灰色の街で見る夢1
いつもと変わらぬ1日が今日もまた始まる。
通勤電車に詰め込まれレールの上を運ばれていく人々は
皆同じ無表情のまま、いつもの定位置へと足を向ける。
駅の改札から吐き出された生気の無い人々は、
自らは何も選ばず何も決めず何もかも曖昧なまま、
皆己の役割は予め決まってるかのように澱んだ流れの中を
秒刻みのスケジュールを気にしながらのろのろと
コンクリートのビルを色彩豊かに飾り立てた灰色の街に
染み込むように広がって行く。
生気の無い人々をかき分けながら目的のビルを目指す。
人を押しのけてまで進む事にどんな意味があるのだろうか。
ただ、前を歩く人を追い抜くことだけで前に進んで来たような気がする。
たどり着いたオフィスの片隅で
会議に使うため各部署から集められた資料の整理に追われる
他の部署に負けじとその量だけを
競うように増やし続けた資料の整理に追われている。
いくつかの書類に眼を通したかと思えば、
空を見据え焦点が定まらぬ眼をした男が追加の資料を運んでくる。
これも私の予め決められた役割なのだろうか?
毎回たいした意味のない数字が並んだ紙に眼を通しながら、
耳の後ろを掻く。
無駄に時間を取られ散髪に行く暇もなく
伸び始めた髪が掛かる耳の後ろを掻く仕草が癖になりつつある。
昼過ぎにはようやく会議室にいつもの顔ぶれが集まり始めた。
眠そうにあくびをしながらのろのろと自分の席に着く男や
木で出来た面の様に深い皺を動かさずに
積み重ねられた資料を捲っている男。
すでに時計を気にし始めてそわそわしている者。
虚ろな目をした男の抑揚の無い話から始まる会議は一層無意味に思えてくるも、
彼もまた決められた役割をこなしているだけなのであろうか?
空気が粘度を増し、水の底にいるかのような息苦しさを感じずにはおれず
木の面の男がぶくぶくと気泡を出したような音を起てたかと思えば、
皆順番に何か考え込んでるように深いため息をつき始める。
彼が息継ぎもせず長文を吐き出すたびにゆっくりと日が傾きつつあった。
夕日がビルを染め始めた頃、
いくつかの事柄を保留とすることが決まった長い会議が終わり
重く澱んだオフィスの空気があちこちの窓から通りに垂れ流されると、
ビルの間を行き来する魚のような眼をした人々が口をパクパクさせながら足早に逃げていく、
私は窓辺で一息入れながらそんな様を眺めるでもなく眺めていると
「死んだ魚は浮いてくるのだろうか?沈むのだろうか?」
誰かがそうつぶやいた、そんな気がした。
鮮やかに朱く輝く夕日も重く澱んだ空にに反射され
灰色の街の底には届かないのであろうか、
作り物の様に無表情のまま通りを駅に向かう人の流れは、
時折ゆらゆら揺れるだけで遅い流れの中を漂うようであった。
滅入る気分を引きずりながら澱んだ空気の流れる通りから逃れるように
いつもの同僚と入ったいつもの居酒屋では
生魚のにおいのする店員が運んでくる
先日と同じ味の無い料理が同じ順番で出され、
もう何度繰り返されたのだろうか同僚の同じ話が始まる。
それらを口に入れてはビールで腹の中に流し込みつつ、
これにはどんな意味があるのか考えてるうちに、
アルコールで酔いが回り始め澱んだ空気さえどうでもよくなり、
聞くのが何度目かになる同僚の話にも笑い声を上げていた。
上機嫌でもう一度始めから話を続ける同僚を置いて、
一人店を出ると黒く縁どられた夜の街には人もまばらで、
心なしか空気も澄んでいるような感じがした。
今朝は人ごみをかき分けて進んだ通りを
泳ぐように手を振りながら駅に向かう。
暗い水の中を底へ底へと潜るように段々と空気の冷たさが体温を奪い始める。
店を出た時には心地よい夜の冷たい空気が駅に着く頃には体の芯まで冷やし始め
人のいない改札を慌てて通り抜け、
あちこちに寝転がってている人には目もくれず、
何かに追われるかのように階段を駆け上がった。
冷たい風が吹き抜けるホームでは電車の到着するまでのわずかな時間でさえ惜しく
到着を待つ人々は電光掲示板を恨めしそうに睨みつけながら体を震わし、
前に後ろにとそわそわ体を動かす。
遠目ならば巨大な生き物が蠕動してるかのように見えることだろう。
水の中を進むようにゆっくりと到着した電車のドアが開くやいなや
水圧に押し流されるようにその中に吸い込まれていった。
電車の中の暖かい空気はまるで粘度の高い液体の様に体に纏わりつき、
巨大な生物に飲み込まれたような甘い戒めに縛られるように
湾曲した視界の中篭ったように響く車内アナウンスに即されながら、
開いてる座席にのろのろと歩みを進める。
硬めの座席から伝わる電車の振動が
背中をむず痒くさせながら伝わってくるのが何とも心地よい。
背もたれに体重を預けながら、
繭に包まれる様な感覚を楽しんでいると、
不意に誰かに揺り動かされ跳び上がるほど驚いた。
どうやら眠っていたらしい。
停車した電車のドアは開け放たれ、
車内に乗客は一人も残ってはいなかった。
まだはっきりしない頭を振り、
温かい車内を名残惜しそうに
車掌らしき人物の背中を見送りながら
薄暗いホームへと歩き出した。
冷たい空気の車外に出ても
薄暗い灯りのせいか、はっきりしない頭を無理に働かせ
終電の無くなったホームを後にし改札に向かう階段を一歩一歩上がっていく、
深みにはまった足を引き抜くように一歩進むごとに息が切れ
無性にのどが渇く。
喉が焼けるようだ、
喉を掻きむしりたい衝動を抑えつつ
駅前になら何か飲み物にありつけるし
疲れた体を休めることもできるだろう、
疲れ切った足を無理に動かし先を急ぐのだが
その様な希望も駅前ロータリーに一歩踏み出した瞬間に凍り付く。
駅前だというのにそこには何もなかった。
ジジジ・・・と今にも消えそうな音ののする薄暗い街灯
それと、自販機の灯りだけが煌々とあたりを照らしていた。
自販機でもいいかと思ったのだが
私は急いでそのロータリーを後にすることにした。
街灯の灯りの切れ目に目を凝らすと、
その暗がりのそこかしこに転がって寝ている者たちがいた。
タダの酔っ払いなら珍しくもなんともないのだが
そのロータリーにたちこめる悪臭、
まるで生ごみの腐ったようなにおいが立ち込めている。
よくこんなところで寝ていられるものだ。
私は口と鼻を手で覆いながら急いで通りに逃げ出す
まるで住宅街の裏通りかの様な駅前の通りはひっそりと静まり返っていた。
私は不安にかられ辺りを見回すと
通りの先に明かりが見えた、
コンビニの灯りがこれほど心強く感じることはないだろう。
思ったよりも遠いな。
歩けど歩けど到着しないかのような錯覚に陥る、
ただひたすらまっすぐ歩くということは
思いのほか距離を感じてしまうものだ。
それでも、確実に距離は縮まりほどなくコンビニについた。
よく見覚えのある商品が並ぶ同じような作りは楽しみはないが安心感はあるな。
一息入れるとしてどうするかな、家までどれくらいの距離だろう。
タクシーで帰るにしてもどこで捕まえればいいのか。
考え事をしながらドリンク売り場に向かう私に
店員が首を動かさず正面を向いたまま
「いらっしゃいませー」と抑揚の無い言葉をかける。
飲み物を選ぶでもなく考えにふけっている、
どうせ買うのはいつもの紅茶なのだがな、
その時、不意に両脇から腕にしがみつかれ驚き振り払おうとするが
腕に伝わる柔らかい感触が手荒に扱うのを止めた。
その事で返ってそのまま引っ張られることになってしまったようだ。
私の腕にしがみついた死人のように白い肌を
惜しげもなく露出させた派手な色合いの服装の三人組の女性たちは
大笑いしながら私を店の外に引っ張り出し
そのまま一軒の居酒屋を目指しているらしい。
通りを曲がったところにひっそりとある居酒屋は
自分一人なら見逃してしまっていたであろう。
ガラガラと音を立てる引き戸を
白い肌の女性が笑い声を立てながら勢い良くあけると
入り口近くに座っていた背広姿の男が顔を上げ
感情のこもっていない眼をこちらに向けたが
またすぐに自分のテーブルに向けなおした。
その無気力そうな眼のおかげでその男が魚のように見え
テーブルの上の焼き魚を凝視する姿が滑稽に思え
笑いをこらえながら奥の席に向かう。
この奇妙な名前の居酒屋はどうやら始発まで開いているらしい、
こんな場所で元が取れるのだろうかと店を見渡すと、
意外にも結構な客で席が埋まっている。
腰を掛けると急に眠気が襲ってきたが
連れの女性の一人が何かとりとめもない話をするたびに
もう一人の笑い声が店に響いてそれどころではなかった、
少し静かにさせようと三人目の女性に眼を向ける。
どうやら会話に入ろうとしているがタイミングがつかめないらしく
何か話そうと口をパクパクさせては気まずそうにしていた。
その様子がだんだん水槽の魚のように思えて、
なんだかどうでもよくなってきたその時に
それを見た。
それは店入り口近くの天井にへばりついていた。
巨大な蜘蛛のように見える姿といってよいのだろうか
丸い胴体に四角い頭がついた、いや、
角ばってはいるが頭の先の方はカーブを描きながら鋭くとがっている
顔と思しき部分には鼻のような突起物が一つと
片側の側面に奥歯の様に分厚い歯が並んだ口のようなものがあった。
胴体から大小様々な無数の昆虫めいた足が生え
その先は人間の手の様に細かく分かれていて、
天上や壁の突起物を器用にわしづかみにしながら
その生き物はするすると音もなく床まで降りて来た。
異常な光景に息をのみ汗が噴き出す。
しかし、どうにも様子がおかしい
店員はこの化物の横をグラスを運びながら行ったり来たりしているだけで
まるで見えていないようだ。
店の中の誰も何の反応も示していない、
どういうことだ?
そんなことはお構いなく、
その化物は鼻をひくひくさせながら頭を振る度に
「PAGO・・BAGO・・」と奇妙な音を立てながら
何かを探しているかのように、ゆっくりと動いている。
やがて、焼き魚を見ていた背広姿の男の前まで来ると
より一層鼻を近づけくんくんと臭いを嗅いだと思えば
いきなり腕の一つで鷲掴みにし側面についてある口に放り込む、
男の体の半分が消え、
咀嚼するたびにバリバリと骨を砕く音を立てながら、
鼻をひくひくさせ次の獲物を探すかのように臭いをかいでいる。
客のにおいを順番にかいでは、
ゆっくりと、このテーブルに近づいて来た。
女性たちは相変わらず大笑いしているが
それには何の興味も示さないようではあったが、
私は慎重に注意をひかないように
その化物から離れようと少しずつ腰を浮かせて移動し始める。
その時急にその化物が素早く頭を振り
咄嗟に身構えるも、どうやら口をパクパクさせている女性のにおいが
気になったかのようで、その匂いをしきりにかいでいる。
目の前であのような光景を見るのは耐えられない、
その女性にこれから起こるであろうことには目を背け
私はゆっくり立ち上がりその席を離れようとした時
テーブルの下からするりと伸びた化物の手が私の膝をつかみ
恐怖のあまり叫び声を上げ、
テーブルに乗っていたグラスが床に落ちる。
急に目の前が真っ白になるほどの眩しい光で目がくらみ慌てて瞬きをすると
そこはいつも見慣れた混雑する電車の中であった。
・・・夢を見ていたのか?