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若葉のカムイ  作者: ☀シグ☀
第一章:東へ
72/74

七十話:メラニー・カンタラ

 色んな虫を見る季節になりましたね。

 もらい物のトウモロコシに青虫さんが「やあ!」としている時に夏を感じます。

 メダカの卵が孵り、シラスみたいな稚魚がたくさん生まれました。


 ってことで今回はメラニー視点です。


 テオに初めて会ったのは、九歳の春。

 東にあるメルンの大森林を北へ迂回すると最初に当たる小国――フォレスモーレの名物の“桜天の理想郷”が見頃になって、多くの人がフォレスモーレへ行き、その分だけ忙しくなってきた時期だった。


 その日も街の門を出て、町を囲む防壁と結界の間の野原で身を屈める。

 町の周辺整備のために草刈りをしている人達の後ろをついて回り、刈られた草の中から、食用として売れるものや薬になるものなどを集めて、ギルドへ持ち帰る。

 そして寝起きしている白の学舎に戻って来た時に、今よりシワの少ないテレッサが連れて来たのがテオだった。


 初めて会ったテオは、酷い状態だった。

 当時の百二十九センチ前後のあたしよりも背が低くて、棒切れのように細い腕と脚。

 うっすらと開かれ、虚空を見つめたブラウンの瞳。

 洗われて比較的に綺麗なアッシュブラウンの髪は、一部抜けてしまったのか、円く肌が見えている。

 テレッサに支えられて立つ姿は震えていて、今にも倒れてしまいそうだった。


 テオの姿を見た瞬間、あたしは訳も分からず怒りを覚えて、テオを抱き締めて、弟にするとテレッサに言い張った。

 今にして思えば、あたしよりも小さな子が受けたであろう仕打ちに、腹が立ったのだと思う。

 テオは虚ろな瞳を少し大きくしただけだったけど、テレッサは優しく微笑んで、頷いてくれた。


 テオがあたしより二つも歳が上だったことは、そのあと知った。


 それから、あたしはテオをつきっきりで看病した。

 って言っても傍にいたり、テレッサが作ったご飯を口元へ運んだくらいだけど。

 当時の白の学舎で暮らしていたのは、あたしとテレッサだけだったから、テオが加わったのが、テオには悪いけど、嬉しかったのだと思う。

 毎日訪れる冒険者のおじさん達に年下なのに姉なのか、と揶揄われもしたけど、白の学舎にきたのはあたしが先だから、テオは弟だと言い張り続けた。


 幸い、テオに栄養失調以外の目立った不調はなく、胃が固形物を受け入れるようになってからは、細かった手足も太くなっていった。

 立ち姿もしっかりしてきて、街の中でのクエストを受けられるようになってからは、あたしの後ろをついて街中を回り、仲良し姉弟として評判になった。

 町の人みんなが顔馴染みになった頃には、あたしがいなくても、出歩けるようになった。


 そんなテオをみんなが可愛がる。

 あたしはテオが街に馴染めたことに安心した。

 でもそれと一緒に、モヤモヤとした気持ちもあったと、今では思う。

 あの気持ちは、テオを取られたように思ったからのものなのか、あたしを可愛がってくれていた街の人達を取られたように思ったからのものなのか、そのどっちもなのかは、わからない。

 でも、その醜い感情は気付かぬ内に、


 あたしの心の底に沈澱していった。


 テオがクエストに慣れて、一人でDランク冒険者としてカンタラ周辺の村や国へ日帰りの配達に行けるようになると、あたしはテオが来る前のように野原へ出て、薬草を集める日々に戻った。

 この頃にテオは背が伸び始めて、あたしはあっさりと背を抜かれた。


 成長痛で苦しむテオが羨ましかったのは、絶対に秘密。

 言ったら、絶対ことある毎に揶揄ってくるようになる。


 あたしが十一歳になって、日帰りの配達が出来るようになったある日。

 テオが大怪我を負った。


 配達の帰りに、森から出て来たはぐれの転がり熊(ローリングベア)に襲われて、爪での一撃を受け、通りがかった冒険者に助けられなかったら、危ないところだったらしい。

 周辺の町や村へと続く道には、モンスター避けのカガリ石が一定の距離に置かれているけど、テオは何かの理由でその道から僅かながら出ていたらしい。


 所持者の身代わりとなった刹那の守りは砕け、欠片がテオの首元でチェーンと共に光っていた。

 それだけで、あわや即死するところだったことがわかる。

 けどあたしの視線は、その欠片を通り過ぎて、テオの頭にベッタリと付着し、黒い炎の様に揺らめく何かに固定された。


 その日がテオの部族特性を初めて見た日だった。


 影補い。

 影炎(かげろい)族という部族は、その身に宿す炎で欠損した部位を一時的に補い、癒すことが出来るのだと、ギルド長は言っていた。

 そして、影炎族は先の人魔大戦前に、魔王によって根絶されたとも。

 テオは、先祖返りなんだろう。


 欠損した部位を癒すことが出来るのは、一見不死身にも思える。

 けど、体に宿す炎は、魔力を使って燃えるらしい。

 魔力だって、無限じゃない。

 限界を越えれば、その傷は癒えない。

 ただ他者よりすこし死ににくいだけ。

 それは、欠片となった刹那の守りが証明していた。


 その日の夜から、あたしは白の学舎を抜け出し、ギルドの訓練場で一人、魔法を撃ち続ける日々が始まった。


 得も言えぬ騒めきが胸の中を支配し、瞼を閉じれば、影補いを貼り付けたテオの生気のない顔が浮かぶ。

 魔法のことを考えている時は、その胸の騒めきもなく、その顔も浮かばない。


 限界まで魔法を撃ち、帰っては気絶するように眠りにつく。

 そんな毎日を続けていると、当然体調を崩す。

 貧血で急に倒れたり、頭が沸騰したみたいに熱くなり、咳が止まらない時期もあった。

 でも、魔法を撃ち続けた。


 その生活にようやく慣れ始めた頃には、あたしは十六になって、Cランク冒険者になった。

 あたしは草を集める側から、草を刈る側になった。

 撃ちに撃ち続けた風の魔法で、草を一度に刈って見せれば、後ろで草を集めていた子ども達が目を輝かせる。

 その目を向ける側から、向けられる側になったことに、自分の成長を実感した。


 背以外。


 そう。何を隠そうあたしの背丈の成長は、十二歳で止まった。

 今は百四十センチで、五ミリと六ミリの間を彷徨っている。

 後ろを付いて来ていたEランクの子達でも、発育がいい子ならあたしより背が高いし、当時実際にその目を輝かせて、あたしを見下ろしていた子がいた。


 悔しくなんてない。


 睡眠の不足が成長の妨げとなったと言えば、自業自得なんだけど、一つ言い訳をするのなら、あたしには小人(ハーフリング)族の血が入っていた。

 耳長(エルフ)族ほど長くはないけど、他と比べて大きく、先の尖った耳に、とっても小さな体。

 それが小人族。


 あたしの耳はすこし尖っているだけで、そんなに大きくないけど、それは大切じゃない。

 肝心なのは、背が高い小人族でも、


 百三十センチに届かなかったということ。


 つまり、あたしは小人族の中では背が高いなんてものじゃない。

 とてつもなく背が高いのだ。

 だから寝ていたとしても、結果は変わらなかったはずなのだ。

 ……開き直りじゃないのだ。

 あたしは頑張った方なのだ。


 あたしが十六歳になれば、当然テオは十八歳。

 十六歳でCランク冒険者になったあたしの弟は、その先のB、A、Sランク冒険者を目指して、二年前からカンタラを出ていた。

 十六歳でCランク冒険者になり、そのまま上がることなく終わる人も星の数いる中で、弟の姿はあたし()には眩しかった。


 草刈りを終えて、ギルドへの帰路。

 耳を澄ませば、テオが話題が聞こえる。

 今日試験を無事合格し、Sランク冒険者になったらしい。

 みんながエールを飲みながら、テオ(あたしの弟)を讃えている。

 あたしも弟の功績に嬉しくなって、ついついスキップ気味になる。


 姉はどうだ。


 そんな声が聞こえた。

 誰の声かはわからない。

 でも、聞こえた。

 貶すとか、そういった意図はなかったのだと思う。

 その人は会話の中での流れとして、弟がSランク冒険者なら姉は、と何気なく言ったのだと思う。

 でも、その言葉は、あたしの中に傷として残り、


 沈殿していた感情でよく沁みた。


 その日の数日後、テオは帰って来た。

 帰って来た時のケロリとした表情を見て、あたしは二年間の心配が杞憂に終わったことを女神イデアに感謝した。


 テオは、ギルドの転移魔法陣を使って、帰って来たらしい。

 世界を巡り歩いたのは二年で、帰るのは一瞬。

 その二年に意味があったと思えるのかは、その一瞬に感じていたものに掛かっている。


 なんて恐ろしい旅なのだろう。

 そんなことはつゆ知らずと言った表情の本人の背はまた伸びて、もうすぐ百七十に手が届くようだった。

 絶対に悔しくない。


 帰って来たテオは、次々と森へ入るクエストに参加し、活躍していった。

 すると、ある日の夜から、


 あたしを罵る声が聞こえるようになった。


 テオが活躍した分、テオを讃える声が増え、その声を聞けば聞くほど、あたしを罵る声が増えた。


 姉より優れた弟。

 弟はSランクで、姉はCランクなのか。

 後ろを付いて来ていた子に守られる気分は?

 テオが弟? 兄の間違いじゃないのか?

 背も歳も実績もなにも勝つところがないのに、姉?


 お前に姉でいる資格なんてない。


 その声達を耳に入れないように、夜に白の学舎を抜け出しては、暴風を巻き上げ、疾風を撃ち、烈風を御した。

 それでも聞こえてくるからと、走りながら魔力操作を繰り返し、時には魔法を撃つ。


 それまでしても、声が途絶えることはなかった。


 魔力操作をこれでもかと繰り返し、繰り返したが故の癖による伸び悩み。

 覚えた魔法はすでに使い熟し、その先を求めている。

 当時のあたしには、その先を創造することは出来ず、出来ないからこそ、自分ではない別のところからそれを求めた。

 あの声から自分を守るための何かが欲しかった。


 そして見つけたのが、その本だった。


 えのきの書。

 あたしの上半身が綺麗に隠れるほどの大きな本。

 えのきというキノコの栽培から、調理まで。

 その素晴らしさをくどいくらいに書き綴った狂気の本。


 この本を初めて見た時は、何でこんな本を『気まぐれな紫』のオーナーのグレシアおばちゃんは見せてくれたのか、その後ろで立つ屈強な店員さん二人は必要なのか、正直わからなかった。

 けど、ランチに誘われて、五種のキノコのスパゲッティを薦められるがまま食べた後に理解した。


 表紙のえのきらしき絵も、えのきの書というふざけたタイトルも、『遂に明かされるえのきの本当の姿!!』という頭の痛いサブタイトルも全て消えて、毛のない何かの皮で綴じられた本へと変わった。

 いや、今思い出してみれば、最初に見た時はサブタイトルはなかったから、すでに変わっていたんだ。


 その場で読むのは憚られたけど、すこしだけでも内容が知りたくて、グレシアおばちゃんに聞いてみた。

 グレシアおばちゃんは、風に関する本ということまで教えてくれた。


 あたしはその場でえのきの書を買った。

 何かをする暇があれば、訓練場で魔法を撃ち続けていたから、お金に多少余裕があった。


 変化したえのきの書には、様々な悪魔系モンスターとその調理法について書かれていた。

 けど、その一体一体が強大すぎて、それらを倒し、調理する過程が空想上のものに思えた。


 ただキノコを食べたらおかしな内容に変わるだけの本を買ったのかと、衝動的に買ってしまった自分を恨んだ。

 でも、余裕があったとはいえ、捨て置くには勿体ないと思ってしまうくらいに高価なものだったし、最後まではと寝る時間を削って読み続けた。


 読めば読むほど不可思議な本だった。

 本を読み終え、表紙に戻った時に、違和感を覚えた。


『お』


 表紙に一文字だけ書き込みがあった。

 まさかと思い、先ほど読んだ場所に戻って見れば、その違和感は確信に変わった。


 この本は、読めば読むほど、内容が増える本だった。


 描かれたモンスターの挿絵には、隠すように書かれた言葉が現れ、その説明文には、灰汁抜き方法などの新たな項目が追加される。

 そのことに気付いたあたしは、読み終えては読み返し、また読み終えては読み返した。


 幸いにも、新たに現れた場所に目を通すだけで、内容が追加されることに早い段階で気付き、読み返すのはそれほど苦痛ではなかった。

 いや、もう感覚が狂っていたのかも知れない。


 本を読み返すこと二十七……いや、三十二回だったかな。

 やっと挿絵の変化がなくなり、全ての項目が揃った頃には、十七歳が間近だった。


『おいしい悪魔の食べ方~不定形の悪魔の捕獲方法から調理まで~付録付き』


 それが、この本の本当のタイトルだった。

 本の後書きからして、著者はサイハテと名のる人物らしい。


 後書きは、この本を読んだ者への感謝と不定形の悪魔を汁物にすることをかなり推している内容だった。

 魔法に関しては知りたいことがあるけど、あまり会いたいとは思えなかった。


 挿絵に書かれた言葉と項目内に含まれた不自然な言葉を集め、始めのページに戻る。

 そして、その言葉達を発見したページ順に唱えていく。

 すると、開いたページの挿絵、説明文、ページ表記まで消えて、じわりと滲み出る様に、


 その魔法(付録)が姿を現した。


 祖たる鷹、フレースヴェルグ。

 その偉大なる力を呼び出す召喚魔法。

 それがえのきの書に記された魔法だった。


 全身の鳥肌と反して、気持ちは高揚していた。


 呼び出す力は強大で、本来なら人が操れるものではない。

 だからこそ、その力を御するための言葉もいくつか書かれていた。


 あたしは、記された言葉を組み合わせて、一つの魔法とした。

 それが祖の翼・障壁フレースヴェルグ・フリューゲルだった。

 不完全な召喚魔法だけど、不具合といったものはなく、効果も高い。


 あたしは、これでようやくあの声を消せると思った。


 十七歳になったあたしは、マルタと入れ替わるようにカンタラを出た。

 えのきの書で手に入れた魔法があれば、Sランク冒険者になれると、信じて疑わなかった。


 それからはあっという間の一年と七カ月だった。

 そう。一年と七カ月。

 あたしは、テオが二年で歩んだ道を五カ月も短縮して歩いた。

 いや、ほとんどは祖の翼・障壁に乗って、風の魔法で飛んだ。


 大地の起伏やモンスターの住処の森。

 そういったものを飛んで回避出来たことが、五カ月も短縮出来た理由の一つなんだろう。

 当然空にもモンスターはいたし、下からあたしを狙ってくるモンスターもいた。

 けど、大型のモンスターは食べるところがすくないからか、あたしに目をつけなかったし、地上を歩いて遭遇した場合よりもかなり楽に逃げられた。


 試験を合格したあたしは、見事Sランク冒険者になって、転移魔法陣を使って、カンタラへと帰って来た。

 みんながあたしを笑顔で迎えてくれて、みんなに褒められた。

 もちろんテオにも。



 でも声は消えてくれなかった。



 帰って来たその日の夜から、また魔法を撃ち続ける日々が再開した。

 カンタラを出る前は出来なかった技術や発想、魔力操作も洗練された。


 でも足りない。


 祖の翼・障壁を使い熟し、Sランク冒険者になってもまだ足りない。

 胸のモヤモヤを消すために、あたしは魔法を撃ち続けた。


 モンスターと対峙する度胸や不測の事態への対応力を身につけ、成長したはずのあたしは、カンタラを出る前の日課に適応出来なかった。

 トリアおばちゃんの回復水薬(ポーション)を飲んで、眠気を誤魔化す毎日。


 ついには回復水薬の飲み過ぎで、強い倦怠感を覚えた。

 立ち上がれず寝ていたところをテオに見つけられて、ギルドに運ばれると、あのシェリルちゃん印の栄養剤を飲まされ、弱い回復魔法を一日中受けた。


 そのおかげで翌日の朝には走り回れるくらいにはなった。

 けど、ギルド長に呼ばれて行ってみれば、契約魔法を受けて、回復水薬の服用を二年間禁止された。

 曰く、体がボロボロで、これ以上飲むめば恒常性が失われるのだそう。

 恒常性はわからなかったけど、体がボロボロとだけわかっていれば、十分だと思った。


 回復水薬が飲めなくなったあたしは、日課をやめた。

 ベッドに横たえ、瞼を閉じる。

 疲労感はあるけど、眠らない。


 閉じた瞼の向こうにみえるのは、テオの生気のない顔、エールを飲む人達の笑顔、グレシアおばちゃんの優しい微笑み、旅で出会った人達のあたしへ向ける期待の笑顔。


 モヤモヤが毛羽立ち、内側からあたしの胸を刺す。

 のし掛かる何かが胸を押し潰すと共に、毛羽立ったモヤモヤを外へ出さんとしているのか、よりその重さを増していく。

 息を吸うのも吐くのも、一苦労。

 目だけが異様に冴えている。


 眠らないんじゃない。

 眠れないんだ。


 気がつけば、意識を失ったように記憶が飛んでいた。

 日はまだ上がっていない。

 眠ったかもわからなく、疲労感と眠気はあるのに目が冴えて眠れない。


 みんなには、これ以上心配をかけられない。

 何よりあたしがその顔を見たくない。


 疲労感と眠気を必死に誤魔化し、任務(クエスト)をこなす。

 そんな日々が続いた。



 その日もあたしはマルタとテオの三人で、枯れた大地に来ていた。

 人が枯れた大地ですることと言ったら、世界樹の森の監視か煉瓦用の粘土の調達しかない。

 あたし達は、当然前者だ。


 照り付ける太陽を対処するためと言って、監視をテオに任せて魔法を使っていれば、ずっと目をつむっていられるから、好きな任務だった。


 世界樹の森の監視は、稀に灰色の狼(グレイウルフ)や赤鉄の殺戮毛玉が顔を出すけど、基本的には何も起こらない。

 現に、その日も森は沈黙を保っていた。


 白い子狼が森から出て来るまでは。


 それが現れた瞬間に紅い霧が森周辺に発生し、遠方より監視していたあたし達に緊張が走る。

 いつも冷静なマルタが立ち上がり、その翠色の瞳が今までにないほど見開かれていたのが印象的だった。


 霧が集まり、人間が二、三人ほどの大きな狼になると、森から数十頭の灰色の狼が姿を現す。

 そして、白い子狼と会話をする様に顔を合わせると、森へと姿を消した。


 白い子狼は森へと帰らずに、あろうことか、東に向かって歩き出した。

 東にはあたし達の町、カンタラがある。

 そこで暴れられるのだけは、何がなんでも避けないといけない。

 あたし達は緊張の汗を拭いつつ、対象(子狼)の追跡を始めた。


 時々ぴょんぴょん走り出すその姿に可愛らしさを感じていると、急に対象が立ち止まる。

 追跡がバレたのかと訝しんでいる内に、大地が弾け飛び、ギガントサンドワーム一体が姿を現し、対象と接触した。

 二体の戦闘に巻き込まれた場合を想定して、障壁を展開しながら様子を見ていると、ギガントサンドワームが対象から離れ、地面にその口を突き刺し――


 砂嵐を起こした。


 砂嵐への対処は、あたしに一任された。

 テオもマルタもこのくらいの砂嵐なら、対処出来る。

 ただ、すでにあたしが障壁を展開していたというだけだった。


 砂嵐が長引くことを考えて、マルタは休む体勢になり、あたしの補助にテオが付く。

 あたしは二人を信頼していたし、二人もあたしの障壁を信頼していた。

 だから、今日も誰も怪我せずに、死なずに帰れると思った。


 一瞬、記憶が飛んだ。


 入ることのない激しい風と砂が擦れる音。

 あたしを呼ぶテオの声。

 肩を押されたと思ったら、次には鈍い音と共にテオが倒れ、地面に人の頭大の石が転がる。



 あの瞬間ほど、自分自身を恨んだことはない。



 即座に開いていた穴を塞ぎ、テオに駆け寄る。

 異常を察知したマルタが起き、あたしの代わりにテオの治療に入った。

 もう二度と同じことにならないように、唇を噛み、あたしは障壁に集中した。


 マルタの魔法が魔力としてテオに吸収されてしまって、回復が出来ないことになるだなんて、今のいままで考えたことすらなかった。

 けど、魔力さえあれば、テオは自らの炎で回復出来る。

 だからマルタには、回復までの魔力を送り続けてもらった。

 テオの右頭部の傷は大きいようで、ベッタリと影補いの炎が張り付いている。

 魔法ではなく魔力としての回復だからか、かなり治りが悪いようだった。


 あの日のテオの生気のない顔が、今のテオの顔と重なる。

 夜でもないのに、あの声が聞こえ始める。

 杖を握る手に力が入る。



 それは、まるで絵本に出てくる風の精霊のように、唐突に現れた。



 白い子狼。

 自らを“ワカバ”と名乗る小さなモンスターの登場に、あたしは驚きを隠せなかった。

 そして、テオに近づき、怪我を治そうとする姿を見て、さらに混乱した。

 けど、砂嵐で動けないから逃げようがなく、また敵対するにしてもテオに近すぎる。

 だから、あたしはかすかな願いを込めて、ワカバに魔力をテオに渡すように言った。

 その願いをワカバは聞いてくれて、テオは回復し、ワカバが展開する障壁のお陰で、あたしも休むことが出来るようになった。

 ワカバが眠っても消えない障壁に驚いたけど、悪くなかった。


 起きたワカバに自己紹介をして、砂嵐が鎮まるまでに魔法を教えてもらうことになった。

 当然だと思うけど、今までモンスターに魔法を教えてもらうことがなかったから、かなり期待していた。


 ワカバは使う魔法を“そういうもの”としていて、深くは知っていないようだった。

 魔力操作に関しても、あたしと同等か、すこし引っ掛かるところがある。

 でも、あたしの障壁が変形出来ないことに対する提案は、妙に的確だった。


 詠唱。

 それを戦闘中に繰り返すのはあまりにも悠長であり、次第に短縮、破棄されたもの。

 しかし、魔法学会において稀代の変人パドリオッド曰く、『魔法の元を辿れば、呪い(まじない)や言の葉であり、魔法と詠唱は決して切り離せない』だ。

 あたしの障壁も詠唱を短縮しているけど、破棄までには至っていない。

 他の魔法――例えば草刈り風(グラスリッパー)は、詠唱破棄出来ているというのに。


 それは、あたしの中に障壁の術式が出来ていないからと思っていた。

 けど、他に別の要因がある――例えば詠唱によって、魔力を変質させ、その変質させた魔力でしかあたしの障壁は発動しない――とすれば……?

 まあ、何にしても、魔法に詠唱が関係しているのはたしか。

 だからこそ、そこさえわかれば後はどうとでもなる。

 そう思っていた。


 制限を外した詠唱では、あたしは魔法を発動出来なかった。

 あたしは、本当の意味で祖の翼(フレースヴェルグ)を使い熟してはいなかった。


 夜の日課を再開せざるを得なかった。

 そうじゃないと、声で頭がどうにかなりそうだった。

 えのきの書を読み返して、詠唱を作り直していると、気付けば朝になっていた。

 眠る暇なんてなかったし、眠れるとも思わなかった。



 ワカバがカンタラに来て四日目。

 いつもアベルおじさんとギルスが行くのに、その日はあたしとテオが森への採取に行く日だった。


 他のB、Aランク冒険者達と輪を作るように散開して、森へと入る。

 発見したものを随時伝達式に報告して、輪の内側にいる人に採取してもらう。

 索敵に飛ばした風も特に問題なく帰って来て、先にモンスターがいないことを教えてくれる。


「南南東、コモノドラゴン!」


 伝達された言葉を即座に隣りへ伝えて、動き出す。


 コモノドラゴンは、Aランクの竜系モンスターだ。

 全長六メートル前後で、強力な炎を吐く。

 竜の中だとあまり賢くないらしいけど、人の言葉を使う程度には知恵があって、単体の場合は此方を挑発しながら後退し、罠へと誘う動きをする。

 ただ臆病なだけってあたしは思うけど、それで痛い目にあった人もいるらしいし、深追いは禁物。


 今回あたしは、引きつけ役に徹するべきだろう。


 討伐隊に配属されてコモノドラゴンの元へ向かうと、コモノドラゴンの前に、蛮族三兄弟の次男リデットが頭をチリチリにして倒れていた。

 大事そうに被っていたキャノンボアの帽子が白い煙を上げて落ちている。


 わりと元気な呻き声を聞いてみれば、何でも、長男のトデットの悪口を言われたとか。

 コモノドラゴンの炎を受けて、頭がチリチリになって倒れただけなのは、正直かなりすごい。

 でも、やっていることは迂闊すぎた。


 まずはリデットからコモノドラゴンの視線を外すために、あたしは体内の魔力を杖を介して体に纏う。

 それに反応して、コモノドラゴンがあたしを睨み付けた。


 このまま、あたしとコモノドラゴンを結ぶ直線から、リデットを外したい。

 あたしはコモノドラゴンの姿を正面に捉えながら、ゆっくりと右へと移動していく。


『脆弱なる者共よ! この者のようになりたくなければ、月に五人の(おなご)を納めよ! さもなくば、お前達の村は灰に帰すであろう!』


 ゆっくりと後退しながら、コモノドラゴンが叫ぶ。


 何かあると思わせ……いや、実際あるんだろう。

 それは臆病ではなく、ちゃんと意味のある行動。


 左右から隠れながら近づく人達の数まではわからないだろうけど、その存在には気付いているはず。

 それに単体のコモノドラゴンなら、あたしが目の前に来るまでに逃げている。

 だから、今あのコモノドラゴンがしているのは、あたしの射程から逃れることと、あたし達への牽制。

 おそらく、近付いた人は自分の周りにある罠に任せて、自分はその場でも届く炎で、あたしを焼くつもりだ。


 ポーン


『地面、コモノ前八、コモノ後ろニ、左右四ずつ。この数は槍黐(やりもち)だ』


 あたしの推測を裏付けるように、“特定音叉”の音と共に男の人の声がする。

 これは、ガラガラしてるし、後方支援隊のトデットかな。

 トデットは地中の索敵なら、カンタラで右に出る者はいない。

 Bランク冒険者だとしても、森へ入るなら、絶対にいて欲しい。


 そんな大切な人を馬鹿にされた人の気持ちが、わからないあたしじゃなかった。


 杖に魔力を流し込む。

 それだけで、コモノドラゴンのあたしへ向ける視線が強くなり、さらに二歩後ろへ下がった。


 やっぱり臆病。


 あたしはまだ動かない。

 あたしが動けば、あのコモノドラゴンは逃げようとするだろう。

 まだ逃げ道を塞いでいないから、そのまま逃げられてしまう。

 トデットの悪口を言って、リデットをチリチリにしたコモノドラゴンを絶対に逃がしたくない。


 倒して、夕飯にしてやるんだ。


 左右から近づいた人達が次々に姿を現し、後方からコモノドラゴンを叩く。

 ポンポンポンポン! と地面から槍黐兎(やりもちうさぎ)が飛び出して、鳥黐と手にする槍で応戦し始めた。

 けど、索敵で先に発見されていたから、容易に対処され、次々と倒されていく。

 それに焦ったコモノドラゴンが翼に、背中に傷を付けられながら、大きく仰け反る。


 ブレス。向ける先は――!


 走る。

 退路を断たれ、翼も傷付き、もうコモノドラゴンは逃げられない。

 なら、コモノドラゴンが炎を向ける先は、一つしかない。

 もっと早く動くべきだった。

 あたしもコモノドラゴンの挑発に、頭に血が上っていたらしい。


 コモノドラゴンの頭が勢いよく前へと向けられ、口が開かれる。

 このまま走るだけじゃ間に合わないと、あたしは迷わず後ろの地面に風爆(エアボム)を撃ち込み、その爆風で飛ぶ。

 そして体勢を整えることなんて考えることなく、迫り来る炎に向けて、杖を振りかざした。


「鷲の羽ばたき。型へはめ。隔てよ――祖の翼・障壁フレースヴェルグ・フリューゲル!」


 五つ重なった風の障壁が、炎の一線を受け止め、左右へ、上方へ割く。

 炎の威力を上げてしまうことのある風の魔法だけど、風を制御出来ていれば、ある程度抑えられる。

 それに障壁を重ねてしまえば、絶対にあたし達に届かない。


 ぼふん。


「うっ」


 胸からリデットに着地しながら、コモノドラゴンが炎が吐き終わるのを確認した。

 リデットの背中は硬く、胸を押されて肺から空気が抜けて声が出た。


 コモノドラゴンは、炎を吐いている時も攻撃されていたからか、吐き終わった後に力尽き、槍黐兎もほとんど倒されて、後数匹が逃げ回っているようだ。

 目視ではあたしの周囲にいない。


 ローブの内ポケットから、回復水薬を取り出して、リデットの焼けた部分に掛ける。

 ジュワジュワと細かい泡がリデットの頭を覆った。

 これで大丈――すたっ、ぽふっ。


 え?


 振り返ったその約二メートル先に立つ一頭の槍黐兎。

 その手には槍を持ち、今にもあたしに向けて投げようとしていた。

 咄嗟に避けようとして、違和感に気付く。


 体内の魔力が穴が出来たように体外へと流れ出し、見る見る内に体の力が抜けていく。

 そして、全身に倦怠感を感じ始めると、すぐに頭を上げていられない程の頭痛を覚えた。


 ズブッ!


 左の脇腹に異物が入り込む。

 けど、それが気にならないくらいに、グルグルとした眩暈が始まった。

 見下ろす手の平に焦点が合わない。


 なんで?

 なんであそこに槍黐兎が?

 さっき周囲を見回した時には……!


 コモノドラゴンが炎を吐くために仰け反った時、頭に乗せて、飛ばした……?


 ズブッ!


 同じような場所から、また異物が入り込み、グイグイと動かされる。

 でも、そんなことなんて、もう気にならなかった。

 走ってくるみんなに名前を呼ばれている気がするけれど、聞こえなかった。


 死が見える。

 でも、死ぬ訳にはいかない。

 死ねない。

 だって、だって……!



 あたしはテオのお姉ちゃんなんだから。



 地面が近づく――真っ暗になった。


 読んでいただきありがとうございます。

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