第25話 餌のフロア
意識がはっきりしてくる。扉をくぐって偽物の世界は無事に脱出できた。これであの試練は終わったはずだ。
だが、次の試練は待ったなしでやってきた。
「な、ぅわ……」
気が付いたら、でかいプールに放り込まれるところだった。いきなりすぎだ。急展開にも程がある。
水面に叩きつけられてた衝撃に、体が痛む。そのまま水中をしばらく沈んでいくが、突然の状況に度肝を抜かれて、「がぼっ……ごぼぼっ」口から貴重な酸素が逃げていった。
な、なんっ……だ。
何だよ。何がどうなってんだ。次から次へとコロコロ景色変えやがって。壁紙じゃあるまいし。
夢の世界から目覚めるやいなや、空中、即水中だ。意味が分からない。
周囲を見るとか観察するとか、そんな余裕なんてなかった。
光の射す方へ泳いで水面から「ぶはっ……げほっ、げほっ」顔を出して、肺に空気を送り込む。
周囲を見回してみれば、何人かが浮かんできている。水の中に目をこらしてみる。浮かんでこない奴はいない。夢から出られなかった奴はここにはいないようだった。不合格者が水底へ沈んでいないだけ目には優しいが。こんな所で優しくすんなら、もっと、別の所でしろ。この光景が目に優しいとか、だんだん基準がおかしくなってきてないか? 不安だ。試験が終わってる頃には、別人とかになってなけりゃいいけどな。
そうだ「里留!」あいつはどこだ。あいつは試練を受けてない。このフロアにはいるのか、どうなんだ。見回す。そもそも泳げるのかよ。近くには見当たらない。アレンとか、ベティーとかおまけでローラン、そこらへんもだ。
くそっ。着地点バラバラなのかよ。
素早くステータスウィンドウを開いて、メールを入れる。自称天才に向けて。
内容は、
里留
それだけだ。十分だろ。
水しぶきの音がした。随分近くだ。思考が戻る。
体が自然に反応して、音の発生場所から距離を取り始めた。
あっという間に、周囲のそこかしこで連続して似たような音があがる。そして悲鳴も上がった。
何だ。何が起こってんだよ。音はある。だがその正体、「見えねぇ」俺も含めて他の連中もまるで姿が確認できないのだ。原因が分からない。
「クソが」
浮かんでいた人間が、次々に何かに喰われていく。
肩を抉られ、頭をかじられ、血を垂れ流し。
プールの色が見る間に変わっていく。
俺は眉間に皺を寄せて、「何がいんだよ」死神の目を使う。
片目だけだが、周囲の人間の頭上に数字が見える。
一部の人間の数字ががだんだんと減少していく。
が、襲ってくるものについては見えなかった。生き物ではないらしい。
直接は無理だったが「間接的にでも見えるだけましか」敵の位置を把握できるようになった。
俺は、数字が減少していく人間を避けるように行動していく。
「ぐああっ!」誰かがやられた。「きゃああ!」悲鳴が上がる。「たすっ、助け……」プールの色が赤く染まる。
俺はそれらを見ながら「……チッ」ひたすら回避していく。
誰かの犠牲に紅蓮の安全は成り立っている。今は周りに餌があるからいい。けれど、いなくなってしまったらどうなる。そんな事を考える自分の思考に吐き気がした。
気に入らねぇ。気に食わねえ。
誰かを蹴落として自分だけのうのうと。何様だよ。俺様だ、ってか。そんな価値なんて俺にはない。こんな風に生きながらえていい人間でもない。目的だ。誓いだよ。そして約束。そいつがあるから頑張んなきゃいけねぇ。目をつぶらなきゃいけねぇ。それだけだろ。それだけだ。
だが、それがある。今はそれで十分だ。
必要な犠牲だって割り切れ。余計な事は考えるな。実際、必要としてるんだからな。あいつら無しでどうやって逃げ切るんだよ。
考えて。納得しようとして、気が付くのが遅れた。数字以外の危険を知らせるサインを。
何かが体に触れた。足だ。俺の足が引っ張られる。「がっ……!」一瞬で水中の中に沈んだ。急な事で、水を飲んじまった。何だ、少なくとも近くには、脅威はないはずだ。……なんて、思ってた。脅威はあった。見えない敵だけが脅威じゃない。
視線を元凶へと向ける。誰かが必死に足を引っ張っていた。比喩的な意味でも、現実的な意味でも。俺はそいつを見て、「がぼっ……」貴重な酸素を吐きだしてしまった。
人間だ。狂気をまとった人間の表情がそこにあった。そいつは体中怪我していて、生きているのが不思議なくらいの状態で、そんな状態なのにこちらを水中に引きずりこもうとしている。
自力で泳ぐ事もままならないようなあり様だった。当然沈んでいく。そんな人間が、紅蓮の足を力いっぱいに引っ張っているのだ。つまり奴は、道ずれにしようとしているのだ。
昔の俺と同じように。
自分が不幸だからって他人まで不幸に落とそうとしていた、どうしようもない橘紅蓮みたいに。
感傷に浸ってる場合か。俺と同類。だからどうした。同じだからって、一緒にお陀仏してやるわけにはいかない。「……!」片方の足でそいつを蹴る。離れろ。てめぇ。「ぁ……、っ……」呻き声らしきものを上げるそいつは。だけど、しぶとい。どんだけ、力を入れて蹴ったくろうが、けっして手を離そうとはしなかった。むしろ一層力を強めてくる。
「っぅ……!」やべぇ、空気が。息が続かない。そもそも捕まるところがねぇのに、どうやって踏ん張れっつうんだ。何とかしようとは思う。だが魔法は「っ……ごぼっ!」使えねぇ。そもそも発声が出来ない、当然か。そうこうしているうちに、肺の中の空気が空になっていく。
半ば無意識の内に、俺の手はすがる物を探していた。その手が水をかき、何かに触れる。途端、意識に何かが流れ込んできた。
「シェリーお姉ちゃん、行っちゃヤダ。そばにいてよ」「ちょっと行ってくるだけだから、我慢しなさい」「やだぁ」「じゃあ怖い人が来ても大丈夫な様にお守り渡しておくから。これを持ってなさい」「……」「なるべく早く帰ってくるから」「約束だよ。絶対、早く返ってきてね」「分かったわ、もう。約束」
「本当に行くのかい」「ああ、行ってくるよ。必ず願壁を踏破して帰ってくから待っててくれ、母さん」「あんな飲んだくれの父親の為にそんなことしなくていいんだよ、私にはお前さえいてくれればそれで」「そう言うわけにもいかないだろ、じゃあ」「あ……」
「くっそぉ! 何でうまく行かねぇんだ。金だ。金さえあれば何とかできるのに。所詮、貧乏人なんて誰も信用しねぇんだ。こんなったら一攫千金の方法を探して……」
「聞いてくれ、君の病を治す方法を見つけたよ」「まさかとは思うけど……。貴方、あの方法を」「止めないでくれ、もう決めたんだ」「やめて、それだけはしないで。私のせいで貴方が死んだりしたら……」
痛ぇ。頭が痛ぇ。
コンクリートで上から脳みそを圧迫でもしているかのような痛みだ。
おそらくこれは記憶だ。この願壁に挑む人間の、ここに来ることになった動機となる記憶。そのたくさんの人間の記憶の様なものが、俺の頭を一瞬で圧迫したのだ。
痛ぇ。何なんだよ。これは。
だが、痛みに呻きつつもやっと掴んだそれを紅蓮の手は離さなかった。
人間の頭部くらいの球体だった。それが、水中に存在している。俺がそいつに触れたとたんそこから記憶が流れたてきた。
見れば、水中には同じ様なものがいくつも存在している。最初の水に落とされた時は、混乱で気づかなかった。
同じようにその球体に触れた者が、さっと表情をかえ手を離すのが見えた。記憶が見たのだろう。
水中の中に落とされた、くもの糸ってわけかよ。ここは地獄か何かか。あながち間違ってないとこが反論しづらいが。
俺はとっさに縋りついたそれを足場にして蹴る。早く自らでなければ。球体は微動だにしない、そこから動かなかった。どういう力が働いているのか、その空間に固定されてでもいるらしい。
足は気が付いたら自由になっていた。あれほど必死に紅蓮にすがりついていた人間は、途中で力つきたようだった。
水面に顔を出した紅蓮は、呼吸を整えるのも早々に「灼熱陽光!」うまく発動するかも分からない魔法を、自分の足元よりずっと下、水底へ向けた。
水の中だというのに「うおわっ」一瞬で爆発が発生、俺の体は水中から押し上げられ、吹き飛ばされた。そして偶然だが「絶対氷結!」その状況を活かす事にした。水面を凍らせ、足場を作る。「ぃでっ!」その上に落下した。あいかわらず「寒いなおい」小凍えそうな威力だが、地面らしきものがあるだけ先ほどよりは格段に動きやすい。
さて、どうしようかと周囲を見回すが、紅蓮が何をするべくもなかった。
ここまで登ってくるだけの実力はあるというわけだ。、みな、それぞれの対処法を見つけて敵を駆逐していっている。
敵に噛みつかれた人間を狙って攻撃するやつもいれば、
範囲魔法で自分以外のフィールドを一層する奴もいる。
そんな光景を見ながらの「胸糞悪ぃ光景だな」感想だ。
俺は足場の下、その先にある水中を見る。
魔法に巻き込んだあの人間は、もう生きてはいないだろう。なぜならそうなるように、狙ったのだから。
「意味なんざなかったかもな」
俺のした事の意味なんて、ただの自己満足だ。相手からしたら攻撃されただけだろう。
その凍り付いた水面に立ったまま、戦闘が終結するまで俺は動かなかった。




