45.地球中心説 対 太陽中心説(1)(R)
45.勇者チーム訓練計画(7)/地球中心説 対 太陽中心説(1)
勇者上月は魔王を討伐した後でも、昔鳥にヴィヴを渡すことを拒否した。
「カササギさんには悪いけれど、それはない」
「ヴィヴに任せる」
昔鳥がそう言うと、話はそれで終わりだった。
ヴィヴ本人に任せるといっても、奴隷に自由はない。それはある意味、生き方を考えなくていいということでもある。
逆に言えば、主人が奴隷の生き方を考えなければならないということでもある。
これまで上月は奴隷を所有したことはなかったし、想像したこともなかった。
どうして昔鳥がヴィヴに固執するのか、上月には理解できなかった。
ただ、少年の貪欲な所有欲から手放したくなかった。
それは、召喚時に助けてくれた恩人に対しても変わらなかった。
いや、その恩に対しての何かしらの後ろめたい悪感情の裏返しがなかったといえば、嘘になる。ましてや、ヴィヴは上月にとって初めての異性だ。「くれ」と言われて「はいどうぞ」とはならない。
昔鳥が話題を替え、「逃」について話していたが、頭に入ってこなかった。
*
夜食時に勇者上月が二刀流の剣聖(Master of the Swords)のリムリス嬢に昔鳥からヴィヴをくれと言われたと話すと、怒り狂ったリムリスがヴィヴの肩に斬りつけた。避ける。
「動くな」
主人に言われては、仕方ない。ヴィヴがその位置のまま身を固定させると、リムリスが肩を薄く切った。血が流れるが、隷紋に刻まれた自己治癒力の魔術ですぐに回復した。
二度三度と繰り返し、そのたびに回復が速くなった。切るのに飽きたリムリスが「向こうに行け」と吐き捨てた。
(カササギさんにい、負けたんですねえ)
理不尽な話だが、声に出さないだけでヴィヴは理解していた。
(リムリス。今はそんなことをしている時じゃあないのに……)
末席にいた火の上級魔術師のファーウが黙ってヴィヴを見送った。
ファーウも、昔鳥が光の魔術師キロルテロルと、風の上級魔術師フィルダティルダを使役していることは知っていた。
最強の魔術師キロルテロルはアーダァ伯爵ロルテ家第四子で、フィルダティルダは裏切者の代名詞エアー侯爵ルダティ家の第一子だから、貴族の子女二人を従えている形になる。
昔鳥の派閥に、継戦派のナンバー1とナンバー4が加わった。なお、ナンバー2は空間の上級魔術師カサマタサマで、ナンバー3は闇のカクナロクナだが、いずれも宮廷魔術師(政治家)なので、実際に戦闘することはない。実質的なナンバー1とナンバー2だった。
その二人が作戦行動中で連絡が取れないとなると、昔鳥が停戦派と協議しているのではないかと疑ったファーウだったが、聖女の動向は静かだった。
聖女の従女の代表のナリスクリスは前の剣聖(Master of the Sword)リムリスで、今の二刀流の剣聖(Master of the Swords)リムリスの母だが、母娘の関係は絶えて等しい。それは組合長である祖母との間も同じだった。
継戦派の宮廷魔術師と組合の連携は強いと考えていたファーウだが、それも危うい。
(確かめますか……)
本人に直接会うほうが確実だった。
*
ファーウが食事を途中で終わらせて、昔鳥が泊まっているアーダァ伯爵のロルテ邸に向かった。
勇者のために用意された邸宅から、夕闇を感じながらファーウが歩いた。
途中、美麗な馬車がファーウの前で止まった。
「レディ・カナイルナイ。どちらに?」
馬車の窓にハンサムの顔があった。
「今からちょうど、そちらにうかがうところでした、リヒト卿。……面会のお約束はしていませんが……」
「乗りたまえ。ぼくが何とかするよ、レディ」
アーダァ伯爵第一子のリヒト子爵ルロルテロルだ。レディ・キロルテロルの兄でもある。
「感謝します」
「どうぞ。遠慮なく」
リヒト子爵の紋章のついた馬車の中は、いたってふつうで装飾は最小限だった。
「伯爵ではないだろうし、ぼくでもないなら、会いたいのはカササギさんかな?」
「はいそうです、リヒト卿。おられるでしょうか」
「たぶんね。あなたから見て、カササギさんはどんな人物だい?」
いきなり直言を投げてくるルロルテロルだった。
「答えに窮します。……実のところを言うとお話を交わしたことがないのです。カササギさんが召喚されたあと倒れました。わたしはそのとき看病した一人なので顔は知っているのですが意識が戻ることはありませんでした」
「ヴィヴが目覚めさせた?」
「はい。たまたまかもしれませんが……」
「ところで、〝名前を消された元王女〟と出会ってしまったというのは本当かい?」
もう一度まっすぐに聞いた。
「はい」
そのために失職したカナイルナイだが、後悔はなかった。
「前公爵閣下は、自分より賢い人がそばにいるのが耐えられない性分だったからね」
ブラックジョークだ。
本来であればアーダァ伯爵の爵位継承順位第一位のリヒト子爵ルロルテロルが宮廷魔術師に選任されるはずだった。
だが、ルロルテロルはアーダァ伯爵譲りの賢い政治家だった。母に似ず激情でもない。カクマリクマが手駒にできる巨乳美女で加虐性欲者の拷問官を推挙した。
(前公爵閣下の失脚の計画者はリヒト卿?)
そう考えられなくもないが、アース公爵カ・クマ=リ・クマの失脚など誰もが望んだ結果だった。
それもカクマリクマ自らの召喚魔術の失敗による〝巻き添え〟で召喚されたカササギなる異世界の住人に呪われたなど、想像だにしなかった結末に宮廷は悪意ある笑いに満ちていた。何ら手を汚さぬ他者の失脚など願ってやまない。
そうしたことを軽く話すルロルテロルに他意はない。事実を述べても名誉棄損になるが、失脚した人物が裁判を起こすとは考えにくい。より物笑いの種になるだけだった。
負けたからには、次に這い上がってくるまでは何もできない。
だからこそ、元老でもあったカクマリクマは容赦なく政治的に敵を葬った。一度ついた汚名を返上する機会が与えられることは少ない。そして、名誉挽回する口実を設けては、より落とす。
次のアース公爵と目されているのが甥のカクナロクナだった。闇の魔術師は宮廷魔術師の議長でもある。
アース公爵の子女はそのどれもが凡庸だった。公爵自身が爵位を奪える才のある者を処分した結果だった。ついには庇護者となる後継者すら育成せずに爵位を手放すことになってしまった。
闇のカクナロクナは伯母に従順だった。才能の爪や高慢な牙など見せぬようにしていたし、誰からも恨みを買っていなかった。それだけに急な番狂わせに驚きつつも、受け入れる用意をしていた。
昔鳥は爵位に興味などなかった。ただただ平穏な人生を望んでいた。それを宮廷の人間が理解できる訳はなかった。
力があるのならその責を果たすのが貴族である。
この世界に〝ノブレス・オブリージュ〟という言葉はないが、不文律でその精神は(建前ではあるが)存在していた。「高貴な生まれであるなら、それに応じた責任と義務がある」のだ。
昔鳥が言っているのはその上で「気楽に生きる」ということであり、貴族には看過できない「無責任」な言動だった。同じように聡明なはずのアーダァ伯爵第一子のルロルテロルも、ファイア侯爵庶子のカナイルナイも理解できなかった。
〝ノブレス・オブリージュ〟という言葉は、一八〇八年のフランス貴族の言葉に由来する。それを一八三六年、オノレ・ド・バルザックが『谷間の百合』(傑作だ)で引用したことから広く知られるようになった。
今のフランス〝共和国〟に貴族は存在しない。〝ノブレス・オブリージュ〟は十八世紀のフランス革命以来の言葉でかなり新しい。概念として成立するのはより後世になる。
それはつまり、この世界の三百年ほど後世の思想という意味で、この時代の人間に理解しろということが不可能に近い。
前述の収斂進化と同じで、似ているがまったく違う思想なので、昔鳥が異質すぎて不気味なのだ。
昔鳥はそれを説明しようとしなかった。する必要もなかった。
ただ、そこに強大な魔法があり、その力に魔術師は誰も逆らえなかった。
昔鳥本人はそれを〝技術〟だと、想定状況のズレの回で上月に言っていた。「運や才能がある者が本気を出せば、技術をすぐにクリアしてしまう」と。
それを理解できたのはたった二人だった。
その二人にルロルテロルもカナイルナイも入っていなかった。




