ー閑話2ー 『スペラとイーナ』
黒い丸テーブルに向かい本を読むスペラ、その隣でニコニコとその姿を眺めるイーナ。
「お母様、この字はなんと読むんですか?」
スペラはその本に書かれている魔族の使う文字の一文を指差した。
「うむ?……これは『自らの体内に流れる魔力を感じる事が出来る』じゃな、我々魔族の破滅魔法を扱う上で必ず必要な事じゃな。」
イーナがスペラに読ませている本。それは魔導書である。
破滅魔法を最初に広めた最も古い魔導書であり魔族界でもそれを持つのは一握りの権力者のみ所持し今や幻とも言われる魔導書である。
その魔導書のタイトルは『平和の為の破壊』著者はティー・ターン・アムリタ。かつて魔王軍を率いる『魔王』として君臨した魔導師であり敗戦続きの魔族に勝利をもたらした偉大なる魔王である。
「そうじゃな、スペラ。今度妾が魔法を教えてやろう。」
「本当に?」
「ああ、本当じゃ」
「わーい!」
無邪気に喜ぶスペラを見てイーナはスペラの頭を撫でた。
そこに扉を叩く音が響く。
『俺だ、入るぞ』
「グリムじゃな、入れ」
扉を開けて現れたのは綺麗な花束を抱えて現れたグリムだった。
「グリム様ー」
「スペラ?確かにグリムは様と付けなければいけない人じゃが、今こうして三人でいる時は『お父様』と呼ばねばならんぞ?」
スペラは小首を傾げイーナを暫く見つめるとニコニコと笑い椅子を降りてグリムに近づいた。
「お父さまぁ、」
「お…おと…う……」
魔王グリムが頬を真っ赤に染めて動揺してしまう。
その姿を見てイーナは必死にお腹を抑え笑いを堪えていた。
「そ…そうだ!スペラ!きょ、今日はお前の好きそうな花を持ってきたんだ。どうだ?」
「わー!きれー!!」
スペラが花を見てキラキラと目を輝かせているとグリムの口元が緩んだ。
「そうだろう!お前の為に第零潜入部隊と第零捜査部隊を派遣し花を集めたのだ!」
「貴重な戦力をそんな事で使うでないわ…」
イーナはグリムの溺愛ぶりに呆れ黒い飲物に口を付けグリムを冷たい目で見つめていた。
「あのねーお父さまぁ…今お母さまに魔法を教えてもらってるのー」
スペラはグリムのコートの袖を掴みテーブルまで引っ張る。
思わず笑みがこぼれるグリムをジッと冷たい目で見続けるイーナ。
グリムと目が合うと目を逸らし口を尖らせる。
「ほらーみてー」
「お、本当だな。偉いなスペラ。」
椅子に登りちょこんと座り魔導書を広げるスペラ。グリムはその隣のイーナとの間に入り座って不貞腐れるイーナの頭をそっと自分の胸に抱き寄せ頭を撫でる。
突然の事にイーナは顔を真っ赤に染めてグリムに抗議する。
「ぐ…グリム…調子にのるでない…」
「俺は魔王だから良いんだよ。」
「何を言っておる…」
そう言いつつも自分の頭をグリムに預けるイーナ。
それを見ていたスペラはグリムの袖を強く引っ張ると無言でグリムに頭を差し出す。
グリムはスペラの頭も優しく撫でるとスペラはとても気持ち良さそうに目を瞑る。
「スペラは将来魔法使いになるのかな?」
グリムのその問いかけにスペラは「うーん」と首を傾げた。
「あのね、いっぱい勉強してー……いっぱい勉強して……すっごい人になるの!」
「そうか!ならば学者を呼ぼう!勉強を教えてもらうぞ!」
「馬鹿かグリム!そんな事をすれば妾とお前との子がいるとしられスペラが命を狙われるかも知れんではないか!」
グリムの胸をぽこぽこ叩き抗議するイーナにグリムは内心可愛いと思いつつそれもそうかと考えた。
「故に妾が教えよう。妾はこう見えても魔王軍の最も優れた者の部隊、第零隊の潜入部隊隊長なのだぞ!」
「知っている、だが、どこか頼りないと思っている俺がいる…」
「失礼な!妾だってやる時はやるぞ!」
頬を膨らませグリムを見上げるイーナ。
それを見たグリムは視線を逸らし一つ咳払いすると言った。
「分かったイーナに任せる。」
「うむ、」
イーナは満足げな顔でグリムから頭を離し椅子に座りなおすと黒い飲物を飲み干した。
「お父さま」
グイグイ袖を引っ張りグリムを呼ぶスペラ。
「どうした?スペラ」
「お父さまは槍の天才ですよね?」
「ん?天才…と言うほどではないが素人程度には扱えるぞ。」
「嘘つけ…槍の一振りで兵を何十人吹き飛ばす素人がどこにいる……」
イーナが小さく呟くがそれは2人には聞こえない。
「あのね、お父さま、スペラね、お父さまには槍を教えて貰いたいの!」
「なに!槍を!よし!良いぞ!俺が教えてやろう!早速外に行こうじゃないか!」
スペラの腕を掴み優しく外へ引っ張るグリムにスペラは慌てて椅子を降りてグリムについて行く。
イーナは頬杖をつきその姿を見てグリムに言った。
「外にワイプ族のスパイが二人張っておる。外に出るなら裏手から回れ。」
「ああ、分かった。」
その表情は真剣でグリムは振り返らずにスペラを連れ外へ出た。
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烈火の炎の様な壁に黒曜石の床。中心に真っ直ぐに敷かれた赤絨毯、その先に堂々と置かれた黒と金の玉座に腰掛け足を組むグリム。
その視線の先には平服する黒い外套を着たイーナがいた。
「『魔将』ファランド・イーナ・プリンチーム。貴様にこれより『寝永姫城』の守護を任せる。人族からの侵攻に警戒しその任に当たれ。」
「はっ!承知いたしました。」
「…第零潜入隊員を数名連れて行け。人選はそちらに任せよう。」
「ははっ!」
普段の二人とは明らかに違った真剣な受け答えが交わされたのち、グリムが脇に隠れ潜む守護兵を下がらせグリムは立ち上がり背筋を伸ばした。
「それで、アレは連れて行くんだろう?」
グリムのアレという問いかけにイーナも平服を辞め身体を伸ばしながら答えた。
「そうじゃな、アレは反魔王派の奴らにも悟られんよう、妾のメイドとして連れて行く。」
「成る程、その為の第零隊の派遣か。」
グリムは椅子に座り直し納得した表情でそう言った。
「そういう事じゃな。」
「ヨールパル大陸で最も隠蔽性に優れた拠点、『眠りの森』の寝永姫城に何故、第零を連れて行くのかと思えば……」
「まぁの、妾直属の第零隊9名を連れて行くが、良いか?」
「ああ…『九人衆』か…どうせそうだろうと思って予め全員人族領から撤収させている。」
「流石はグリム、出来るの…」
「世辞はよせ、反魔王派…過激派のワイプ族の奴らの対策だろう?」
イーナが無言で頷く。
「しかし、以外じゃな、アレを連れて行くと言って止めんとは…」
「アレには教える事は全て教えた。いずれは俺を越えるかもしれん…」
「なにを言っておる…しかし、暫くは会えんくなってしまうが、良いのか?」
「良い、今生の別れではない、すぐに会うさ」
「ふふ…そうじゃな。」
イーナが微笑むとグリムも笑顔で返した。
「では、妾は行く。」
「ああ、頼んだ。」
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イーナとスペラは手を繋ぎ薄っすらと霧がかる森の中を二人で歩いていた。スペラは上機嫌でスキップしながら歩くのに対しイーナはその歩幅に合わせるように歩いていた。
「お母さま、もう少しで着きますか?」
突然イーナが歩みを止めた。そしてスペラの両肩に手を置きスペラと視線を合わせる様に腰を落とし真剣な表情でスペラの眼を見つめた。
「良いかスペラ?」
「はい、何でしょう、お母さま?」
「これからは妾の事は『イーナ様』と呼べ、お前には妾の屋敷のメイドとして働いてもらう。辛いかも知れんが、すまない…お前と妾の関係を知られん様にするにはこうするしかないのじゃ……」
「メイド?……メイド?」
「そう、メイドじゃ。」
「………うん!分かった!お母さま!」
「スペラ……お母さまではなく『イーナ様』じゃ…」
「……分かりました…イーナ様。」
「そうじゃ、賢いのぅスペラは…」
頭を撫でて再びイーナは手を繋ぎ歩み始める。スペラはご機嫌だった。
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寝永姫城の扉の前で9人のメイドが二人を出迎えた。
「イーナ様、スペラ様、お待ちしておりました。」
メイドリーダーと思われる青白い髪の女性が二人に挨拶をした。
「うむ、ではこれから宜しく頼むぞ。」
「はい。宜しくお願い致します。」
「スペラ。お前がこれから先、お前の先輩となるメイドじゃ。此奴らにだけお前の事を話しておる。何かあった時は頼るのじゃ。」
「はい、イーナ様。」
「では、早速スペラ様には着替えて頂きます。此方へ」
メイドリーダーの隣にいた金髪のメイドがスペラを先に中へと案内した。
スペラは去り際にイーナに不安の表情を見せたがイーナはそれを笑顔で見送った。
「では、早速執務室に案内してもらおう。」
イーナの目付きはスペラを見る様な優しい眼から鋭い真剣な目付きに変わった。
「畏まりました。」
メイド達も真剣な顔つきに変わり扉を開けイーナを迎え入れた。
それから15年間。スペラはメイドとして寝永姫城で働き最年少メイド長としてその職務に励んだ。
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寝永姫城限定、特別兵士休暇、通称定休の日、イーナに久々に甘えたスペラは昼食を二人で摂った後、屋敷内を簡易的に清掃し、夕食の準備に取り掛かる為、屋敷中央の階段にある不可思議な鳥のオブジェの頭と思われる部分を捻ると床に転移系の魔法陣が現れスペラを包んだ。
スペラが現れた場所は先程のオブジェのみが置かれた部屋だった。
ここは屋敷の地下に造られた兵の収容所であり寝永姫城を守る兵、100名が日々暮らす所でもあった。しかし、今日は特別休暇、兵達、メイド達も家に帰りそれぞれの休暇が与えられた日である為、誰も居なかった。
目の前の扉を開けて一直線に伸びた廊下を歩き『第1調理室』と書かれた室に入っていった。
その室は完全防音で外部からの音を完全にシャットダウンする実に要らない機能を兼ね備えた調理場なのである。その為、そこに居ると上の階層の音も隣の室の音も完全に聞こえないのだ。
本当にくだらない機能だ。
スペラは食材を切り下ごしらえを始め、その時の地上の階では勇者一行が屋敷に進入していた。
「フンフーフンフンフー」
鼻歌を歌いながら15年、続けてきた夕食の準備を進める。
野菜類を切り、小エビの殻を剥き、米を研ぎ、計りで水を計り小エビと米を炊き、鍋にバターを溶かし小麦粉、牛乳を加えて混ぜ白いルーを作りオーブンを温める。
その時地上ではイーナが勇者の首を斬り飛ばし復活した事を驚いていた。
炊き上がった米とエビを耐熱皿に移しルーを上からかける。それを熱したオーブンに入れ加熱する。
冷蔵庫から前日から用意されたカボチャの冷製スープにクルトン、ナツメグ、刻んだパセリを散らし。ワゴンに乗せる。イーナの分と自分の分を。
その頃地上はタリウスが脱落した。
深めの皿にサラダを用意しドレッシングをかける。ワゴンに乗せ取り皿とナイフとスプーンとナフキンも用意する。
ルーをかけたエビと米をオーブンから取り出し焼き色が付いた事を確認すると刻んだパセリを散らし皿の上に耐熱皿ごと乗せ、ワゴンに乗せクロシュを被せる。
ワゴンを押して、先程のオブジェの部屋に向かって行く。
転移し階段を浮遊魔法でワゴンごと二階まで上がりイーナの部屋までワゴンを進めたその時。
「!お母さま!!?」
向かいの壁が破られそこから傷だらけのイーナが現れた。
ワゴンを離しイーナに駆け寄ったスペラ。壁に空いた穴の向こうには巨人を背後に召喚した小さな女の子と同い年位の男が一人その小さな女の子の前に立っていた。
「誰?」
その姿はまるで人族。いや、人族だとしか思えなかった。
魔力を見るにその二人はイーナと同等、若しくはそれ以上の魔力を持っていた。
「『炎槍・顕現』」
スペラの右手に烈火の炎に包まれた槍が現れる。
スペラは槍を投げるように構えて女の子に狙いを定めた。
「………スペラぁ……」
「!!お母さま!」
弱々しいイーナの声が聞こえた瞬間、槍を消しイーナに駆け寄るスペラ。
顔面蒼白の今にも死んでしまいそうなイーナがスペラに向かってニコリと笑った。
「可愛いスペラ…スペラ?よく聞け…」
「はい…お母さま……」
イーナはスペラの頰をそっと撫でると語り始めた。
「スペラ…生物はいつかは死ぬ、良いな?じゃが、生けるものはそれを乗り越え強くなる。スペラ……強くなれ……さすれば、さみしく無い…付いてきてくれる者が必ず…居るからの……」
イーナの魔力が高まりその腕がスペラの胸に当てた。
魔力が流れるようにスペラに送られスペラの眼からは涙が垂れる。
「……お母さま?なにを……」
「ふふ…妾は良い娘を持った。」
イーナが立ち上がり壁に開いた穴から飛び出した。そして雷を纏った巨大な球体の魔法にイーナはその進行を食い止めるように抑えた。
「お母さま!やめて!!何をしてるの!!」
その時、光の閃光がイーナを襲い怯んだ。
「強制転移魔術!」
「お母さま!?」
スペラが転移した次の瞬間、イーナは雷に包まれ消滅した。
魔王グリムが玉座に腰掛けライト・メアが定期報告を行なっていたその時。
「何者だ!」
グリムとメアの間に転移した。スペラは死んだ魚の眼をしてゆっくりと視線をあげ見渡した時、グリムと眼が合った。次の瞬間、一気に涙腺が緩み涙が溢れでてスペラは小さな子供が駄々をこねるような叫び声にも近い声で大泣きした。
「お父"さまぁ"ぁ"ぁ"ぁーー!!!!」
一様これでイーナ、スペラは終わりです。