第一話 ケーキはおいしかった
「ハルシネーション粒子濃度増大! 可視領域まであと、五、四、三……!」
「神装令嬢、全機所定位置にてスタンバイOK」
「住民の避難、完了しています」
オペレーターが口々に状況を報告していく。
「二、一、ゼロ! 敵アポカリプス顕現! パターンD!」
司令部中央の巨大なモニター。閑静な住宅街の真ん中に、異形の化物が突如として現れる。
アポカリプス。
“黙示”と名付けられた、突如として現れる異形の化物。
俺はやや早口で告げた。
「作戦を開始し……」
「敵アポカリプス、沈黙!」
「撃退に成功です!」
「……てくれ」
アポカリプスに対し、人類の生み出した兵器は通用しなかった。
唯一つ、神話の時代に神との契約によって生み出された兵器、神装兵器以外には。
俺は、日本がアポカリプスに対抗するために作られた組織、ヤタガラス第七区域司令官だ。
だけれども――
「あの、司令官」
オペレーターの一人が、尋ねた。
「ちょっとうちの神装令嬢、強すぎませんか?」
ちょっとどころじゃない。
顕現してから、何秒ともたっていないのにパターンDを撃退なんて聞いたことがない。いや、あるか。ウチだけだけど。
パターンDなんて、撃退に一日かかってもおかしくない。
少なくとも俺の知る限りでは。
「……神装令嬢、全機帰還させろ。戦闘態勢を解除」
俺は帽子をかぶり直し、努めて冷静にオペレーターに促した。
「……あ、そ、そうか。アポカリプス撃退に成功。戦闘配置を解除してください。繰り返します。戦闘配置を解除。戦闘は終了しました。通常業務へと移行してください」
「アポカリプス撃退に成功。解析班は直ちに出動してください……ええ、はい。もう、なんです」
司令官の椅子を立ち、俺は作戦本部を出る。
ここでもうやることはないからだ。
ここに赴任してからは、書類仕事と、もしくはこのオペレーションルームに少しだけ座ってまた書類仕事をする毎日だ。
自分の存在価値について疑問を思わんでもない。
いや――司令官として、やるべきことはある。
戦いだけが、司令官の仕事ではないのだ。
俺は、執務室に置かれている冷蔵庫を開けた。その仕事のために必要なアイテムが、そこにはあったのだ。
相手は、人類の宿敵アポカリプス。
たとえ楽勝だからと言って、緩んでもらっては困る。
その緩みこそが、組織を瓦解させ、アポカリプスに付け入るスキを与えかねない。
引き締めなければいけない――のだが。
ため息を吐く。そう簡単にはいかない。本当に。
俺は彼女らが帰還するドッグへと急いだ。
バシーン!
ドッグへの扉を開くと、そんな小気味いい音が響いた。
小日向美穂と、高坂明日香が向かい合っている。
頬を押さえた小日向が、潤んだ瞳を高坂に向けて、頭を下げた。
「申し訳、ありません」
「ええ、申し訳ありません、ね。言葉では何とでも言えますわ。行動で示してもらわないと」
金色の髪をかきあげて、キリッとした瞳を小日向に向ける。
「あなたのおかげで、一秒ほどアポカリプスを倒すのに時間がかかりましたわ」
人どころか、街にまったく被害が出ていないだけで十分なんだが。
「はい。申し訳、ないです」
君もそうやって納得しないでくれないか。
アポカリプスD型を瞬殺できるなんて、本当に君たちだけなんだから。
「一秒遅れれば、それだけ街に被害が出ますわ。お分かり? 美穂?」
「……」
そう。
彼女らは、自分に厳しすぎる。十分すぎるというか、もっと八割方力を抜いていいほどに。
俺はため息をついた。
引き締めるのも確かに大切だが、張り詰めればそれはそれで、物事は簡単に瓦解する。
少しくらい緩みがあった方が、柔軟に対応できるものだ。
要はバランス。
俺は彼女らに、少しは休憩するように言いに来たのだった。
俺は右手に下げているケーキ屋の箱は、今、女子高生に話題の新作ケーキであり、彼女らにとっては喉から手が出るほど欲しいもののはずである。義理の妹が二時間並んでどうにか手に入れた物だった。
これで少しは休憩できるはずだ。むしろ、これくらいのご褒美くらいは、あってしかるべきだろう。誰も彼女らを咎めはしない。
「さ、それじゃあ、また訓練をしましょう……今度はミスをしないように」
「……はいっ!」
やっぱりそんなことを言っている。
全く……頑張るのはいいが、それで本番で力を発揮できない場合もあるというのに。
俺は彼女らに歩み寄った。
「ちょっといいか」
「司令!?」
「っ」
声をかけると、高坂と小日向以下、成り行きを見守っていた神装令嬢全員が姿勢を正した。
「どうしてこのようなところへ? 何か、その、落ち度でも……?」
不安そうな眼差しを向ける高坂。
彼女は神装令嬢の実質的なリーダーである。
何か俺からお叱りを受ければ、一人でその責任を負う気でいるようだった。彼女は他人に厳しいが、自分にはもっと厳しいのだ。
「楽にしてくれ」
と、俺に言われようとも、直立不動する彼女たち。……正直な話、彼女らはやりにくい。
「あー……」
ともかく、
「君たちがここに赴任してきてから、アポカリプスとの交戦六回。その六回とも、見事な戦いだった。これまでよくやってくれた」
よくやってくれたという言葉だけでは足りないが、俺は感謝の意を述べる。勿論、その言葉を聞こうとも、彼女らの緊張が解かれることはない。
「ついては、」
とにかく、このケーキの箱を渡して、さっさと切り上げよう。俺は目の前に立つ高坂にケーキの箱を突き出す。
「これでも食べて少しは休憩してくれ」
「申し訳ありませんでした!」
高坂が深々と頭を下げた。
「討伐に遅れが生じたのは、わたくしの責任ですわ!」
「そんな、高坂さん……! 私の……」
「美穂、いいのよ」
「私のせいです! 私が……ミスを……すみません……」
彼女らは、俺が叱りに来たと思っているらしい。
「……」
寡黙な少女、村崎史も手を挙げた。彼女もまた、自分のせいだと主張しているようだ。
「次は必ず、完璧に作戦をこなして見せますわ! ですから、司令! チャンスを! どうか!」
とにかく、彼女らの誤解を、解かなければいけない。
「あのな」
「どうしてもというのなら、わたくしを解任してください! ええ、今すぐにでも!」
とりあえず、先ほどからずっとケーキの箱を彼女らに突き出しているのだが、それが何なのか質問すらしないのはどういうことなのか。
ここは趣向を変えて、ちょっと苦手だが、ユーモアを交えてみるか……とにかく、この緊迫した空気をどうにかしたい。
「君たちを解任したのなら、俺の首が飛んでしまうよ」
自嘲気味に微笑んで、アメリカ人がやるように肩を竦めて見せた。
しかし、彼女らは電撃に打たれたような顔をしたのである。
「司令、そこまでの覚悟を……」
ぐすっと小日向が鼻をすすった。
「ううっ……私が愚図なばかりに……」
「司令が辞めることはありません!」
「……」
村崎史が両手の人差し指で小さく×を作っている。
この子たち、面倒くさ……いやいや、そんなことを思っちゃいけない。彼女らは人類の切り札。面倒くさいなんて思うだけでも駄目だ。
「違う。だから、」
俺のその言葉は、高坂の言葉に吹き飛ばされた。
「みなさん! 司令にここまで言われて、奮起しないわけにはいきませんわ!」
「勿論です!」
「……」
うん、と頷く村崎史。
そうして彼女らは、トレーニングルームへと向かっていったのだ。
「……」
彼女らと知り合って一か月が経ち、分かったことがある。
彼女らは、人の話を聞かない。