七十二話:紅雲
遅れて申し訳ないです。
沈んだ太陽の代わりに、夕焼け石が浮かぶ空。
丘の坂になっているうしろ以外、たくさんのヒト達に囲まれた女のヒトの唇の端は、不敵に上がっている。
「締血の悪魔……!」
思わず溢してしまったように、だれかが言う。
その言葉が聞こえたのか、女のヒトはその口角を一瞬だけさらに上げた。
うれしい言葉だったのかな。
でも、僕はその言葉の意味がわからない。
いったいどんな意味なんだろう。
人攫いエイダとマットは、あの女のヒトを呼んでいた。
メラニーは、あの女のヒトがだれかすぐにわかったのか、杖を持つ手により力が入っていた。
僕も聞き覚えがあるんだけれど、どこだったっけ……うーん。
「素敵。素敵よあなた。私を覚えていて、私から受けた傷まで残っていて、それでも私から目を逸らさない……!」
街のあちこちに浮いていた夕焼け石が、ゆっくりと丘の上にあつまってくる。
その光を体全体で浴びる様に、女のヒトは胸を張り、わずかに腕を広げ、目を閉じて空を仰いだ。
そのゆったりとした仕草はとっても綺麗で、周りのみんなもそうだったのか、じっと動かずに女のヒトを見ていた。
でも、みんなの表情は、僕と違って険しい。
『寄り道して遅くなると、エイダに攫われてしまいますよ』
テレッサがアンに言っていた言葉を思い出す。
もしかして、あの“エイダ”が目の前のエイダ?
同じ名前とかじゃなくて?
わわ! もしかして、攫われちゃうところだったの!?
はっとしたようにエイダが目を開き、視線をこちらに向ける。
これは……先頭のマットを見ているのかな?
マットをじっと見つめるエイダは、その眉毛の端を下げ、目を潤ませ、三日月にした口から白い歯を見せる。
そして、ゆっくりとマットへと右手を向ける。
その手は、届かないはずのマットのほっぺをなでている様だった。
「ああ、その目を覚えているわ……! あなただったのね! なんて、なんて素敵なの! 私が残したものが、この世に残り続けていたことを知れるだなんて! 奪われ続けて奪い続けた生だったけど、私は確かにあなたに残せたのね!」
街に浮かんでいた夕焼け石のほとんどが丘の上にあつまり終わって、一つ一つ距離を開けて、丘全体を照らす。
ぽーんと音が聞こえた瞬間、周りのみんなの得物を持つ手に、一斉に力が入ったのがわかった。
「……でもごめんなさいね。私はあなたを番号でしか呼んでいなかったわ。だって、あなたの名前を付ける前に、あなた達の三勇者に何もかも奪われたもの。だから教えてちょうだい? 今のあなたはどんな名前なのかしら?」
周りから向けられる鋭い視線に気づいていないのか、それとも気づいていて気にしていないのか、ゆっくりと右手を下ろしながら、エイダはマットに名前を聞いた。
それにマットは「……マット」と短く答える。
その声にはたしかな怒りが籠っていた。
いったい、ふたりにはなにがあったんだろう。
マットの名前を聞いたエイダは、小さく「マット」と繰り返して、残念そうに目を伏せた。
「……それがあなたの選んだ名なのね。悪いとは思わないわ。ただ、その目には似合わない。どう? 私が新しく付けてもいいかしら?」
「終わった者に、それも仇敵に付けられる名ほど縁起の悪いものはない。そうだろう?」
「ええそうね。その通りだわ」
次の瞬間、マットの魔力がその体を包む様に膨れ上がる。
その手に持つ針の様に細い剣も魔力が覆い、目で見えるくらいに黄色に光り輝いていた。
魔力は魔力感知でしかみえないと思っていたから、とってもびっくり。
あれ? そういえば、大きなミミズさんの魔力の膜も見えていたよね。
でも僕の魔力の膜は見えない。
いったいなにが違うんだろう。
「今日は御使いのついでに古き友の様子を見に来たの。あなた達と遊ぶ気はないわ。どうマット? シン・サキミやタイセイ・コンドウ、コヨミ・クロサワは元気かしら?」
「我が師を含め、三勇者は死んだ。あれから――」
何十年経ったと思っている。
グッとマットが右膝を曲げたのが見えた次の瞬間、なにかが弾けた音と共に、マットがすごい速さでエイダへと向かっていく。
そして、その右手に持つ細い剣をエイダの左胸へと突き刺した。
マットが踏み込んだことで抉れた地面の土が、生えていた草と一緒にとすんと地面に落ちた。
「あら……そう。それは残念ね。私から奪った者達が、今どんな顔をしているか見てみたかったのに。思っていたよりも時が経っているのね」
左胸を突き刺されたエイダは、変わらずマットに話しかけていた。
すかさず剣を引き抜いたマットが目、鼻、眉間、鼻の下と、次々と突きを繰り出す。
エイダの背中から、次々と赤い蔓が生え、その体を伝う様に伸びて、花を咲かせようと先を膨らませていく。
それをマットがすかさず剣で穿ち、散らす。
「あら、いい動きが出来るようになったわね。じゃあ、もう少し速くするわよ?」
次々と赤い蔓が伸びてはマットによって散らされ、増えては突き切られる。
けれど、だんだんと蔓が速く伸びるようになって、マットが押され始めた。
「カバー!」
「「「おう!」」」
マットの声に応じて、得物を持ったヒト達が、エイダを囲むように加わった。
エイダを囲むヒト達の背中で、エイダが見えづらい。
魔力感知でみてみても、エイダを中心に魔力の霧が広がっているようで、よくみえない。
それならと周りを見渡す。
メラニーはちゃんと横にいたし、杖を持っているヒト達もその場に残っていた。
やっぱり、杖を持っているヒトは、メラニーみたいに魔法を使うのかな?
杖を持つヒト達がなにかを短く呟いている。
これは……詠唱かな?
でも、なにも起こっていないよ?
呟きを止めたひとりが、おどろいたように目を見開いた。
「冒険者ギルドも随分様変わりしたわね。全体の水準の向上を図った教育によって個人の技量も安定している。何よりも私を前にして、立っていられる者が多い。素晴らしいわ。でも――」
赤く大きな木の根が地面から次々と現れて、その素早い動きで、得物をふっていたマット達に巻き付き、動きを封じた。
僕の近くに立っていた杖を持ったヒト達も、次々と出てくる木の根に絡みつかれて、動けなくされる。
けれど、不思議とメラニーと僕は、木の根に絡みつかれなかった。
木の根はエイダのうしろ――坂になったところにも出ていたようで、坂にいたヒトのおどろく声がする。
ゆったりと木の根達のまんなかに立つエイダに、ケガは一つもなく、服も綺麗なまま。
「すこし平和が長かったのかしら。動揺して切先を揺らす、あまつさえ逸らすだなんて、私が死ぬ前は逃げた者すらしなかったわ」
周りで動けなくなっているマット達を見て、エイダが微笑む。
その笑みは、悲しんでいるように見えた。
「くっ……前兆なし、だと……!」
木の根が絡まり、体を覆っていた魔力がなくなって、苦しそうに顔を歪めるマット。
そこにエイダが歩み寄って、
「古い隠蔽。あなた、たしかにそう言ったわよね?」
そう言って、エイダはマットのほっぺへ手を伸ばす。
どうしよう。
なんだかすごいことになっちゃった。
とにかく、みんなを助けないといけないし、エイダも落ち着いてもらわないと。
エイダがマットに集中している今の内に、近くのヒトに絡みついた木の根だけでも切っておこうと、すぐ近くの木の根に触れてみる。
木の根には、魔力の繋がりがちゃんとあって、切ることも出来そうだった。
切れるならすぐに切ろうと、木の根の縁を切り始めた瞬間。
切ろうとしていた木の根に絡みつかれた男のヒトが、僕へ叫んだ。
「……! ちょ、待ってくれ! 締まりがきつくなっている! 解除しようとすると締まるみたいだ! だから待ってくれ!」
切ると、締まる。
締まると、困る。
困るから、切れない。
『わかった!』
僕が返事をすると、男のヒトはホッとしてか、息を小さく吐いた。
「エェェイィィダァァアアアアア!!!!」
うしろからの叫び声。
マットと同じ魔力の光を体に纏い、大きな斧を持ったヒトが、僕達を飛び越す。
そして、ドスンと着地したかと思えば、ボールの様に弾んで跳び上がる。
宙で斧を縦にふって車輪のように回り出すと、エイダへと襲いかかった。
マットのほっぺをなでていたエイダの体が、斧で二つに割れて、赤い液体が吹き出し、斧をふり下ろしたヒト――アベルを濡らした。
え、死なせちゃったの?
「何者も血を流さずには生きられない。それを罪と云うのなら、返り血は其方を濡らし、重く凝り固まる――問罪凝血」
「ぐっ、ぐぐぐ……ぐ」
エイダを切り裂いて、地面にも深い傷跡をつけた斧から手を離し、アベルがうつ伏せに倒れる。
抵抗しているのか、足と腕で地面を押していたけれど、ついには倒れ込んだ。
ぐにゃりとエイダの二つになった体が赤く染まり、合わさり、捻れ、一つになる。
そしてヒトの形を象ると、ドレスの部分以外の色が変わって、元の斬られる前のエイダになった。
「ふふふ。アベルは相変わらずね。久しぶりに会えて嬉しいわ」
アベルがたいへんそうだけれど、エイダが生きていて、すこし安心。
でも、エイダを止めないと!
どうすれば、止まってくれるんだろう?
そこへ、先にまるい鉄の玉が付いた鎖が左から二つ投げられ、エイダに巻き付く。
次に同じ方向から、縦に長い四角の紙が投げられて、エイダのおでこに貼り付いた。
「ぼうっとしている場合かメラニー!」
うしろからテオの声。
ふり返れば、テオとマルタ、そしてビルがいた。
気のせいか、暖かくなってきた気がする。
「キョンさんとユズノスケさんが止めている間に決めるぞ!」
キョンさん?
見れば、黒いどんぶりの様な形の不思議な帽子を被ったヒトが、身に着けた服の長い袖から出ている二つの鎖を、足を踏ん張って引っ張っている。
その隣りに立つユズノスケは、胸の高さで手を合わせて、念じる様に腕に力を込めていた。
あの帽子のヒトがキョンさんかな?
まあ、今はそれよりも、テオはエイダを止められるみたいだから、手伝わないとね!
メラニーへ視線を向けると、目が合った。
同時にうなずいて、走り出す。
近づいていくと、エイダの体を封じた鎖が小さく軋む音が聞こえた。
目を開けないのか、エイダのまぶたが細かく震えているように見える。
けれどその表情は、安らかだった。
おでこの紙が赤く染みていく。
「あなた達は、コヨミ・クロサワの使い魔ね。懐かしいわ。でも、二人だけなのはいただけないわね。策も無しに向かってくる者も同様よ。シュタイナー、モルゴフ」
「やればいいんだろやれば――呼吸止め」
聞き覚えがない声。
突然、息が吸えなくなる。
ううん、吐くことも出来ない。
どっちも出来なくて、苦しい。
走っていられない。
うしろで重いものが、いくつか落ちたような音。
ユズノスケ達の短い声が聞こえたあと、鎖のジャリジャリした音が聞こえた。
いつの間にか倒れていた。
重だるい頭をすこしずつ動かして、エイダの方へ向ける。
ちょうど、エイダの頭一つ分くらい背の高い大きな男のヒトに、エイダがおでこの紙を剥がされているところだった。
「ダメよ。死んでしまったら台無しになるわ。はやく戻して頂戴」
「いいだろ四人と一匹くらい。アイツを殺す練習だ」
「モルゴフ」
「わーかったわかった。たっく――解」
息が吸えるようになって、急に空気が入ったからか、咳き込む。
まだクラクラしているけれど、立ち上がらないと。
足に力を入れようとして、入らない。
しかたがないから、頭も使って、立つ。
けれど、すぐに力が抜ける。
なんとか座る体勢になったけれど、前足に力が入らないから、伏せているみたいになった。
それでも、エイダ達へと視線を向けて、離さない。
「せっかくの蕾ですもの。死んでいないといいけど……」
大きな男のヒトとゆったりとした服――ローブだっけ?――を着て、顔が服の影で見えない男のヒトをうしろに従えて、エイダが近づいてくる。
僕がみんなを護らないと!
『攫っちゃダメだよ!』
お願い! 止まって!
エイダが足を止める。
その視線は僕から、メラニーの倒れている方へ移った。
すこしの間のあと、エイダはうしろ――マット達の方へとふり返る。
「今日は素敵な日だわ。御使いも終えられたし、古き友人達にも再会出来た。今日はもう帰ることにするわ」
帰る? ってことは、止まってくれた?
やった
「でも、その前に――」
細やかなお節介よ。
王に反した聖者の赤で空を染めよ。
赤く。高く。厚く。紅く。
その血煙は膨張し漂う。
その血痕は河を呼ぶ。
その血涙は孰れ降り注ぐ。
エイダが言葉を紡ぐ。
そして何かを掬う様に出された右手が、ゆっくりと掬ったものを溢す様に傾けられながら、挙げられる。
右手から零れたのは、赤い液体。
次々と滴り落ちるそれが地面に触れると、赤い煙となって、空へと昇り始める。
全ての液体が右手から零れ落ちると、天高く挙げられた右手の平が空へと向かって返された。
聖者を絆した者達へ救済の雫を以って知らしめよ。
王、聖者、凡下、そして世界すらも赤であると。
流るる血河はみな等しく紅であると――
紅雲
空から押さえ付けてくるような重く低い音が鳴る。
空の夕焼け石が、その色を濃い赤に変えて、バチンッと弾けていく。
「気高く美しい蕾のあなた、咲くなら今よ。雨は待ってはくれないわ。すこしくらいなら、手間取っても大丈夫。ただ、この町に守りたいものがあるのなら、すぐに咲きなさい」
それではみなさん、また。
そう言って、エイダ達は地面から噴き出した赤い液体に包まれた。
そして、液体が力を失って地面に広がって消えると、エイダ達の姿はなかった。
追記2021/07/29 シュタイナーさんが呼吸止めを解除する際の発言が「呼吸しろ」だと、水中などで息を止めたい時にもずっと呼吸しようとすることになるので、シンプルに「解」に変更しました。
エイダの笑みの表現をすこしだけ人よりな表現にしました。流石に“ニッと”だと、若葉視点すぎて緊張感に欠けるので。
読んでいただきありがとうございます。




