としていたでしょうし、カナイルナイが――」
「――リムリスを殺していた?」
「そうなるわね」
「その場合、カナイルナイの処分はどうなるんです?」
「生き残ったほうが顔と名前を変えて冒険者を続けるだけでしょうね」
「二人とも生き残る確率はあったんですか?」
「勇者が魔王と共倒れになれば」
「どちらにせよ、俺は死んでいたのか……だから助けようとした?」
「カササギさんの本心は私には分からない。ただ、あなたを助けようとしたことは事実だわ」
「ふう……悪いことをしたなあ……」
「あとは戦後処理。そしてそれが一番大変なことよ」
戦争は一国で始められるが、終わらせるには二国間の同意が必要になる。
パキストラキストがテキストを閉じた。
今日はもう終わりらしい。
「沐浴なさい」
「カササギさんは?」
「条約のチェックをされています」
手伝いましょうかとは言えなかった。
(邪魔になるだけだろう……)
「明日はダンスの授業です」
「はあ?」
「和睦の象徴ですからね」




