1.ヴィヴァンディエール(R)
異世界兵站株式会社
異世界ヴィヴァンディエール
〝La Vivandière, ISEKAI〟
1.ヴィヴァンディエール
輜重担当の昔鳥が辞めると言ったとき、誰も止めなかった。
「そうか。じゃあな」
リーダーの上月も例外ではない。遠慮なく夜の荒れ野に送りだした。
「じゃあ、アタシも辞めるわあ」
昔鳥に同調したのは、酒保商人のヴィヴだった。一五九センチメートルしかない昔鳥と並ぶと、かなり高い。緑髪のナイスバディは一七五といったところか。
「はあ?」
一同が反応した。
「何でお前まで……。勝手に辞められると思っているのか? まだ隷属期間は――」
「――二つ月が天上にあるわあ。今宵月が変わって呪詛も解けるわあ」
二つ月の光で、ヴィヴの首にあった隷属契約の紋章が融解して衿を汚した。ハンカチーフをチョーカーにして隠した。洗いたいが、荒れ野の水場を穢すわけにはいかない。
「まあいい好きにしろ。ババア」
この世界は成人年齢が十五歳で三十前に孫がいても不思議はない。
「荷物は置いていく」
「当たり前よ」
昔鳥の言葉に、弓使いのメリアが頭を傾けながら肉を頬張った。女性のハーフエルフは雑食だ。
「大切に使わせてもらう」
深く礼をしたのは、同じくハーフエルフの男性祭司のクリーアンは、木の実入りのスープを飲んでいた。木の実は出汁に使ったので、味はほとんどない。
「ヴィヴ……寂しくなる……」
上級魔術師のカナイルナイが、雑穀スープを飲んでいた。杖と帽子が大きい以外は町娘と変わらない。
顔を背けたのは女剣士のリムリス嬢だ。上月が髪を梳いてやる。
「早く行け。昔鳥」
「計画表を確かめてくれ。十分、兵站は揃っている」
「はいはい。何かにつけて兵站兵站兵站兵站。まずわたしたちがいなきゃなーんにもできない癖に」
「もういいメリア」
「フン!」
メリアが馬車の荷に貼り付けていた羊皮紙を破ると燃べた。リムリスが静かに、不気味に笑った。
「ふう……。上月」
「何度言ったら分かる。リーダーと言え」
「生き残れよ」
「お前は死ね。――何が兵站だ。いつも残飯食わせやがって」
昔鳥がバックパックを背負うと、ヴィヴも似たようなパックを背にした。
「似合いだよ。お前ら」
昔鳥が一礼すると、カナイルナイに手を振るヴィヴといっしょに来た道を戻った。
*
丘を越え、焚き火の明かりが見えなくなったころヴィヴが横に手を延ばして、暗闇からシャンパンボトルを取りだした。収納魔術だ。
「それは……」
「初めて会ったときにもらった高級シュワシュワよお」
ビールではない。スパークリングワインでもない。正真正銘シャンパーニュのオートクチュールのボトルだった。
「クリュッグ……」
シャンパンの帝王である。
「ラッパ飲みでいいでしょうう?」
「情緒がないなあ」
「まあ身を軽くしたいというのもあるからあ」
替わりにバックパックをそのまま入れた。割れないように緩衝材がわりの空間があったらしい。
コルクが飛んでいかないようにしっかり握って、封を切った。
軽快な音を響かせて、泡がこぼれた。
「美味しいわあ。地球のことを聞かせてよお」
「寝物語に(上月から)聞いたんじゃあないのか」
「別れた男の話をするもんじゃあないわあ」
収納魔術を使える人間は限られている。多くは王族で、酒保商人になるのは元王族の女子だ。
「昔鳥って、昔のことは言わないし、聞かないわねえ」
「傭兵に隷属した酒保商人の過去を話せと?」
ヴィヴが吹き出した。
「もったいないじゃあないのお。――言いたくないなあ。つまらない話よお」
ヴィヴは元王女か、王族公爵の子女のどちらかだろう。
何かあって奴隷に落とされた。理由はいろいろあるだろうが、昔鳥にすれば「どれもよくある話」だった。
「確かに美味しいね。あっ!(間接キスだ)」
「――どうしたのお? あっ!」
「どうしてバレた?」
夜の荒れ野の草が〝立ち上がって〟声をかけた。昨夕の野盗の残党だ。複数いる。
「完璧に隠れていたのに……」
夜襲しても、機会を外しては元も子もない。戦闘でペースを崩されては絶滅もありえる。黄昏時は人気も誤魔化せるが、防御されていれば負ける。
「〈遯〉」
昔鳥がヴィヴの手を掴むと、下経三十四卦の第三十三番目、通称「天山遯」を唱えた。
二人が道の遥か向こうに消えた。「遯」には「走」意味がある。
「〈離〉」
遠くから、上経三十卦の第三十番目、通称「離為火」が聞こえた。
「ちょっ! どうなってやがる!」
消えた方向を見ていた野盗の手足が絡まった。衣服の袖や裾が燃え、手首足首それぞれの皮膚が接着していた。「離」には「火」の他に「着」意味がある。
*
昔鳥が、通称「風地観」である〈観〉を口にして遠見した。
「殺したのお?」
ヴィヴが質問した。
「ぼくは人を殺めないよ。――メリアの矢、クリーアンの土、カナイルナイの火、リムリスの剣、上月の両手剣――食後の運動だね」
「あいかわらずブラックジョークがキツイわあ」
「クリュッグの栓の音で(メリアが)用心していたみたいだね」
「わたしたちが復讐するとでもお?」
「上月はそうした人だよ。辛いときはいっしょにいられるけれど、幸せになると傷つけてしまう」#長頸烏喙
「不器用ねえ」
「未練はないでしょう?」
「あるもんですかあ」
ヴィヴが手を開き、指輪をみせた。二つ月の明かり輝くのは、美しいサファイアだった。
括弧をルビに変換しました。サブタイトルに「(R)」とつくものは変換済です。