39.勇者チーム訓練計画(1)(R)
39.勇者チーム訓練計画(1)
勇者上月が必至に馬の鞍に掴まっていた。
悲鳴すら出していないが、完全に腰が浮いていた。
馬場の外まで聞こえるように、何やら口にしていたが内容は「カササギ! テメエあとで覚えてろよ!」だ。
昔鳥はというと、日陰で冷たい飲み物を片手に資料を読んでいた。山のように積まれている。
先日のアーダァ伯爵テ・ロル=テ・ロルとの恐怖会談のあと、図書館の利用を許可されている。
「覚えていなさいよ!」
「きゃああ!」
勇者上月と同じように、二刀流の剣聖(Master of the Swords)のリムリス嬢も、火の上級魔術師のファーウも馬を走らせていた。
漢字の「走」は「逃」も意味する。「死る孔明生ける仲達を走らしむ」の故事で司馬仲達は〝逃〟げている。
三名は意のままに馬を操っていなかった。王国の騎兵隊三十六名に追いかけられていた。
ふつうの高校生だった上月が馬に乗るのは初めてだった。リムリスは幼いころから乗馬していたし、ファーウも貴族の子女なので嗜んでいる。その冒険者二名も悲鳴を上げるほどのスピードを出していた。
落馬すればよくて骨折だろう。最悪訓練中の事故死だ。
「練兵には撤退が一番いい」
という昔鳥の一言で「馬による撤退」の訓練が行われていた。
正直訓練といっていいのか不明だ。
三名を追いかける騎兵隊三十六名も、親衛隊二名に追われていた。騎兵隊の馬は兵士の他にフル装備の荷を背負っているので速度は遅い。騎兵隊の兵馬に、親衛隊は雷の魔術を放っていた。
殺傷能力は低くしてあるとはいえ、急所に当たれば気絶するほど痛い。
ようやく止まれの鐘が鳴っても、速度を緩めるが完全に停止しない。すぐに止まると、馬の心臓が破けてしまう。
歩みほどの速度になると、全員が親衛隊の後ろについて走っていた別の馬に乗り換える。
午後の小一時間はそうした練兵をしていた。
「こうしたことが有益とは考えられません」
宮廷魔術師の闇の魔術師カクナロクナだ。
「〝だから王国軍は負け続け勇者という部外者まで使うようになった〟」
昔鳥が何度も同じ言葉を繰り返した。前にも「相手の意向を無視して、細かい点を重要視し、保身を計る。事実を隠蔽し、問題を先送りにした結果が今なのでは?」と苦言を述べている。
「兵などまた用意すればいいではありませんか?」
「使い捨てにしていると、使い捨てにされますよ? ――一般論です」
昔鳥がジョークを言った。
「兵の損耗率が高過ぎます」
「ですからそれは、人口抑制のために仕方なく行っている政策だと何度も申し上げています」
魔王国から奪還した地域の人口は増加傾向にある。
「〝小人閑居して不善をなす〟と言います」
ヒトという生物は暇になると、善からぬことを考える。
「どうしてそうも平民を徴用したがるのか理解に苦しみます」
宮廷魔術師の議長は、はっきりと〝貴族の有用性を認めていない〟とは言えない立場だ。
その有能な貴族が負けているからこそ、勇者を召喚し、昔鳥が〝巻き添え〟になったのだから。
「撤退戦が一番被害が出やすい」
逃げるのだから、後ろに目はなく、銃口も後ろにない。
迅速な撤退ができたなら、攻撃はより楽で、防衛はより強固となる。
およそ攻撃は、防衛の約三倍必要だとされている。現場の指揮官としては「五倍あれば」と考えるのが一般的だ。
軍隊は、全体の三割が損耗した時点で全滅と判定される。
素人感覚だと(逆に)七割が怪我をしたら全滅だと考えがちだが、スポーツのラグビーを例にすると、十五人で三割減の十人または十一人で、十五人を相手にできるだろうか。サッカー八人で十一人を相手に勝てるだろうか。野球六人で守り切れるだろうか。不可能だ。
野球好きならベンチには控えの選手がいて合計二十五人いると言うかもしれない。
しかし、戦争ではまずベンチに砲弾が飛んでくる。冗談ではなく。
戦争ではまず最初に、後方支援が叩かれる。兵站線を分断し、兵站をめちゃくちゃにしてしまえば「戦車があるのに弾がない/ガソリンがない」状態になってしまう。
一番簡単な方法は、水源を確保してしまえば文字通り干上がって降伏せざるをえない。
いくら貴族が魔法魔術が使えるからといっても限界がある。
その指揮官を集中攻撃すれば、兵は烏合の衆になってしまう。
どうもこの国の貴族は、民を槍衾にする傾向があった。
(魔族相手に人の盾とか意味がないだろうに……)
そもそも魔族は生物学的にヒトではないのだから人権もない。
だからこそ、ヒトの勇者である上月も恐怖感がないのだろう。
(本当に人を殺めたことがないんだろうな)
もちろん昔鳥にもないが、歴史を学んでいるぶん数字で把握する以上に、人の死には敏感だった。
(誰しも見殺しにしたことはあるだろうに……自覚していないのは問題だ)
戦争や環境問題といった問題もあるが、ヒトは毎日殺人をしている生物だ。
犯罪を減らすことはできるとしても、ゼロにはならない。
上月はそうした勉強をしていなかった。
だからこそ、昔鳥はしつこく「生き残る」ことを教えた。
相性もあったのだろうが、三日目には上月は昔鳥を呼び捨てにした。
(せめて生き残れば、和解もできる……)
死んでしまっては何にもならないのだ。
目にかかる汗を袖で拭ったリムリスが、日陰で涼む昔鳥を睨んだ。
鐘が鳴った。




