【テンプレ改変】転生したら川だった件
「川……?」
渡された原稿に目を通し、編集者の狩野は思わず眉間に皺を寄せた。
「何故『川』なんですか?」
「えぇ」
向かいに座った青年が、緊張からか頬を紅潮させ勢いよく頷いた。
「昨今の『転生モノ』はもう粗方やり尽くされているので。ここら辺で、人間や動物以外のものに転生させようと思いまして」
「それで、主人公は『川』に転生を?」
「はい」
「しかし『川』と言うのは……あまりにも、その」
果たして川に感情移入する読者がどれほどいるだろうか?
「まぁ、いいでしょう。そんで……まず最初に、主人公は『犬に激突されて死ぬ』」
「そうです」
「『トラックに轢かれて』とかが普通じゃないですか?」
「でもそれだと、実際に交通事故に遭われた方に配慮が足りないような気がして……読んだ方に嫌な思いをして欲しくないんですよね。『犬に激突されて』だったら、それも少ないかなって」
「確かに少ないでしょうが、配慮しすぎて、現実にはおよそあり得ないシチュエーションになっているような……」
「『犬に激突されて死ぬ』ってこと、ないですか?」
「あんまり聞いたことないですね。『犬に噛まれて死ぬ』とかの方がまだ」
「でもそれは、実際に犬に噛まれた人への配慮が」
「この際、過度な配慮は一旦置いておきましょう。私としてはですね」
狩野が紫煙を燻らせた。
「やっぱり、せっかく作るからには売れてほしい。我々が求めているのは『作品』ではなく、あくまで『商品』ですからね。商売なんです。ある程度流行や売れ筋を意識していかないと。『川』に転生して、それからどう話を進めるつもりなんですか?」
「えぇと……主人公は、『川』になって」
青年がずり落ちた眼鏡を慌てて指で戻した。
「それで、ある日突然、異世界の現地人がその『川』によって居住地を分断されてしまう訳ですね。それでも現地の方々は健気に暮らし、川に船を浮かべたり、橋をかけたりして何とか共存していくわけです」
「なるほど」
「その健気さに、主人公の『川』は思わず涙し、氾濫してしまったりするんです。それで罪もない村人の命を奪ってしまって、思い悩んだり……『川』としての様々な葛藤を描いていきます」
「あくまで『川』は引き立て役であって、本当の主役は現地の村人ってことですか」
「そうですね。人々が、自然の脅威を乗り越えていくような、そんな物語にしたくて」
俯き加減だった青年が、ようやく顔を明るくさせた。
「だけどそれだと、実際に川で溺れて死んだ人に配慮が足りないのでは?」
「あ……」
「『川』じゃなくて、『オッサン』にしましょうか」
「『オッサン』……ですか」
「えぇ。そっちの方が”食いつき”が良さそうだ。それから『犬に激突されて死ぬ』んじゃなくて、やっぱり『トラックに轢かれて』でいきましょう」
「でもそれじゃ、全国トラック協会から苦情が来ませんか?」
「心配しすぎですよ。今更気にする人もいないでしょう。トラックというのは、あくまでテンプレの一つ……『春はあけぼの』と同じ、定型文と化していますから」
「はぁ」
「現地の村人は、もういっそのこと『人外』にしましょう。『モンスター娘』とか」
狩野が煙草をもみ消し、身を乗り出した。
「『スライム』とか、『悪役令嬢』の人気に則ってね。両方をいいとこ取りして、『モンスター娘』。彼女たちが、オッサンに溺れるんです。所謂ハーレム・チートものですな」
「川に溺れるのと、オッサンに溺れるのでは、大分趣旨が違ってくるような……」
「ほとんど同じようなもんですよ。オッサンはあくまで脇役。本当の主役は『モンスター娘』たちの方ですから。彼女たちが誤って村人の命を奪ってしまったり……」
「え……怖っ!」
「『モンスター』ですからね。本能的に、人を襲う宿命みたいなものを背負わされているわけです。でも『娘』だから、もちろん葛藤もある。これは原作の『川が氾濫して命を奪う』ことへの、オマージュですね」
「まだ出来上がっていないものに対してオマージュされても」
「それでオッサンがチート的な能力で、モンスター娘たちの悩みを何とかしていく、と」
「何とかって、具体的にどうやるんですか?」
「そこは、貴方が考えてください」
「そんな……」
頭を抱えた青年の肩を、狩野がポンポンと叩いた。
「今日はこの辺にしときましょうか。とりあえず今言ったことを考慮して、また来週お願いします」
「あ……分かりました。ありがとうございます」
「こちらこそよろしくお願いします。流行や売れ線も忘れないようにね」
青年は弾かれたように立ち上がると、そそくさと編集部を出て行った。
「どうだった? さっきの持ち込み」
「いやぁ……。どうも最近の若者の考えることは、ついて行けないよ」
ブースから出ると、向こうのデスクから同僚が狩野に声をかけて来た。狩野は苦笑して珈琲を口に含んだ。
「大人しくトラックに轢かれてりゃいいのに。奇を衒いすぎて、理解不能なものになっちゃってるよ」
「はは」
乾いた笑いがオフィスに転がった。
狩野は自分の席に戻ると、デスクトップを立ち上げ、ニュースをチェックした。本日のトラック事故、15673件。今日も無事、大勢の人が、望み通り転生している。
「やっぱりトラックだよなぁ」
狩野は誰ともなしに呟いた。
『犬に激突されて』なんて、フィクションが過ぎる。ウチの出版社の特色は、あくまで現実に近しいドキュメンタリー路線なのだから、トラックで正解なのだ。ニュースでは、キャスターが今年の転生者は100万人を超えそうだ、と嬉しそうに話していた。狩野は満足げに頷いた。
偉大なる主の御心によって、各々望み通りの異世界に転生する現代。小説などの創作文化は、今や衰退の一途を辿ってはいるが、それでも異世界への橋渡し的な役割を担っている。これからももっと、異世界ある若者たちのために、素晴らしい転生小説を世に送り出していかなくては。
「やれやれ。俺も早く転生したいもんだ」
狩野は大きく伸びをすると、午後からの打ち合わせに備えて早速資料を準備し始めた。