第七話 司令官の誤算(3)
「お呼びでしょうか?」
俺は、高坂を執務室に呼んだ。
いつも通り、姿勢正しく、俺を見つめている。
「何で呼ばれたか、分かるか?」
「……分かりません」
という高坂の表情は若干強張っている。
彼女は嘘を吐けない性格のようだった。
勿論、俺は彼女が何を悩んでいるのかを知っている。……あの筋肉モリモリマッチョマンのお陰でだ。
その悩みを解決するには、彼女から打ち明けさせなければいけなかった。
そして、俺は、彼女の扱い方を、ある程度理解していた。
「最近、練度が落ちていやしないか?」
「――っ!」
目を大きく開く高坂明日香。
「た、確かに、連携の若干のズレ。0.05秒ほどの遅れが生じ、このままでは的確な打撃を与えられていないこともありますわ。しかし、あくまでもトレーニング。本番では、きっちり合わせます」
正直な話、君たちの次元についていける人間なんてこの司令部にはほか三人しかいない。
俺はしかし訝しげな顔をして、彼女に問いただした。
「本当か?」
「……」
「今お前は、責任をもってアポカリプスを絶対に倒せると、断言できるのか?」
断言できるのか? というか、できる、のだが。
高坂はやはり生真面目なのだろう。目じりに、涙を浮かべている。
「何故泣く?」
「司令に話をしようと、どうすることもできませんもの」
「力になれるかどうかはわからん。話してみないとな」
彼女は首を振って答える。
「不可能ですわ」
「それならば、俺はお前に神装兵器を扱わせるわけにはいかん。不完全な人間に、大切な兵器を任せるわけにはいかない」
正直な話、ここで彼女がそれでもいい、と言われたら、詰む。
内心、凄まじく動揺していた……小日向と言い、なんで彼女らは俺の心臓にダメージを与えるのが好きなんだ?
「……」
ややあってから、彼女は話を切り出す。
「わたくしが、中央からやってきたことはご存知ですわね?」
「ああ」
「おじいさまが、帰省しろと仰るのですわ」
「帰省? この時期に?」
高坂は首を振って、声を震わせる。
「おじいさまは、わたくしにお見合いをしろと仰られたのです」
これが「時間がない」の真相だ。
彼女は結婚を迫られていたのだ。
お見合いと銘打っているが、おそらく、そのままなし崩し的に結婚をさせられるのを、彼女は気が付いている。
もしくは、こっちに帰ってこさせはしないだろう。なんだかんだ理由をつけて。
「急な話だ」
本当に。
俺はため息をついた。
何故こんなに急なのかは、見当がついていた。
彼女が、あまりにも強大な神装兵器の出力――巫力を観測し続けているからだ。
人によって巫力はまちまちで、神装令嬢になるのには、向き・不向きがあることは事実だ。
それが、遺伝していくという説がある。実際に、姉妹の出力値はほぼ同等のものが多い。
巫力の桁が一つ違う彼女の子供は、また同じである可能性が高い。
その子供を持っているということが、将来的にヤタガラス内で発言権を強めることが出来るというわけだ。
権力闘争は、日本の十八番なので、それ自体はよくあることだったりする。
「お見合い相手は、石田中将の息子ですわ」
「結構なことだな」
「何をバカな! この戦時下で、中央のおひざ元でぬくぬくと暮らしている男など……!」
高坂の目から、ぽろぽろと涙がこぼれ出て行く。
暴言を吐いたのに気付いて、目を伏せて、「申し訳ございません」とか細く声を出した。
高坂明日香は、この司令部に必要不可欠な存在だ。
勿論、俺はそのための一計を案じていた。
しかし、確認しなければならないことがある。
「高坂はどうしたいんだ?」
「そんなの……わたくしには、例え嫌いな人でも、どうすることも出来ませんわ。高坂家の地位を高めるためでもありますし。わたくしの意志は、関係なく物事は進んでいます」
「それは、外的な要因なだけにすぎない。お前自身がどうしたいのかを言え」
まず、それなのだ。
彼女の意志が、どう向いているかが、俺にとって最大の争点なのだ。
「だから、わたくしにはどうすることも……」
「嫌なのか、それとも結婚して神装令嬢をやめたいのか、今この場ではっきりと言ってくれ」
「……っ、そ、そんなの! 断りたいに決まってます! わたくしは、お父様の仇を取りたかったから、神装令嬢になりたかったのですもの」
それを聞いて安心した。
俺は、自分の端末を彼女に見せた。この中に、今までの会話のやり取りを録音していたのだ。
それを聞かせた高坂は、顔面蒼白となった。
俺が何をしようとしているのか、聡明な彼女はどうやら分かったらしい。
「高坂、俺はこのネタを知り合いの新聞社に持っていく」
「そ、そんな――! なんてことを!」
基本的にヤタガラスは世間の風当たりが強いのだ。
そこに、少女を無理やり結婚させようという企みを聞けば、お茶の間の格好の餌になること請け合いだ。ましてや、この第七区域のエースであり、壮絶な戦果を続けている高坂明日香ならば。
高坂准将も石田中将も中傷の的になり、結果、どちらも解任されかねない一大スキャンダルだ。
勿論、好奇の的はこの司令部にも及ぶし、他の神装令嬢にもそれは波及するだろう。
そして、これまで築いてきた俺の中央への信頼も、音を立てて崩れ落ちる。
しかし、下らない企みを破壊することが出来る。
「おやめください! 司令! わ、わたくしが我慢すれば、いいことなのです」
俺はため息をついた。
「勘違いしているんじゃないか、高坂。俺の仕事は何だ?」
俺は、ヤタガラス第七区域司令官だ。
「迫りくるアポカリプスを撃退し、第七区域の人間を守るのが仕事だ。そのために、あらゆる方法を模索し、効率化する。今、最大の神装令嬢が取られようとしている。卑劣な手段でだ。それに対抗して、一体何が悪いんだ?」
「そんな……っ」
「勿論、お前が結婚をすすんでしようというのなら、妨害はしない」
高坂は絶句する。
高坂にとっては、酷な話だ。
神装令嬢と、家の面子と、どちらかを選べと迫っているようなものだからだ。
いくら彼女が対アポカリプスに無敵の強さを誇ろうと、まだ十七の少女なのである。
俺はため息をついた。
高坂に対してではない。俺に対してだ。仕返しのつもりだが、ちょっと意地が悪すぎた。
「――ということをな、石田中将にも高坂准将にも言おうと思っているんだ」
高坂は目をぱちぱちと瞬かせた。
この話は、高坂からその内容を打ち明けさせ、その気持ちがこちら側を向いているならば、それで終わる話だった。
つまるところ、これをネタに、両方を脅すのだ。
『この録音を新聞社に持ち込まれたくなければ、高坂明日香の結婚を諦めていただきたい』
と。
これにより、破談は確実で、司令部も安泰となる。高坂も、晴れて神装令嬢を続けられる。
「けれども、司令は……? 司令はどうなさるのです? それでは、中央司令部の信頼が傾くのは避けられないではないですか」
「世間に公表するわけではないので、石田中将と高坂准将に恨みを持たれるだけだ。そもそも、この話自体ふざけた話なんだ。少なくとも、この話を聞いた他の司令部は俺に同情するだろう」
中央司令部はアポカリプスの領域――禁忌領域に接していないから、どこか平和ボケな思考をしてしまうのだ。困ったものだ。
「高坂、分かったか? 悩みなんてものは、人に話せば、意外と簡単に解決できるものだ。これに懲りたら――」
「それでも、司令が、一番損をしていますわ」
下らないことを気にする奴だ。
「高坂。お前は、俺にとって大切な人間なんだ」
「え……?」
「それ位の恨みなど、些細な事なんだ。お前を失うことに比べればな」
「……あ、え、そ、そうだったんですの?」
何だ? まさか、自分の価値に気付いていないのか?
驚いた表情を見せているのは、意外だった。心なしか、顔が赤い気がするのは、興奮しすぎたのだろうか。……やはり先ほどのやり取りは、意地が悪すぎたな。
彼女は先日のH型との戦闘でもそうだが、一人で突っ走ることが時々ある。それを諫めるためだった。
「いつから、ですの?」
「いつから? ――そうだな、最初からだ。初めて会った時には感じてはいた」
小日向はちょっとアホだし、一之瀬はまだ中学生だし、村崎は初め会った時は何を考えているか分からないところがあった……あの男が連れてきた子だったしな。
「いきなり、言われても……」
何だろうか?
先ほどから凄い違和感を感じている。
彼女に正しく言葉が伝わっていないような。
俺がそれを問いただそうとしたときに、彼女は俺にまっすぐ見つめてきた。いつもの、彼女の瞳だった。
「わたくし、決めましたわ。おじいさまと戦います」
「何?」
「司令は口出し無用ですわ……もしもの時は、やはり頼りにさせてもらいますけれども。この話、わたくしからお断りさせていただきます」
「平気なのか?」
そもそも、それが駄目だったから、こうして一計を案じていたのに。
「ええ。司令の覚悟を見せていただきましたし……“理由”ができましたもの」
理由ってなんだ?
と俺が質問をしようとしたときに、彼女は「それでは! さっそくおじい様に連絡させていただきます!」と意気揚々と彼女は執務室から出て行った。
「……」
まあ、いい。
さすがに、駄目だったときには俺に話を通してくるだろう。
彼女が断れるというのならば、全然その方が良いのだ。
高坂准将から通信が入ったのは、それから三日後のことだった。
高坂准将は齢65であり、年相応の細い体つきをしていた。しかし、その眼光は鷲のように鋭く、モニター越しにもその威圧感は伝わる。
「はじめてお目にかかる。高坂隆文准将である」
一通りの挨拶を済ませた後、言及されたのはやはり、三日前のことだった。
「石田中将との息子とは、無事破談となった」
「左様でございますか」
「朗報かね?」
「無論です。彼女は、この司令部になくてはならない存在ですから」
「ふ――言葉の選び方は、なかなかうまいじゃないか」
その挑発には乗らず、俺は無言でスルーした。
それが面白くないのか、高坂准将はやや不機嫌な顔をする。
「明日香は、わしの孫娘だ。しかも、高坂家はもうわしを覗いて、明日香しかおらぬ。だというのに、神装令嬢をやるというのだ。この苦しみが分かるか?」
「なんとも、言いようがありません」
「――お前を八つ裂きにしたい気分だよ、わしは」
意外と直球を言う人だ。
「案外、孫娘は面倒くさいぞ」
知ってる。言葉には出さないけど。
「しかし、彼女は代えようがありません」
「ふん……模範的な回答だ。面白くもない」
そのまま、たっぷり三十秒は黙ったままだった。
辛い。
「じゃが、可愛い孫娘がおぬしを認めておるのじゃ。仕方なかろう」
「……?」
仕方ない、ってなんだ?
とても違和感を感じる言葉だった。
俺が質問をしようとすると、准将に遮られた。
「もし孫を裏切って、おかしな真似をすれば――」
首を切るジェスチャーをした。
「地の果てまで追い詰めて、ありとあらゆる絶望を与えた後、なぶり殺しにしてくれるからのう。楽しみに待っておれ」
なにこの人怖い。
そこで通信が一方的に切れた。
……何だかおかしいぞ。
『神装令嬢の孫娘を働かせている司令官』だけで、あれほど憎めるものではない。
俺は高坂を呼んで、説明を求めた。どういう説得を試みたのかを。
「私には、好きになった人がいて、先日、結ばれたと強くお伝えしました」
なるほど? その手で説得したのか。
彼女がそんな嘘を吐くのは、少し意外だった。
しかし、やっぱりそれだけで准将に憎まれるような……ん? あれ? え?
まてよ。
頭の中である仮説を思いつき、そしてそれが正しいとするならば、この状況にぴったりと当てはまることに俺は戦慄した。
「司令、それで、その……お昼に、お弁当を、作ってみました」
彼女は、一つの弁当箱を俺に差し出してきていた。
その両手には、痛々しい絆創膏が貼られている。料理に不慣れな彼女が、わざわざ俺に、弁当を作ってきた。
『彼女はどういうわけか、俺と恋仲になっていると思い込んでいて、それを理由にお見合いを断った』という仮説を裏付ける、重要な証拠だ。
「も、勿論、お嫌ならば、断っていただいても! 味は保証できませんし!」
……どこでボタンの掛け違いが起こったんだ?
これは、まずいぞ。
いくら何でも、これを放置するのはまずい。
そもそも、俺は彼女を恋愛対象とすら見ていないのだ。その齟齬が、あとあとになって重大な破綻をきたす可能性が高い。
「高坂――」
『もし孫を裏切って、おかしな真似をすれば――地の果てまで追い詰めて、ありとあらゆる絶望を与えた後、なぶり殺しにしてくれるからのう。楽しみに待っておれ』
「たすかる。ひるは、ずっと、えいようが、かたよりがちなんだ」
俺がその弁当箱を受け取ると、高坂の顔は、ぱっと明るくなった。
「ええ! そうだと思って、色々詰め込んでおきましたわ!」
「しかしな、高坂。司令部で、あからさまな行動は困るぞ」
「あ、はい……分かっておりますわ!」
俺は、逃げた――准将が怖すぎるから。
それに、彼女と俺は、十も歳が離れている。言っては何だが、俺よりも魅力的な男性はこの司令部にも、そして彼女の同世代にも存在するはずだ。
俺がここでその事実を否定しようとも、自然に消滅する可能性があるのだ。
それならば、わざわざ火中の栗を拾うこともない――はずだ。
結論から言うと、この判断は完全なる誤算だった。
高坂明日香はとても一途な少女であり、あとあとずっと、俺は間男のような気分を味わうことになるのである。
……どうしてこうなった。