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タイムカプセルの罠

作者: 坂本瞳子

近所にある小学校に立ち入ることなんてまずないんだけれど、投票を終えたところで、校庭の桜が気になって来てしまった。

引っ越してきて五年くらいだよね。こうやって歩いても、自分が行ってた小学校のことなんて、思い出しもしない。

校庭ってこんな感じだっけ。いろんな花が植えてあって、いちいち名前が書いてある。

これ、やっぱりソメイヨシノなんだ。校庭にはソメイヨシノなのかな。毎年春にはキレイに咲かせてくれてるよね。

近くで見ると、随分太くって立派なんだな。

根本も…、あれここ、少し色が違う。あ、スコップまで置いてある。

死体でも埋まってるのかな…、なんてね。

こんな小さなスコップ一個じゃね。

あ、缶の先が見えてる。ダメじゃない。いくらなんでも、もう少し深く穴を掘ってちゃんと埋めないと。


…えーと、誰もこっちに来ないよね。


じゃ、ササッと掘って、深くに埋め直してあげるか、このタイムカプセル。

クッキーでも入ってたような、でも安っぽい、金属の四角い缶は見るからに安っぽかった。

女の子数人でやったんだろうな。大して大きくないし、多分、途中で掘るのに飽きたんだろうね。


他人宛の手紙を開封するみたいで少し悪い気もするんだけどさ。

中身を確認したら、ちゃんと蓋をして、穴を深く掘ってちゃんと埋めてあげるから。

だってこんな浅いところだと、ほかの誰だって掘り起こして開けてみたくなるって。

別に中身が見たいわけじゃないんだけどさ、ちょっと気になるじゃない。

来ないよね、誰も、こっちに。


ほんの軽い気持ちだった。

中身に入っているのがなんだろうと、どうする気もなかった。

明らかに最近、ケアレスに埋められたばかりのタイムカプセル、私がちゃんと埋め直してあげることで、女の子たちは数年後に楽しむことができるんだから。

そんなくらいにしか思ってなかった。


でも、蓋を開けた私はしばらく動くことができなかった。

一〇センチ四方くらいの金属製の箱、蓋を取り外したところ、底には歯が横たわっていた。

根の部分が二股に分かれているその歯は、薄く血に塗れていた。表面のその濁った白は、とても不潔に私の目に映った。


私は蓋を元通りに閉めた。

一〇秒数えた。

恐る恐る、蓋をもう一度開けようとした。


さっきのは見間違えでありますように。


そんなことを、なんとなく願いながら。

でも、蓋を開けたそこにはやはり血に塗れた歯があった。

割と大きな歯。

それ以外にはなにもなかった。

蓋を閉めて、外側をよく見直してみたが、名前もなんにも書かれていなかった。

こんな歯一本入れるためには、大き過ぎる金属製の箱だった。


「なにをしてるんですか?」


体育館の裏口から、大きな声をかけられた。

私は箱をバッグの中に追いやった。

その係の人がこちらに近寄ってくるよりも前に、私が体育館の脇の通用門に辿り着いた。

「ちょっと、校庭の木が見たくなって。」

私はそそくさと家路に着いた。

心臓の鼓動とは、こんなにも早く大きく撃つものだっただろうか。


私は部屋に入ると玄関の鍵を閉め、確認し、カーテンを閉めて、明かりを一つだけ点けて、バッグの中から箱を取り出した。

バッグの中は土で汚れていた。

財布やポーチを取り出して、中の土を玄関にはらった。

財布やポーチを清潔なタオルで乾拭きし、タイムカプセルも拭いた。外側を念入りに丁寧に拭いてやった。

そしてタオルを水洗いし、洗濯機に突っ込んだ。


ああ、いろんな想像が巡る。

女の子はきっとクラスでいじめられていたんだろう。

協力者を得て、やっとの思いで復習を果たし、見せしめにイジメっ子の歯をペンチで抜き、缶に入れて埋めてやったんだろう。

卒業するまで、イジメっ子に仕返しされないために。


ああ、そうではないのかもしれない。

先生へのイタズラだったのかもしれない。

先生はいつも厳しく、真面目で面白いことの一つも言わない。つまらない新米教師だ。

そんな先生をからかって、裸の自撮りと交換してやると歯を要求したのではないだろうか。


ううん、そうじゃない、きっと。

親に虐待されていたんだろう。

辛くって、恥ずかしくって、誰にも言えなくって、助けを求められなくって、毎日毎日我慢していたんだろう。

殴られようと、なじられようと、大好きなお父さんのいうことを聞くしかなかったんだろう。

でも、あの日はもう我慢できなかったんだよね。

はずみで殴り返してしまった。

当たりどころが悪くって、お父さんの歯が抜けて飛んじゃったんだよね。

だからビックリして、抜け飛んだ歯を拾って、家を飛び出して来ちゃったんだよね。

今も家に帰れずにさまよってるのかな。


私はドキドキした。

金属の箱を目の前にして、妄想を止めることができなかった。

食べることも眠ることも忘れて妄想に浸った。


昼間、子供たちの騒がしい声が響く。

体育の授業をしていると、こんな声が聞こえてくるのか。

月曜日は全体朝礼があるというのに、会社を休んでしまった。

そう言えば、携帯も鳴っていた。

私はまたドキドキした。

学校からなにか連絡があるのではないか。

警察からなにか連絡があるのではないか。

持ち主から連絡がきたりしないだろうか。

そんなことを考えると、ドキドキが増した。


でも、そんなドキドキは二日も続かなかった。

翌日は会社へ行った。

本棚の奥には箱があって、箱の中には血塗れの歯が横たわっているのを確認してから。

校門の横を通り過ぎるとき、鼓動が早まるのを感じた。

校門に入っていく子供たちがやけに気になった。

連れ添いの親たち、校門の脇に並ぶ先生たち、校門を通り過ぎていく生徒たち、皆が気になった。

立ち止まって見ている私の姿に気づく先生もあった。

投票日のあの係の人は学校の関係者ではないらしく、見かけなかった。


会社で働いていても、私は歯が気になった。

定時には退社し、家路へ急ぎ、一目散に本棚の奥からタイムカプセルを取り出して、中に血塗れの歯が横たわっているのを確かめた。

私の心は癒やされた。

そう、いつの間にか、私の心は血塗れの歯を見ることで休まるようになっていたのだ。

猫可愛がりでもするように、私はこの歯を眼差しで愛撫した。


ある日、会社から帰ってきたところ、エレベータの中で二人の奥様と乗り合わせた。

「お宅も気をつけてくださいね、三年生でしょう。」

「ええ、堀田先生は大丈夫だと思います。」

「用心に越したことはないから。」

これだけの会話ではなんのことか分からないが、ドキドキはした。


家に戻ると、まずタイムカプセルの中の歯を確認。

それからパソコンに向かって、小学校の名前と「三年生」というキーワードを入力して検索をかけた。

大した苦労もせずに、学校の裏サイトに辿り着いた。こんなの、よくよくあるものだ。

三年一組の担任である筧先生は生徒同士のトラブルに巻き込まれ、モンスターペアレントから痛く責められていたらしい。

名前は挙げなかったものの、クラスの全員が分かるような形で、皆仲良くしなさいと切々と訴えるように話をしながら、泡を吹いて倒れてしまったそうだ。

まあ、ストレスに耐えきれなかったんだろうな。

気を失ったまま入院、すぐに回復はしたけれどしばらく療養することになったんだって。


筧先生は以前にも泡を吹いて倒れたりしたんじゃないかしら。

そのときに勢い余って歯も一緒に抜け落ちたりしたんじゃないだろうか。

それを記念に拾って、隠し持ってる子がいて、でも気持ち悪くなって捨てるに捨てれなくって…、なんてことはありえないのかしら。


この裏サイト、結構たくさんスレッドが立っていて、随分過去にも遡ることができる。

私は無我夢中で検索した。

歯を抜かれた子とか、いないんだろうか。


あ…。

> カプセル持ってかれた

> いつ?

> 昨日

> 誰に?

> 分からん

> 選挙に来た人?

> かも

> …探す?


ハンドルネームは統一されてて、IDも表示されてないから、誰と誰の会話なのか、何人が参加してるのかも分からない。

しかも、「探す?」の後に返信がなく、別の話題が続いてる…。

誰にも見られてないよね、私。


次の日、出かけるとき、また、校門の脇で皆が気になって見てしまった。


「なにかご用でしょうか?」


この人はきっと山野先生。

ボブカットも花柄のブラウスも似合ってない。

私は返事もせずに通り過ぎて行った。

さぞ、無愛想に思われたことだろう。


今日も定時で帰ってきて、カプセルの中の歯を確認して、裏サイトを閲覧した。

> 不審者発見

> 花柄が注意してた

> ああ

> 変なオバサン


私は「変なオバサン」なのか。少しばかりショックを受けた。

どうやら帰りの会ではいずれのクラスでも不審者に注意するようにとお達しが出たらしい。

まあ、気にするほどのことではない。

カプセルの話題がもうなんとも探りようがないことの方が気がかりだ。

誰かになりすましてみることはできるだろうか。

この画面、ここで投稿できる。

私も同じハンドルネームを使えば、IDだって認識されない。メアドだって省略可能になってる。


> 花柄ウザい。


…誰も反応しない?


> ほんと

> ウザいよねー


あ。レスが返ってきた。


> ほんとほんと

> キモい〜


あはは。皆、言いたいこと言ってる。

どうしよう。どうすれば歯のこと、聞き出せるかな。


返事してくれたのは誰だろう。

花柄のクラスの子?

花柄は五年二組の担任。

こないだ療養に入った筧先生は三年一組、堀田先生が三年二組。

まあ、あの程度のレスじゃ学年も分からない。

どんなコメントをしたらどんなレスが返ってくるか。

しばらくはそんなことを考えながらたわいもない話題を振りまいた。

適度に先生たちの話題や、目立つ子たちの名前も織り交ぜながら。


そうやって過ぎゆくひと月は早かった。

私はちょっとしたインフルエンサーの気分になっていた。

私がなにか発言をすると、すぐにレスが一〇〇も二〇〇もついた。


> またやるんだって

> なに

> タイムカプセル

> マジ?

> どこのクラス?

> 川上やりそう。

> 立野の例の写真入れたい。

> は


あ。「は」って。「歯」のこと、知ってる?


> 箱?

> 用意しなくちゃ

> 専用のあるでしょ?

> そうなの?

> 学級とか、名前とか、書けるようになってる

> 資料準備室に

> は


やっぱり。誰か、歯のこと知ってる誰かがいる。

ここで会話が途切れる。

なにか気づいてるかもしれない。しばらくカプセルの話題は止めた方がいいかも。


次の日、私は花柄と目を合わせないように、校門の前を歩くときは離れて、そして足早に通り過ぎた。

会社では気が気でなく、早々に帰ってきて裏サイトに取り組んだ。

不注意な発言をしないよう、閲覧に徹した。


> 今日もミロくんはテンパってたなぁ

> うん

> カケイのがまだマシ


代行の先生は随分ご苦労されているらしい。


> そろそろ花柄にも辞めて欲しい

> イロメヅカイ

> きしょい


> ところで

> なに?

> なにいれる?

> ああ

> カプセルな


あれ?どこかのクラスでタイムカプセルやるんだ。


> 立野の写真

> 松波の姉ちゃんのパンツ

> カケイとのツーショ

> は

> だれ?

> お前こそ


思わず「だれ」とレスしたら、「お前こそ」って返された…。

コイツ、確実に私を認識してる。

きっと、「歯」にも気づいてる。

どうして?


次の朝、私は花柄をもろともせずに立ち止まって、生徒一人ずつの顔をよくよく見てやった。

皆それぞれが私のことを「変なオバサン」と認識して、陰口を囁かれているような気さえした。

花柄が近寄ろうとやって来ると、私は位置を変えてかわした。

一年生と思われる小さな男の子がヨチヨチと、そう、見るからにヨチヨチと私の方にやって来た。

私の前に立ち止まり、握ったままの右手を私に差し出した。

私は握り締められた手の中のそれを左手で受け取るしかなかった。

花柄が私に駆け寄って来た。

私はその場を走り去った。

私は駅の手前に来てやっと立ち止まり、左手の中を確認した。

そこには紙切れが収まっていた。

丸められたその紙を開くと「は」と書いてあった。

私は愕然とした。


電車には乗らず、遠回りをして学校の反対側の道を通って家に戻った。

本棚の奥のカプセルの中、血塗れの歯は今も横たわっていた。


裏サイトは平日の昼間も更新されていた。

> いい加減にしろ

> は


私は返した。


> お前

> 分かってんだよ

> だーれー?

> だ〜れだ

> おばさん


何人かが面白がって混じってる。

どうしようかと返事を躊躇していると、私の個人のアドレスにメールが届いた。

滅多にメールが届かない私の受信箱に。

差出人は不明。件名はなし。

こう書かれていた。

「管理人です。もう終わりにしましょう。あなたのことは特定できています。」


私は全身の血が引いて行くのを感じた。

そして、恐怖に慄き、ガタガタと震えた。

管理人が誰なのかとか、なにがどうなっているとか、どうでもよかった。私はこの恐怖から一刻も早く逃れたいと願った。

なにをどうすればいいのかと考えた。

歯を、カプセルを捨ててしまえばいいのかとも思った。いや、きっとそうではないとすぐに思いとどまった。

元に戻せばいいのだ。


歯が入ったタイムカプセルを、元の桜の木の下に埋めてあげればいいはず。

私は夜がくるのを待った。さらに夜が更けるのをまった。

本棚の奥からタイムカプセルを取り出し、中に歯が横たわっているのを確認した。

カプセルを大事に抱えて、スコップも持参した。

真夜中の校門を乗り越えるのは、大したことではなかった。

懐中電灯で桜の木の下を照らし、今正に根本をスコップで掘り起こそうとするところだった。


「なにをしてるんですか?」


それは警察官だった。

通報を受けてやって来たとのことだった。

私は交番に連れて行かれ、正直に話した。

選挙の日から今日までのことを、正確に、詳細に話した。

けれど信じてはもらえなかった。

交番の警察家は私のことを頭がおかしくなった「変なオバサン」として扱った。


しかも、警察官が私の目の前で開いて見せたその金属の箱の中にはなにもなかった。

あの、血塗れの大きな、二股に分かれた根本を持つ、白く濁った歯はなくなっていたのだ。

毎朝、毎晩、私の心を癒やしてくれたあの歯が!


私自身、私の気がおかしくなってしまったのだと思わざるを得ずにはいられなかった。

もう、なにがなんだか自分でも分からなくなっていた。


でも、拘置所へ送られる車の中で思い出した。

交番のあの人は、あのときの人だ。

投票日に、桜の木の下でタイムカプセルを掘り起こしていた私に体育館の裏口から声をかけてきた。

すべてコイツが仕組んだことに違いないと、私は悟った。

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