第四話 融解する世界(1)
地球全土の六割がアポカリプスにより侵食された時、人類はある決断をした。
クローン技術による人間の培養だ。
誰だって、自分の血を分けた娘を化物の犠牲に差し出すなんて嫌に決まっている。
その代りを、クローン人間に代わってもらおうと考えたのだ。
量産体制が整えば、一気に巻き返しができる。そういう目論見で、クローン人間計画はほんのちょっぴりの反対する人たちを尻目に、開始された。
別に、不思議な話ではない。
人類間での戦争だって、勝つためにあらゆる非人道的な行為が行われた。戦争はスポーツじゃない。過去、正々堂々戦った人間が勝ったことは少ない。
クローン人間は、いくらでも培養できる。
じゃあ、それを使用するのは当然だ。
そもそも私たちは、人と認められていない。現在進行形で。
クローン人間計画は失敗した。
クローン人間では神装兵器を扱うことは出来なかったのだ。
クローン人間は人間が作った物であり、人間は神が作った物だからだ――というのが通説になっている。
本当のことは分からないけど、私はそれが真実だと思っている。
だって、神様は私を愛してはくれていないもの。
放課後。
先生に怒られている小日向美穂を私は見ている。
私は、校内限定の彼女のボディーガードだ。
秘密裏に彼女を守るのが私の仕事だ。
彼女は先生に怒られた後、とぼとぼと自分の席で頭を抱えた。
「どうしたの?」
彼女とは隣の席だ。私は事情をすでに聴いていたが、恍けて尋ねた。
「授業をサボったせいで、宿題を三倍にされた~……」
「自業自得ね」
呆れた声を出す。
本当、彼女のせいで、昼休みは振り回された。これくらいの罰だと甘すぎると思う。
「というか、何で授業なんかサボったの?」
「小テスト、勉強してなくて……」
彼女は優秀な神装令嬢なのかもしれないけれど、頭の方はちょっと……だ。
まさか私も警護班も、自分から、のこのこと学校の外に出て行ってるなんて思わなかったのだ。
誰かに誘拐されたと考えるのが自然だったし、事態は緊急を要した。冷静に思考すれば、五時間目のテストを憂鬱に感じていたから、サボる可能性に至ることが……分からないわ。絶対。
この子、自分がこの街で少なくとも四番目に価値のある人間だと自覚がないのかしら――叱責したいが、私にはそれが出来ない。彼女を密かに守るのが私の仕事だからだ。……これからも今日のようなことが起こりかねないというのだから、すごく気が滅入る話だ。
「勉強すればいいだけでしょ」
「そうだけど……アルバイトがきつくてさ」
と、彼女は言葉を濁した。
連日、彼女らは訓練をしている。もしくは出撃だ。
勉強なんてやる暇はない。
いや、本来、勉強なんてする暇なんて彼女らにはないし、戦果を重んじるならば、学校なんて通わせるべきではないのだ。
彼はやっぱりバカだ。
くだらないヒューマニズムで、何もかも駄目になる可能性を捨てきれないなんて。
「あーもー……しかも明日に提出って鬼すぎるよー」
正直、頭を抱えている彼女を見て、少しは気が晴れている自分がいる。だから、
「手伝ってあげましょうか?」
と私は助け舟を出した。
「玲香さん……いや、玲香さま!」
顔を上げて、きらきらした目を向けてくる。私はそれを女神のような微笑みで受け止めた。
「ルームメイトのよしみよ。でも、ちゃんと勉強しないと」
「分かってる、分かってる」
と、すっかり上機嫌になる小日向美穂。帰り支度をして、「じゃあ、また夜にねー」と教室を出て行った。
勿論、私は彼女が帰ってきても寝たふりを決め込むつもりだ。
だって、彼女が帰ってくるのは少なくとも十時過ぎ。聖華女子高等学校の生徒は清廉潔白に生きることが義務付けられている。なら、早寝しても不思議はないでしょう?
かなり気が晴れた私は、端末を操作して警護班に小日向美穂が学校を出るというメッセージを送る。
これからは彼らの仕事だ。彼らは、陰ながら彼女が司令部に出勤するのを見守らなければならない。私ほどではないけど、ご苦労な話だと思う。
と、そこで――
端末に通信が入った。
……この番号。
取りたくはなかったけど、取らなきゃいけないものだった。
「何か御用ですか?」
私は、屋上へとやってきた。
ここは当たり前のように立ち入り禁止区域だ。誰もいない。だからこそ、聞かれる心配はないだろう。
風がびゅんびゅんと吹いている。長い黒髪が、風でたなびく。
『昼の件、謝ろうと思ってな』
「何がです?」
私は本当に何のことかわからなくて、聞き返した。
『怒鳴ってしまって、すまん』
何の用かと思えば、そんなことか。
このヒューマニズム丸出しの司令官様は、妙に感傷的なことがある。
「こちらの落ち度なのは間違いありません」
『しかし、小日向美穂に秘密にしながら彼女を守るのだから、限界がある。そのことを、謝りたい』
「ええ。そうですか。どうも」
彼には、よっぽどの用事がないのならば、連絡をしないでくれと頼んである。
そもそも、私と司令官とが書類上は妹となっていることすら、秘密になっているのだ。神装令嬢たちにも、私が秘密裏に守っていることを知らせないためだ。
無用に連絡する今この時は、それが露見するリスクを増大させていることに彼は気付いているのだろうか。
『それと、八洲屋に並んでくれたことも』
あれは本当に最悪だった。
この司令官様のせいで、私のせっかくの休日が台無しになったのだ。
私は、聞こえるように深いため息を吐き出して、一言だけ告げた。
「知っているでしょう?」
その一言だけで、彼は沈黙した。
クローン人間の頭には、小さな装置が取り付けられている。
この装置は、平たく言えばクローン人間を自由に操作するために付けられたものだった。
操作するのは実に簡単で、主と定められた人間が、命令すればいいだけだ。
どんなに心の中で嫌だと思っていても、その人間の言うことは絶対となっている。
私の場合は、この司令官様だ。
この司令官様が「やれ」と言われたら、なんだろうとやらなければいけないのだ。
それを、何だ。ずっと偽善めいたことを。
「可愛い”妹”に苦労をかけたくないなら、こんなことを止めればいいだけです」
私の言葉に対し、司令官様は、ただ一言。
『すまない。お前にしか頼めないんだ』
女子高内で秘密裏に警護するのは、やはり同学年の女子が適当だった。
そして、絶対に信頼できる人間であることも絶対条件だった。
私は、その条件に完全に合致していた――だから、一番手のかかる人間の担当になったわけだけど。
『何か、俺にできることはないか?』
「いますぐ、通信を切ることです」
私は告げる。時間の無駄だ。本当に。
『分かった。他に変わったことはないか?』
「何も」
『クローンとばれてはいないか?』
「そのようなヘマはしません」
『学校は楽しいか?』
「普通です」
『ご飯は毎日、三食食べているか?』
「食べてます……もういいでしょ? お仕事が忙しいんじゃないですか?」
『もちろんだ。じゃあ、おれはいそがしいから、つうしんをきる。からだにきをつけてな』
「――もしもし?」
本当に通信が切れた。
まったく。いつも唐突なんだから。
端末をポケットにしまって、私は屋上から出る。
連絡なんてしてこなければいいのに、と私は心底思う。
人形は人間にはなれない。だって人形だから。理不尽でも何でもない。それは、自然で、当たり前のことだ。
あの人と会話していると、段々と苦しくなってくる。
微かな希望に足掻こうとしている自分がいることに、気付かされてしまうのだ。
そんなわけがないことは、十五年の歳月で十分に理解している。
私はクローン人間。人が作ったまがい物だ。
こういったことになってしまっているのは、あの司令官や私のせいでも何でもない。
単純に、神様に愛されていないからだ。
がっつり本編に関わるため、タイトルを変更しました。内容は変わっておりません